屋根づくり

以前より雨の日の搬出、搬入に困っていた外工房の出入り口。戸を開けると、軒がないので雨が降り注ぐ。軒のない玄関口はあり得ないのに、今まで我慢してパンの運び出しをやっていた。なかなか、現状を変えるという発想が出てこなくて、「困ったもんだ」と20年近くやってきた。

最近やっとその問題点に対して、「そうか、屋根作れば良いんだ」と気がついた。人生そんなものだ。何事も、自分が経験した来た中でしか、発想がでてこない。私の場合は、今までに屋根を作った経験が何度かあったので、「よし作ろう!」という考えが生まれてきたのだろう。

暇な日曜日だった。寒いので、お客も少なく。以前から考えてきた設計図を元に、コメリで先週購入してきた材料を使って、一人で作る。

今ある屋根を利用しての軒先作りなので、意外に簡単。

骨格は終了。後、波板を張って雨樋をつける。さあ、来い、どんと来い、雨嵐。

その夜、寒い中での屋根づくり作業が身に堪えたのか、太ももがかなりきつく攣った。今までになく長い激痛。あ~年なんだなあ。しかし、さあ来い、雨嵐。うれしいよな。

パン教室

第5回オニパン・パン教室開催。月一、第3土曜日くらいに定着しそうです。手探りで始めた教室ですが、ほぼ形が決まってきた感じです。今回は、カンパーニュ生地を使って、カンパーニュプレーンとフーガスというちょっと風変わりなパンを作りました。それと、毎回取り組んでいるオニ食パンの成形・焼成、さらに自宅での課題として持ち帰り用食パン生地の仕込み。

カンパーニュの成形。オニパン独自の方法で。企業秘密。

ホイロ後の生地に切り込みを入れます。深めに。

焼き上がりました。初めてとは思われない出来。お店で販売できますね。

そしてフーガスの成形は・・・。

これもオニパンオリジナルの成形方法。

それぞれ個性が出てきます。

パリッと焼き上がりました。これは噛むほどに、チーズや黒胡椒の味がカンパーニュ生地にのり旨みが広がります。ワインがほしい!

最後にお持ち帰り用の食パン生地を仕込みます。盛りだくさん。1時間近くオーバーです。みなさん、真剣。教え甲斐があります。

途中のランチタイムは、みんなで食パンのみみのピザを作りました。

お疲れ様!お家で、食パン作りに挑戦してくださいね。次回は3月21日(土)です。お申し込みは早めに。

生徒さんの要望で、次回はフランス生地。ベーコンエピとバゲットに挑戦します。

悩みながら Info続編

前回のInfoの続きを書かねばと思います。しかし、ちょっと、固くて、おもしろくないなあ。と悩みながら。

私にとっては大事な「気づき」だったので、つい書いてしまいました。おもしろくなかったら聞き流してくださいね。

みんな悩みながらこの人生を生きている。浜田省吾の「旅路」という曲を聴くと、本当にいいろいろと考えてしまう。みなさんも、悩みながら自分の人生を生きていることでしょう。「自立」をテーマに、一人で生きていけるだけの知識や技量、精神的な強さを身につけるために日々努力している人もたくさんいることでしょう。私も同様。そしてここまで生きてきた。

複雑化する社会の中で、一定の価値観の下、「こうであらねば」というバイアスが横行している。それは自分が生き抜くために、自分を肯定するために、必要なのだろう。・・・・けど。

けれど、この間私が出会った本や人、お話し、映像は私の認識を変えてきた。ちょっと考え直した方がいいかな・・・・。

詳しくは書きません。結論ぽく書くと。人は弱い。弱くて良い。「こうであらねばはならない」はまちがい。今の競争社会の中で、生き残るためにそんな価値観も生まれる。例えば、学校に行くことが正解ではない。いろんな生き方がある。自分の中にエネルギーが湧いてくることが大切。人に頼るな、ではなく、「人に頼れる」こと。一人で生きるのではなく、みんなで生きることができること。「共生」。人を助けよう、人から助けられよう。・・・・・・

世界で一番幸せな国フィンランド。学費、医療費無料、高度な福祉。宿題のない学校、一人一人が尊重され、競い合いよりも自分の興味関心を高める学習。一日4時間の授業。それでいて、世界一の学力。大人も平等を重視される労働環境。自分の地位や名声を自慢するようなことへの無関心さ。

素晴らしい国フィンランド。しかし一方で、アルコール中毒やうつ病の人が多いという。若者に路上生活者が増えてきた。これが課題となっている国。それでも倖せな人が多いので世界一。

フィンランド人は、人に頼らない。一人でも頑張る、逃げない、努力する・・・こんな国民性が醸成されてきた。その結果か、困難に打ち勝てない時、アルコールやクスリに頼る人が増える。これが、国の課題となってきている。

