塚原高原にメガソーラーは似合いません!

塚原高原に恋をして早20年が過ぎようとしている。
そして、実際に暮らし始めて6年近く。塚原への思いは相変わらずで、お墓の場所まで考えている始末。
塚原の美しさは、本来の持つ自然の景観とそこに住む人々が絶えず守り営んできた農業や牧畜による里山的美しさが絡み合い一体となったものだろう。
「日本で最も美しい村」に全国49番目に認定。大分県では唯一の地域。

別府や安心院方面の500号線(アフリカンサファリの前の道路)から616号線に入り、なだらかな丘陵の一本道は塚原高原への正面玄関へと続く。炭熊、リック乗馬クラブ前にたどり着くとき、視界が、突如オペラ劇場の広く大きな緞帳をサーッと開くときのように、広がっていく。
私は、初めて塚原に訪れたとき、その圧倒的な景観に胸がキューンと絞られ、背筋にビリッと電気が走った。

きれいだなあ!
何度も自分につぶやいた。

それから、毎年塚原にやってきた。
やってくるだけでは飽き足らず、土地を買い、そこでキャンプをした。
キャンプでは飽き足らず、小さなログハウスを建てた。

そして、終の住家を建てた。

本来動物である人間は、自然の中で生き生きとする。自然が持つ力は、人を人間らしくすると思う。理屈ではなく、私の体験としてそう思う。


この道はオニパンカフェの前の道だ。私のお店の前だけ畑になっているが、それ以外は両側にこんもりヒノキやクヌギなどの並木道となっている。
この並木道は「緑のトンネル」といわれるぐらい、夏には木陰をつくり、歩くとひんやりとした風が流れている。約500メートルも続くすてきな道だ。


上の写真右側に、わずかに見える民家が下の写真にある民家だ。この民家の周りにも豊かな木々が取り囲んでいる。この写真は、オニパンカフェの前にある畑の向かい側から撮った写真だ。

これら緑の木々を切り倒し、民家部分だけを残して、メガソーラーを建設すると2週間前突然会社の方がオニパンに告げに来た。
規模は2万平方メートル、1,5メガ。
民家は借家として4月より震災で避難されてきた方が住んでいる。住めないほどの古屋だったので、大金をつぎ込んでリフォームした。家を借りるとき、地主さんは「裏にソーラーができる」とは告げていたとか。しかし、そんな巨大なものができるとは知らなかったので、リフォームして暮らすことにしたそうだ。

近くの方々に知らせると、その翌日に30人ほどがオニパンに集まった。
そして、市長さんとデンケンという会社に話に行くことになった。

そんな行動を通じて、さまざまなことがわかってきた。今全国でメガソーラーの建設が進んでいる。国の電力固定買取制度が追い風となり、安定した収益が保障されるという。
塚原には九電の高圧送電線が通り、しかも広くて安い土地(遊休地)がたくさんある。ネットで「どなたかこの土地をメガソーラーに使いませんか」などと募集するほど。
市の幹部に尋ねると「4月より毎日1件は、メガソーラーの問い合わせが来ている」とのこと。
メガソーラー参入業者にとっては、塚原高原はとってもおいしい場所なのだ。

メガソーラー建設に関わって、さまざまな害悪がネット上では取りざたされている。
パネルの持つ毒性、光の害、電磁波の害等々。
黒い巨大なパネルが広がることでその熱によって、近隣で2度ほど気温が上がるとか。

この場所は動物たちにとっても、貴重な生活場だ。
一週間前も、ウズラの子ども3羽が溝から出られなくて、困っていた。近くでは、親が2羽心配して鳴いている。私が子どもに近づくと、親は自分の危険も忘れて、ピーピーと私に向かって鳴く。私は感動した。子どもを帽子ですくいあげ、親の方へ逃がしてあげた。

個人のエゴかもしれないが、私は緑のトンネルがなくなることを思うとつらい。
こんな居住地の隣に建てなくてもよいと思う。私のお店のある分譲地のオーナーにとっても
迷惑な話だ。分譲地の値打ちが半減すると思う(建設地は道を隔てて5メートル)。ちなみに私のお店から建設地まで25メートルくらい。

