新年がやってきた!その一

「折々帳を見ました」とやって来るお客様もしばしば。ほんと嬉しい。本来はブログのようにコメント欄がありそのやり取りで双方向の流れができるのだろうが、この折々帳は一方通行。考えてみれば返信できる余裕もないし、これで行くしかないかな。
お休みがあっても、折々帳が書けるとはかぎらない。あ~やっぱり俺はグータラなのだと反芻しながら、やっとパソコンに向かう。冬休みはとてもゆっくりできた。長く眠れることの幸せ。ゆっくりできることがこんなにいいものなのか。
ゆっくりしていると、不思議なもので、体の奥の芯の方から創造的な何かエナジーみたいなものが醸し出されてくる。これは俺の「酵母」なのか。じっとしてられなくなる。日頃忙しい時は、目先のことをこなすことで精いっぱい。だからこんなエナジーが出てきた時は、ありがたくそれに身をまかすようにしている。今までの人生を振り返る時、その時々の興味や関心、脇道や寄り道などを大切にすることが結構自分という人間の幅を広げてくれてるなあと感じる。
新年がやってきて、人それぞれにこの一年どう過ごそうかと気持ちを新たにしていることと思う。私もどちらかと言うと大袈裟に目標を掲げることが好きなタイプで、学生時代よりほぼ毎年目標を決め、それを紙に書き、机の前などに張り出してきた。初めて書いた目標ははっきり覚えている。18歳の時。「進化」だった。大学の先輩の下宿でクラブのメンバーが何人か集まり、今年の目標をどうするか話し合っていた。私が入っていたサークルはやたらと議論することが好きなところで、「位置づけ」「基本的に」「原則としては」「変革」などの単語が飛び交っていた。
その先輩の下宿の壁に去年の目標が紙に書いて貼られていた。「青年○○(先輩の名前)は荒野をめざす!」私は、(かっこいいなあ)と思った。先輩は「去年は良く頑張った。そして今は荒野の中に来ている。だから今年は『青年○○は荒野を走る!』だ。」私は、もう感動して、何か自分にもそんな目標が必要だと直感的に思った。そして、先輩に「僕も目標を考えました。『進歩』です。去年よりも、より人間性を深めたい!」と言った。
先輩は、怪訝そうに私の顔を覗き込んで、「日浦よ、それはちと早いがぜよ。進歩する前におまんは、人間に進化せにゃいかんが。おまんの目標は『進化』じゃ。」と言った。
私は、その先輩をとても尊敬していたので(今でもね)私の新年の目標は「進化」になり、壁に貼りだした。というわけだ。
今はそんな抽象的な目標を立てているわけではなく、具体的なものにしている。昨年、子どもたちが帰省し、家族で新年を迎えた際それぞれに抱負を語ってもらった。私と娘はタイプが似ているのか、目標を壁に張り出した。ママと息子もタイプが似ているのか、目標もはっきり語らず、けむに巻いた。
そして今年がやってきた。私は壁に張り出した目標を見ながら、みんなの前で「抱負を語る会」の切り出しをついにやらずじまいだった。情けない。昨年立てた目標は全てできずじまいだった。想像以上にパン屋が忙しく、目先のことで日々が過ぎて行ったからだ。しかし、ゆっくり休養をとっている間に、また、性懲りもなく例の目標癖が出てきている。この目標がどうなるのかは分からないが、やはり新年、気持ちを新たに持っていきたいものだ。
新年はいい。新しい自分を夢見て、それだけでも、何か生きる力が醸し出されてくる。

クリスマス

クリスマスがやってくる。若いころは、なんだかウキウキして、クリスマスイブの街中を歩くだけでも、ロマンチックな気分になったものだ。さて、それから二、三十年、クリスマスのことは意識が薄れたような年月を過ごしてきた。パン屋を始めて、季節に敏感になり、そして、若いころのようにクリスマスにも意識が向いている。
一つはクリスマス向けのパンの製造だ。
高校時代の同級生で我がオニパンカフェにも何度も来てくれたU君。別府で不老軒という和菓子のお店をやっている。オニパンに来られるFさんというお客様がお土産を持ってきてくれた。それは偶然にも不老軒がつくっているクリスマス用の和菓子だった。「へ~」と思いながら、開けてみるとそれは、感動ものだった。とても愛らしいサンタさんのお顔のお菓子と色鮮やかなクリスマスツリーのお菓子。「クリスマスと言えばケーキ・西洋の祝日」という常識に抗して、我がU君のお店はこんな作品を創っているのだ。この和菓子だったらクリスマスでも買う気になる。立派だなあと恐れ入った。


オニパンカフェでは、パネトーネというイタリアのパンとケーキの中間のお祝い菓子を作っている。これが売れるといいなあと期待をしているわけだが・・・。
さてクリスマスを意識する二つ目の理由。これは、以前の日記にも書いたのだが、クリスマスの意義・意味がある。キリスト様の誕生日くらいしか考えなかった以前。しかし、市民劇場の「クリスマス・キャロル」という劇を観て、「すべての人々を祝福する日」みたいな意味もあるのだと知った。たとえ、それが違うとしてもそんな日が一年に一日ぐらいあってもいいと思う。「戦場のメリークリスマス」「クリスマス休戦」などの言葉がある。戦い、憎しみ合う人同士でもお互いを認め合い、尊重し合う日。
生活がままならず、ぎりぎりで生き暮らしている人々にも、平等な生存の糧が与えられる日。
小・中・高時代の同級生のS君。無鉄砲で自由な生き方に一種、畏敬の念を抱いたこともあるS君。彼は近ごろしばしばオニパンにやってくる。パンをいっぱい買う。「どうするんだい、そんなにパンを」と聞くと、明日「マザーテレサの会」があると言う。「何、それ?」「家のない人とか、支援する会」
S君はそんな活動をしてるんだ、と私は驚く。
クリスマスがやってくる。すべての人々に平和が訪れることを願ってやまない。

