オニパンカフェの助っ人たち

ゴールデンウィークが終わり、ホッとしているところです。なにせ、休みなしで7日間、しかも超ハードな労働が続き、中高年のママと私の体がついていけるか心配だったからです。最近のオニパンカフェは、若い人たちの手助けで成り立っています。現在、4名のAPU(立命館アジア太平洋大学)の学生が入れ替わり立ち替わりで働いてくれています。
その4名の若い力で、連休を乗り越えられたと言っても言い過ぎではありません。
全員外国人。1名がタイ国、そして3名が中国。皆さん、まじめで、頑張り屋。
私は、その青年たちから、さまざまに刺激を受けています。
タイのタックンについて少し紹介します。タックンは、3回生。タイ人ですが、見た目は韓国のあのぺさんにそっくり。タックンがパンの販売を手伝ってくれる時、中年の女性のお客様の目がきらり輝くのが見てとれます。
それはさておき、彼は親からの仕送りは全くなしで、授業料・生活費全てをバイトで稼ぎだし、学生生活を送っています。入学金も65%免除で残り35%を支払う際に、先輩に借りて、ローンで返済したそうです。それだけ聞いても、親の援助で優雅な大学生活を送った私など、頭が下がる思いです。
中国から来た3名の若者は、経済状況はタックンとは違います。お店にも車でやって来ます。特にバイトをしなくてもやって行けるようですが、社会勉強的な感じで働いているようです。しかし、みなさん本当に清々しく、努力家です。
4名に共通するところは、英語ができる。日本語もうまい。向学心が旺盛。活動的。自分の将来に夢や希望を抱いている。
日本の若者も以前は夢を持ち外国留学する者も多かった。外国に行きたがらない日本の若者の話を聞くにつけ、さびしい気持ちになって来ます。

拾いもん

先週、コースケと初めてのコースを散歩しました。それは、ムケンヤマのあまり人が入らないところです。ちょっとゆったりと、足を延ばして、探検っぽく散歩をしてみたくなったからです。草原から林のような木々が生い茂った場所までやってきて、ちょっと薄気味悪かったけれど、中に入って行きました。その時、足元に何か固いものがコツンとあたりました。「あれっ」と、足元を見ると、「うわっ、なんだこりゃ。」そこには、大きな鹿の角が。あまりに見事なので、家に持って帰りました。
汚れをとって、磨きました。「ふ~ん。見事!すげ~。」大阪にいたとき、お囃子をするために、鉦や撞木(しゅもく)を買いにいったりしました。コンチキチンと鉦(かね)をたたく、ばちを撞木というのですが、それは菜箸の先に鹿の角がついたものです。

鹿の角はとても良い鉦の音を引き出す素材なのです。小さな2~3センチほどの鹿の角がついた撞木で2千円ぐらいしていました。大きな鉦をたたく5~6センチほどのものは5000円はしたでしょう。私が拾った鹿の角は、はるかにでっかいものです。値段にしたら数万円はくだらないでしょうねえ。
どうです、見事でしょう。

これを、知り合いに見せたら、「この鹿の角は、3段の角になっている。普通2段くらいやけど、これは立派!」とほめてくれました。
塚原って、やっぱ、すごい所だと再認識。
私はこれで、帽子掛けをつくろうと思います。次回の折々帳で報告できたらとおもっていますが・・・。

