ネズミ騒動

この一枚の写真が物語る一大事件。ここに写し出されている存在、それは我が愛すべきレイ君。呼んでも呼んでもこちらに来ない。うずくまり縮こまり身動き一つしない。

読まれているあなた、先ず以て、ここはどこなのだ、との疑念が浮かんでくるでしょう。ここは、オニパン寮の天井裏。なんでこんなところにレイ君がいるの。先ずそこからお話しいたします。

寮に住んでいる中島さん(スタッフ)が、夜な夜な天井裏で騒ぐねずみどもに安眠妨害され、さらに時々「シャー」という何かが這う音も聞こえてくると訴える。シャーはきっと蛇ではないかと。ネズミも蛇も苦手な人には恐怖なのだろう。ちなみに我が家でも一時期ネズミが天井裏を占拠し、大運動会が繰り広げられていた。

ネズミ対策は今まで色々やってきた。パン屋でのネズミ問題は大変深刻でもある。電線をかみ切られる、材料は食べられる・・・。だから、ネズミ捕獲器(以前は効果あったけれど最近はうまくいかないな)、超音波みたいな機械、ぺったりシート、ネコイラズ、パッチンとはさむ器具(これは効果あり、大ネズミを捕まえた)。工房はそんな感じであの手この手だったが、住まいの方は一発で解決。それは我が家にやってきた野良のリー君、ルー君、レイ君。大慌てで家からネズミたちは逃亡。デッキ下に敷いていた畳み一畳に敷き詰められたネズミシート(床下送風穴のところ)に何十匹という小から中くらいのネズミが張り付いていた。結論として猫君が一番優秀ということ。

我が家のレイはとても頭が良く、自立心旺盛。一人でいろんな場所を遊び場にし、親に面倒をかけず、食事も結構自然食を自分でとってくる。以前にも書いたが鳥、ネズミ、モグラ、トカゲ、カエル。鳥とネズミは大好物でほぼ食べ尽くす。

そんな無敵のレイ君だから、天井裏に放すと、大活躍するだろう(実際、我が家の天井裏に入り込んで一日出てこないときもあるくらい天井裏は好き)。

まあ大変だった!初めはだまされて、静かに抱っこされオニパン寮まで連れて行かれたが・・・。そのうち身に危険を感じたのか、暴れ出した。寮の中に入り天井裏に入れるまで相当大変だった。そしてなんとか天井裏へ。単純にねずみ獲りをして楽しんでくれるかと思ったのが間違いで、賢い猫だけに信頼する親(私たち)に虐待を受けたように思ったのか大変な落ち込みよう。ず~っと二日間身動きせずに同じ場所にいる。

心配性のママはなんとかせねばと、ご近所の人に相談して我が家にはない(チュール)をもらい、脚立に上がり1回2回とマンマをあげる。ママが言うと、なんとか近づいてきて食べる。私は怖いのだろう。そして3回目のチュールは、私も一緒に脚立へ。足をつかみ無理矢理引き出した。

その後ネズミがいなくなったお家、戻ってくる前に対策を。

休みにこんなものを作った。さあて、これは何でしょう??

家の周りに8カ所、これを取り付ける。

小さなネズミであれば、ここから中へ入れる。家の裏側に回ると、この通風口が壊れていて、大きなネズミも入れる場所があった。とりあえずこれで一件落着か??

レイ君には悪いことをしたなあ。猫って馬鹿だと言うけれど(怒られてもすぐ忘れて、ミャ~と甘えてくるし)、2日に渡って落ち込んでいる姿を見ると、私もいろいろと考えさせられた。

新発見・新アイデア

発明と言う言葉を使うには少し大それた感もあり。しかし新発見・新アイデアくらいであればちょっと日常の心持ちや観察眼があれば、いくらでも生まれるなあと思う。それは、私の日曜大工での最大の喜び・悦楽であり(今回の物置拡張活動でもそれを感じながら)、本業のパン作りでも言える。

毎日同じような仕事をしている人が大半の世の中。工場での労働、お店での労働、家庭での家事・・・・ほとんど同じことばかりと嘆くのは大間違い!と断言できる。同じことをしているからこそ、そのことに詳しくなり、いろんなことが見えてくる。そして見方を変えれば、また違うことが分かってくる。そこで、こうすればどうなるだろうと仮説を立てる。そしてそれを実践してみる。結果が出る。その結果から新たなことが分かってくる。