塚原では、すでにリックスプリングバレーの乗馬クラブ前の広大な斜面にメガソーラーの建設が予定されている。これにも大きな反対の運動が起きている。塚原高原の正面玄関の最も美しい場所に。

塚原高原は、塚原に住む人だけのものではないと思う。お店に来られるお客様は、口々に塚原の美しさや自然の豊かさを言う。きっと私と同じ思いで塚原に来られるのだと思う。

もし塚原に来られたら、改めて塚原の自然、景観を見つめなおしてください。
そしてできれば、「塚原高原にメガソーラーは似合わない!」の署名にご協力をお願いします。
そしてこのことを、知り合いにも知らせてください。

今年の暑い(熱い)夏休み(8/19~8/23)

暑さが歴史的になってきた。ここ塚原でさえ、夜暑くて首元に汗が出た。
暑い夏にふさわしい夏休みにせねばと、今年は一人でバイクツーリングを企画。
ママは?ママは、一人で長崎平戸へ。
わずか一泊の小旅行だが、今年はお互い一人で旅を満喫しようということになった。
私はほとんど、ママの企画に乗ることにしてきた。
40才のころ、私の企画で家族4人北海道旅行をしたことがあった。一週間余りの旅の行程を私が考え、車で移動し、観光をすることに。ところがよくばりで盛り沢山なスケジュールで、毎日旅館に着くのが夜の8時から遅いときは10時となり、家族みんなはかんかんに怒りまくりの状態に。
それ以降、私は旅と聞くと、黙ってママに従ってきた。

久しぶりだ。一人旅行といえば、40代後半、大型バイクで信州乗鞍高原へツーリングに出かけたことが思い返される。ちょっと若返って、今回はやまなみハイウェイを通り、熊本の小国、杖立温泉へバイクで行ってみよう。


ここに来ると、必ず車を止めたくなる。
飯田高原。この道の正面が硫黄岳。左が三股山。右が星生山(ほっしょうざん)

ここをバイクで通るのは、五年前、娘、息子と3人でバイクツーリングをして以来。
思い出にひたってしまう。

ビュンビュンバイクで走る。調子がいい我が愛車セロー250。3年前に購入して長旅は初めて。パン屋になるまでは、絶えずバイクに乗ってきたバイク人間だった。18歳から53歳まで。パン屋になってパタリとそれは途絶えた。しかし、今、復活!
うう~きんもちイイ~!!!
あっという間に、牧ノ戸高原、黒川温泉を過ぎ、小国へ。
そこで、以前より親交のある「そらいろのたね」さんへ。
そらいろさんはパン屋を始めて16年になるという。


ここのパン屋は、すべて自己流的な感じ。
建物自体、ご主人が建てた。奥さんは若くてとても素敵。若いといっても、私より若いって感じ。気さくで、何でも気兼ねなくお話しできる。
ベーコンとかも、自家製だった。
いろいろと工夫してつくっている。
今回も楽しいひと時を提供していただいた。

さて、話を先に進めよう。いろいろあった夏休み。ゆっくりしてはいられない。文章は短めに。
写真を多用して行こう。


「そらいろのたね」を出て、杖立温泉へいく途中、北里村を通過。
そこで、「北里柴三郎記念館」の表示を見かける。
まさか!そうなのだ、あの偉大な細菌学者の北里柴三郎はこの小国、北里村出身なのだ。
一応、菌を扱う者として、かねてより尊敬しお慕いしてきた北里先生のことをより深く知ろうと、記念館へ立ち寄る。

胸像の向こうに見えるのが、小国の誇り、涌蓋山(わいたさん)。

北里記念館でビデオを観たり、資料を読んだりして1時間、その後40分ほどバイクに乗って、杖立温泉へ到着した。

山里の秘湯的なイメージで想像していた杖立だったが、幹線道路沿いの杖立川に沿って、温泉宿が立ち並び山里深くっていう感じではなかった。
しかし、川の両側と奥は山で、三方を山で囲まれてはいる。
昔は歓楽街的な温泉地でもあったとは書かれていたが、今は結構静かで、人もあまり多くはなさそう。

