日本初(?)自家製酵母をつくりました

オニ酵母作りの研究から深めた酵母作りの応用として、誰でも出来る酵母のレシピを考えました。自家製酵母作りは多くの方が実践していることです。しかし、本当に美味しいパンを作る酵母はそれほど多くはないのでは、と言うのが私の実感です。その認識は間違っているかも知れませんが。店主が自慢する天然酵母パンをたくさん食べましたが、ほぼ美味しくありませんでした。(「ヒビノ」など少数のパン屋を除いて。)私の知っている誰でも出来る酵母の例として市販されている「ホシノ酵母」「あこ酵母」があります。これは間違いなくおいしい!しかし、値段が高い。ネット等で紹介されている天然自家製酵母などの作り方を真似ても、それほどおいしいパンは出来ない。

オニパンカフェの「オニ酵母」は、とてもおいしくパンが焼ける。これは、お教えは出来ない。しかし、こうすれば簡単に自家製酵母、安定的なおいしいパン酵母が出来るのではと、試作に取り組むことにした。この間の勉強の刺激やこれから始まるパン教室のために活用できればと。

清家さんに昨日第一回目の試作酵母を使って食パン生地を仕込んでもらった。

今回の試作パンはとりあえずオニ食パンと同じ行程で作業することに。それによって、次回の酵母作りやパンの製造行程のヒントが見つかると思うので。

オニ食パンと同じ温度や時間で一次発酵を終えることに。ちょっとまだ発酵が足りないかなと思いながら分割・丸めをしました。

一玉400グラム強。この一玉で山食1斤分です。そして・・・

30度で40分後。大きさが1.5倍に。まだ小さいと感じたものの、とりあえずオニ食と同じ行程を意識して成形しました。

これをドーコンに入れ(35度)、1時間半温めます。

そして釜へ。40分近く焼成。

焼き上がりました。なるほど。予想通り。まだ、酵母の力が弱い。もっと酵母の力を強くするか、パン作りの中で発酵の時間を長く取るか。そのどちらか。

とりあえず、一回目の実験は達成。次の課題がはっきりしました。お楽しみに。

ユメ(モクヒョウ)

人生残り少ないと思うと、少し寂しくなる。この年代(私のような)の面々は、それぞれに少し寂しい思いを抱えながら今後どう生きていこうかと思いを巡らせているのでは。健康で経済的にもそれほど心配もなく、出来れば近所づきあいも良好で、家族・人間関係もうまくいき、ゆっくりと趣味もできて・・・。

人それぞれに、生き方は自由。与えられた寿命の中で、精一杯生きる。一定の健康面、経済面の基盤が基本だが。それが不安定だと、生き方を考えることは出来ない。

「今後の私」、それがいつも頭の中で、雲間に流れる風船のように、あっちに行ったりこっちに行ったり。しかし、冷静に考えると、自分の人生は今まで歩んできた蜘蛛の糸のような、生まれた時からずっとつながり、時には太いロープにもなって現在まで続いているのだ。そしてこれからも、その糸は、染められた色や質感を変えることなく、続くことが必然と言える。70年生きてきて、積み上げられた考えや流儀、感性は変えられない。それを全うすることで、一つの人生が完結する。そのように生きられることが倖せなのかも。

最近、学習めいてる私。パンの科学を追究。この休みに読み終えた。やはり学習は大切。まだまだわかっていないことが多いなあ。真面目にノートも取っている。パン屋を目指すと決めた頃より、学習してきたことを記録してきた。パン屋になって、目の前のことで一杯一杯。結果、実践重視、経験主義。しかし、学習は大切。パンは科学だもの。

THE Bakery Vol.1 1998年から。2007年のパン屋修行まで続けていた。気持ち新たに、学習スタート。

そして当面の小さなユメ。第2工房を使ってのパン教室。

読書(聴書) 平場の月

本日は小説の話。若い頃、年寄りになったらどんな風な感性になるのだろう、例えば恋愛についてとか。人を愛する感情は若い頃と違うのだろうなあ、あるいは年を取ると恋愛感情そのものがなくなるのかなあ・・・。とか思ってた。

仕事に追われ、暮らしに追われ、経営の厳しさに戸惑い、将来について不安に思う古希を過ぎた男。しっとりとした、潤いのある感性が干からびては、美味しいパンやお客様とのかみ合う感性を作ることも出来なくなるのでは。最近、市民劇場に通う余裕もなく、文学芸術から足を遠ざけてきた。

ところがそんな忙しい人のために、とてもありがたいサブスクが出来た。以前にも紹介したオーディオブックだ。私はこれを使って読書(聴書)をしている。最近読んだ本で「平場(ひらば)の月」というのがある。「世界の中心で愛を叫ぶ」の中高年板みたいな内容。昨日、三平を散歩させながら、読了。つい長くなった散歩。寂しくて、悲しくて、うつむきながら散歩を終えた。今も余韻が残っている。なんで、なんで、そうなる・・・。つらいよなあ・・・でも、素敵な人だ。人生うまくいかないよなあ。貧しくても、健気に律儀に人らしく生きてるよなあ。もう少し、楽しい時間があったらよかったのに。でも倖せだよなあ。いろいろと私の心の中で独り言が渦巻く。

