商品開発

1月に入ってから、お休みが増えた。2月などは1日から5日まで冬季休暇までとらせていただいた。よく休むパン屋としての評判が立たないかとひやひやものだが、休むことは体にも精神にもいいと強く感じる近ごろ。冬季休暇は一日だけ熊本の方に出かけただけで、後はレンタルDVDでニコール・キッドマンの「オーストラリア」「遥かなる大地へ」を観たことと、酵母生活を続けたこと。ニコールキッドマンの両作品はとても良かった。気の強い自立した女性、ちょっと男っぽい所がいいですねえ。そう言えば映画館で観た「コールドマウンテン」という作品でも、似たような女性像が描かれていた。最近観た市民劇場の「出雲の阿国」もそうだった。夢に見たのではないかと思われるほどに、翌日のベッドの朝も阿国のことを考えていた。う~ん、やばいぞ、そっちの話に持っていくつもりではない。女性のお話は置いといて、今回は商品開発ということで記述したいと思います。
酵母生活の続きなのだが、前回の日記に書いた元種、それをさらに継いでいくと、グンと発酵力が増した気がした。それで、パンをつくると、なかなかのものが出来上がった。味もよい。良し、行ってみよう!菓子パンの一部に使うことにした。
パンの作り方には色々な手法がある。普段は忙しくてできないが、今回、老麺法というつくり方も実験してみた。パンが膨れる、発酵するということはつまるところ酵母が増殖し発酵活動を通じて生地を美味に醸成するということ。だとすれば、酵母が活動しやすい増えやすい環境を準備してあげればよいということだ。老麺法はパン生地の一部を取り残し、それに餌(小麦粉)や水を継ぎ、発酵させ、元種としてパンをつくる方法。このやり方を使えば、酵母を新たに使わないので経済的にも助かる。しかし、焼きあがったパンは残念ながらしっかりあこ酵母を使った食パンと比べ、風味に欠けていた。商品として売り出すのには向かないやり方だ。
おいしいパンをつくりたい、そのために色々試行錯誤を繰り返す。その時間は集中し緊張しわくわくする宝石のようなひと時とも言える。学習することによって絡み合っていたパン作りの謎が少しずつ紐解け、うまくいかなかった原因が推察できるようになる。そして、(たぶんこうすれば・・・)と予想しうまく行った時の嬉しさは何にも代えがたいものがある。どんな仕事にも、分野は違えどきっとこういった側面があると思う。パン屋の商品開発、教師の教育実践、農家の作物づくり、お店の経営・・・。同じことの繰り返しは停滞ではない。「流れる水はくさらず」というが「流れない水は腐る」ということでもある。岡林信康の歌にあったっけ、「この場所に~とどまっては~ならない~」って。

「商品開発」は季節に敏感にならないといけません。パン屋についても。
我がオニパンカフェに若いお手伝いさんがやってきました。若干19歳。大学生。「めいちゃん」っていいます。トトロに出ていた女の子と同名です(どうでもいいですが)。その子のお母さんがおいしいイチゴを持ってきてくれました。あまりにおいしいので一人で食べるのはもったいないということで、フルーツデニッシュにのせました。それまでのフルーツデニッシュは、ぶどう・りんご・キューイでした。あまり売れ行きが芳しくなく、昼すぎまでしっかり残っている場合も。しかし、イチゴにしたとたん、あっという間になくなります。もっと季節に敏感にならないとと感じた出来事でしたね。

なんか、とってもおいしそうですね。めいちゃんの作品です。これで150円は絶対お買い得です!

酵母生活

塚原の冬はいい!枯れた冬景色。「枯れる」という言葉の意味には「深みが出る」という意味もある。春を前にして、目に見えない深いところで、命が活動している。静かで澄み切った大気。夜の星空がいい。
オニパンカフェは、冬季、週三日お休み。その時間を使って、人間らしい生活を試みる。チェーンソウを使い木を玉切りする。ハスクバーナーの斧で薪割り。薪ストーブの暖で音楽と読書。夏場がウソのようなほっとするひと時だ。
疲れた体を癒していると、ふつふつと考え(アイデア)が目覚めてくるようだ。私の場合、朝方ベッドの中で、夢見ごこちの時、突然やって来る。新作の「かのこカスク」の成形もそうだった。そして、酵母づくりも。
あこ酵母の秘密を解き明かしたい!と常々思ってきた。自分で酵母作りからできれば、これぞ胸を張って「手づくりのオニパンだ!」と言える。
あこ酵母の生種を味見すると、甘酒のようなおいしさだ。これは酒種と関係があると直感的に思う。原材料は「米・小麦・麹」とあるので、たぶん正解のはず。酒種から元種をつくってみようと試みた。これでうまくパンが焼けるのか。

