第2工房に魂が吹き込まれた

昨日水曜日、待ちに待ったその時がやってきた。第2工房の命名の儀式だ。工事を始めて2年。その準備段階からしておよそ3年の年月。いろいろな困難があったよなあ。まさかこんな立派な工房が出来るとは思いもしなかった。初めは恐る恐る木を切り倒し、ユンボで土地作り。どんな方法で工房を作ろうかと空想するような体。また農地を宅地に変更するために法務局に何度足を運んだことか。人に頼んでやるのではなく、基本自分でやっていくことに徹してがんばった。もちろん、家を建てるのは専門家でなくては出来ないが。

そんな苦労と夢が詰まった第2工房。名前はしっかり考えよう。そして見た目もそれなりに良い物に。文字はお隣の書道家「忘路軒」の女将にお願いした。そして、名前は・・・・・「塚原食パン研究所」!!!

にしようと心密かに決めていた。しかし、いざ発注しようとした瞬間心に迷いが生じた。「ちとハズイ。かっこつけすぎ。」・・・・やめた。

それで、名前は「塚原食パンFactory」とした。塚原食パン研究所は英語で別の壁の方へラベルシールで表現。では、ご披露することにしよう。ジャ~ン!

どうですか、命吹き込まれた感じでしょう。命以上の「魂」を私は感じています。

この看板を作ってくれた看板屋さんは別府店のロゴサインを作ってくれた人でもあります。そして、私の高校時代の一年後輩。しかも同じ山岳部だった人。吉浦くん。

いい仕事をしてくれました。高校時代はとても頼りなくて(人としてという意味ではなく体力面で)、強烈な思い出があります。私たち鶴見ヶ丘高校山岳部はへなちょこクラブで真剣な練習もしない「なんちゃって山岳部」。そんなクラブが顧問先生の指導で、大分県の山岳部の県体に出場することに。二日間に渡って、久住連山を縦走する試合。一日目ハードなコース、先頭を行く私(実は私はキャプテンだった)の後ろで「ドサッ!」という倒れる音が。振り返ると同級生のN君が失神している。私たちチーム5人はその時点で失格。そしてこのコースは無理だろうということで女子のコースに変更させられました。そして翌日、このコースならなんとかなるだろうと進んでいると、今度は吉浦君が足をつって、女子のコースからも脱落。今では笑えるが、なんとも情けない県体の試合となりました。吉浦君はそのことを覚えているのだろうか。

さて、そんな吉浦君は今では立派な看板屋さん。近頃、体調が悪く、私が電話したとき入院中で、代わりに娘さんが仕事を受けてくれました。娘さんが跡をついでやってるんだあ。彼は、すぐに退院して、一緒に看板の仕事をやっていたようです。そして昨日、出来た看板の取り付けにやってきました。

二人で話ながら一緒に仕事をしている。良い感じです。彼も高校から今までいろんなことがあったでしょうね。しかし、娘と一緒に仕事が出来るなんて、うらやましい。

帰るのを引き留めて記念写真を撮らせていただきました。

笑顔が素敵な娘さんです。なんか、うるっときましたよ。がんばってね!と声をかけました。