児童文学

子どもの頃から読んだり書いたりすることが割と好きだったみたいです。私の宝物は、小学校の低学年の頃(1年生か2年生の頃?)読んだ『しあわせの王子』という本。発行が昭和32年になっているので、50年前のものです。読んでいて悲しくなり、ポロポロと涙がこぼれたことを思い出します。何をどう感じて涙がこぼれていたのか良くはわかりませんが、その本だけは大事に今でも持っています。大人になって、読み聞かせをする機会が度々あり、ふっとその本のことを思い出し、読み聞かせのレパートリーに加えました。するとどうでしょう、私は読み聞かせをしながら、また子どもの頃のように涙がこぼれるのです。オスカー・ワイルドという作家は学生時代「耽美派」「退廃主義」などと言われて、あまりいい印象は持っていませんでした。「サロメ」など有名な作品を残していますが、私自身読んだこともなく、その偏見的な印象から読むこともしませんでした。しかし、「しあわせの王子」は、とても純粋な美しいお話で、あらためてこれがオスカーワイルドの作品なのかと疑ってしまうのです。ツバメと王子のやり取りの場面。ツバメの優しさに気付いた時には本当にかけがえのない存在を失うという悲劇。その美しい純粋なハートのストーリーは、何度読んでも心を打たれてしまいます。私の持っている本は1950年平塚武二訳であり、訳者が意識的に変えた部分があったり、その訳自体少々固い所もあり、別の訳者であればまた違ったものになるのかなとも思います。誰か「しあわせの王子」を読んだ人はいませんかねえ。人によって感じ方も違うのでしょうが・・・。

紙が黄ばみ、ぼろぼろと崩れそうな感じです。古いものは年月がたつほどに値打ちが出てくるなあと、つくづく感じてしまいます。

最初の何ページかだけ、カラーで印刷されています。

パン屋の夏休み

7月27日から夏休みが始まった。一応六日間。月曜日は大阪から来た元同僚たちと話したり、塚原のプチ観光に同行した。大阪の昔や今の話はいつも心を懐かしくしてくれる。30年余、働き暮らしてきた大阪。大阪の友人と会うたびに故郷の人と会うような錯覚を味わう。さて、パン屋の夏休み。二日目、三日目は大工仕事。工房を使い勝手良くするために改造。自分のお城であるパン工房。細かいところまで自分なりの工夫を施している。仕事をやりやすくするための工夫はとても楽しい。一度アイデア大賞にでも応募してみたいくらい。仕事や生活する上で不便なものに出会ったら、私は立ち止まって「何とかならないかな」と考える。そしてそのことを頭の引き出しに入れておく。不思議と改善策を思いつく。前にパン作りの日記に同じようなことを書いたね。ほんと、考え工夫することは楽しい。四日目は、以前より行きたいと思っていた佐伯の方面へ出かけた。お客様で蒲江の方がいらっしゃる。魚がうまいとのこと、一度は行ってみたかった。そもそも私は大分県人。なのにほとんど大分のことを知らない。高校までは家と学校の往復みたいな生活。高校を出て、高知の大学へ。就職一年目は香川県坂出市。そして大阪での生活。だから大分のことは知らない。こんなに山や自然が美しく、食べ物が豊かでおいしかったこと。塚原で生活し、初めて知ったという情けなさ。それでパン屋の夏休み四日目は海へ。東九州自動車道は宮河内までしか行ったことがなかった。その先佐伯まで今は伸びている。なぜ宮崎方面へ道路がなかったのか走ってみてわかった。佐伯方面は山と渓谷がせめぎあい、道路は橋とトンネルばかり。これは大変な工事なのだと予想できた。食事は河内湾にある「清水マリン」という民宿を兼ねた料理宿。活きの良さが売り物のところだけあって、岩ガキなど注文すると、海に浮いている筏のイケスまで走って行って、カキをとってくる。出された料理はとても新鮮でおいしかった。青春を感じた私は琉球丼セットなど注文しほかにも魚を頼んだ。うまい!ビールも飲んだ。女房はマリン定食。これもたくさんの量があった。たらふく食べて、磯の涼しい風を肌に感じながらひと時の休憩。宿を後にして、次に蒲江に向かった。好奇心をそそるような景観だった。複雑に入り組んだ湾に沿って、一通りのお店、役場、銀行、病院など揃っている。魚や寿司屋などもたくさんある。塚原よりはるかに都会だった。道の駅でオニパンのお手伝いさんへのお土産を買った。そして次に三重町の方へ。ここもまだ行ったことがない所だ。そのころより、どうも私の胃の調子が芳しくない。青春を感じて食したお魚さんたちが、まだ胃袋の中でごわごわとしている。車はガタごとと揺れっぱなし。その振動が長く続くほどに胃袋がかなりへたってくる。三重町は想像を超えて、都会だった。そして次は竹田市の長湯温泉をめざす。長湯温泉は何度か来ているので、「ほていの湯」へ。時刻はすでに7時ごろ。胃の調子は最悪だった。女房も珍しく夕食を食べようとは言わずそのまま、山の中を通って一路塚原へ。9時半ごろたどり着き、そのまま胃薬を飲んでゴーツーベッドでした。

