サイクリング

先々週の火曜日、ママとサイクリングに行きました。休みの日には必ず運動をするようにしています。パン屋の立ち仕事は、とてもハードで、50を超えたじじばばの私たちには、かなり応えます。夜寝ていて、足がつったりもします。とにかく足腰の強さ、柔軟性を維持することが、パン屋を続ける限り大事なことだと思っています。
ママと一緒だと、ツーリングもなかなか大変です。と言うのは、坂道などに入ると、ママは必ず自転車を降りて押すからです。だから、一緒に運動をしようと思っても、バラバラ状態になり、あとで「どこに行ったのかなあ」と探しまくるのがおちです。この日は、そうならないように、トラックに2台の自転車を積み込み(1台は私のスポーツ車、そしてもう1台はママの重~いママチャリ、なんせ前と後ろにでかい籠がつき、後ろは分厚い古びた、びにいるカバーがしてある)できるだけ坂のなさそうなところを走ろうと安心院方向へでかけました。
県道617号線を安心院方向へ進んで行くと、正面向こうに、素敵な景色が


見えてきます。この写真ではうまく見えませんが、道の先に、そそり立った岩山と美しい紅葉の木々たち。そこで、道路わきにトラックを停め、いざサイクリング。
気持ちの良い坂が続きます。結構長い坂に、内心、帰りの不安も募って来ます。まあ、深く考えず、今を楽しめ!・・・
その美しい紅葉の岩山は、「仙の岩」と呼ばれ、耶馬渓に続く岩盤地帯の範囲の中でも、特に見事な景観を擁しているとのこと。以前より前を通ってはいたものの、立ち止まって見上げると、ほんときれい!迫力!よし、仙の岩のてっぺんに登ろうと決め、足を踏み出しました。
この岩の上の方には、結構古いお寺があり、昔、修行の場として使われていたとのこと。途中「ぼけ封じ」の仏像があったので、私とママは先を争って        
お参りを。
結構、きついのぼりを制すると、安心院や湯布院方向の景色が眼下に広がります。それは、一汗かくにふさわしい、なかなかの美しさでした。

仙の岩より津房川上流、湯布院方向の景色です。

こちらは、反対の安心院方向。まだまだ、紅葉がきれいでした。

さて、サイクリングはその後どうなったのか。仙の岩よりトラックを停めておいた「こびら」と言うところまで、苦しい登りを続けました。足ががくがく。ママは「先に行って、トラックを持ってきて」と言って、マイペース・・・。
しかし、仙の岩に登れて、なかなかいいお休みの日となりました。

サイクリングの良さに目覚め、ママはママチャリをやめ、新しい自転車を購入!それも、何と、電動自転車。これだったらどこへでもいけるでしょう。

窯について

オニパンカフェに新しい三段の窯が入って来ました。今使っている窯はとても気に入っているのですが、最近のパンの量からすると、かなり無理が出ていました。三段の窯がいよいよ搬入されるということで、期待に胸膨らみます。

このオーブンは(中古で購入)結構新しそうで、コントロールパネルも細かく分かれ、タッチパネル式。気をつけないと違う表示をタッチしそうになります。(う~んこれは、中高年向きではないなあ!)でも、これで、安心してパンをつくることができるぞ!試し焼きをしてみると、お~何とふっくらと焼きあがることか。流石新しいタイプのオーブンは違うなあ!と感激。でも、ちょっと引っかかるものが・・・。
それは、庫内の様子。今までとは違い、炉床が白っぽいボードのような板になっていること。今までのは、石のタイルが敷き詰められていました。天井部にも石が装着されて。

翌日は営業日。菓子パンは調子良く焼きあがります。でも、フランスパンが・・・、うまく焼けません。ふっくらと膨れるのですが、パリッとしません。そして、クープがぼわ~っとします。エッジが立ちません。
しかし、それ以上にショックなことが起こりました。それは、クレセントという、オニパンの看板商品が全く別物に焼きあがります。オーブンの個性や特徴をつかめてないからうまく焼けないのではと、いろいろと三日間試しました。それで確信したことは・・・・。
このオーブンでは、まっとうなフランスパンは焼けないということでした。

ちょっと専門的なお話になって、パン素人の方にはついていけない議論となってしまいますが。
新しく購入したオーブンは、庫内が石でできていないため、蓄熱性が弱く、戸を開けてパン生地を入れる間にぐんぐん庫内の温度が下がっていきます。その落差は20度近く。そして、設定の230度まで温度が上昇するのに10分以上もかかります。おかげさんで、ふわっとした焼きあがりは確保できるものの、表面のパリッと感や鋭い焼きあがりは台無しになります。その点、石床のオーブンは、戸を開けても低下温度は5度程度、そして戸を閉めてからの温度上昇の早いこと、すぐに230度に到達していきます。
恥ずかしながら、パン屋でありながら、最近までクープ生成の仕組みがわかっていませんでした。
スチームの出方もクレセントにとってはとても大切な要素となってきます。前に使っていた窯のスチームの出の良いこと。そのスチームが生地の表面を湿らせ、輝くような艶を作り出します。すべすべと光っているような。それが今回のオーブンでは、全くできません。
3日間フランスパンが出せない事態で、私はお店の将来に危機感を感じました。当たり前のように焼いていたフランスパン。でもそれは決して私の腕前ではなく、窯の力が大きかったこと。「なくして初めて知るその存在の大きさ」私は、お世話になっている設備屋さんに泣きこみました。「何とかしてください!!!」
ツル企画ファイブという会社の方々は、話し合い、オニパンカフェから下取りした窯(それは、別のパン屋さんにもらわれていくことになっていたそうですが)に、別のオーブンの1段を合体し、何とオニパン用に3段窯を製作しようということに。ツル企画ファイブの皆さんは残業し、二日間くらいであっという間に3段窯を完成させました。

