石の上にも三年 №74

「どんなにつらいこと、困難なことでも、我慢強く辛抱してやれば、いつかは必ず成し遂げられるということ」と、辞書に載っていた。
私としては、そんな深い意味で使っていたわけではないのですが、とにかく、始めた限りは、最低3年は何があってもがんばるぞとの決意であったことは確かです。一年目は、確かに大変でした。お客さまが来るか来ないかという以前の問題として、パン作り自体が、試される日々で、「なんで、こうなるのだ~」みたいな調子の毎日。半年過ぎたあたりから、まあまあ、でも、まだまだ分かんない日々は続いていました。しかし、お客様は、ママと私の必死の様子に同情してか、随分援助の手を差し出してくれました。湯布院の老舗旅館「玉の湯」さんは1年目の晩秋ごろより、オニパンの食パンを購入してくれるようになりました。そのことは、私たちにとって、「天にも昇るような」それはそれは大事件でした。取りあえず、食パンについては、「天下の玉の湯が認めてくれた!」初めて社会人になった若者が、大人として認められたような気分を、55歳で味わった!わけで・・・。
基本がわかってきて、2年目からは、少しずつオニパンらしいパンが生まれてきました。ママがここ数年、料理に凝ってきています。そんなママと話していて、彼女が言うには、「母親から料理を直接教えてもらったわけではないけど、ちょっと見たことや、味を覚えていて、それが参考になる」とのこと。本当にその通りで、私の場合も同じ。修業中に、毎日、あこ庵のパンを買い、食べていました。その味やパンの様子を思い出しながら、自分の舌で味見をし、パン作りをしていました。自分でもおいしいと思えるようなパンが生まれてきました。通販のお客様も増えて来たり、リピーターのお客様が多くなってきます。丸2年が過ぎたあたりから、随分仕事にも慣れ、オリジナルなパンも増えてきました。タイカレーパン、かのこカスク、クリームチーズフランス、フルーツミックス、クランベリーチーズ、シナモンカレンズなどは自分で考え出したパンであり、お客様が「こんなパンは、ほかのお店で見たことがない」と言ったり、「とてもおいしい」とほめてくれたときなど、単純に、「天にも昇るような」気分になるわけです。どんなお仕事でもそうでしょうが、人から言われたようにやっているステージを脱して、自分で考え自分の作品をつくりだせるようになる時、初めてプロとして自立できるのでしょうね。

半月ほど前に、定期的に通販をしているお客様の子どもさんからお手紙が届きました。その子は、今年から小学校1年生になりました。アレルギーの体質で、卵などが食べられません。給食用のパンはだめということで、オニパンの特別製のコッペパンを給食に利用しています。


自分のつくったパンが、こういう形で役立っていることは嬉しいものです。

最近、湯布院の中学校のPTAの行事で、パンの注文がありました。お食事会のような行事とのこと。そういうときには、できるだけ、小さめのパンをつくり、バイキングのように手軽に食べられるパンをつくります。

必要や用途に応じて、お役にたてる仕事がしたいというのもオニパンの願いでもあります。
どんなに小さなお店であっても、社会的に意味のあるお店でありたいという大志を抱いて、仕事をしていきたいですよね。


 そして、忘れてはいけないのが、オニパンを支えるスタッフの皆さん。最も大変だった1~2年目。本当に、多くの方々にお世話になりました。現在は中国の高くんジンさん、それに李くん王さん。彼ら以外にも、ずっとささえてくれている上田さん。そして最近から来ていただいている方も3人います。もしもこのスタッフの方々がいてくれなかったらオニパンは存在できません。私もママもとうに倒れていることでしょう。この場をお借りして感謝の意を表します。

李くんに王さんです。早一年が過ぎました。料理が得意で、以前この折々帳にも載せたように、毎日のように料理をつくっているそうです。だからなのでしょうか、李くんのパン作りの腕前は、大したものです。王さんの販売やカフェのお仕事も上手です。ママが教えたわけでもないのに、やる様子を見ていて、すぐに覚えるそうです。