手前のテーブルが私の食べた昼食。大きめのドンブリが琉球丼。奥のテーブルがマリン定食。女房の方が量が多いようだ。でも全く胃袋は問題なかったのはなぜだろう。

岸の方から筏が海へ伸びている。このイケスに魚たちが泳いでいる。奥の方に小さく見えているのがお食事処「清水マリン」

 

別れ

イギリスからやってきたタツくんとフランさんが今朝オニパンカフェから旅立ちました。9日間の滞在でしたが、私たちにとってとても刺激的であり、また楽しく有意義なひと時を二人は運んできてくれました。若いにもかかわらず、二人はよく動き気遣いもできる若者でした。お店でも良く働いてくれました。湯布院の知人から聞いていたウーハーという制度。それは、NPOで宿泊と食事の提供を受ける場合、一日6時間働くことが条件だそうです。私は、タツくんとフランさんにそのことを告げました。二人は、それ以上の働きをしてくれました。一昨日は二人がスパゲッティパーティを準備してくれました。私たちに「何もしなくていいですから、お風呂に入ってゆっくりしてください」と告げ、自分たちは夕食作り。テーブルに並んだ3種のスパゲッティのおいしかったこと。片付けも全部やってくれました。私たちのようなお店商売をしている者にとって、一番嬉しいことは、労働の軽減。食事の世話まで面倒を見ることは正直言って余裕がない状況です。人のお世話になる時は、相手に負担のかからないよう気遣いをし配慮できるようにしなければと逆に若い二人から学びました。今朝、4人で記念写真を撮り、お別れをする時は何かとてもさびしい気分になりました。

 

 

来客

この一週間オニパンカフェは賑やかしい日々となりました。7月12日(日)に、大阪より3人の友人が訪ねてきて、久しぶりに昔の話に花を咲かせました。同日、京都より娘が帰ってきて、6人で夜を過ごすことに。11時過ぎまで起きていて翌朝4時からの仕事は辛いものがあります。月曜日はふらふら状態。しかし、そこはお手伝いのケイちゃんがいてくれてとても助かりました。大阪の3人が帰って入れ違いにイギリスからタツくんと彼の彼女のフランさんがやってきました。タツくんは大阪の友人の息子で、23歳。昨年もオニパンカフェに何と折りたたみ式のミニサイクルでやってきて数日間泊まり、さらに鹿児島までそのミニサイクルで行ったというツワモノ。イギリスで彫刻の勉強をしています。今回は、可愛い彼女を連れて、お気に入りの塚原へやって来ました。英語にはあまり関心のないママは聞き役で、急きょオニパンカフェは英会話教室に変身。タツくんは3年もイギリスに居てるというだけあってさすがペラペラ。私はほとんど二人の会話が聞き取れず、ブロークンで何とか会話に参加。それにしても、若いフランさんですが、自立していますよね。ヨーロッパの人は自己愛が強く、まず自分が第一みたいです。周りに気を使い、周りからの評価を気にして生きている日本人との違いを強く感じます。知らない人の中に入っても、ごく自然に自分を表現しているフランさん。タツくんもそんなタイプなのか、こんな二人なら、どこででも暮らして行けるんだろうなと思いました。昨年うちにやってきてタツくんの性格を知ったママは、彼が大のお気に入りです。タツくんはイギリスに帰ってからも、ほんと丁寧な手紙を送ってきたり、メールをくれていました。ママは、嬉しそうにタツくんとやり取りをしていました。タツくんはママが好きな紅茶をわざわざイギリスから送ってきてくれたりもしました。今回、うちにお泊りするにあたって、お土産として、とてもレアな紅茶を持ってきてくれました。フランさんの住んでいるノースイングランドにある紅茶専門店がブレンドした紅茶(缶がとてもかわいい)など、日本では手に入らないものをいくつか持ってきてくれました。早速カフェで使いたいと思います。

