自家製 短すぎるその言葉

自家製手作りをテーマにパン作りをするオニパンカフェ。自家製は発展・進化がある。材料、作り方すべてにおいて選択権はこちらにある。既製品にかなわない面もあるが、安全面にすぐれ、長く続けていけば味や質も既製品を上回る可能性は大きい。とにかく、作っている人間の思いや熱量は比べものにはならないのでは。

「抹茶あんホイップ」というアイテムがある。小さなそのパンのために、抹茶あんを作っている。業者から以前購入していた。しかし、その味がしっくりいかず、なんとか自分で出来ないかと挑戦した。普通の餡子は十分美味しくつくれるから、大丈夫だろうとたかをくくっていた。

しかし、漉し餡のめんどくささと出来上がり餡のまずさに、失望。時間を掛けて挑戦するエネルギーが湧いてこない。そんなとき、料理上手のスタッフ地元の安形さんに声を掛けた。彼女は、四季庵という近くの旅館の厨房でも長く働いている。自分で工夫していろいろと料理をする人だ。このことは以前にもInfoで書いた。

これが原材料の白豆。品種は「大手亡」。

北海道産だ。この豆を美味しく食べるためには表面の皮をいかに処理するかにある。水に一晩浸け、煮て柔らかくし、皮を剥く。ずっと前にInfoでも紹介した記憶がある。

これがそのときの写真。豆の皮をどうやって剥けば効率よく剥けるか。その方法を探していた。

この皮がなんとも強力で、少しでも残っていたら舌触りが悪くなる。少しの量であれば出来るだろうが、たくさんの餡を作ろうと思えば時間がかかり大変な作業。どうすればうまくいくか・・・どうすれば・・・・。そこで私のエネルギーは尽きた。やってられない、他の仕事もあるのに。

安形さんは白あん作りを以前からやっていて、自分でその作り方を考案していた。話を聞いていて、すごいなあと思った。皮を剥くことが当たり前と考えていた私だった。彼女は、栄養的にももったいないと、その皮を潰すことを考えた。フードプロセッサーで。しかし、ザラザラ感が残るので、ジューサーで試してみた。そちらの方が良く砕けた。そして、手作りのさらしの生地の袋で漉すとのこと。

その話を聞いていて、私の未熟さを実感。いろんなことを経験しているとあらゆる方面から思考できるんだなあ。思いも及ばない方法があるのだなあ。

これが昨日出来たばかりのこした豆。4キロちょっと絞ったとのこと。それに私が砂糖と少しの塩を入れて混ぜる。さらに抹茶を加え完成。

この抹茶あん自然で豆の味が素直に感じられとてもおいしい!

自家製という言葉、言ってしまえば短すぎる。その言葉の中には作る人の思いや工夫がどれだけ含まれているか。ママが抹茶餡のこと書いたらと言うので、少し詳しく書いてみました。

小麦製粉!&リハビリ登山

先日Infoで書いたように、私の健忘症のため置き去りにされていたパン小麦を休日の火曜日製粉してきました。

豊後大野は澄んだ青空がどこまども続き、その下に黄金色に実ったパン小麦たちが一面に育っていました。お世話になっている平野製粉所へオニパン畑の小麦たちを届けます。

今回は40キロ近くの小麦粉に製粉されました。しばらく「塚原のユメ」食パンが焼けます。

そして、久々に三重駅前の大五郎食堂へ。

鮮やかな看板。新品のよう。数日前に大分合同新聞の「間違い探しコーナー」に載っていた大五郎食堂と親父、女将。有名店なのです。前回の製粉の時は二時をまわっていて、休憩に入っていた。今回も二時ギリギリだったが、入れてくれました。

ハヤシライス!!!おいしい!!!女将さんも親父さんも私の顔をあまり覚えてくれていません。私の方も恥ずかしがり屋なので(ホンマです)わざわざ名乗ったりしません。しかし今回は私一人だったので、オニパンですって言うと、とても喜んでくれました(ママはすぐに憶えられるのですが、私はどうも地味みたいです)。

しばらく話が弾みました。親父さんは脳梗塞になって、歩くのが大変になっていました。それでも、料理を頑張っているとのこと、流石だなあ!お店が生きがいなんだなあ。

そして昨日の水曜日。日向岳へリハビリ登山に行きました。最近毎日のように夜中に足がつります。酷いときは2回も。高齢化と過労のためなのでしょう。もっと運動をすることやストレッチなどに心掛ける必要ありなのですが。普段はなかなか時間もとれず、休みの日もチョロの運動で済ませることも。ママはお尻の筋肉が弱っているのではと助言します。確かにお尻から足首にかけて弱っているような気もします。少し時間をとって、山へ行こう!