結構お安い宿をさがし(いつものことだが)
気楽な一人旅を楽しむ。
杖立温泉の良かったこと。
①まずは泉質。メタケイ酸が多く含まれ、肌がしっとり。
②続いて、温度が高いことから、蒸気を使った「蒸し風呂」が各旅館にあるということ。
③静か。

左より、旅館のお風呂、その奥にある蒸し風呂、そして一人楽しんだ夕餉のごちそう。
一人旅は、いいよね。静かで、自分と向き合える。
ただ残念だったのは、部屋が蒸し暑くて、エアコンを入れると、その音がうるさすぎた。
そこで、窓を開けた。すると12時近くまで向かいのホテル(私が泊まった安宿とは違う大き目な宿)のお風呂掃除の音が夜中までしていた。
結局、あんまし眠れなかった。
これって、以前宮崎にパン修行に行った時の格安ホテルのお部屋と同じではないか。
ケチるっていうことはこういうことなのだ。まったく学習されていない自分の貧乏性がここでもでてきたわけだ。

まあいい。一人旅を満喫しているのだと、自分を慰める。


左は、旅館を後にして、立ち寄った、小国の道の駅みたいな「ぴらみっと」というお土産店。
小国町の売りは「ジャージー牛」のミルクやソフトクリーム。
このソフトは確かにうまかった。味が濃くて!
また食べてみたい。
でもきっと、牛乳だけのうまさではなくて、作り方もあるのではないのかな。


さあ、どんどん行きます。次に立ち寄ったのは、今、小国で一番注目されているという名所。「鍋なんとかの滝」
この滝はちょっと珍しい滝。
何がって、滝の裏を通れるから。
暑い夏には、これはいい!
涼しくて涼しくて。みなさん、滝の裏側から記念写真をパチパチとっていた。


私もついでに撮っていただきました。


やまなみハイウェイの帰路途上、以前より心に引っかかっていた秘湯「赤川温泉」に立ち寄ることに。

温泉の写真をとれなかったのが、残念だが、
まさに秘湯。というより、温泉の質が普通でなかった。源泉は白く冷たい(温かいお湯もある)。匂い、肌触りも特異。
疲れた体に心地よい。

宿も兼ねてるし、ここから九重登山ができるので、次回は泊まりたいなと思った。

バイクツーリングと温泉三昧の一人旅。こうして、夏休み前半は終了に。

そして、夏休み後半。後半のメインイベントは、大阪よりやってきた7人のメンバーとの合同自主トレ。
この話が舞い込んできてから、実は私は憂鬱な日々を送ってきた。
以前所属していた「太鼓サークルどっこい」が来年30周年記念公演を開催することになった。
それで、サークルOBの演目も設定し出演することに。
私としては、長年活動してきた愛すべくサークルなのだから、ゴールデンウィークというパン屋にとっては大忙しの日でも、公演に駆け付けようとは思っていた。しかし、舞台の演目に参加するなど考えもしなかった。
ところが、踊り好きのホッタチャン(現在この方はれっきとした学校の校長さんである)が、「日浦さん夏休みに塚原に遊びに行くよ。そして、みんなで傘踊りの練習をするからな。」と脅迫めいたメールを送ってきたのだ。
忙しい合間を縫って、二日間、私の踊りの指導のためわざわざ大阪からやってくる七人の方々。ちょっとありえない展開だ。
夜中の9時に大阪を出たそうだ。それから徹夜で高速を飛ばして湯布院へ朝6時着。
朝早すぎるからと遠慮して7時ごろ℡してきた。
7人のうち3名は60代中盤。
すごい。青春だなあ。
このメンバーさらにすごいのは、9時から自主トレを本気でスタートさせ、3時間休むことなく練習をしたことだ。
私も必死だった。汗みどろ。

