2月9日(月)お休みです。2月11日(水)が祝日で営業の代替えとなります。

2月9日(月)お休みです。2月11日(水)が祝日で営業の代替えとなります。

とある用事で、由布院の「蛟龍窯」(こうりゅうがま)さんの作業場へ立ち寄る。
Infoにも以前書いたのだが、蛟龍窯さんのコーヒーカップがとても素敵なのだ。そのカップでコーヒーを飲む至福のひととき。贅沢な時間だと思っている。
そういう話をご主人にすると、大変喜んでくれ、そこから思いがけない話に発展していった。
彼が湯布院に移り住んできたのは、私がオニパンを始めたときとほぼ重なる。この地(湯布院)を選んだのも、中谷健太郎さんたちが夢を持って湯布院のまちづくりをしていることに共感し、自然と歴史に魅了されて、ここで窯を始めようと思ったとのこと。そして自分が作る一つ一つの作品、この作品を通じて、倖せなひとときを共有できればとの思いを込めているという。
「林さん(蛟龍窯主催者)のカップは、とても造形が魅力で、カップの柄がとても握りやすい。そして軽くて、口触りがソフトで・・・」と感想を述べた。彼は、特に柄の部分は丁寧に作っていると話してくれた。「柄は手でつかむ所であり、そこが外れては困る。手をつなぐと言うことを意識しているので、柄はとても大事な箇所。」
林さんの作品への思いは、人と人が手をつなぐ、そんな世界になることを夢見ているとのこと。私はとてもショックを受けた。自分の作品をとおして、一貫したテーマで、祈りにもにた感じで、実践を続けている。彼はこんなことを言う。「オニパンさんもそうじゃないんですか。FBを見かけると、私と同じ思いを感じる。」エエッ!!
確かにそうだ。私もパンを通してみんなが輝けるそんな世の中になればなあ!と思ってきた。しかし最近は、経営が先に来て(当たり前だが)そういう思いがかすんでいたかも。


「SYMBIOSIS」と書いてある。この写真は、彼の個展の案内。その意味は「共生」。彼の願いはみんながともに生きていける幸せな空間、時間。ともに助け合う社会。アソシエーションとも言っていた。私と同じ思い。芸術家というのは、すごい。身を削り、突き詰めて、作品を作っている。そんな思いを込めて。
その話から、今の外国人への見方や平和が脅かされる今の現状、日本の方向性なども話がはずむ。とても有意義な時間となった。
2月より、休業日が変更になりました。火曜日、水曜日が休業です。木曜日から月曜日まで塚原・別府両店は営業します。
実は、土曜日から日曜日にかけて大阪へ行っていました。スタッフのみんなに、ママに、ご迷惑を掛けながら。これは、大阪時代から一緒にいろいろとやって来た民舞・和太鼓集団の仲間が最後の公演をすると言うことで、以前から誘われていた舞台。人生の大事な節目として、何をさておき参加せねばと大阪へ。
懐かしい大阪門真市のルミエールホール。大ホールは1200人近くのキャパがある。私が参加していた「どっこい」は、この会場を3度ほど使って公演をしている。その会場で今回するという。果たしてそれほどの集客力があるのか。

すごい!満席。1階は座れないので2階席へ。そこも満席。大阪の民族芸能サークルの人たちが協力して作り上げる公演なのだ。大阪では40年前からそういう共同を作ってきた。それが今も続いている。


おかめ、ひょっとこ踊りをする中村夫妻。78歳と79歳。歌う大田さん79歳。
この年での踊りと唄。きっと、ゆるい、自己満の芸だとこの画像から想像するかも知れない。いえ!すごいのです!!プロです!!

