オーブン・リノベーション フランスは石床!

オーブンはパンの命。あこ酵母の社長は常々パン作りで大事な三要素としてこう言っている。「パン作りで大事なことは、一に小麦粉、二に酵母、三にオーブン。」パン職人を長年やっていると、その言葉の意味がよくわかる。それぞれ外してはならない大事な要素。特に直焼きのバゲットは、オーブンの善し悪しで決まると言っても良い。今回購入したワールド精機のオーブンは、精巧で蓄熱製も良く大変優秀なオーブンだ。しかし、以前から使っている本店のワールで精機オーブンと比べて、焼き上がりに今ひとつ問題があった。古く、温度調整もうまく出来ない本店の30年ものオーブン。しかし、立派なパンが焼けるのは、炉床が石で出来ているという理由があった。この間焼成実験して、本店30年ものオーブンに負ける新規オーブンに、言ってはいなかったが、どれだけショックを受けていたか。Infoにアップする気力さえもなかったのが本音。

立派な新車一台と同様なオーブンの価格を考えると、購入した新車がポンコツで使えないとなると、どれほどショックを受けるか想像に難くないはず。若干そんな気分で、しかし、なんとか使えるようにしなくてはと、色々設備屋さんとも相談し・・・。しかし、石床に変えるとなるとまた相当額な出費だとのこと。も~イヤ!どこかに石床売ってないかな~!探しても出てこない。設備屋の話では、現在ある合成炉床をはがし、うすい鉄床を張り、その上に石床を張るというめんどくさい工程とのこと。ぁ~イヤ。

色々調べているうちに、ふと考えが浮かんだ。そういえば知り合いがピザ釜作るって言ってたよな。そのピザとかに使う石床をオーブンに使えないだろうか?

一つ方向性が決まると、私は早い。調べると色々あることが分かり、最終はデロンギのピザストーンが安価で耐久性もあるとのこと。 やるっきゃない。

いつもながら、簡単な設計図を作る。厚さが10ミリ。この厚さだと、現在の炉床に置く形で問題もなさそう。薄いので、石やブロックをカットするグラインダーで切れるだろう。オーブンの炉床に敷き詰めれば、重いのでずれることもないのでは。

定型260ミリ×240ミリの6枚ほどをカットする。わりと簡単。そして敷き詰めてみた。

お~!!うまくいったぞ!大袈裟だが、根本的な変革という意味でリノベーションと言わせてもらおう。この間の長いお休みを使って、準備。そして、本日実験だあ!!

本日作るバゲット6本のうち2本だけ第2工房の新規オーブンで試焼。

入れたぞ~!うわ~、ドッキドキだあ!5分経過!

そして、焼き上がる。本店の30年ものオーブンとの比較!

なんと~!!!全く遜色ない!!!側面など、新規オーブンの方がよくやけているし、正確な温度設定が出来るので、上部の焼き色、焦げ具合など細かに調整できる。問題の釜伸び(ふわっと感)も、おんなじ!!!右の2本が新規オーブンのもの。

新車が手に入ったぞ~!!!みたいな気分。良かった!使えるぞ~!!日本中のパン屋さんにお知らせしたい。安く良い釜が手に入るぞと。

本日(8/23)も臨時休業です!

ご迷惑お掛けいたします。台風のため、本日も休業いたします。明日(土)より、営業再開です。

ただし、9月1日(日)より、営業時間が変わります。塚原本店12時、別府店12:30ですので。お気をつけください。

木曜日、別府店臨時休業!                     遅ればせながら夏旅行の報告

8月29日(木)は、九州に台風直撃との予報が入っています。スタッフの安全、お客様も外出できないだろうとの判断で、早めに「臨時休業」のお知らせをしときます。コロナから立ち直っているとの推定で、張り切っていたマスターですが、もう少しおとなしくしときます。