あの三陸鉄道も・・・№73

以前この折々帳でパン修業後の東北旅行のことを書いたことがあります。
.疲れた心と体を引きずっての一人旅からか、私の目に映る三陸海岸は、どこかもの悲しく、音のない静かな.光景でした。
三陸鉄道北リアス線に久慈から乗り込みました。
 電車の内装は、いたってシンプルです。
大阪の電車に慣れていた私には、吊り看板や壁に貼りだされる広告がない車内の様子は、昔にタイムスリップしたようでした。
子どもの頃から日本地図を見ては、リアス式海岸に興味を覚えていました。大分県も立派なリアス式海岸を持っていますが、どう見ても、岩手の三陸海岸は親分格に見えます。一度は見てみたいと思っていましたから、三陸鉄道の旅は、「一人修学旅行」の気分でした。
三陸鉄道は海岸線に沿って走っていますが、海と同じほどの高度ではなく、10m~20m上から、海岸線を見降ろす形で続きます。
途中、駅でもない所で、突然電車が停車しました。眼下には、川が見えています。
運転手さんが、車内放送を始めました。「え~.こちらの下に見えています○○川には、ここで生まれたサケが毎年帰って来るということで、有名な川であります~。」と、説明してくれます。都会の電車では考えられない、のどかでのんびりとした鉄道に、とても懐かしいものを感じさせます。
私が目指した行き先は、北山崎の海岸線でした。「日本一の海岸美」とポスターに書かれているのを、久慈駅で見かけたからです。

私は、北山崎に着いて、子どもになったように、遊覧船の出航をドキドキしながら待ちました。
遊覧船は、北山崎の海岸線の美しさと波の激しさを見事に鑑賞させてくれます。
私は息をのみながら、カメラのシャッターを幾度も切りました。


海鳥がやってきます。信じられないような人懐っこさで、腕をかすめては、群がってきます。

輝く太陽の日差しの下、紺碧の海、そそり立つ荒々しき岸壁。そこに打ちかかりほとばしる白
波の饗宴。

私は、北山崎の美しさを堪能し、久慈駅を目指し帰路に着きました。
その途中、往路でも気になっていたとてもかわいい駅で下車しました。駅名は鳥越駅。
色鮮やかな建物、何か童話の世界に降り立ったような感覚。
なるほど、その駅は岩手県出身の宮沢賢治の『グスコーブドリ伝記』に出てくる島の名をとって、「カルボナード鳥越駅」とも言われているそうです。私は『グスコーブドリの伝記』を、しばしば読み聞かせでやっていたので、何かこの駅に降りたことに不思議な縁みたいなものを感じました。


(左の写真は、ネットで探しました。)

こんな、東北旅行のことを、日々の忙しさでほとんど忘れかけていた時、偶然目にとまった新聞の一枚の写真。それは、私の想像の隅においていた懸念が的中したものでした。
あれだけの震災・津波。あのかわいい童話の駅も例外ではなかった。

ちょっと見えづらいかもしれませんが、跡かたもなくカルボナード駅は消え去っています。鉄道も破壊されています。

 わずかばかりの救いは、賢治の碑が残ったこと。
「雨ニモマケズ、震災・津波ニモマケズ」
希望を失わず、被災者の方々へのエールを、送り続けたいと思います。

パン屋はスピードが大事!?№72

私は、パン屋で修行をしているときに、職人さんに言われたことがあります。「ここはパン教室と違うぞ。パン屋さんは、スピードが大事だ!」なるほど、職人さんの手つき、その技には、大変なスピード感があります。「アンべらは、死んでもはなすな」と言われ、包餡(あんこを生地に包む)の際、片手にアンべらを握ったまま、餡を生地に包み、アンパン・カレー・クリームパンを作ります。
丸め(生地を商品の分量で分割した後にする)も、パン教室では片手か一つの生地を両手でするわけですが、パン屋では両手で一つずつ、つまり一気に二個の丸めをします。しかも2~3秒で。
パン教室のスピードとパン屋のスピードはこのように大きな開きがあるわけです。