別々のオーブンを合体させるのですから、多少のちぐはぐはでてくるのでしょう。コントロールパネルは上と下で左右逆に。上の我が愛する2段石床スチームオーブンは点火や照明もコック式。下は菓子用のオーブンらしく複雑なタッチパネルに。細かなところで合体のために工夫がされています。先日観たレンタル映画「アイアンマン」のような機械仕掛けがうれしいオーブンです。
戻ってきた「恋人」を大切にし、それを実現させてくれた人々に感謝しながら、さらにおいしいフランスパンを目指していかねばね。

窯について

昨日は、市民劇場があり、チャールズ・ディケンズ原作の「クリスマスキャロル」を観に別府まで行く。その途中、ちょっと寄り道して、先週行ったエコーラインや由布岳正面登山口へ。しかし、あの『感動』の紅葉(茶葉)はそこになかった。青春時代のように――気がつけば過ぎ去っている。美しい時は一瞬。その一瞬を見逃さないこと。しっかり味わうこと。そんなことを考え始めたのは一定の齢を重ねてきたからなのか。残りの人生をつい意識してしまうからなのか。いえいえ、まだまだ、若い若い・・・。
ディケンズと言えば、私には青春時代に思い入れがある。青春真っ盛りの高校時代、「オリバー!」というミュージカル映画を観た。マークレスターと言う子役がとても素晴らしかった。貧しい孤児のオリバーツイスト。そのオリバーを援助し助ける酒場女がこれまた素敵な人で、確かシャニ・ウォリスと言った。その影響もあり、学生時代「二都物語」や「デビッド・カパーフィールド」も読んだ。ディケンズは弱い立場、貧しい人々の立場に立って人間らしい生き方や人生の応援歌をその作品の主題としている。「クリスマスキャロル」も同様に心洗われる中身だった。終演後キャスト全員が舞台に立ち「清しこの夜」を歌った。観客と一体となったその歌の響きはじわじわと私の涙腺を刺激した。
忙しい日々の生活の中、人間関係も何かとややこしく、ともすれば、私たちは自己防衛的、自己中心的な発想に陥りがちだ。しかし、それぞれに人は幸せを求めて生きているわけで「他人のために祝福する」心の余裕もほしいものだ。クリスマスの日はそれを考えさせてくれる日だとわかった。
「あれっ」・・・、窯について書く予定だったのに。
今日のタイトルは「ディケンズ」でした。窯は次回です。

紅葉真っ盛り

湯布院塚原に来て2年目の秋。昨年は、それほど紅葉を意識することもなかった。毎週、由布岳を取り巻くように続く617号線を塚原高原より湯布院へ下りていた。塚原の人たちは湯布院のことを「した」と言う。「した」に向かう道は由布岳の山裾を左に見ながらぐんぐん下っていく。ちょっと暗い茶色に焦げたような紅葉が広がり、特段美しいとは感じられない秋だった。
今週の月、火と大阪時代の知人で現在、福岡で働いている若い女性のヒロヤンがオニパンカフェにやってきた。彼女は、オニパンカフェのしきたりを良く知っている人だ。しっかり働かないと一宿一飯の恩恵を被れないことは了解済み。今回も、バンジュウ洗い、厨房の床磨き、夕食作りなどがんばってくれた。その彼女に、せっかく塚原まで来たのに、働かせてばかりでは悪いと、ママと私3人で朝食に湯布院の「マルク・シャガールゆふいん」へモーニングを食べに行った。この店のオーナーさんとは知り合いで、最近お店に出した自家製の「クロッカン」をすすめられていたので、一度行かねばと思っていた。
3人で「した」へ向かう道の光景が、昨年のそれとはまるで違うことに気がついた。塚原のドングリ茶屋を出て進む道の両側の木々の紅葉の美しいこと。さらに由布岳を迂回し下へ下りると、左に広がる景色に心奪われた。笹や萩等の草原の色は黄色茶色黄緑えんじ色の絨毯のように地を覆い、そこに生えている低木の木々の大きな葉っぱは変化のある茶色に彩られている。「あ~きれい!」3人は思わず声に出しながら「した」に下って行った。
「マルク・シャガールゆふいん」でゆっくりと朝食をとり、例のクロッカンも買って、塚原へ戻る。今度はのぼり。下りよりもしっかりとその紅葉(茶葉)の美しさが目に焼きつく。そのとき、(もしかしたら)とひらめくものがあった。オニパンに来たお客様が「エコーライン、通ってきたけど、きれいやった」との言葉を思い出した。オニパンには戻らず、そのまま、エコーラインへ。(う~ん、これまたきれい!)特に、紅葉した樹木の間から垣間見える由布岳斜面の紅葉がまた美しい。3人の探索はこれで終わらなかった。エコーラインでさらに、弾みがつき、「猪の背戸」から由布岳正面登山口の方へ。
そこは、もう圧倒だった。ちょっと表現しようのない世界が広がっていた。小雨降りしきる雨の中、「雨が~こつぶうのしんじゅなら~♪山は~えんじ~の夢せかい~♪」(わかるかなあ、橋ゆきおの歌だけど)みたいな調子でうっとりひたりきってしまった。この年になるまで、紅葉でこんなに走り回ったことがなかった。ヒロヤンのおかげで、貴重な一日を過ごさせてもらった感じだ。付け加えて言わせてもらうと、翌日(つまり今日)も、雨の中、私はカメラを持って、同じコースを・・・。ほんと、どうしようもないですね。うまくカメラで表現できるかどうか分からなかったけど、近場の方には、今週の土日くらいまでに来てみたらと思って載せました。紅葉と同様、草紅葉と言うのか(えびの高原もそんな感じなのかなあ)茶色のグラデーションの美しさ是非一度見てほしいです。