コロナで寝たきり。日々動き回っている日常と比べ、恐るべき睡眠量。発覚する(病院で)金曜日の午後まで、しんどかったが朝パン作りを敢行しました。移動販売!!それは、全く自信がなく、頭痛と体のほてりで急遽マサ君に依頼。別府は玉ちゃん。塚原を守る清家さんのシフトで対応。ママも奮闘。ギリ人がいるのでこの体制がとれたが、9月以降は全く出来ない状況になる。

金土は、きつかった。熱は8度程度だが、体は痛く、頭痛も。喉もやられ、咳が出る。汗が大量に出る。薬の効果なのだろう。スタッフに「カレーのスパイスがない」とか「仕込み票がない」とか言われると、ナンとしてもやっておかないと行けないので、みんなが帰った夜にスパイス作りとかする。しんどい。あと、消毒スプレーをまき散らしておく。

日曜日、喉痛と頭痛が少し残るも、ずいぶんラクになる。熱も引く。夕方くらいから、今後の作業の方向性や具体的準備を考え、できてないベーコンの下準備を夜中にやる。仕事が出来る方がずいぶん気持ちも楽になる。そして今日、8割方快方。Infoを書かなくちゃとパソコンの前に。

<入野松原>延々と続く松林とサーフィンポイント

いや~それにしても、充実の3日間だった。京都にいる娘に「なんでこんな時に、高知に旅行に行くねん。私の友だちなんか、高知旅行とりやめたりしてるのに」とのお叱りが。めったに会えない人と3人もすでにアポとっているのに、やめられるわけない。多分これが最後の高知旅行だと思っているのだから、今更。

着いて初日は、学生時代のクラブの仲間と飲む。彼は以前Infoでも紹介した高知山岳連盟の会長。彼の誘いがもとで、今回の土佐旅行が始まった。土佐料理の美味しい店で、酒と料理を堪能。ウツボの唐揚げ、チャンバラ貝の天ぷら、鰹のたたき、鯖の刺身(これは希少価値)、栗焼酎(ダバダ火振り)。

翌日、高知の中心、帯屋町へ。よさこいメッカ。その近くの今一番盛り上がっている大宴会場「ひろめ市場」へ。中が広い。そして店だらけに人だらけ。昼間から大宴会場的な雰囲気。南海トラフなんてものともしない人たちにあふれている。

中はとても広く、私たちが行ったの水曜日のお昼だったが、座る席がないほど!貧乏県高知にとって、これは大切な観光スポットなんだなあ。私は前夜の飲み食いもあって、ソバを食べただけ。

夜のスケジュールの前に、我が懐かしの高知大学へ。

正門から入って、しばらくすると、この椰子並木道。我々が通った頃より、グンと高くなっていた。だろうなあ、50年前なんだから。しかし昔のままの建物も数多い。

かなりきれいに建物や内装もリフォームされていたけど、懐かしの212番教室。ここが一番大きな教室だった。この部屋で受験もした。大学5年生の時一般教養の単位がまだ全てとれてなく、一番前の席で、下級生に交じって真剣授業を聴いていた23歳の私が浮かんでくる。次々浮かび上がる昔の情景。入学式の時「どうや、見学するだけでもいいき、この名簿に名前でも書きや。」と誘われた空手部。あとで、名前書いたら、追いかけ回されて入部させられるか、断ればボコボコにされるぞと先輩に聞かされた。入学式から2~3週過ぎもう大丈夫と思って、この教室で授業を受けていると、授業後空手部が入ってきて、この中に「日浦はおらんか」と・・。必死で後ろ出口から逃げた!そして、この写真。私が座っていたのはこの辺りの席。前で訴えているのは、3回生の彼女(現ママ)。各サークルが学部長にサークルの状況を訴え予算交渉をする「学部長交渉」で、女子寮の現状を訴えるママを見た。すごいなあ、オレなんか恥ずかしくてよう言わんわ~と思った。あの頃は、本当にいろんなことがあり、心が躍動していたよなあ。若い頃って感受性が豊かだよなあ。