ひょっこりひょうたん島から40年

井上ひさしさんが亡くなった。そのニュースを聞いた日、私はちょっと虚脱感に襲われ、パン作りも集中ができなかった。誰にもいつかは訪れる死ではあるが、とても残念な思いがした。私は、井上さんのことを詳しく知っているわけではないが、今の時代、この世の中にとって、貴重な方であることは間違いないと思う。来年の3月、市民劇場でこまつ座による『化粧』という作品の上演も楽しみにしていたところだ。
井上ひさしの社会に対する、政治に対する、人間性にあふれる鋭い視点が好きだった。米の輸入自由化をめぐって、彼がテレビやマスコミを通じて「水田は日本の原風景」と言ってなりふり構わず自由化反対を訴えていた姿。そして、平和憲法を守れと、「9条の会」を立ち上げ、その先頭になってがんばっていたこと。映画『父と暮らせば』を見たとき、井上の思いは理解できた。
物心ついてから、私の価値観に主に影響を与えたものは、漫画、テレビ、児童文学だと思える。マンガ・テレビは夢中になった。私らの世代は多かれ少なかれそんな人が多いはずだ。確か、小学校5年生の頃に始まった井上ひさし原作の「ひょっこりひょうたん島」は、よく見たものだ。奇想天外、奇妙キテレツ、夢と冒険にあふれたおかしな人形劇。「マシンガン・ダンディ」と「博士」のファンだった。
大学1年生の頃大学祭などで、面白いフリのついた「ひょっこりひょうたん島」の歌を歌い踊ったことを思い出す。これは、就職してからも、子どもたちに教え、一緒によく踊ったりした。「♪苦しいこ~ともあるだろさ~♪」のところは、ツルハシで土を掘るカッコをするのだが、そこのところで笑いがおこり、盛り上がる。
2年生の時所属していた演劇部で井上ひさしの「11匹の猫」をミュージカルで上演した。まさに、青春ど真ん中。劇中の10曲以上の曲も自分たちで作曲した。踊りのフリも自分たちで考えた。お金もなく、パンフレットをつくり、広告代を稼いだり、上演チケットを売りまくった。厳しい練習、仲間同士での喧嘩・口論。劇中、クライマックスで登場する「大きな魚」をどうつくるのか。部員12名しかいないのに「11匹の猫」のキャストは無理なので、「七匹の猫」と改題して(井上ひさしさんに許可を取ったはず)上演することに。
ほんと、限界・ギリギリの試みだった。でもそれは演劇部12名の青春時代の金字塔になったことは間違いない。私は「ねこばばのニャン七」という準主役級の役だった。人前で話をすると赤くなる「赤面症」だった私が、劇をするというぐらいだから、この役に賭けた私の思いははかり知れると思う。
劇は大入り満員で、大成功に。井上ひさしの面白おかしい「11匹の猫」という作品は、その面白さとは裏腹に、深く哀しいテーマも併せ持つ。社会とは、人間の欲望、連帯など考えさせられる。
気がつけば、私は井上ひさしと共にこの時代を生きてきたわけだ。結構近い距離で。大学時代、「11匹の猫」に出会わなければ、今の自分はないと言うほど、強烈な出来事だった。
井上ひさしさん、ありがとうございました。

春のお弁当

お店を開いた一年目の春のことです。
よく来られる別府のお客様で、自然が大好きな方がいました。夫婦でいつもやってきて、奥さまは、山に行った話、草花の話、食べ物の話などママとしばし話して帰られます。旦那さまは、山が大好きな人で、鳥に関しても専門家。巣箱をつくってくれて、店の前のモミジの木に掛けています。その巣箱は、昨年も今年も若い二羽の雀が新居として利用しています。その奥さまのことを、今日は書かせてもらいます。日記に書かせてもらってよいかと尋ねると、快く承諾してくれ、「別府のさなえちゃん」て書いていいよと言われましたので、以後さなえちゃんと呼ばせていただきます。
さて、食に関わるものとして、恥ずかしい話ですが、私は食事にあまり関心がなく、この年になって、色々と感じることも多くなり、(もっと食に関心を持つべきだったなあ)と反省の日々。
その刺激を与えてくれた方の一人が、さなえちゃんでした。
さなえちゃんは、「別府はいい。ちょっと行くと、山があり、そこにはいっぱい食べるものがある。」と言います。とても、野草などへの造詣が深く、研究会へも参加していて、四季の山の状況もよく把握しています。さなえちゃんには「何月何日には、ここで何が採れる。」っていうような、昔、縄文人が自然の狩猟・採取をしていたころの、縄文カレンダーみたいなものがあるようです。
そのおこぼれにオニパンもあやかっていて、大量の桑の実のコンポートやユズ煉りなどをいただいたりもしました。
春は、さなえちゃんにとって、心躍る季節だと想像されます。食に関心の薄い私でさえ、フキノトウやツクシを見て、夢中になり、ママに頼んで料理をしてもらったりするのですから。
昨年の春、さなえちゃんが「春のお弁当を今度持ってきてあげる」と言います。初めて聞いた「春のお弁当」て何かなあと不思議に思っていました。
そのうち、彼女はやってきて、「春のお弁当」をプレゼントしてくれました。