小雨に煙る「雨のエコーライン」

晴れた青空のもとでは、この色がさらに美しく燃え上がると思います。今週が見ごろでは。(11月11日朝)

パン屋の修行時代(終了後)

2007年10月中旬。あこ庵の修行を終えた。苦悩した修行の期間だった。あこ庵の社長近藤氏から言われた「パンだけを見なさい」という忠告。それは、私がパン作りの技術習得よりも、周辺の人間関係に振り回される姿を見てのアドバイスだったのだが、その言葉の通り、最終の一カ月はパンだけに集中した。今まで見えてなかった、パンの姿が鮮やかに私の目に飛び込んできた。回り道をしながら、やっとパンの道にたどり着いたと感じられた。それにしても、何と言い訳がましい自分だったのか。職人さんの中で、自分を認められたいばかりに、言い訳をする。自分の主張をする。そんなに口にしたわけではなかったが、心の中で、叫んでいた。自分の中に明確な目的意識や目標がないから、言い訳をついしてしまう。言い訳は中身のない自分、自信のなさのあらわれ。本当に人生勉強の7カ月だった。その後、2008年1月と2月、日本パン技術研究所の短期コースに入学した。ここは、日本を代表する大手パン業界(ヤマザキ、フジなど)の社員さんたちや製粉業界の社員さんが研修に来る第一線のパン学校。朝8時半より午後5時までパンの理論と技術を学んだ。イーストを使って、より効率の良いパン作りを目指す技術指導はあこ庵で学んだパン作りとは対照をなすものだった。大量生産、長期保存性、経済性などを追求するパン作りとその研究。有名パンチェーン店が、冷蔵パン生地を購入して簡単にパンを作っている実態などを知った。気に行ったパン粉を選別し砂糖、塩、油脂などそのすべてにおいてこだわってパンを作るリテイルベーカリーが希少、貴重な存在だと改めて感じた。生地を柔らかくするためには、生地調整剤が必要だと言ってしまうと、もうそこで終ってしまう。手作りの技術や工夫などを学ぶのではなく、工場生産のための研究開発が目的のような感じだった。しかし一方で生地がおいしいパンになるための科学的な研究はすごいものがあるなと思った。あこ庵で学んだパン製造技術とパン製造の理論の大事さがよくわかった。
そして、3月、塚原にやってきた。不安は大きかったが、とにかく道は一本しかない。パンの道。

パン修行終了後、東北へ一人旅に出ました。三陸海岸の遊覧船にて。現在の愛車、ホンダCD250U。この愛車に乗って、大阪から東京へパン修業に行きました。修行が終わり、また大阪へ。その帰阪途中の恵那山トンネルでの出来事。恵那山トンネルはとても長いトンネルで、100キロで走っていても、有に15分は掛かるほどのトンネル。そのトンネルの路面はとても悪い状態で、ハンドルがとられそうになります。100キロで走っていたらこけそうになるので、80キロ70キロとスピードを緩める。そこへ後ろから大きなダンプ。「おらおら、そこのけ」ってな感じで、直後に迫ってくる。私は、スピードを上げようとしましたが、するとハンドルがガタガタと・・・。真っ暗なトンネルの中で死と隣り合わせた恐怖の10分間。(こんなに苦労してパン修業を終えたのに、こんなところで死ぬのかなあ)ほんと、人生最大の恐怖でしたねえ。トンネルを抜け出した時の安ど感。これはなかなか人に伝えきれないものを感じます。もう二度と恵那山トンネルはごめんです。