10時の開店時に、一定のパンの商品が並んでいないと、お客様に迷惑がかかります。限られた時間内で、形をつくっていかないと、パン屋の体裁は整うことができません。
最近、オニパンについて、高く評価するお客様もいたりして、私もどぎまぎしてしまうことがあります。自分としては、もちろん、精いっぱい、努力して、パンをつくってはいますが、まだまだだという気持ちは、常にあるわけで。その一つが、スピードについてです。
私が言っているのは、私のパン作りのスピードが遅いということではなくて、パンの完成度とパン作りのスピードとの兼ね合いについてです。
つまり、スピードのために完成度は、少々落ちてもいいか・・という気持ち。だって、お店に出せなかったら、いくら完成度が凄くてもお客様に買ってもらえないし・・・・。こういうジレンマに陥っていました。

お手伝いスタッフの高くんは、オニパンに来てもう一年が過ぎました。彼は、オニパン商品の半分近くの製造技術を獲得しています。特に麺棒の扱いが上手で、もともとの素質がいいのか、(うまいなあ~)と感心して見ています。
彼は、実に真摯に生地に向かい合います。私が初めにアドバイスしたことを、ぬかさず、しかも自分なりのやり方を考え、自分流のスタイルを作り上げています。一つ一つがとても丁寧です。

先日、ゴールデンウィークの真っ最中、大量のパンをつくっている場面でも、高くんのスタイルは変わりません。私から比べれば、遅くはありますが、彼の手から生み出されるアイテムは、気持ちがその様子に現れています。私は、ミルククリーム(という名前の商品)を見た時、はっと思いました。
きれい!私はちょっとうっとりとミルククリームに見惚れてしまいました。
ただ、蛇のように、生地をのばす成形です。単純ではありますが、こういう単純な成形には、その人の気持ちが良く現れてくるのです。
(そうだな、このミルククリームを買ったお客様は、幸せを味わえるだろうな)
忙しさの中で、あいまいになっていたことに、高くんのミルククリームは答えを出してくれました。


走って、デジカメを持ってきて、パチリ。
袋から出して、まじかに見ると、高くんの想いがよく見えてくるミルククリームです。

がんばったゴールデンウィーク №71

3週ぶりの折々帳となりました。ホームページへのアクセス数は、毎日30近くあります。「う~ん、また今日も同じか!」と半ばあきれた感情を抱きながらも、せっせとアクセスされている方もいるに違いないと思うと・・・・・。すみません!ごめんなさい!と、ここで一言いっときます。
だいたい2週間に一度は最低更新しなければと思っていますが、3週間も間が空くのにはそれなりの理由があるわけで。
それは、4月29日より始まったゴールデンウィークで、オニパンカフェは休みなく開店状態を続けていたからです。4月29日から5月9日までの11日間で、お休みは1日だけでした。
私は、このハードな日々をフルマラソンになぞらえ(私はフルマラソンを5回ほど経験しているので)、
(今、10キロ地点を通過したなあ)とか、(ここからが30キロ地点だ!)などと、体力を温存しながら、ゴールデンウィークのハードな日々を乗り越えようとがんばりました。
パン屋の労働の過酷さは以前にも書きましたが、何度でも書きたくなってきます。
一日14~16時間ほどの立ち仕事をするわけで、これを4~5日続けるだけで、足や腰などを含め、相当ダメージを受けます。私は、日常は、そのダメージを休日の睡眠と運動(ジョギングなど)で、リカバーさせます。しかし、このゴールデンウィークは、その休日(火・水)が、うまくというか、悲しいというか、祝日に重なってしまい、お休みがとれない状況となりました。57歳の今の体力で、乗り切れるのか、ほんと、まじめに、考え込んでいました。まあやるっきゃない!
お客様は、普段の日の2倍近く来るのが、ほぼ予想できました。それに対応できるだけの、お店のスタッフがそろうかというのも心配事でした。
4月より準備をしてきて、カフェも製造も、心強いお手伝いさんがそろいました。前(お店の販売やカフェ)で、多い時は3人。後ろ(製造)も、多い時は3人。この小さなお店で、6人もの人が動いている場面もありました。本当にありがたかったです。
人間は不思議なもので、同じ労働をしていても、仲間がいて励まし合えば、けっこう力が湧いてきます。オニパンカフェは、またもや、お手伝いさんスタッフのお陰で、この難局を乗り切ることができました。別府のHさん、湯布院のIさん、APUの高くん、張くん、娘の麻子さん、ありがとう!