通りかかった3人の若者に声を掛け、話をした。先輩だとわかると、態度が急変。さすが、高知の伝統は生きているなあ。50年ぶりの学生会館前でツーショットを。この学生会館の中に学生自治会や新聞部等の組織も合ったのに、今はきれいなショッピングと食堂に。時代の流れを感じさせる。私たちが立っている場所は池があり、コンパあと酔っ払った学生が勝手に飛び込んだり、投げ入れたりしてたなあ。合い言葉は「感激あれ若人よ!感激なき人生は空虚なり!汝らが前に高く高く理想を掲げよ!さすれば淡々として道は開けん!ただ歩めばいたる!」こうして、みんなで輪を作り肩を固く組み、「豪気節を10番まで足を振り上げて歌う」これを高知大の学生はストームと言って、コンパのあと酔っ払った身でやるのが慣例だった。ぁ~懐かしいなあ!古きよき時代。今もやってるのかも?

長くなってますがもう少し。その後、帯屋町に戻り、甥っ子のお店へ。

甥っ子は板前。久しぶりに会うということでか、彼はなんと船釣りで魚を釣り、それを自分で料理して出してくれた。

すごく美味しかった。「来るから釣りに行った」なんて、一言も言わない。そして、普段すわないタバコまで持っていた。私と飲んだとき、タバコをほしがった私のことを覚えていて。そんな心温かな甥っ子とはかなり深い付き合いをしてきた。もう彼も40代後半。「おっちゃん、店終わって飲みに行こう」と誘われ断るはずがない。その日は9時過ぎから二軒夜中の2時過ぎまで飲み倒し喋り倒した。スナックで浜省も歌う。声が出ないなあ~。飲み過ぎなのだ。

翌日は最終日。3人目の彼女。大学時代から少し知っていた西本さん。偶然大阪方面へ就職し、大阪での付き合いもあった人。彼女は結婚し、地元の高知へ戻る。しっかり者。彼女が場所を決めてお昼に昼食を。

こんな感じで、開店を待つ人たち。すっごいよね。西村商店というレストラン。

もうここで終わる。豪快な高知らしく、私も、しっかり豪気で3日間を駆け抜けたが、本当に人の情を感じさせた旅だった。そしてコロナへ。納得の行く結論だった。

卸(おろし)

15年前に始まった卸。初めての卸は夢のようだった。というのは、湯布院の老舗旅館「玉ノ湯」さんが依頼してきたからだ。塚原観光協会から、湯布院物産展というのがあるから商品を出しませんかと言われた。食パンを出してみた。それから数ヶ月後、玉ノ湯の会長だった溝口薫平さんから話がしたいとの連絡。溝口薫平さんと言えば、湯布院観光を作り上げてきた代表者。緊張して、玉ノ湯にママと行ったことを覚えている。その卸は、週一15年間続けてきた。10年ほど経って、徐々に増えてきた卸。最近は結構忙しい。良くこのブログにも登場する「ゆふいんバーガーハウス」さんは、たくさんのバンズを週に4日くらい卸している。お客さんが多く人気店だ。助かる!そして、別府の「グリーンスポット」。ここも大人気店で、たくさんのトースト用食パンの注文が2~3日に一回来る。ありがたい!

オニパンカフェをスタートして一年くらいした頃だったか、カボスタイムというテレビに出演した。初めてのテレビ。とても緊張した。その時口にしたこと「私の夢はフランスパン職人になることだった」。しかし、その言葉とは裏腹に、焼き上がるバゲットの酷いこと。

その苦手だったバゲットも、最近はかなり上達した。作り方もどんどん変わってきた。「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」ということわざがあるが、その通りだと感じる。ただ一度にいっぱい打つのではなく、打つ度に考え次の打ち方を考え、それを繰り返し何度も数打ちゃ当然進歩する。

「グラン・ヴェルデ・リゾート」の卸の注文はフランスパンを中心に、とても多い。だから、毎日のようにバゲットをたくさん作る。私にとっては実にありがたい実践の練習場となっている。

最近は10本以上の日が多い。下手なバゲットも数打ちゃ当たる!