しかし不思議なものだ、あれだけうっとおしかった自主トレだったのに、汗をかき、踊りが体になじんでくると、(もっともっと)と体が要求してくる。
楽しい3時間だった。若いころ、こんな素敵な仲間たちとともに活動してきたことを忘れかけていた。踊りの素晴らしさと、かけがえのない仲間たち。楽しく、ちょっときつかった夏休み後半だった。

この一ヶ月 №116

毎日暑い日が続いている。私にとっても熱い日が続く一か月だった。
ママが、一週間過ぎるたびに、「フ~」とため息をついている。「今週も、いろいろあったねえ~」
これが口癖になるくらい、話題には事欠かない一か月だった。

◆パン作り大忙し
5周年を過ぎ6年目に突入。ヒロチャンが頼れる存在に。おかげで、たくさんのパン作りも可能になってきた。普通、販売が落ち込む時期なのだが、今年は別府の出張販売を始めたり、通販の「スペシャルセット」を企画したりで、様相が変わる。
雑誌の「シティ情報大分」が別府の出張販売の取材に来た。どこから聞きつけるのか、大したアンテナ網だ。まあ、こちらとしては嬉しいかぎりだが。

この出張販売は、本元の塚原高原のお店より売れている。
だから、今までの月曜日と比べると、2倍のパンを作ることになる。フエ~。

地元(湯布院)の病院の看護師さんたちが集って、研修会があるということで、2週連続でお土産パンの注文があった。35人ほどのお土産セットを2週連続で作る。

スペシャルセットの注文依頼も出始める。

そんなこんなで、パン作り大忙しなのだ。

まあ、しかし、この状態がいつまで続くは?ではあるが。とりあえず、この一か月は
大忙しだった。

※記事に3時からと書いているのは間違いです。3時半からです。

◆懐かしの人オニパンカフェにやってくる。
大阪時代の教え子が、50ccのバイクに乗ってやってきた。年齢23歳の女性。この5月に結婚したばかりで、連休を利用して(旦那さんは休みが取れなかったとのこと)報告に来たわけだ。彼女は、5年生の時一年しか担任していないのだが、その後も毎年、定期便で状況を知らせてくれた。自立心旺盛で、しっかり者の彼女。もうこんな大人になったのだと、感慨ひとしお。
ママの大阪時代の同僚がやってくる。話を聞くと、彼女が赴任3,4年の若いころ(今から15年ほど前か)同じ職場で働いた方。子どもを二人連れて、貸ログに泊まった。
今の大阪の教育現場の大変さはよく話に聞く。その方も大変苦労していた。子ども二人を抱え、朝から晩まで働くことの厳しさ。親との対応、子どもの落ち着きのなさ。夜眠れなくなる。管理職から勤務評価されるだけでなく、今は、親からも評価され、それが給料にはねかえる。
絶えず周りに気を配る。授業参観や個人懇談での対応・・・・・、私にはしっかりその様子が見えてくる。ハ~疲れるなあ、こんなんでのびのびとした教育ができるのか・・・。話をしていて、私まで疲れてきた。

◆味を深める
以前よりやってみたかったことに、ベーコンづくりがある。
原っぱカフェで食事をしたとき、そこで使われているベーコンがおししかった。話を聞くと、自家製ベーコンだとのこと。大阪で一度挑戦したことがあるが、さほどうまくいかなかった。今回は、仕事でもあるし、ちゃんとやってみようということで、原っぱカフェでつかっているスモーカーと同じものを購入。そしてチャレンジ。


豚バラ肉に塩、三温糖、黒胡椒、ローリエ。
一週間、冷蔵庫で寝かす。
毎日、揉んだり、ひっくり返してお世話。

一週間過ぎたら、お肉を水で塩抜き。
数時間。
その後、風乾。

これで下準備完了。

私の場合は、コンロを熱源として、温薫。
スモーカー内部が70度以上にならないように注意しながら、スモークを2時間程度。


出来上がりの写真を撮ってなかったので、申し訳ないが、左はベーコンを小さく切った後の写真。

これは2度目のものだが、初めてチャレンジしたベーコンは、塩辛く、煙っぽくて今一つだった。 でもおいしい!