私たちは、不幸の原因を、格差や貧困、社会制度の不備に求めすぎてきた。身近なところでの助け合い、協力し合う観点も大切だと思う。アソシエーションという考え方。政治の世界では混沌としている現在、地域や身近な所での助け合いから出発なら出来るのでは。

そういう意味で、「オニパンカフェ」は存在したい。

つながってきた自立の意味

先週の水曜日(2/11)、大分市で開かれた「民間教育研究集会」に行ってきました。午前は無理(パン屋家業)なので午後の分科会のみの参加で。気になっていた「不登校」の分科会へ。

「星の会」は以前、パン屋のお客様から聞いたことのある団体。たまたま行った研究会を運営していたので巡り会えたわけだ。不登校児を抱えた親の相談機関みたいな感じで思っていたけれど、担当の先生のお話を聞いていて、子どもの捉え方、学校や教師の課題、親の苦労の分析など、その深さや的確さに痛く共感した。私の考えの浅さを痛感した。

70年余り生きてきて、人生の後半局面を過ごしながら、人生について考え、思うこと多し。バリバリの会社員だったあの人、お金をたくさん稼ぎ、富を手に入れた彼、体を悪くし一人暮らしの人・・・地域にはいろんな人が暮らしている。誰もが幸せに暮らせる、そんな社会であればとは思うが、ただ環境や経済、福祉が満ち足りているだけで人は倖せにはなれないなと・・・モヤモヤした気分がある。

そんなモヤモヤをかすかに飛ばすそよ風のような、そして霧の向こうに明るく見えてくる青空を感じる、そんなお話しだった。

そのキーワードは「自立した人間像」。「自立」の捉え方を私は深く理解していなかった。多分、今の社会で、大半の人々が捉え違いをしているのではと思う。

昔から自立とは、自分の足で立ち、自分の頭で考え、自分で行動できる人になることと教えられてきた。私は教員時代「自立のための子育て」こそが教育の目指すことと思ってきた。これを追求していくとその先は「強く、しっかりした、我慢強い、賢い」人間に収れんされる。

その考えで良いのだろうか。

先日の大分市の教会で聞いた奥田さん(自立支援のまち、希望のまちの主催者)の話もそうだった。内容的につながる。

この話はここまでとしましょう。難しく、長い文章になる。読む方もしんどくなりそうなので。第一部終了。続編で、「幸せ一番の国」フィンランドと合せて、お話します。

ジョーさん、さようなら

塚原にはなぜか外国関係の方が暮らしている。きっと、塚原高原の景観や空気、広々とした住環境が気に入るのか、母国に似ているのか。今はいないが、長く塚原で暮らしていた「木こりのジョー」という方がいた。とても明るく、強い体、仕事熱心。ミュージシャンでもあったようだ。アラスカ出身だと聞いている。佐賀関に住んでいて、時々塚原にやってきては薪の世話や肥料を運んだりしてくれていた。私もジョーに頼んで3トントラック一杯の薪をわけてもらった。

今年はジョーのおかげで、ストーブの薪に困らない。早く気付けば良かったのだ。

3日前に「由布の水」の由川さんのところに寄ったとき、彼の携帯に電話がかかってきた。それは、ジョーさんが木の伐採中に、トラックが倒れその下敷きになって亡くなったとの内容。え~!!あまりに突然の訃報にショックを受けた。死とは最も縁遠いような、いつも明るくジョークを飛ばし、何でもやってのけるたくましい人だったから。私自身はそれほど深い関係でなかったが、塚原の有名なアスキューさん(APU教授、農民)や由川さんらにしては、親しい友人だったので、大変な衝撃だったことだろう。

そして、昨日、葬儀に列席した。とても多くの参列者。由川さんの話ではお通夜はもっと多かったそうだ。ジョーさんは、いつも山に行ったり、いろんな作業をする人で、会社の役員や地域の役職、政治的な肩書きなど一切無縁な陽気なおじさんのような人。しかしとても多くの人と交流があったのだとわかった。

そして、さらに驚いたこと、それは・・・多くの人が泣いていたこと。私もその様子を見ていて、辛く悲しくなってきた。本当に多くの人に慕われていたんだなあ。

奥さんは20歳年下の日本人。初めてお会いした。お別れの車の前でのあいさつ。話ながら、感極まり、涙ながらのお話し。その時には日本語から英語に変わっていた。途絶えながら早口でジョーとこれからも生きていくとお話ししていた。

あ~、人生っていつ何が起きるかわからないなあ。ジョーは若く見えたが68歳。私は72歳。生かしてもらってありがとうと言いたい。残された奥さんのことを思うとさびしく、悲しい。

そして昨夜か今朝か夢を見た。息子の至がまだ5~6歳か。一緒に街へ買い物に。何か手間取って、うまく自転車に乗れないような。荷物がジャマしてか。そこに上の方から、ママが叫んでいる。あなた何やってんのよ~みたいな。若くてかわいいママだった。あ~そういえばいろんなことが人生の中で起きていたっけ。そしてここまで来たんだなあ。