帆足家本家 富春館へ

お休みを利用して、大分市戸次の帆足家本家・富春館へ。ママと「12の月」の女将さんと3人で。
大分県で生まれ育ちながら、全く大分のことを知らない私。富春館に近付くと、その通りは、幕末・明治時代にタイムスリップした錯覚に見舞われる。

大分市の指定有形文化財に指定されているとのことで、母屋、蔵、酒蔵など広い敷地に歴史を感じさせる佇まいを見せている。
母屋は、一部が雑貨のギャラリーとなっている。そこへ足を踏み入れると、富春館の奥様が迎えてくださった。
二週間ほど前に、我がオニパンカフェにご主人ともどもやってきてくれ、オニパンを高く評価してくださったので、私たちも、一度帆足家本家へ行ってみようと言うことになり、訪れた次第。
奥さまは私たちを憶えていてくださり、ママの手をとり、「まあ、オニパンさんのママ!」と喜んでいただき、こちらも恐縮。
歴史、格式を全く感じさせない富春館のご主人と奥様の気さくな対応。人間的でいいですねえ。

帆足家は酒作りを江戸末期より昭和47年までしていたそうだ。酒蔵を見学すると、私の酵母作りへの関心が、むらむらと湧きあがる。初めてみる酒酵母作りの過程や道具にちょっと興奮。

左の写真、車が止まっているところが酒蔵です。中は見学ができるようになっています。

さて、お昼ごはんは、昔の質蔵をカフェに改造した桃花流水(トウカリュウスイ)でいただいた。テーブルの天板は酒樽の蓋、脚はせいろを使用。梁や土壁は当時のものをそのまま残している。落ち着いた空気。昔のものは、その中に、人々の生活や感情様々な出来事を染みいらせ、色や質感などをつくりだしているのだろう。想像力のある人ならば、感じるものももっと深いものになるのだろう。
ママは、後学のために、日ごろの食欲を抑え、サンドイッチを注文。私は、赤牛のハンバーグ。「12の月」の女将も、これまた後学のためか、パスタを注文。

パンは、トーストしていました。
コーヒーが量の入る器に。ちょうど良い濃さでした。

私のハンバーグが一番量がありました。スパゲッティもついていました。女二人は、「後学のため」ということで、私のハンバーグを味見していました。


 スパゲッティはおいしかったと「12の月」の女将は言っていました。私は食べることができませんでした。

大分市戸次にこんなお店があるとは知りませんでした。
帆足家本家のすごさは、カフェやレストランだけでなく、「一楽庵」というお饅頭とお酒のお店も持っていることです。
ママと女将はやはり、このお店によって、お土産のお饅頭を買っていました。
半日楽しめた、パン屋の休日となりました。

芸術の秋(太田久美子ライブコンサート)

まだまだ暑い日が続いています。秋とはいえぬこの気候ではありますが、暦の上では秋ということで話をすすめます。今週の月曜日、オニパンのお客さんでもある別府の太田久美子さんのライブコンサートに行って来ました。片付けもほっぱらかして、7時開演のライブ会場へ。「きみまろ」ならぬ「くみまろ」と自称するするだけあって、会話はいつもシャレと笑いにあふれています。60歳(?)の彼女のラストステージ?かもしれないとのことで、一度は見ておかないとと駆けつけました。
全国大会でグランプリをの栄冠に輝いた彼女の歌唱力は本物でした。ご主人と息子さんに支えられ、お金を掛けないステージ作り。しかし、衣装は紅白なみの立派なものでした。私が凄いとかんじたことは、このライブコンサートを開くまでの彼女の努力です。
全てが手作り。チケットも彼女の得意の「トトロ」のイラストを使ってラミネートで。驚いたのは、コンサートの着替えの幕間で、じゃんけんゲームをするのですが、商品が大きなトトロの絵。それが、一枚を完成するのに何日もかかるような立派なものばかりなのです。ここに披露できないのが残念です(じゃんけんゲームに勝ててたらなあ)。
オニパンのお客様も何人か来ていました。それも、太田久美子さんが、かなり積極的に誘い、そのパワーに圧倒されての参加。何が出てくるのか疑心のこわごわ参加ではありましたが、予想をはるかに超えた素晴らしい歌声に、ライブ会場も盛り上がりました。50席目標が60人を越える参加者とのこと。太田さんの人生にとって輝かしい一日となったことでしょう。

左がコンサートのチケットです。全てが違うイラストで、最後のくじ引き商品の際に、「何々の絵を持っている方、3等賞で~す!」みたいな感じで使っていました。

縄文em工房②

大阪の友人が主催する縄文em工房についての続編です。
オニパンカフェのために、バターこね器を製作してくれたお話は、前回書きました。
その酒井さんの作品をぜひ紹介したく、再度折々帳での登場です。
陶芸の趣味から始まって、行き着いた先が縄文時代。一万年前にこんなすごいものが作られていたことに驚き、彼は縄文の世界に引き込まれていったそうです。門外漢である私に、熱っぽく語る彼の言葉が、少しずつしみ込んできました。
「縄文人はすごいぞ、日浦くん。彼らの生活は厳しかったかもしれないが、心は豊かだったはず。いや、結構生活も少しは余裕があったかもしれない。でなければ、時間を掛けて、こんな美しいものを作れるはずがない。」
確かに、今の私たちにない生活のゆとりがあったのでしょう。
酒井さんの話を聞いていると、縄文時代が桃源郷のような素晴らしい世界に聞こえてきます。
貧富の差のない、対等自由な世界。厳しくもあれ、助け合って生活する人々。縄文の女性たち皆が、芸術家だったのだろうか。巧みな技を身に着けていたのだろうなあ。