2度目はそのあたり注意して、チップの量、塩抜きも考えて取り組む。

相当おいしくできた。

6月28日 オニパンカフェ5周年!

「石の上にも3年」と書いた折々帳。それからすでに2年も過ぎたのですね。速い!恐ろしく速い!!

6月28日、オニパンカフェはめでたく5周年を迎えます。
開店して5年の年月は、それなりの変化発展をオニパンカフェにもたらしました。
最初の1年は、ただがむしゃらの日々。
続けられたのは、心温かいお客様の援助やサポートだったと思います。
「残ったら持っておいで」「毎週届けてください」そんなお客様の思いやり(配慮?同情?)
を肌で感じながら、日々、パンのことばかりを考え、製造・販売に明け暮れました。

「継続は力」当たり前のように、簡単に使われるこの言葉の意味の深さ、重さ。今までも、しばしば感じ入ったことがありました。
継続しているものは、日々進化発展していく。その場にとどまることはない。もちろん取り組む姿勢は重要な要素ではありますが。
真面目に、努力し、続けられている仕事は、必ず深まる。
今もそう思います。

この5年でオニパンカフェはどう変わったのか。
この仕事を続ける中で、何に気付いたのか。
ママに聞いてみました。

①そうやねえ、先ずはパン作りが上手になったことかな。
パンのことがわかりだして、食材やフィリングなどの研究も進んできたね。
②そして、お客様の層が広がった。リピーターさんが県内・県外も含め、たくさん来てくれる。新しいお客様も、いろんな人の口コミで来ていただける。
③オニパンカフェにただパンを買いに来てくれるだけでなく、お客様にとって、癒しの空間になっていると、最近しばしば思うようになった。だから、そのようにお客様に接していかねばと思う。
④この5年間でいろんな人との出会いがあり、そしてスタッフを始め友人やお客様の支えがとても心に残っている。
⑤近頃オニパンの通販や食パンのチラシを作っていただいたデザイナーさんが、そのチラシに書いた言葉がとてもいい!

この5つの感想のうち3つ選んで、少し詳しく書いてみたい。

①パン作り
オニパンのスタート時点では、ほぼ修行時代のあこ庵のパンの受け売りがほとんどだった。
技術的にも未熟で、一度にたくさんのパンを作ることもできなかった。朝の2時に仕事をスタートさせても、開店時に並ぶパンの種類は10数種類程度。パン生地の発酵の見極めも下手で、小さなパンが並んでいた。
それが、1年2年たつうちに技術も向上し、相当おいしい(自画自賛)パンも作れるようになった。現在は、スタッフとの共同もあるが、5時スタートでも40種類近くのパンを作ることができるようになった。
パン生地についても幅が広がった。ご近所の糖尿病の傾向があるお客様の依頼で試作した玄米生地、通販のスペシャルセットを企画する中で作られだしたカンパーニュ生地などオニパンの質を深めるパンも生まれた。

左の写真はスペシャルセットの試作品。
この中には、現在のオニパンの到達点的なパンを選りすぐり詰合せている。
これが5周年の記念的な作品か。

④オニパンカフェを支えてくれたスタッフのこと。

折々帳に、以前何度かスタッフのことを書いた。
何人くらいオニパンカフェを手伝ってくれたか、数を数えてみた。驚いた。その数は30人を超えていた。この5年間で30数人がオニパンカフェに関わって、いろいろな形で支えてくれたわけだ。このお手伝いさんのおかげで、何とか続けることができた。本当にありがたい。感謝感謝だ。
5年目にしてオニパンカフェもお手伝いという形では経営できそうもない状況に入ってきた。
何せ、年からくる疲労、そして広がりつつあるお客様。量と質の変化に対応して、もっと本格的な仕事ができる体制が必要となってきた。小さなお店ではあるが、従業員さんを雇わなければ回らない!
しかし、こんなハードな仕事をやってくれる人はいるのだろうか。私たちにとって、その不安はなかなか拭えなかった。数時間のパートさんなら何とか働き続けることはできるだろう。しかし、従業員さんとなると、朝は早いし労働時間も長い。立ち仕事は、ほんと辛いものがある。下手をすると仕事をスタートさせて10時間立ちっぱなし、休みなく働くこともある。そこで休憩(昼食)して、さらに終業までまた働くみたいな。これを続けると、1週間で腰や足に異変が起こる。寝ていて足がつることもある。それを乗り越えないとパン職人にはなれない。
このきつい仕事を続けるためには、強いパンへの情熱、黙々と仕事ができる忍耐力、そして体力。この3つの要素が必要となる。あるいは、もう逃げられない、背水の陣的な状況があるとか。または、「絶対お店を持ってやる!」みたいな強力な夢とか。
とにかく、パン職人になりたいなあとか、軽い思いだけでは続けられない。

