クリスマス

クリスマスがやってくる。若いころは、なんだかウキウキして、クリスマスイブの街中を歩くだけでも、ロマンチックな気分になったものだ。さて、それから二、三十年、クリスマスのことは意識が薄れたような年月を過ごしてきた。パン屋を始めて、季節に敏感になり、そして、若いころのようにクリスマスにも意識が向いている。
一つはクリスマス向けのパンの製造だ。
高校時代の同級生で我がオニパンカフェにも何度も来てくれたU君。別府で不老軒という和菓子のお店をやっている。オニパンに来られるFさんというお客様がお土産を持ってきてくれた。それは偶然にも不老軒がつくっているクリスマス用の和菓子だった。「へ~」と思いながら、開けてみるとそれは、感動ものだった。とても愛らしいサンタさんのお顔のお菓子と色鮮やかなクリスマスツリーのお菓子。「クリスマスと言えばケーキ・西洋の祝日」という常識に抗して、我がU君のお店はこんな作品を創っているのだ。この和菓子だったらクリスマスでも買う気になる。立派だなあと恐れ入った。


オニパンカフェでは、パネトーネというイタリアのパンとケーキの中間のお祝い菓子を作っている。これが売れるといいなあと期待をしているわけだが・・・。
さてクリスマスを意識する二つ目の理由。これは、以前の日記にも書いたのだが、クリスマスの意義・意味がある。キリスト様の誕生日くらいしか考えなかった以前。しかし、市民劇場の「クリスマス・キャロル」という劇を観て、「すべての人々を祝福する日」みたいな意味もあるのだと知った。たとえ、それが違うとしてもそんな日が一年に一日ぐらいあってもいいと思う。「戦場のメリークリスマス」「クリスマス休戦」などの言葉がある。戦い、憎しみ合う人同士でもお互いを認め合い、尊重し合う日。
生活がままならず、ぎりぎりで生き暮らしている人々にも、平等な生存の糧が与えられる日。
小・中・高時代の同級生のS君。無鉄砲で自由な生き方に一種、畏敬の念を抱いたこともあるS君。彼は近ごろしばしばオニパンにやってくる。パンをいっぱい買う。「どうするんだい、そんなにパンを」と聞くと、明日「マザーテレサの会」があると言う。「何、それ?」「家のない人とか、支援する会」
S君はそんな活動をしてるんだ、と私は驚く。
クリスマスがやってくる。すべての人々に平和が訪れることを願ってやまない。