誠に申し分けありません。5月より商品価格値上げさせていただきます。

一年半前(22年11月)にほぼ10円アップしました。その後も原材料費の値上げが続き、電気ガス料金も含め、厳しい状況です。春闘での賃上げが歴史的に実現しているとは言え、その恩恵に授かるのは本当に一部の方々。私たち小規模零細業者は、社会保険料の値上がり最賃アップなどで、経営はますます厳しくなっています。中小零細企業、個人商店などへの補助がない中、経営断念するお店の多いこと。パン屋の倒産は過去最高だそうで、他人事ではありません。

オニパンとしても良質のパンを安くご提供するという経営の方針を守るべくがんばっていますが、どうしようもなく。5月より誠に申し分けありませんが、ほぼ10円のアップをお願いいたします。

今後とも努力して参ります。ご愛顧の程よろしくお願いいたします。

抹茶あんホイップ・・・・

先週のOBS移動販売にて、抹茶あんホイップの話題が出た。いつから出るの?と問われた。私としては、手間がかかる割に、大しておいしいとは感じにくいアイテムなのだ。このまま廃メニューにしようかと思っていた。先ず抹茶パウダーが今ひとつ。そして白あんも今ひとつ。再開するとすれば、この二つをなんとかしなければ。

白あんは、以前自分で作っていたが、これも今ひとつ。それで、業者から購入することにした。その商品を別のより美味しいものはないかと探している。とりあえず一つ候補が見つかった。今までのよりおいしい。玉ちゃんに目隠しテスト。彼女も私と同じ感想。よし!

そして抹茶パウダー。ニノミヤ物産に聞いて、いままでより上等なものを探してもらった。ありました、しかし値段が高い!まあ、いいか。

こうして、抹茶餡を試作。

試食。ふ~ん、おいしい!確かに色も香りも味も以前より良くなった。

これで当面やってみるか。抹茶あんホイップまたリスタートです。

第2工房に魂が吹き込まれた

昨日水曜日、待ちに待ったその時がやってきた。第2工房の命名の儀式だ。工事を始めて2年。その準備段階からしておよそ3年の年月。いろいろな困難があったよなあ。まさかこんな立派な工房が出来るとは思いもしなかった。初めは恐る恐る木を切り倒し、ユンボで土地作り。どんな方法で工房を作ろうかと空想するような体。また農地を宅地に変更するために法務局に何度足を運んだことか。人に頼んでやるのではなく、基本自分でやっていくことに徹してがんばった。もちろん、家を建てるのは専門家でなくては出来ないが。

そんな苦労と夢が詰まった第2工房。名前はしっかり考えよう。そして見た目もそれなりに良い物に。文字はお隣の書道家「忘路軒」の女将にお願いした。そして、名前は・・・・・「塚原食パン研究所」!!!

にしようと心密かに決めていた。しかし、いざ発注しようとした瞬間心に迷いが生じた。「ちとハズイ。かっこつけすぎ。」・・・・やめた。

それで、名前は「塚原食パンFactory」とした。塚原食パン研究所は英語で別の壁の方へラベルシールで表現。では、ご披露することにしよう。ジャ~ン!

どうですか、命吹き込まれた感じでしょう。命以上の「魂」を私は感じています。

この看板を作ってくれた看板屋さんは別府店のロゴサインを作ってくれた人でもあります。そして、私の高校時代の一年後輩。しかも同じ山岳部だった人。吉浦くん。

いい仕事をしてくれました。高校時代はとても頼りなくて(人としてという意味ではなく体力面で)、強烈な思い出があります。私たち鶴見ヶ丘高校山岳部はへなちょこクラブで真剣な練習もしない「なんちゃって山岳部」。そんなクラブが顧問先生の指導で、大分県の山岳部の県体に出場することに。二日間に渡って、久住連山を縦走する試合。一日目ハードなコース、先頭を行く私(実は私はキャプテンだった)の後ろで「ドサッ!」という倒れる音が。振り返ると同級生のN君が失神している。私たちチーム5人はその時点で失格。そしてこのコースは無理だろうということで女子のコースに変更させられました。そして翌日、このコースならなんとかなるだろうと進んでいると、今度は吉浦君が足をつって、女子のコースからも脱落。今では笑えるが、なんとも情けない県体の試合となりました。吉浦君はそのことを覚えているのだろうか。

さて、そんな吉浦君は今では立派な看板屋さん。近頃、体調が悪く、私が電話したとき入院中で、代わりに娘さんが仕事を受けてくれました。娘さんが跡をついでやってるんだあ。彼は、すぐに退院して、一緒に看板の仕事をやっていたようです。そして昨日、出来た看板の取り付けにやってきました。

二人で話ながら一緒に仕事をしている。良い感じです。彼も高校から今までいろんなことがあったでしょうね。しかし、娘と一緒に仕事が出来るなんて、うらやましい。

帰るのを引き留めて記念写真を撮らせていただきました。

笑顔が素敵な娘さんです。なんか、うるっときましたよ。がんばってね!と声をかけました。

え~! このハンドメイドバッグは!!

お客様が素敵なハンドメイドのバッグを持ってきた。お~なかなかしっかりした紙のバッグ。オシャレというか、しぶいというか。

デザインもいいじゃないですか。・・・え?これは??!もしかして!! もう一つのバッグを見て確信。

ニップン、ゆめちからB! これは、前に小麦粉の袋がほしいといって持ち帰ったお客様の作品。こんな姿に変身して戻ってきたのだ。西欧の騎士は「アバロン」というオニ食の小麦粉の袋。

それにしても、面白い。補強してしっかり使える。中の方も。

パン屋のバッグとして売り出せそうだ。

甘夏のデニッシュ、販売開始

甘夏を求めて青葉台近くのミカン農家を訪ねた。3軒行ったがどこもやっていないという。甘夏はブームではない。だから、近頃は木を潰す農家さんも多いらしい。ミカンは改良を重ね、甘くて食べやすい品種がたくさん出てきた。そんな中で、甘夏にこだわっている農家はほぼいないそうだ。佐賀関はこだわっているけど。しかし、昨年色々と問題があり、佐賀関にまで仕入れに行くことはやめた。

甘夏の育て方として二通りあるという。一つは年末のころ収穫し、一定の温度で寝かせるという方法。実はそれほど大きくなく、表皮はきれい。汁も多い。

今ひとつは、木につけたまま、冬を越させる。きっと気候が温暖な地域でのやり方か。実は大きくなる。そしてゴツゴツした表皮。管理が悪いとカスカスな実となる。昨年、仕入れた最終の甘夏はすべてカスカスで使えなかった。

まわってダメだったミカン農家の一軒が、実は甘夏を作っていた。どうも商売人に売りたくなかったようだ。以前嫌な思いをしたらしく、一般人のみの販売に限定したようだ。しかし、わたしの執拗なお願いを聞き入れ、販売してくれることになった。ありがとうございます。今年も甘夏のデニッシュ出来ます。