雨のコモレビカフェ

塚原高原観光協会の一員であるオニパンカフェは、雨であろうが、コモレビカフェに参加いたします。大して手伝うこともなく、理事の方たちが準備してくれた会場に、せめてお店を出すことぐらいしなくてはね。

確か昨年は主催者発表で1000人の参加者だった。多分今年は200人くらいかな。午後を過ぎると、明らかに店舗やスタッフの人数の方が多い状況。

ゆったりとした時間の流れでした。おかげで、お店同士の交流も出来ました。

お隣だった「風の丘」というパン・菓子・カフェのお店。由布院のステンドグラス館の隣にお店があるそうで。福岡でパン屋をやっていたが、ハードな仕事で体を壊し、内容を変えて湯布院でお店を経営。年は私より少し若い感じ。

とても良い感じの夫婦さん。すぐに仲良くなりました。

さて、恒例のゲームコーナー「安川農園」さんは・・・・

テントの中で2種類ほどの遊びコーナーをやってました。笑い声が起こり、楽しい雰囲気は相変わらず。ご苦労様です。

今年は久々に音楽家を招いてボサノバのステージがありました。心地よいゆったりとしたボサノバを聴きながら、雨に煙る時間が流れるコモレビカフェでした。

さあ、やってきた!ゴールデンウィーク。美味しいパンがたくさんできております!

今日は5月3日祝日。憲法記念日。特に日本にとって大切な平和を守る9条。世界がこれだけ混沌と戦禍の流れを作り出しているときに、輝きを増している9条。何度も言ってきましたが、オニパンがあるのは平和のおかげ。そんな思いで、パンを作り続けています。

さて、たくさん出来ています。しかも美味しいパン!自信作がたくさん。ほぼ、全部です。美味しくないものは出しませ!そんな心構えでパンを作っています。

もう、今週が最後になるでしょう。手作りのスウィートポテトを入れた「芋スウィート」。そして・・・

やっとおいしくなったと自慢げに言えるスパイスカレーパン。ほぼレシピが完成しました。スパイスだらけのカレーパン。出来たカレーの具材に、当日朝からさらにガラムマサラで味をグレードアップ!手間の塊です。

そして桜あんパン。甘さ控えめの手作りあんこ。マスターの渾身作。16年間あんこ一筋。そしてオニパンのボタン桜をアクセントに。その塩味がまたいい!

こんな風に書いていたら切りがない一つ一つの売り出しポイント。みなさんそれぞれの良さと個性があるパンたち。

味わってみてください。オニパンを!!お待ちしております。

第2工房に魂が吹き込まれた

昨日水曜日、待ちに待ったその時がやってきた。第2工房の命名の儀式だ。工事を始めて2年。その準備段階からしておよそ3年の年月。いろいろな困難があったよなあ。まさかこんな立派な工房が出来るとは思いもしなかった。初めは恐る恐る木を切り倒し、ユンボで土地作り。どんな方法で工房を作ろうかと空想するような体。また農地を宅地に変更するために法務局に何度足を運んだことか。人に頼んでやるのではなく、基本自分でやっていくことに徹してがんばった。もちろん、家を建てるのは専門家でなくては出来ないが。

そんな苦労と夢が詰まった第2工房。名前はしっかり考えよう。そして見た目もそれなりに良い物に。文字はお隣の書道家「忘路軒」の女将にお願いした。そして、名前は・・・・・「塚原食パン研究所」!!!

にしようと心密かに決めていた。しかし、いざ発注しようとした瞬間心に迷いが生じた。「ちとハズイ。かっこつけすぎ。」・・・・やめた。

それで、名前は「塚原食パンFactory」とした。塚原食パン研究所は英語で別の壁の方へラベルシールで表現。では、ご披露することにしよう。ジャ~ン!

どうですか、命吹き込まれた感じでしょう。命以上の「魂」を私は感じています。

この看板を作ってくれた看板屋さんは別府店のロゴサインを作ってくれた人でもあります。そして、私の高校時代の一年後輩。しかも同じ山岳部だった人。吉浦くん。

いい仕事をしてくれました。高校時代はとても頼りなくて(人としてという意味ではなく体力面で)、強烈な思い出があります。私たち鶴見ヶ丘高校山岳部はへなちょこクラブで真剣な練習もしない「なんちゃって山岳部」。そんなクラブが顧問先生の指導で、大分県の山岳部の県体に出場することに。二日間に渡って、久住連山を縦走する試合。一日目ハードなコース、先頭を行く私(実は私はキャプテンだった)の後ろで「ドサッ!」という倒れる音が。振り返ると同級生のN君が失神している。私たちチーム5人はその時点で失格。そしてこのコースは無理だろうということで女子のコースに変更させられました。そして翌日、このコースならなんとかなるだろうと進んでいると、今度は吉浦君が足をつって、女子のコースからも脱落。今では笑えるが、なんとも情けない県体の試合となりました。吉浦君はそのことを覚えているのだろうか。