つくり酒屋から米麹を取り寄せ、塚原レストラン12の月の女将さんから頂いたもち米で甘酒をつくった。その甘酒に同量の水を加え、30度の温度で3日間発酵させた。


3日後。シュワシュワと泡立つ酒種ができた。
それにオニパンで使っている食パン用の小麦粉を混ぜ、元種をつくった。

これを3度繰り返し、3番種をつくって、パン作りを試みた。

ぶどう食パン。右はあこ酵母。左は自家製酵母。固くて重い!う~ん。なぜ?原因は色々と考えられる。発酵力か弱いのか?それとも過発酵か?一つ一つ課題を設定し、確かめて行かねば原因はわからない。
私は発酵力が弱いとは思わなかった。弱くても、ある程度の時間をかければ、酵母は増殖し、力が増していくはず。それよりも、酵母の数が多すぎ、それに足るだけの餌が足りずに、酵母が死んでいったのではと考えた。それで、今度は元種の量を半分にし、またパンを焼いてみた。

嬉しかったですねえ。予想は当たっていました。窯伸びもして、かなり大きく育ってくれました。手前の食パンが自家製酵母のもの。後ろの袋に入っているものがあこ酵母の食パン。お客様が興味を示して、「売ってください」と言うので安くお売りしたが、まだ商品としてお店に並べるほど質の高いものではない。しかし、味もなかなか良くて、しっとり感とボリュームが出ればそのうちお店に登場という日が来るのではと、密かに思っている。
酵母の名前まで今考えているところ。「オニパン・塚原酵母」ではどうだろうか。塚原のお水、塚原に住む空気中の自然酵母が営み生み出す種からできたパン。夢があっていいなあと思う。
うまくいくのかなあ。

新年がやってきた!その2

早く書かないと、新年の気分が冷めてしまう~。通常国会の論戦を聞きながら、仕込み作業をしているとついついラジオの中に意識が入り込み、生々しい現実に、私の新鮮な今年の抱負が褪せてしまいそうになる。
2010年、本当に良き年となることを願う。
さて、私ごとの続きなのだが、今考えている今年の目標を明らかにしたい。
今年で達成できる目標ではないのだが、ずっと自分の中にあった課題意識。それは酵母の研究。日本は発酵食品の宝庫と言われる。発酵の立役者である酵母のことを知っていくにつけ、その存在のすごさに驚かされる。
山香の道の駅で働いている友人から届いた干物の詰め合わせ。魚などの干物のうまいこと!こんなうまい鯵の開き食べたことない!ママの実家で作っているお味噌のうまさ!ご近所の方から頂いたたくあんのうまいこと!そして、手前みそだがオニパンの食パンのうまいこと!発酵食品の奥深さに感嘆するとともに、その仕組みや酵母の研究をしたいと以前より思ってきた。今年は少しずつその勉強を始めたいと思っている。
自然界には無数の酵母菌が生きている。様々な味や香りを醸し出す天然酵母。その酵母の活動が偶然にもパンを人間の歴史に生み出した。パンをつくる時その不思議さ楽しさに魅了され、料理もしない私が、パンだけは10数年飽きもせずつくり続けてきた。不思議の正体=酵母に、接近したいと思ったわけだ。
手始めに私も定番のぶどう酵母作りをしてみた。
以前にも試したことはあったが、あまりうまくいかなかった。安心院の天然酵母パンの店「ぱおぱお」さんのパンは、自家製酵母だが、とてもおいしい。多分ぶどう酵母でつくっているのだと思う。あれだけのパンをつくるためには、かなりの研究があったと思われる。聞けば教えてくれるかもしれないが、そこはパン屋のプライドもあってか、自分でやるしかない。
干しブドウから4日かけて酵母液をつくった。

次にその酵母液と小麦粉を混ぜて元種①をつくる。

30度程度で翌日まで発酵させておき、さらに小麦粉と酵母液を追加し、元種②をつくる。

さらに翌日、同様に小麦粉と酵母液を追加。元種③をつくる。

なぜこんなことを繰り返すのかと言うと、発酵力のある安定した種をつくるためだそうだ。要するに、えさを与え、酵母の数を増やす作業をしているとのこと。

こうしてできた元種。これを使ってパンをつくります。私はぶどう食パンをつくっ
てみました。
ジャーン!
左が自家製ぶどう酵母で作ったブドウ食パン。右は、お店で売っているあこ酵母のぶどう食パン。う~ん、ちょっと小さい。重い。生地も荒い。でもそれなりにおいしかった。