ということで、日向岳へ。

水曜日は生地の仕込みや生け垣の剪定、雑草取りなどの雑務もあり、2時間程度で終わらせる必要があったので、短いコースにしました。山登りは、全身運動であり、ウォーキングなどとは比べられない負荷が筋肉にかかります。特につりやすい左側の足やお尻を意識しながら、登っていきました。

薄暗い森の地面にまだらの明るいしみがポツポツと。コモレビ(木漏れ日)です。不思議な雰囲気が広がります。

この分かれ道のポイントまで登山口から40分。ずっと登りが続きます。息が苦しいくらい(若い頃はそんなでもなかった)。これは相当なリハビリだよな。ここから、日向岳山頂まで10分ちょっと。

アップでゴメンナサイ。ちょっと満足。下山する時間は30分程度。合計1時間40分のリハビリ。帰って、お風呂に入り、今度はストレッチを。これを週に2度出来れば、きっと体力が付くんだろうけどな。そんな仕事の仕方を模索していくぞ。

恒例・甘夏を求めて &法事

ゴールデンウィークまっただ中、忙中閑ではなく忙中忙の二日。しかし、見方を変えれば、それは癒やしの旅であり、花の宴でもある。

ゴールデンウィークは、一年で最も忙しく、お客さまの集中するときである。コロナで状況の変わった昨今ではあったが。それでもやはり忙しい。そんなときに、目玉商品である甘夏のデニッシュが出来ないというのは辛い。知人にいただいた甘夏が底をつき、さあ3日からどうしたもんだ(諦めようか)と迷っていた。スーパーで買おうか・・・でもなあ・・・甘夏と言えば毎年お世話になっている佐賀関加工グループだよなあ・・・・でも休みに買い付けはしんどいなあ・・・なんて思ったが。いや、観光と思えばいい!と出発した。

ほぼ一年前に来た懐かしの場所。代表の都さんは89歳!バリバリの現役。ここでは、湯布院のパン屋としてスタッフのみなさんにも「オニパン」は共通認識になっていた。もう4年目か。

都さんとお話しすると元気が出る。彼女の母は94歳までトキハで働いていたそうだ。彼女曰く「私は母親と似ているといわれる。だから私も94歳までは働くし、出来れば100まで働いて、コロリと死ねたらいい」。この仕事場大好きで「一年365日、欠かさず来ている」と!今年も記念写真を撮らせていただいた。

キミ子さん力強い!私も80までは頑張るぞ。

そして帰りは佐賀関観光だ。

めったに来ないからと、強気でこれを注文。配膳されたこれを見て、力抜け。これは何か?あの・・・関アジ丼!?なのだ。お値段1300円。力が抜ける。せめてこの1.5倍の量がほしい。地元の人は注文しないだろうなあ。やっぱ観光客しか・・・そういえば私は観光客だった。

気分直しにこれを注文。これは今回で3回目。高くたっていい(ちょっと高い450円)。ヤギソフト。

これはうまい!うますぎる!!

てなことで、佐賀観光が終わり、帰りの道は迷いに迷って高速を使ったにもかかわらず塚原まで2時間!(本来は50分から長くて1時間が普通)。相変わらずの病気。

さて日が変わって翌日の二日は、法事。父の49日。従兄弟が豊後高田から来てくれた。父が亡くなってほぼ一月半。久しぶりのお骨と面会。そしてお寺さんのお経を聞く。お経が終わってお寺さんのお話はなかなかいいお話だった。なぜ阿弥陀様が居られるのか。阿弥陀様はどんなお姿か。どんな人間も四つの苦しみを持っている。「先ず一つ目は・・・誕生するという苦しみ。」えっ???どういうこと???

この世に生まれると言うことは、嘘偽りの世の中で苦しまなければならないということ。この世は本当にでたらめだ。誕という字は「偽り、でたらめ」を意味する。・・・私はそんな話しは初めてだった。浄土真宗というのはこの世をそんな風に捉えているのか。生まれることは苦しみの世の中を生きていかねばならないということ。これは、ある意味当たっているかも。

話しを聞いていて、どんな人も浄土(あの世)では救われる!というのがいいね。そして姿を変えてまたこの世に戻る。仏様としてあなたを救ってくれる。・・・話しがこんがらがっているかもしれないが、いい話だった。阿弥陀様を呼ぶ方法は「なんまんだぶ、なんまんだぶ」と唱えること。最後の唱和のとき、宗教を信じていない私も、「なんまんだぶ」と何度も言った。言うと心がスッキリした。

そして法事の後、お決まりのお食事コースへ。初七日の時は海を眺めてのご馳走。今回は町中だったので、小さな庭園を眺めて。

親戚での会話も楽しく時が流れた。そして、ママと、別府霊園へ。

係の人にお願いして石室へお骨を納めた。納骨。母親の壺が一つ。2011年から12年一人でここに。その横に一回り大きな花柄の立派な骨壺を安置した。あまりなかの良い夫婦ではなかったが、これからは仲良く仏様として浄土で暮らしてほしい。