作者は女性だった。朝倉かすみさん。男性だったら、こんな女性(ヒロイン)は描けなかったかなあ。堺雅人と井川遙が主役。良い配役だと思う。この二人が主役だと知って、読んでいるときも場面を想像しやすかった。11月映画公開。

倉木山登山

なんと4週連続の山行き。腰は相変わらず不調ではあるものの、以前ほど痛くはない。少しは改善されているのだろう。

あまり時間がなかったので、近場の山へ。湯布院盆地の名山とでも言おうか。盆地から見ると一番の存在感。あっ、由布岳を除いてだけどね。

倉木山登山口は、度々登場する有名なサイクリスト白黒さんがお気に入りの場所の先になる。

この道路のさらに奥。登山口近くの駐車場っぽい場所に車を置いてスタートだ。

以前は牧場が広がっていたのだろう。トラックがは入れるように、コンクリの道が上の方へ続いている。倉木山はとても登りやすい山だ。それほど急な登りもなく、コモレビを受けながら、気持ちよい大気を全身に吸収しつつ頂上をめざす。とはいっても、私の弱った体は、心地よいといった反応を示してはくれないが。息が上がるということはない。

こんな感じの道が続く。そしてもうすぐ頂上という立て札。

倉木山山頂10分、との表示。その10分は(私にとっては15分)、今まで楽させてもらった報酬として、しっかり体を痛めてくれる。でも、これがあるから、頂上制覇の満足感が生まれるのかも。

まあ、一時間ほどの行程だけれど。用事があるときはこの山はいいな。お昼から仕込みが待っているしね。

下山は少し冒険をしようと言うことで、急登コース(登ってきたところは「山腹コース」)を下ることに。ストックは使えないのでリュックに直し、手袋をしていざ!

この写真では斜度はわかりにくいだろうけど、結構な坂。8年ほど前か、新スタッフだった川野さん、ママと3人で転げそうになりながらこの下りを行ったことを思い出す。

そして、下山。待ちに待った昼食タイム。

私が作ったハンバーガー。そしてビール!これじゃ!待ちに待ったのは。

おいしか!!帰りは中村君の運転。ありがたいのお。

話は変わるけど、火曜日の夜たまたま見ていた歌コンに原田真二が出ていた。

かわいい!うまい!何と10代のころ。そして現在。

年取るよなあ。でも彼は今でも自分の目指す歌の道をしっかり貫いていることを私は知っている!

何年前か塚原にやってきて、小さな音楽会をやっていたなあ。平和にこだわり、平和のための活動も続けている。

とても気さくないい人だった。髪は黒い。まだ少し若いな。

今回は伽藍岳

3週連続の山行き。天気が良いし、中村君が暇そうなので、誘って近場の伽藍岳へ。詳しく書く時間がないので、写真を中心に。とにかく、伽藍岳はいい山だった。以前2回登ったが、今回は登山道が整備され、観光案内のようなユーモアのある道しるべ(説明書き)があったり、そしてミヤマキリシマが咲き誇り、なんと素敵な山なのだと感動。ほんと、いい山だ。塚原にこんな山が!宣伝しなきゃ。

伽藍岳は活火山。山肌は硫黄や金属鉱物のような岩がごろごろ。以前、嵐の松潤主演の時代劇のロケ地にもなった。塚原温泉は日本三大薬湯。全国から湯治客が来る。

岩肌にとりつくミヤマキリシマが見えますか。このミヤマキリシマがずっと登山道脇に咲いています。

塚原温泉を発見したと言われる源為朝(みなもとのためとも)。平安時代(今から800年前)の話。その彼が一刀両断した「一刀岩」がこれ。

伽藍岳西峰に向かう途中、火口がが下に見えます。目の前の山は、内山。この山は、鶴見岳へ尾根が続きます。右上は由布岳。

西峰につきました。ここから塚原が一望できます。

北の方を見下ろすと、オニパンが卸をしている「グランベルデリゾート」が丸見えです。広い敷地。池もあります。

西峰の帰りに、頂上へ。ここからも別府が見えます。

塚原越え。この場所はいろんな所への分岐点となります。下へ行くと別府の鍋山の湯とか。そっち方面へ少し探検。

この先は急な下り坂があります。「ウサギ落とし」という名が。以前、ママと一緒に降りたことがあります。若かったなあ。ママはこけて、頭を木に打ちつけました。「助けて!」と叫んだ。懐かしい。入ってみましょう。

入るとすぐ、こんな湯気が噴き出す岩場あり。登山客はここに卵を置いて地獄蒸しゆで卵を作るとか。

こんな風に楽しんで下山。車の駐車場で中村君とお昼ご飯。

私が作ったハンバーガー。中村君の分も持参。私は楽しみのビールも。運転は彼。

さて、伽藍岳行く気になりましたか。塚原観光名所になりそう。