私はよくわかりませんが、紅茶にもいろいろな種類があるんですね。イギリスでは、紅茶が生活になくてはならないものなのだそうです。

「Bettys tea room」のブレンド紅茶。ノースイングランドではとても有名な紅茶専門店だそうです。缶が素敵で、うち蓋があるんです。日本のお茶の包みたい。

パン屋の楽しみ

パン屋はハードな仕事です。毎日ほぼ16時間は働いています。労働基準法を持ってこられたら、パン屋は一発で「指導」が入れられる職種だと思います。(労働基準局に誰か訴えてほしいなあ)なんて思いながら、働いています。ハードさだけ強調すると誰もパン屋にならないでしょう。でも私はパン屋になって良かったと思っています。パン屋の喜びは様々ありますが、最近私が楽しいと思うことを紹介します。「おいしいパンを作りたい!」と常日頃から思っていると、不思議といろいろアイデアが生まれてきます。毎日のパン製造の作業の中で注意深く生地の変化や仕上がりの状況を見ていると気がつくこともいろいろと出てきます。それらを頭の中の引き出しにストックしておきます。こんなパンを作ってみたいなあと思って試してみます。ほとんど失敗します。しかし、それも引き出しにストックしておきます。そして黙々と日々労働にいそしむのです。その日は突然にやってきます。私の場合は寝ているとき夢に出てきたり、朝起きてちょっとして「こうやれば、うまくいくかも」ってな風に、アイデアがひらめきます。あるいは、製造の作業中にひらめくこともあります。そんな時は大変です。試してみたい衝動が脳みそ中を駆け巡り、開店準備の忙しい中、(がまんしたら、体に悪い。やったれ)と開き直り、試作に入りこみます。「うめパン」はすでに3回失敗。現在も思索中。クリームチーズフランスは、最近のヒット作(自分の中で)。これはいけるぞと思い、あふるる期待感をもって、しかし決して表情には出さず仕上がったパンをカウンターに並べます。「これうまいはずですよ~」と控えめにお客様に声をかけます。怪訝そうに一本買ったお客様。帰られてしばらくしてやってきました。「車の中で食べたらうまかったので、もう一本ください。」私は(やったあ)と心で叫びます。そして最近電話で予約注文がはいりました。「クリームチーズフランス5本ください」。初めてのご指名。立派に成長したクリームチーズフランス。そのひとり立ちの日を親にも似た気分で喜びを味わいます。今日も朝、突然アイデアが天から降ってきました。きなこツイスト。これも以前2度ほど試作してうまくいかなかったものです。さてどうなるやら。

何度も出てきてすみません。シナモンカレンズ。別名「おっぱいパン」これは形がなかなか定まらず結果としてこんな成形にしました。これが結構面白い形なので別名をつけたくなります。帽子のようで「帽子パン」かな・・・。おっぱいに似てたのですが私の口からそれを言うのははずかしかった。ある時、製造を手伝っているカズコさんが、「おっぱいパン」と簡単に言い切るので私も口にすることができました。

 

こんなに手間暇かけて作られるクリームチーズフランスはないのではと思います。そのおかげで、外はパリッと、中はモチっと。一日10本が限度かな。食べごろはまだ余熱が残っているころ。一日経ったらクリームチーズを出して、オーブンで温め、またチーズを入れて食べてみてください