20代から続けてきた民族芸能の集大成として、そして自分の人生の集大成として挑んだ舞台。感動でした。続けることの、その思いと鍛錬がハレ舞台を実現したと思います。
さて、私的な話で恐縮ですが、このInfoほぼ日記として書いていますのでお許しを。
30歳からスタートした「太鼓サークルどっこい」。その仲間たちがたくさん来ています。まるで同窓会。

ひとしきりの興奮が治まって、遅い夕食をとろうと居酒屋へ。今夜は門真パブリックホテルに予約している。本来であれば、打ち上げに参加するはずだったが、なぜか一人で食べようと。
思いにふけって食事しようと思ったが、その居酒屋で飲んでいる一人の男。それは、昔の知人。ナンタル奇遇。市役所の労働組合の役員だった藤田さん。

さすが労組の幹部。眼光が鋭い。てか、単に酔っ払っているだけ。藤田さんごめんね。勝手にネットにあげて。楽しい宴だった。
して、さらに私的な話が続く。翌日は娘の家へ。京都まで。
楽しみは、孫との再会。絵本もプレゼント。爺ちゃんとの再会に大喜びの孫。

一緒に散歩もしましたよ。
以前より告知してきました。2月より、休店日が火曜日・水曜日となります。木曜日は開店jします。塚原もです。
とにかく、火曜日水曜日以外は、塚原、別府どちらも営業!よろしくお願いしますね。
そして私マスターは、今から大阪へ旅立ちます。明日の夜には戻ってきます。旧友の舞台公演がありますから。

私の同志でもある中村正公・多恵子さん。昔からの民族芸能仲間です。
塚原にはなぜか外国関係の方が暮らしている。きっと、塚原高原の景観や空気、広々とした住環境が気に入るのか、母国に似ているのか。今はいないが、長く塚原で暮らしていた「木こりのジョー」という方がいた。とても明るく、強い体、仕事熱心。ミュージシャンでもあったようだ。アラスカ出身だと聞いている。佐賀関に住んでいて、時々塚原にやってきては薪の世話や肥料を運んだりしてくれていた。私もジョーに頼んで3トントラック一杯の薪をわけてもらった。

今年はジョーのおかげで、ストーブの薪に困らない。早く気付けば良かったのだ。
3日前に「由布の水」の由川さんのところに寄ったとき、彼の携帯に電話がかかってきた。それは、ジョーさんが木の伐採中に、トラックが倒れその下敷きになって亡くなったとの内容。え~!!あまりに突然の訃報にショックを受けた。死とは最も縁遠いような、いつも明るくジョークを飛ばし、何でもやってのけるたくましい人だったから。私自身はそれほど深い関係でなかったが、塚原の有名なアスキューさん(APU教授、農民)や由川さんらにしては、親しい友人だったので、大変な衝撃だったことだろう。
そして、昨日、葬儀に列席した。とても多くの参列者。由川さんの話ではお通夜はもっと多かったそうだ。ジョーさんは、いつも山に行ったり、いろんな作業をする人で、会社の役員や地域の役職、政治的な肩書きなど一切無縁な陽気なおじさんのような人。しかしとても多くの人と交流があったのだとわかった。
そして、さらに驚いたこと、それは・・・多くの人が泣いていたこと。私もその様子を見ていて、辛く悲しくなってきた。本当に多くの人に慕われていたんだなあ。
奥さんは20歳年下の日本人。初めてお会いした。お別れの車の前でのあいさつ。話ながら、感極まり、涙ながらのお話し。その時には日本語から英語に変わっていた。途絶えながら早口でジョーとこれからも生きていくとお話ししていた。
あ~、人生っていつ何が起きるかわからないなあ。ジョーは若く見えたが68歳。私は72歳。生かしてもらってありがとうと言いたい。残された奥さんのことを思うとさびしく、悲しい。
そして昨夜か今朝か夢を見た。息子の至がまだ5~6歳か。一緒に街へ買い物に。何か手間取って、うまく自転車に乗れないような。荷物がジャマしてか。そこに上の方から、ママが叫んでいる。あなた何やってんのよ~みたいな。若くてかわいいママだった。あ~そういえばいろんなことが人生の中で起きていたっけ。そしてここまで来たんだなあ。
営業時間 11:00〜16:00
定休日 水・木
(※祝祭日は営業します)