私は、そんなことを繰り返している。パン作りにおいては特に。これは、当たり前のこと。これを10数年繰り返すと、新しい方法や新しい見方がどんどん出てきて、いろんなことに熟達してくるものだ。

私の友人のお母さんはすでに90を超えている。そのお母さんの喜びは畑作り。昔の私なら退屈だなあと思っていた。最近、ママが畑作りに関心を持っていて、野菜やお花を育てることがどんなに楽しいか私に話しかけてくる。夕方畑に出かけ、暗くなっても帰ってこないときもあるくらい。それも、いろんなことを発見し、工夫し、変化を見て、喜びを感じているのだろう。

さて前置きが長くなった。今日はクレセントの成形について。

これは本日のクレセントの成形したもの。あまりうまくいってないが。クレセントの成形はオニパン独自の方法を5~6年前に作り出した。私の修行した「あこ庵」のやり方を、大きく変えて(企業秘密笑)倍速、いやいや3~5倍速のスピードで出来るようになった。感動、感激の新方法!

そして本日も新アイデアが生まれた!

それは、

このメン台を使うとき、木で出来た部分でクレセントの成形をすると、すべってうまく巻ききれないときが出てくる。元スタッフの川野さんは、この木の部分でもとても速くきれいに巻けたが。微妙な手の動かし方があるのだろう。しかし、普通はむずかしい。すべるのだ。そして時々だが、きれいなクープが出来ないときもある。滑らなければ良いのだ。ただそれだけだ。そこを曖昧にして今までやってきた。滑らせない方法を今日考えた。すると、あるある、そんな方法が。

大きなまな板を置いて、成形する生地をそこに乗せればことは終了。なんだ、そんなことだったんだあ!分かればどうってことはないが、それでこれからはちゃんと出来る!アイデアとはそんなものか。しかし、めっちゃうれしい!!!!

忘路軒(オニパンの隣)のご主人は・・・

塚原の隠れ名所(?)で有名な「忘路軒」。創作料理、自家栽培の野菜・・・。一度行くと、そのおいしさとお店の雰囲気に感動し、予約が取れないほどの人気店。最近はご主人が2度の脳梗塞で体力が減退し、営業は控えめ。ご主人の名前は阿部英二郎。個人情報漏洩みたい。でも心配しないでください。この方は、とても有名な方なのです。

塚原に引っ越してきて一年目。阿部さんは血気盛んな方だと知った事件があった。よく吠えるコリー犬のコースケが忘路軒の方に向かって吠え続けた。その後、阿部さんが血相を変えて、犬がうるさいと怒鳴り込んできたのだ。ひたすら謝った。きっと、彼が、一人芝居をしている最中にコースケがうるさく吠え、きっと集中出来なかったんだな。阿部さんは、吉四六話をいくつもネタに持っていて、その面白さといったら・・・まさにプロ!と思っていた。大分県の吉四六話のCDを、大阪にいる時から持っていたが、そのCDの吉四六さんの声は阿部さんだと知ったのは塚原に来てしばらくしてから。阿部さんはただ者ではない!

そして、今週の月曜日、2年ぶりくらいに市民劇場へ。月曜日は明日が休みなので、重い腰ではあったがたまには行かねばなあと思ってパンフレットを見る。

俳優座。うん、まあまあだなあ。しかし、「反応工程」という劇、戦争の問題をテーマに平和の尊さを説くみたいな・・・。とても大事なテーマなのだが、重い、重い・・・・疲れた体と精神はそのテーマが重い。やっぱやめようか。作=宮本 研・・・?????!!?!!!!。ありゃ、どこかで聞いたぞ。もしかして以前阿部さんが良い作家だと言ってた人かな。待てよ、移動販売の青葉台住宅街で常連さんのオキベさんが東京で会ったことがあるとかも言ってた作家だ。大分商業の先生を数年やって、その後東京に出て劇作家になった人だ!

パンフレットをめくると・・・・・!!!!