就業規則に3か月の試行期間を設けている。3か月の勤務状況を見て、正式に採用するかどうかを見極めるというわけだ。そうしないと、雇う側も、雇われる側も、困ったことになる。
私とママは、3か月の試行期間の設定はとても大切だと考えた。それを乗り越えた人は、きっと立派なパン職人となると思った。

オニパンカフェ5周年の財産として生まれたのが、従業員さんと思う。
この6月より正社員さんとして、石井宏枝さんが働いている。
厳しい~3か月を乗り越え、ほぼ、私の片腕として朝早くからパン作りそしてカフェの手伝いもこなしている。
彼女のパンへの情熱は相当なものである。通ってきたパン教室の数を聞くだけでも、すごいものがある。将来はパン屋開業を目指している。やはりそうでなければ、続けられないとも思う。いつかは独り立ち、これが人間の当然の欲求だ。「教育とは独り立ちするためにある」とはよく言われたこと。宏ちゃん、独り立ちするために頑張って!
私の場合は、独り立ちできなくなってきているのだが・・・。


宏ちゃんは津久見市出身です。教員免許も中学校・高校と持っています。
学校関係からパン屋へと大きな転身。几帳面な性格なので、パンの成形もきれいです。デニッシュは全て宏ちゃんがつくっています。
ちなみに背景のバタールは宏ちゃん作。

⑤チラシに書かれたデザイナーさん(すが原さと子さん)の言葉から

オニパンのスペシャルセット(通販)を作ってみようとの発想から、知り合いのつてで、大分市のデザイナーさんに相談を持ちかけた。デザイナーさんといっても、プロではなく、趣味でやっている感じの方。塚原高原観光協会のマップもこの方の仕事だ(とっても好評なのだ)。
私のいとこが、大分の「豆の力屋」で働いているのだが、なんとそこで週に何日か働いているとのこと。世間は狭いなあ。
会って相談したのが12月。ほぼ半年がかりで、じっくりと案を考えてくれた。
私は、なかなか原案を見せていただけないので、仕事をしてないのではと思っていた。
5月頃になって、案を持ってお店に来ていただいた。そこで私の浅い予見は見事はずれ、さと子さんの熱い思いを知り、驚き感嘆させられた。
私たちがお願いしていたことだけでなく、オニパンのマスコットキャラクターまで考えてくれていた。ノート1冊にさまざまな試行錯誤の跡が記されていた。
オニパンのチラシを作る作業は、先ずオニパンがどういうパンであり、どういう思いでオニパンカフェを運営しているのか、マスターとママの思いを知らなくっちゃあ、ということで折々帳をすべて読みじっくりと考えてくれていた。私はさと子さんの話を聞いていて、「なんとピュア~な人だ!!」と感動した。人間的で誠実な人だからこそ、こんなチラシがつくれるのだ!デザイナーとは、ただ見た目や美しさだけでなく、商品の本質をどう伝えるかというところで腕が試されるのだと初めて知った。

「パンの数だけ笑顔がふえますように。」
という言葉がチラシの中にある。

この言葉をママがとても気に入っている。
いろいろな事情で元気をなくしている大阪時代の友人にパンを送った。すると、その友人はとてもうれしかったらしく、ママに喜びの声と同時に通販のセットを注文してきた。その送り先は別の友人だった。その友人もまた、親の介護のことやらで苦労しているとのこと。パンに人の思いがこもり、「パンが人と人をつなぐ」(ママの言葉)。これって、「パンの数だけ笑顔がふえますように」ということだわ。
さと子さんの最後の一行に、すべてが集約されていると気づかされる。