「塩カリッとクッペ」も一度に100以上の注文。うれしい!まさか「塩カリ」がこんなに用入りになるとは、想像も出来なかった。

さて、問題はそれを作る側の件。新しい求人募集のチラシが出来たのでご披露いたします。

いざ大阪

日、月、火と大阪・京都へ。目当ては「和太鼓・民舞サークルどっこい」の40周年記念公演。書きたいことは山ほどある。時間の関係でハショル。

端的に言うと「感動」。何が?40年前に立ち上げた「どっこい」が、我々創設メンバーが活動していた当時のものよりも質的に発展していたということ。閉塞感に包まれた日本の中に、こんな場所があるんだと驚き、涙した。純粋に仲間と作り上げる和太鼓や民舞。もちろん、練習途上ではさまざまに挫折もあったという。演技のレベルがどうのこうのではなく、体や表情からほとばしり出るエネルギーや輝きの圧倒感。小学校2年生から82歳の高齢者35人がそれぞれのレベルで最高の力を振り絞っていた。

公演終了後の打ち上げ。40名で交流。全員が公演での苦労や喜びを語る。素晴らしい!涙がこぼれる場面もいくつか。学校では不登校気味の子どもたちも、こんなに晴れやかに喜びを口にしている。親子でのサークル活動参加者も数組いた。中堅の20代~30代の若者たちの自信にあふれた様子。技量のすごさは、キャリアを聞いて頷いた。保育園の時から活動していたという若者や、中学校、高校からという若者。20年もやっているのだから凄腕。最年長の82歳の女性は、私と同じ頃より。38年になる。みんなの目標になっているという。

大阪の片隅、門真という街で素晴らしいサークルが、地道に人間らしい活動の輪を広げ、存在していることは、私の今後への刺激になった。たまたまつくったサークル。しかし、作ったことの意味の大きさに驚く私。後継のみんなが、どれほど頑張り苦労してきたか、容易に想像できる。

さて、書けば切りがない「どっこい話」。せっかくここまで来たのだから・・・もう来ることもないかも、以前の懐かしき場所をレンタカーで巡り巡る。しかし、悲しいかな、方向音痴の私。いけどもいけども、どこを行っているのかわからない始末。懐かしき場所は頭の中にあるのだが、そこへは到底たどり着けなかった。やっとたどり着けたのは、Googleマップが教えてくれた以前の勤務校。

二つの学校にたどり着いた。そしてその校区巡り。しかし、恐ろしく細い道路ばかりで、その道にぎっしりの家がひしめく。消防車も救急車も入れない。こんな所だったんだとあらためて認識。塚原と門真。その違いに言葉がない。

そして京都。娘のマンションに泊まる。帰りは京都から新幹線。大阪も京都も40度くらい。かなり歩いた。重い荷物を持って。重い苦役のよう。帰りのお昼、腹が空いた。京都駅で何か食べねばと探すが2階あたりは満席。10階11階がレストラン街。上がり方がわからないので、階段で。

エスカレーターがあるのだが、真夏の日差しが暑くて暑くて。ほぼエレベーターを使っている人はいない。腹ぺこの私は勢い込んで11階の食堂街ビルへ入る。しかし・・・・並んでる~!待ってる時間的余裕はない。下りのエレベーターはなかなか動かないし、ここでも人人人。世界の観光地京都なのだ~、認識甘かった!

仕方なしに、重い荷物を持って非常階段を1階まで。

誰もいない!こんな所を下る人はいるわけないか。

こうしてなんとか新幹線へ。涼し~!!生き返った!!

駅弁買って、新幹線で昼食。駅弁ってありがたいなあ。