実践あるのみ。足を踏み出していれば、必ず前には進んでいるはず。私の酵母人生のスタート年としよう。

新年がやってきた!その一

「折々帳を見ました」とやって来るお客様もしばしば。ほんと嬉しい。本来はブログのようにコメント欄がありそのやり取りで双方向の流れができるのだろうが、この折々帳は一方通行。考えてみれば返信できる余裕もないし、これで行くしかないかな。
お休みがあっても、折々帳が書けるとはかぎらない。あ~やっぱり俺はグータラなのだと反芻しながら、やっとパソコンに向かう。冬休みはとてもゆっくりできた。長く眠れることの幸せ。ゆっくりできることがこんなにいいものなのか。
ゆっくりしていると、不思議なもので、体の奥の芯の方から創造的な何かエナジーみたいなものが醸し出されてくる。これは俺の「酵母」なのか。じっとしてられなくなる。日頃忙しい時は、目先のことをこなすことで精いっぱい。だからこんなエナジーが出てきた時は、ありがたくそれに身をまかすようにしている。今までの人生を振り返る時、その時々の興味や関心、脇道や寄り道などを大切にすることが結構自分という人間の幅を広げてくれてるなあと感じる。
新年がやってきて、人それぞれにこの一年どう過ごそうかと気持ちを新たにしていることと思う。私もどちらかと言うと大袈裟に目標を掲げることが好きなタイプで、学生時代よりほぼ毎年目標を決め、それを紙に書き、机の前などに張り出してきた。初めて書いた目標ははっきり覚えている。18歳の時。「進化」だった。大学の先輩の下宿でクラブのメンバーが何人か集まり、今年の目標をどうするか話し合っていた。私が入っていたサークルはやたらと議論することが好きなところで、「位置づけ」「基本的に」「原則としては」「変革」などの単語が飛び交っていた。
その先輩の下宿の壁に去年の目標が紙に書いて貼られていた。「青年○○(先輩の名前)は荒野をめざす!」私は、(かっこいいなあ)と思った。先輩は「去年は良く頑張った。そして今は荒野の中に来ている。だから今年は『青年○○は荒野を走る!』だ。」私は、もう感動して、何か自分にもそんな目標が必要だと直感的に思った。そして、先輩に「僕も目標を考えました。『進歩』です。去年よりも、より人間性を深めたい!」と言った。
先輩は、怪訝そうに私の顔を覗き込んで、「日浦よ、それはちと早いがぜよ。進歩する前におまんは、人間に進化せにゃいかんが。おまんの目標は『進化』じゃ。」と言った。
私は、その先輩をとても尊敬していたので(今でもね)私の新年の目標は「進化」になり、壁に貼りだした。というわけだ。
今はそんな抽象的な目標を立てているわけではなく、具体的なものにしている。昨年、子どもたちが帰省し、家族で新年を迎えた際それぞれに抱負を語ってもらった。私と娘はタイプが似ているのか、目標を壁に張り出した。ママと息子もタイプが似ているのか、目標もはっきり語らず、けむに巻いた。
そして今年がやってきた。私は壁に張り出した目標を見ながら、みんなの前で「抱負を語る会」の切り出しをついにやらずじまいだった。情けない。昨年立てた目標は全てできずじまいだった。想像以上にパン屋が忙しく、目先のことで日々が過ぎて行ったからだ。しかし、ゆっくり休養をとっている間に、また、性懲りもなく例の目標癖が出てきている。この目標がどうなるのかは分からないが、やはり新年、気持ちを新たに持っていきたいものだ。
新年はいい。新しい自分を夢見て、それだけでも、何か生きる力が醸し出されてくる。

クリスマス

クリスマスがやってくる。若いころは、なんだかウキウキして、クリスマスイブの街中を歩くだけでも、ロマンチックな気分になったものだ。さて、それから二、三十年、クリスマスのことは意識が薄れたような年月を過ごしてきた。パン屋を始めて、季節に敏感になり、そして、若いころのようにクリスマスにも意識が向いている。
一つはクリスマス向けのパンの製造だ。
高校時代の同級生で我がオニパンカフェにも何度も来てくれたU君。別府で不老軒という和菓子のお店をやっている。オニパンに来られるFさんというお客様がお土産を持ってきてくれた。それは偶然にも不老軒がつくっているクリスマス用の和菓子だった。「へ~」と思いながら、開けてみるとそれは、感動ものだった。とても愛らしいサンタさんのお顔のお菓子と色鮮やかなクリスマスツリーのお菓子。「クリスマスと言えばケーキ・西洋の祝日」という常識に抗して、我がU君のお店はこんな作品を創っているのだ。この和菓子だったらクリスマスでも買う気になる。立派だなあと恐れ入った。


オニパンカフェでは、パネトーネというイタリアのパンとケーキの中間のお祝い菓子を作っている。これが売れるといいなあと期待をしているわけだが・・・。
さてクリスマスを意識する二つ目の理由。これは、以前の日記にも書いたのだが、クリスマスの意義・意味がある。キリスト様の誕生日くらいしか考えなかった以前。しかし、市民劇場の「クリスマス・キャロル」という劇を観て、「すべての人々を祝福する日」みたいな意味もあるのだと知った。たとえ、それが違うとしてもそんな日が一年に一日ぐらいあってもいいと思う。「戦場のメリークリスマス」「クリスマス休戦」などの言葉がある。戦い、憎しみ合う人同士でもお互いを認め合い、尊重し合う日。
生活がままならず、ぎりぎりで生き暮らしている人々にも、平等な生存の糧が与えられる日。
小・中・高時代の同級生のS君。無鉄砲で自由な生き方に一種、畏敬の念を抱いたこともあるS君。彼は近ごろしばしばオニパンにやってくる。パンをいっぱい買う。「どうするんだい、そんなにパンを」と聞くと、明日「マザーテレサの会」があると言う。「何、それ?」「家のない人とか、支援する会」
S君はそんな活動をしてるんだ、と私は驚く。
クリスマスがやってくる。すべての人々に平和が訪れることを願ってやまない。