オニパン5周年で気づいたこと。パンが人と人をつなぎ、笑顔がふえていく、そんなパン作り、そんなパン屋を目指さなくっちゃあってこと。

いろいろとわかってきた5周年。まだまだ、がんばらなくては。

今後とも、オニパンカフェをよろしくお願いしますね。

 

パン屋の休日 塚原の山を登る №114

ついに憧れの山を制覇!それは富士山でもエベレストでもありません。
身近な身近な山。私たちが暮らす塚原高原にそびえたつ鞍カ戸(くらかど)岳、内山、伽藍(がらん)岳。
 つらいですねえ。私のパソコン技術だとこんな風にしか写真説明ができない。とりあえずわかるでしょうから我慢してください。
塚原から見える山容です。この姿を見て、地元の方々は涅槃像といわれています。確かにそう見えてきます。神秘的で、侵しがたい雰囲気を感じさせます。
私とママは、いつかこの山を制覇し、この山のてっぺんから、塚原を見下ろしてみたいと思うようになってきました。塚原に生活して、丸5年。美しい塚原高原になくてはならない山々。この山々に登ることは、塚原を深く知っていくうえで、必要欠かせない条件かも。

鞍カ戸岳は、尾根伝いに鶴見岳へと続く。塚原から猪せ戸(やまなみハイウェイ)に抜けるエコーラインの峠あたりにある鶴見岳西登山口より入る。味気ないがれ場を馬の背までのぼり、左方向へ道をとると鞍カ戸へたどれる。
鞍カ戸には、Ⅰ峰、Ⅱ峰、Ⅲ峰があり、Ⅲ峰が一番高く、また頂上としても立派で見晴らしもよい。
鞍カ戸Ⅲ峰に向けての馬の背という尾根道は、まさに馬の背のような切り立った道だ。所々はしごやロープがあり、結構スリルがある。

1344mの鞍カ戸岳頂上。西には由布岳を眺望し、北下には塚原が。ついに、見たぞ!
塚原を上から見下ろせた!しかし、塚原全体が見えるわけではなく、立石山のふもと、塚原牧場あたりは見えるものの、それより南の地域は下の山が邪魔している。
この尾根道の先は、舟底(ふなぞこ)と呼ばれる谷に続く。そして内山、伽藍岳がその先にあるわけだ。4月10日は、ここまでで、引き返す。次回は、伽藍岳方面(塚原温泉)より内山を制覇するぞ!

5月8日、塚原温泉手前。何と清々しい天気か。空は澄み切ったブルー。若葉が黄緑葉(紅葉に代わる言葉はないのか?)して、まるでゴッホのような色彩に彩られる景色。

山肌が削られた鉱山の色も複雑で美しい。さまざまに色が混ざり合う。
塚原越より内山に向かう。塚原越は、明礬温泉に続く道や内山・鞍カ戸・鶴見岳縦走路の起点ともなる。

塚原越から明礬に続く険しい登山道がある。
「兎落し」と呼ばれるその道に踏み入ると10メートルほど先に大きな岩があり、その下より、蒸気が噴き出している。熱い。
次回は、この道を踏破してやろうと考えながら、また内山の方へ足を進める。

内山頂上に向けての道は、ほぼ尾根道。ここも、鞍カ戸岳同様、両側がけわしい崖になっている。鞍カ戸に比べれば、まだ道もしっかりしていて、案外緩やかで歩きやすく、心地よいトレッキング道みたいな場所も多い。そうかと思えば、ロープにしがみつき、急斜面に張り付くようなところもある。刺激があり、面白い!景色もいい!眼下に別府湾が広がり、日出、杵築、国東まで眺望できる。ママは、内山がとても気に入ったようだ。