ゲゲッ!阿部さんが寄稿している。阿部さんは大分商業で演劇部だったのかあ。そのとき宮本先生に出会い、その後もまたもや偶然劇団でご一緒に。そして、今回観る「反応工程」の主役である田宮役を阿部さんがしていたとは。昔千代田公会堂で阿部さんが演じた劇なのだ!私は観る前から体が震えてきた。

もう迷ってなんかおれない。そそくさとビーコンプラザへ。劇場の扉のところに阿部さんが立ってお客さんを出迎えていた。私は「阿部さ~ん!」「今日の主役やるんやろ!!」と思わず口に。阿部さんは「今から67年前にな。今日は、現在の主役と67年前の主役で一緒に記念撮影した。」と嬉しそうに言っていた。

劇は、とても良かった。あの敗戦前のギリギリのところでも、三井財閥は国に武器を売り学徒や国民に戦争をけしかけ、お国のためにと働かせながら利潤を追求していた。戦争って本質のところは国民同士のいがみ合いや宗教の問題などと違うところで動いている。現在も同じだ。自衛隊基地を地下に移動し、武器を重装備し、アメリカの兵器を爆買いする。すべては軍需関連産業が国を使って利益をうるために動いている。わかりやすい話しだ。社会保障や教育予算は金をどこから出すのかという論議はしても、防衛予算は青天井で予算を組む。本当に腹立たしい。

阿部さんの半生を思いながら劇を観た。どんな思いで田宮役をしたんだろうな。67年前!  民主主義が高揚していた時代。それからずっと演劇活動を続けてきた阿部さん。すごいなあ!!涙が出そうだ。

由布岳の姿

豊後富士と言われ大分県を代表する山が由布岳。我が由布市はその山から市名をとった。ネットで由布岳の画像をググる。するとほぼすべて、こんな由布岳が現れる。

私もこの姿に深く感動して、由布市に住みだした。別府市から由布岳正面登山口を経て湯布院盆地へ下りていくアプローチは素晴らしい景観だ。なだらかな綠のスロープが広く長くつながり、由布岳へ溶け込んでいく。鬼の角のようにも見える西峰と東峰。この頂上がバックの青空に映える神々しさ。特に雪の積もった峰が青空に浮かび上がる絵図は芸術的だ。

そう思って疑いもなく由布岳を眺めてきた。けれど、そればっかりでもなさそう。先日、自治区の役員さんと塚原巡りをした。私も役員になり、塚原の全体像をしっかり把握せねばと、二人で社会見学をした。彼はリックスプリングバレーで立ち止まり、「ここから見える由布岳が男性的で最も素晴らしい!」と言う。へー、なるほどなー、そういう見方もあるなあ。リックからしっかり由布岳を眺めたことはなかった。

どっしりしている。キリッとした姿の盆地側からの図とは違う。塚原の住民は、これが真の由布岳の姿だと昔から言ってきたようだ。だとすると、私の由布岳は、オニパン畑から見える由布岳がきっと死ぬ間際に浮かぶ由布岳の姿だろう。塚原に憧れ、ここで35年過ごし、ずっと見てきた姿(89歳で死ぬとすれば)。

この由布岳も東側から見ると、痛々しい姿を見せる。何百年も以前より続く崩落。

父母のいる別府霊園から見える由布岳は・・・

崩落場所が見えている。額に傷を持つ武士の由布岳か。

近場に住む人々はこれが私の由布岳だと主張するが、豊後富士の名前が示す真の姿は挾間から見える由布岳だという。確かに!私はこれが本当の姿なのかと思った。

独立した美しい姿だ。

あなたはどれが本当の由布岳だと思いますか。

しにたい気持ちが消えるまで

何気なく新聞を見ていると目に入ってきた記事。あれえ、豆塚さんや。最近はテレビ等にもよく出ている有名人。高校時代に自殺を図り、一命を取り留めたものの障害者となった。私が豆塚さんに出会ったのは10年以上前。友人の別府の紅茶屋「コージーコーナー」で、かわいい10代の彼女だった。詩を書いていると冊子を渡され、読んでくださいと言われたのが初めて出会い。それから何度かお話ししたが、最近「しにたい気持ちが消えるまで」という本を執筆。それを読んでみた。

すごい内容だった。私も子ども時代それなりに悩みを抱え、激動の思春期・青春時代は相当悩みもした。彼女の場合、比べものにならないほどに、苦悩し、飛び降り自殺を図る。そのときの気持ちや状況が痛いほど分かり、胸が苦しくなった。

そんな過去を抱えていたとは会った当初想像も付かなかった。壊れた家庭から自立し一人で生きている豆塚さん。障害がなくとも大したものだと思うが、彼女は障害を通して、より深く人や社会を見つめている。少女時代から30歳の現在まで、人として女性として障害者として多くのことを学び独り立ちしてきた。この赤裸々な著作を読んで、私は感想を豆塚さんに送った。書かずにはおれなかった。彼女の体験や思いが、現在苦しみ悩んでいる子どもや若者たちにどれほど励ましと生きる勇気を与えてくれるか。