イギリスから・・・  №70

春の訪れとともに、イギリスからフランさんとタツくんがやってきました。
彼らは、二度目の塚原訪問となります(2009年7月15日の折々帳)。昨年と同様、彼らは一週間ほどオニパンカフェに泊まり、毎日6時間の労働と引き換えに、宿泊とお食事を提供されました。紅茶好きな二人は、たくさんの紅茶もお土産として私たちにプレゼント。日本では手に入らない、イギリス庶民の紅茶も含め、珍しいものも持ってきてくれました。早速オニパンカフェでも使わせていただきます。
タツくんやフランさんの訪問は、私たちに大きな刺激を与えてくれます。今回は、イングリッシュカンバセーション。つまり英会話です。二人は、朝夕のコーちゃんの散歩をしてくれます。大きな二人が歩いていると、いやがおうにも目立ちます。そこに、塚原では(近所では)有名なコーちゃんがいると、だれでも(あれっ?なんで?)と、思うのが自然。しかし、外人さんに声を掛けるのは、ちょっと…と思うのが一般の日本人。でも、普通のおばちゃんから二人は声を掛けられます。しかも英語で。
いつもパンを買いに来る近所のおばちゃんが英語を普通に話している!これは、私にとって、大いなる刺激となりました。オニパンカフェには、他にも英語の達人桜ちゃんやご近所のMさん、Tさん、など英会話ができる方がたくさんいます。私も少しはできますが、ちょっと普通に話されると、AWAWAWAとなってしまいます。タツくんが言うには、英語はリスニングが基本だとのこと。だとすればパン屋にとってはちょっと有利なお話です。私がいつも聞いているラジオやミュージックCDを英会話のCDに変えればいいのですから。と言うことで、さっそくヤフーのオークションで、ラジオ英会話のCD一年分をゲット!これで、一年後には、英語ペラペラになれるぞ!さあ、がんばるぞ~!

                                                                                                            フランさんからイギリスの家庭で作っているスコーンを教えてもらいました。二人が旅立つ最後の朝食に、フランさんは気を利かせて、ママと私のために得意のスコーンをつくることに。
紅茶にスコーンはイギリスの定番。私はワクワクして、一緒にスコーン作りをしました。
二人だけで、通訳がいるわけでなく、英語のレシピを見ながらの作業。悪戦苦闘の時間でした。


左の×印にスジが入れられた生地は、伝統的なスコーンだそうです。食べるときに割って食べるとのこと。


さあできました。おいしそうでしょう。
大きなものが、トラディショナルスコーン。でも、焼きが足りなくて、中が生っぽかったです。
焼き時間は、200度で20分はかかりそうです。


イギリスのホームメイドスコーンについて、一番印象的だったことは、味と食べ方。
予想よりもあっさりとした味。砂糖の量が少ない!といっても、粉に対して10%は入っています。この量は、オニパンで言えば、菓子パン生地の砂糖の量。だから、ケーキとかの砂糖量よりも少ないのです。
そして、その食べ方は、生クリームをつけ、ジャムをつけて食べる。ジャムは何でもいい(たとえばコンポートでも)。ポイントは、生クリーム。砂糖の入っていないことが大事だそうです。砂糖の入っていないクリームをつけ、あっさりとしたスコーンをほうばる。う、うま~い!!!
スコーン素人の私なので、詳しい方は、「何当たり前のことを言ってんだ」と笑うかもしれないけど。私にとっては、初めての、体験で、そのおいしさは、想像以上でした。
いくらでも食べたくなる、あとをひくおいしさ、とでも言おうか。
うまくいくかわからないけど、紅茶のお伴として、オニパンカフェでも出そうと思います。


と言うことで、タツくんとフランさんは、4月13日に、オニパンカフェを後にしました。
異文化の風を私たちに送りこんでくれた二人。
ありがとう!
オニパンカフェもちょっと国際的なお店として、再出発だ!