内山より塚原を望む。鞍カ戸よりも広く、塚原全体が見渡せる。

内山頂上付近で、扇山方面へのポイントがある。この道もいつか制覇してやろう。

この先は、頂上から舟底へと続く。
舟底は、急斜面で、雨の日などは転げ落ちる危険性もあるとのこと。今日はママと舟底への冒険を決行する気で家を出た。


内山の頂上で記念写真。

頂上から大分方面を望む。

舟底に着いた!やっぱり急だった。しかし、転げ落ちるほどではなかった。舟底は、とても広い。巨大タンカーのの舟底だ。景色もよく別府湾が一望。反対に別府から見れば、ここがしっかり見えるのもうなずける。

反対を見るとこんな感じ。右斜面が内山側、左は鞍カ戸側。なぜか、太い大きな鉄のパイプが横たわっていた。

さて次回は、塚原越から、明礬温泉へ。
「兎落とし」の難所だあ!

5月15日。塚原越から、一気下降し、明礬温泉へ出るコースはいかがなものかと考えた。
やはり山は登るものだ。それで、明礬温泉から塚原越へ、登ることにした。途中、秘湯、鍋山の湯を通るコース。この秘湯は、2年ほど前か、殺人があった場所だ。現在は通れるようになっている。途中に立札。左はへびん湯、右は鍋山の湯。

途中。開けた道。左は大平山(扇山)。

鍋山の湯近く。まさに禿鷹のような場所。所々より、ガスが噴き出している。塚原温泉の付近とよく似たような雰囲気がある。

ここだあ!鍋山の湯だ。こんなところでお風呂に入るのは、ちょっと勇気がいるなあ。
特に夜は真っ暗で怖いだろうな。
温泉は熱い!!湧水で薄めていた。

ここから、塚原越へ挑戦。道はよくわからんが、何とかなるだろう。

甘かった。アマちゃんだ。何とかなるだろうと、テープを頼りに登って行ったものの、途中で道を間違えてしまったようだ。大変なところに足を踏み入れる。

怖かった。これでおしまいかと思った。急斜面。足元は、乾燥した土。ぼろぼろ。岩も多い。
上を見上げた。すると、たくさんの岩が土より露出。一つ岩が崩れれば、次々と崩れ落ちそうな場所。実際、たくさんの岩が下に落ち積み重なっている。我々の足が、衝撃を与えれば、それでおしまいになりそうな状況が・・・。

「ママ、ここは、非常に危険だ!!何とか横に行って、木が生えている場所へ移動しよう!!」
私の意図が通じているのかいないのか、ママは怒ったように、「そんなこと言ったって、動くの大変なんやから」と、なかなか動こうとしない。
文句言っている場合やない。ここで死んだら、しょうもない。こんな死に方は、意味がない。
私は、冷や汗を垂らしながら、必死で、移動。ママもこの状況が理解できないまま、私の後を、文句を言いながら移動。とにかく、助かった。あ~こわ。

このあと、道なき道を、必死で登る。すると、何とかちょっと道っぽいところを見つける。
おお!靴の跡らしきものがある。助かったかも!
すると、下で、ママの声。「あ~、大変やあ。頭をうったあ!首が~!晃英さん、助けて~。」
これは嘘ではない、ホンマの話。
私は慌てた。ママにいったい何が起きたのか。火事場の馬鹿力か。さっと、ママの所へ降りていった。太い木の枝が横に張り出している下にうずくまるママ。「う、動けない。」とママ。
斜面に取付いて登っていて、頭を上げたとき、上に木の枝があったわけだ。無防備に頭を打ち付け、足まで電気が走った。それでしびれたようだ。

その直後の写真だ。ママを後ろより撮った。
しばらくこのまま休憩。下は転げ落ちるような急斜面。これが「兎落し」か。

この後、二人は、正式な登山道を発見。案外しっかりとした道を、塚原越まで歩く。
ついてみると、この道は、「兎落し」ではなかった。塚原越から始まる、十文字原へ続く道だった。ということは、まったく正式なルートではない道を横切って、うまく違う登山道に出くわしたというわけ。それにしても、あぶない山行だった。

というわけで、次回は、「兎落し」を、塚原越から、明礬温泉の方へ下ることにした。これならば、間違うことはないだろう。