さなえちゃんに聞いたわけではないので詳しくはわかりませんが、見ただけでも、ツクシ、木の芽、桜の花、フキノトウなどが目に入って来ます。サフランの色がとてもきれいなごはんですね。

これが、いただいた「春のお弁当」です。まあ、ちょっと、というか、かなり、ショックでした。私の「食の世界観」からは、想像の域を超えていました。自然と食がこんなにも密接に関わるものなのかなあ、と驚かされました。自然が好きといっても、こんな風にできると、すごく楽しいだろうなと感じ入りました。
さなえちゃんは今年も「春のお弁当」を持ってきてくれました。

写真ではわかりにくいのですが、タケノコごはんです。タケノコは、3センチくらい芽が出たのを足底で探り当て採るとのこと。採れたてのタケノコを、そく調理してくれました。ツクシ、ヨモギ、フキなども目に入って来ます。

こんな風にお弁当ができる人って、食の豊かさだけでなく、周りの人も豊かにしてくれそうです。ひとつひとつのものに、野山を探し歩くところからの思いがつまり、丁寧に料理される・・・。お子さんも楽しみにしていたでしょうねえ。

映画

先週、かねてより行きたかった『アバター』を観に、わさだタウンへ行った。主人公は、人間ではなく、ナヴィという衛星パンドラに住む人類に似た生命体。人間はパンドラにある希少鉱物の採取に訪れていて、そこで、ナヴィとのトラブルが発生しているという背景で、スト―リィが展開されていく。
なにせ、3D映画などというものは、私の人生上ではありえなかった代物だ。ただでさえ扱いにくい中近両用メガネ(パン作りには欠かせない私のギア)の上に、さらに水中眼鏡のようなものを暗闇でかけて3時間映画に見入るなぞ、好奇心旺盛なミーハー中高年の私にはたまらなく食欲をそそるものなのだ。
ドキドキして、映画が始まるのを待つ。
ウ~、なんだ、こりゃ。なんか、すごい。奥行きがある。映像もとても美しい!多分、普通の人は、私よりももっとしっかり見えているに違いない。というのも、中近両用めがねは、眼鏡の角度によって、焦点が変わるようになっていて、視界全体がはっきりと見えるわけではない。格闘場面で、けられた岩がスクリーンを飛び出し私の方へ向って飛んでくる。他の人は、ある程度よけられると思うが、私の場合は、ぼんやりした薄暗がりから、突然岩が飛び出してくるので、そのたびに、体を動かし、よけようとする無条件反射が訪れる。なんか、映画館の中で、画面上の人たちと一体になって闘っている私の様子は、とても滑稽だったに違いない。

映像の美しさ、CGの見事さも感動の対象だが、それは訴えかけてくるテーマのための手段だと思う時、この映画の値打ちが見えてくる。
単なる娯楽大作に終わらないところが、観客動員数の多さに現れているのだろう。前々回の折々帳で、アメリカ史について少し触れた。私の学生時代の先輩で(この人も、1月13日の折々帳に登場している。青年○○は荒野を走るとテーマを決めた人)アメリカ史や映画にくわしい人がいて、私はこの先輩から強く影響を受けた。この先輩のホームページを見ると、ナヴィと名づけられている生命体は、先住民のネイティブという言葉から来ていると説明されていた。へーそうなのか。最近、先住民の文化や哲学が見直されてきているが、この「アバター」に出てきたナヴィたちの生活や考え方と映画上の人類のそれは明らかに対比される。最初は異様に見えたナヴィたちの容姿。しかし、スト―リィが進むにつれ、カッコよく素敵に見えてくる。それは、彼らの内面が醸し出され、美しく見えてくるからだろう。
感動屋の私は、翌朝のベッドでもナヴィたちのことを考えていた。