景色が変わった!日出生台方面

昨日は久々の日出生台方面へのバイクトレーニング。先週は別府霊園だったが、なんとなく昨日は体が軽いので、坂が厳しい日出生台へ挑戦してみた。ここ数ヶ月、日出生台方面へ向かうとしても、以前行っていたコースの途中で引き返すことを繰り返していた。体力への自信のなさから、(まあ、ここまで来たから、十分だろう)みたいな、妥協の精神が顔をだして。こうやって、運動を自粛し、だんだん体も弱まり、楽な方楽な方へ・・・・。それじゃあいかんだろう!と久々の挑戦を。

もう、途中で腰が痛くて・・・でも、これを乗り越えれば、徐々に楽になるはずだと励ましながら登っていく。ここから暗い道に入ると言う場所で、あれれれ・・・、青空と突き抜ける視界!遠くまで一望できるではないか。

見えないはずの福万山が見える!そして

まるで見えなかった湯布院盆地にそびえる倉木山が見えてる~!!

山を覆っていた杉林がすべて伐採されているのだ。最近(ここ数年)いろんな場所で伐採が進んでいる。何十年に一度の時期なのだろうな。この場所に立っていた石碑の後ろを何気なく覗いてみた。

何が書かれてあるのだろう。読んでみた。そこには昭和41年に開催された大分国体のことが書かれ、この辺り一帯、木も植えられず有休の地だったが、天皇皇后、皇太子夫妻が来られることを記念して、植樹されたと。

わたしの頭は一挙に11歳の小学校6年生のころに舞い戻った。憶えている、憶えているぞ~!!「若~い力~と感激に~、燃え~よ若人、むね~をはれ~」大分国体の歌だ。何度も何度も練習し、校歌よりも先に、この歌がすぐに出てくるくらい。そのときに植えられた杉林、私は暗いなあ~とうっとうしく思いながらバイクで横を通り過ぎていた。その懐かしい杉林は姿を消し、何もなかったように青空が広がっている。

あの頃の私の思い出や経験も一緒に消えていくかのような錯覚に陥った。60年近く前の思い出。個人にとっては愛おしく大切な思い出も、こんな風に何もなかったように景色が変わっていくのだろう。

目的地までたどり着く。やった~!やれたぞ~!そして記念写真。

この写真がいつまで撮れるのか。この記憶も私にとっては愛おしい大切なもの。一瞬一瞬が大切なもの。

二人のバイカー

昨日二人のバイカーが現れた。(正確には3人。ここで取り上げるのは二人。)一人は、私が大阪時代に住んでいた交野市のお隣、寝屋川市から大分へ移り住んできた男性。オートバイが好きで、以前にもバイクの話しをしたことがある。20年前に購入したというカワサキのZⅡと言うバイク。有名な旧車で、現在は大変なプレミアが付いている。

広く浅い知識が持ち前の私。それなりにバイクに乗ってきたので、多少の知識はある。カワサキは無骨で荒削りな感じのバイクが多く個性的。新車でW650というバイクを買ったりもした。カワサキのファンはこだわりの強い人が多いという。この男性の話を聞いていて、本当にこのバイクが好きで、大切に乗っているのだと感銘を受けた。20年前に中古で買ったという。なんて素敵なバイクなのだ!

色といいフォルムといいシートの形や感触、細かい部分まで行き届いた仕上げ!昔の日本の物作りへの情熱を感じさせる。

このシートの後ろに付いているカウルは、世界で初めてこのZⅡで採用されたらしい。かっこいい!色もいいよね。大切にされて、見た人に(私)感動を与えてくれる。ものを大切にすることって、こういう効果もあるのか。その人の愛が、そのものを通じて周りの人にも伝わるんだな。(うまく表現出来ない)

さて、もう一人のバイカー。

クボッチと一緒にやってきたバイカー(サイクリスト)は、度々Infoにも登場した山ちゃん。彼は現れるたびに衝撃的。ほとんどあぶない雰囲気で、彼を知らないお客さんにとっては、ちょっと近寄りがたい。昨日も変な人が入ってきたなと思ってよく見ると山ちゃん。体が一回り大きくなっていたので最初分からなかった。

現在解体屋の社長。羽振りが良く、超高級ロードバイクで登場。そのバイクは、どう見ても普通のバイクではなく、超かっこいいZⅡと同時に並んだのがおかしかった。お値段は相当なのに、デザインといい色といい、意図的すぎる。まるでZⅡの感動から真逆の感動。そこでバイクと山ちゃんの記念写真を一枚。

どう見ても普通じゃない山ちゃん。この体格と人相。山ちゃん完全復活!もう病人じゃあない!!バイクもよく見えないだろうが、フロントフォークの辺りには般若の絵。日の丸に上の方には「神風特攻隊」とかかんとか書かれてあった。無敵だな。