さて、そんな吉浦君は今では立派な看板屋さん。近頃、体調が悪く、私が電話したとき入院中で、代わりに娘さんが仕事を受けてくれました。娘さんが跡をついでやってるんだあ。彼は、すぐに退院して、一緒に看板の仕事をやっていたようです。そして昨日、出来た看板の取り付けにやってきました。

二人で話ながら一緒に仕事をしている。良い感じです。彼も高校から今までいろんなことがあったでしょうね。しかし、娘と一緒に仕事が出来るなんて、うらやましい。

帰るのを引き留めて記念写真を撮らせていただきました。

笑顔が素敵な娘さんです。なんか、うるっときましたよ。がんばってね!と声をかけました。

コモン ピアザへの道

お客様の提案を受け、真剣に考え出したこと。それはオープンカフェのあり方や絵柄。寒い時にカフェ出来るスペースがあればと、オニパンハウスを用意した。当初は赤くてかわいいとかの評価も得ていたが、だんだん汚れ、スペースもとり、窮屈で圧迫感もあり、チト考え直した方がいいのかとも考え出した。

そんな折に、斎藤幸平さんの「人新生の資本論」を読み、グサッと胸をえぐられた。限られた資源の地球に住み、資源を目先の利益や自分だけのために食い潰す「資本」という妖怪に、身も心も捉えられた現代に生きる私たち。地球そのものを利益・もうけの手段としてしか見ていない資本主義という価値観では、これから先、生きる場所や環境までが壊れていく。一部の人の利益ではなく、社会全体の利益や幸福を追求する考え方が今、喫緊の課題だと思う。

このままでは限られた地球の生命。そして自分の命もまた限られている。その限られた自分の人生で、自分の利益追求だけにとどまらず、みんなと分かち合える利益追求の仕方を考えていかねばと思わされた。

「オープンカフェではお飲み物を注文」これが今までのお店の考え。利益を出すために、心地よい自然と景観をご提供。売り上げを上げなければお店の継続はむずかしい。

しかし、そういうやり方はやめよう。せっかく、こんないい場所でカフェをしているのだから、もっとみんなが利用しやすいようにしよう。そうすれば、自然とパンの売り上げもついてくるだろうし。何より、オニパンが今まで継続できたのは、お客様が心地よい体験をし、またリピートでやってきてくれたから。そのオニパンでの幸福感とパンのおいしさに、人生の大切なひとときを使ってくれたから。

資本主義は利益が優先。全てのことを貨幣価値で換算する。驚くことに、昔では考えられなかった、人の人生の要でもある仕事や労働さえも、自分で選択するのではなく、「人材」として「商品」として売り払い、利益を出す会社が出現している。そういうことが出来るような、社会のシステムを意図的に政治が作り出している。

あ~いやだ!しょうがないなあ!とあきれめて生きていたくない。自分が出来ることを自分なりにやっていきたい。もちろん、こんな不都合な世の中を変えない限り、不幸は量産されるのだが。しかし、とりあえずは自分の足下でしか何も出来ない。アソシエーションのコンセプトで、できる限り利益共同体を作れれば。少なくとも、塚原の人たちと仲良く(嫌なことも多いが)やっていこう。

さて、すこし寄り道したが、オープンカフェに話を戻す。ご近所の「超人」トミさんの力を借りて、二日でオープンカフェの形を変えた。

昨日の様子。下が芝生であれば、開店当初のきれいな雰囲気とよく似てる。確かにオニパンハウスは邪魔だったと実感。そしてさらにレッドロビンの生け垣もかなり取り除いた。

すると、ログハウスやきれいなボタン桜もよく見える。広いカフェスペースが出現。こんな変化だけでも、昨日はこのカフェスペースを利用されるお客様がけっこう現れた。ご利用はモチ無料です。ただ、自分が出したゴミは自分でお持ち帰りをお願いします。

この場所の名称は「コモン ピアザ」にいたします。まだ誰も知らない。私が勝手に思い入れて命名。相談すべくママもきっと許してくれるでしょう。コモンというのは「みんなの、共通の、共同の」という意味。「ピアザ」というのはイタリアの「広場」という意味。私の愛する「イタリアの小さな村」というテレビ番組から知った、イタリアの風景を連想して。イタリアの村では、ご近所の人たちが親しくおしゃべりをするのが日常の風景。そんな広場になったらいいなあ。