縄文土器の魅力は、私たち素人の目から見ても、わかりやすい。形の奇抜さ、シンプルでありながら現代でも通用するデザイン性。紋様の面白さ。土偶など、まるで宇宙人のような・・・・とらわれない自由な創造性、表現力。
一般庶民が、これほど、の感性を身に着けていたくらしとは。一体縄文時代って、どんな世界だったのだろう。

酒井さんは、縄文土器のレプリカから始まって、現在は自分なりの
作品を製作しています。左の作品は花瓶として使えるように釉薬を塗ったそうです。
大阪の彼のギャラリーに訪問した際に見せていただいたのは、実物大の大きな大きな丸い土器。それに水が「ポチャン、ポチャン」と落ちる音が響く仕掛けをしていました。
凝り性の彼らしい大がかりな作品でした。


右の作品は、数年前、彼から頂いたもの。湯布院でパン屋を開くことを彼に話していたら、店の前にでも、魔よけとして置いておいたらと言われました。
現在は、家の中で、飾りものとして使っています。

縄文土器の素晴らしさは、それをつくりだす人々の豊かさにつながっているはずです。
私たちも、もっと豊かにならなければと、縄文土器は語りかけてくるようです。

塚原の日の出

自然の持つ力を感じながらのパン屋生活です。私のパン工房は、私のものであって、私の一日の大半を過ごす場所なのだから、私にとって過ごしやすい空間に日々リメークされていきます。暑~い夏をやり過ごすため、私のとっている対策は「開けっ放し作戦」。いたるところの窓や戸口を開け放す。工房には、大型機械を搬入するための、大きな開き木戸があります。幅も高さも2メートル以上ある大口径の戸口を開けっぱなす。もちろん、そこには網のスクリーンを張ります。大型機械が道路よりまる見え状態ですが、カッコなんて言ってられません。機械にも人間にも心地よい涼しい風が入って来ます。
その開けっ放しの戸口は、外の世界と私の空間を一体化させる効果も持ち合わせています。塚原に住む朝起きの方が5時ごろ散歩のついでに、私に道路より声を掛けてきます。「おはようございます。」
少し明るくなってくると、鳥のさえずりが聞こえてきます。都会にいるときには聞いたことのないような、明るく楽しく、長~いおしゃべりの声。こちらまで楽しくなってくる小鳥の声です。
パン生地を丸めていると、機械の上に広がる空が、薄紫に変化してきました。そしてその上の空は澄んだ青みが鮮明になって来ます。1~2分すると、その薄い色は、徐々に赤みを帯びて、工房から見える空いっぱいに赤紫の色を塗り広げていくのです。私は、そわそわして、この一瞬を見逃しては人生最大の損だとばかり、外へかけ出していくわけです。(まあいいや、4~5分くらい、パン作りが遅れても)と、言い訳しながら、ほぼ毎日のように、塚原の日の出を眺めます。そして、手を合わせて、お願い事をします。

8月28日 5時28分
右 伽藍岳
左(鉄塔あり)むけんやま

デジカメの露出の調整が微妙で、実際はもっと明るいそら。

ああ、もっときれいなんだけどなあ。


これは、7月10日5時4分。
前の畑にガスが広がり、そこを黄色のキツネが、ぴょ~んぴょ~んと横切って行きました。なんていうか、おとぎの世界みたいな光景でした。

自然の色の美しさ。人工的には出せないですよね。だから、惹きつけてやまないのでしょう。下の写真は、家の中での光景。塚原は家の中でもこんな虫が入って来ます。「どうしてこんなにきれいなの」っていう色をしています。

縄文em工房の作品より

るんるんなのです。待ちに待った「バターこね器」が届いたのです。何、それ?そうでしょう、そんなものはきっと売っていません。しかし「必要は発明の母」。ラスクやガーリックフランスをつくるために1ポンドのバターをこねてクリーム状にするのは、結構大変。まあそれなりのやり方はあるはず(一般的にパン屋でのやり方)ですが、私は、芸術的バターこね器を作ろうと、大阪の酒井さんに頼みました。
大阪の酒井さんとは知る人ぞ知る「縄文em工房」の主催者。縄文土器に心奪われ、そっくりそのままの縄文土器のレプリカを製作している方です。オニパンカフェの心強い味方でもある彼は、オニパンカフェ立ち上げ以前より何やかにやとサポートをしてくれました。

例えば、お店の看板。陶板で、素敵な作品に仕上げてくれました。
現在、彼は陶芸教室の先生もやっています。

さて、バターこね器とは一体どんなものか。私が考えたものを酒井さんがつくりました。
これです。

「なんじゃー、スープカップみたいなものではないか。」と思われるかもしれません。しかし、これがでかいのですよ。普通のドンブリの1.5倍くらいあるかな。特長は、大きな柄です。これを左手で持って、右手のしゃもじでバターを混ぜるという構図です。どしっとして、あまり動きません。ちょっと柔らかくするためにこのまま、オーブンに入れることもできます。ちょっと動かすのでも大きな柄があるので、なんともやりやすい!

なんと、可愛いオニパンのマークまで入っている!オニパンオリジナルのバターこね器です。

これは一生もんですね。

さて、タイトルは「縄文em工房」でした。ちょっとご紹介を。

縄文e.m.工房
e arthenware) 土器
mimicry)     模造品
要するに縄文土器偽物造り工房というわけです。
作品の写真を載せようと思いましたが、うまく載せられません。別の機会にします。