サイクリング

先々週の火曜日、ママとサイクリングに行きました。休みの日には必ず運動をするようにしています。パン屋の立ち仕事は、とてもハードで、50を超えたじじばばの私たちには、かなり応えます。夜寝ていて、足がつったりもします。とにかく足腰の強さ、柔軟性を維持することが、パン屋を続ける限り大事なことだと思っています。
ママと一緒だと、ツーリングもなかなか大変です。と言うのは、坂道などに入ると、ママは必ず自転車を降りて押すからです。だから、一緒に運動をしようと思っても、バラバラ状態になり、あとで「どこに行ったのかなあ」と探しまくるのがおちです。この日は、そうならないように、トラックに2台の自転車を積み込み(1台は私のスポーツ車、そしてもう1台はママの重~いママチャリ、なんせ前と後ろにでかい籠がつき、後ろは分厚い古びた、びにいるカバーがしてある)できるだけ坂のなさそうなところを走ろうと安心院方向へでかけました。
県道617号線を安心院方向へ進んで行くと、正面向こうに、素敵な景色が


見えてきます。この写真ではうまく見えませんが、道の先に、そそり立った岩山と美しい紅葉の木々たち。そこで、道路わきにトラックを停め、いざサイクリング。
気持ちの良い坂が続きます。結構長い坂に、内心、帰りの不安も募って来ます。まあ、深く考えず、今を楽しめ!・・・
その美しい紅葉の岩山は、「仙の岩」と呼ばれ、耶馬渓に続く岩盤地帯の範囲の中でも、特に見事な景観を擁しているとのこと。以前より前を通ってはいたものの、立ち止まって見上げると、ほんときれい!迫力!よし、仙の岩のてっぺんに登ろうと決め、足を踏み出しました。
この岩の上の方には、結構古いお寺があり、昔、修行の場として使われていたとのこと。途中「ぼけ封じ」の仏像があったので、私とママは先を争って        
お参りを。
結構、きついのぼりを制すると、安心院や湯布院方向の景色が眼下に広がります。それは、一汗かくにふさわしい、なかなかの美しさでした。

仙の岩より津房川上流、湯布院方向の景色です。

こちらは、反対の安心院方向。まだまだ、紅葉がきれいでした。

さて、サイクリングはその後どうなったのか。仙の岩よりトラックを停めておいた「こびら」と言うところまで、苦しい登りを続けました。足ががくがく。ママは「先に行って、トラックを持ってきて」と言って、マイペース・・・。
しかし、仙の岩に登れて、なかなかいいお休みの日となりました。

サイクリングの良さに目覚め、ママはママチャリをやめ、新しい自転車を購入!それも、何と、電動自転車。これだったらどこへでもいけるでしょう。

窯について

オニパンカフェに新しい三段の窯が入って来ました。今使っている窯はとても気に入っているのですが、最近のパンの量からすると、かなり無理が出ていました。三段の窯がいよいよ搬入されるということで、期待に胸膨らみます。

このオーブンは(中古で購入)結構新しそうで、コントロールパネルも細かく分かれ、タッチパネル式。気をつけないと違う表示をタッチしそうになります。(う~んこれは、中高年向きではないなあ!)でも、これで、安心してパンをつくることができるぞ!試し焼きをしてみると、お~何とふっくらと焼きあがることか。流石新しいタイプのオーブンは違うなあ!と感激。でも、ちょっと引っかかるものが・・・。
それは、庫内の様子。今までとは違い、炉床が白っぽいボードのような板になっていること。今までのは、石のタイルが敷き詰められていました。天井部にも石が装着されて。

翌日は営業日。菓子パンは調子良く焼きあがります。でも、フランスパンが・・・、うまく焼けません。ふっくらと膨れるのですが、パリッとしません。そして、クープがぼわ~っとします。エッジが立ちません。
しかし、それ以上にショックなことが起こりました。それは、クレセントという、オニパンの看板商品が全く別物に焼きあがります。オーブンの個性や特徴をつかめてないからうまく焼けないのではと、いろいろと三日間試しました。それで確信したことは・・・・。
このオーブンでは、まっとうなフランスパンは焼けないということでした。

ちょっと専門的なお話になって、パン素人の方にはついていけない議論となってしまいますが。
新しく購入したオーブンは、庫内が石でできていないため、蓄熱性が弱く、戸を開けてパン生地を入れる間にぐんぐん庫内の温度が下がっていきます。その落差は20度近く。そして、設定の230度まで温度が上昇するのに10分以上もかかります。おかげさんで、ふわっとした焼きあがりは確保できるものの、表面のパリッと感や鋭い焼きあがりは台無しになります。その点、石床のオーブンは、戸を開けても低下温度は5度程度、そして戸を閉めてからの温度上昇の早いこと、すぐに230度に到達していきます。
恥ずかしながら、パン屋でありながら、最近までクープ生成の仕組みがわかっていませんでした。
スチームの出方もクレセントにとってはとても大切な要素となってきます。前に使っていた窯のスチームの出の良いこと。そのスチームが生地の表面を湿らせ、輝くような艶を作り出します。すべすべと光っているような。それが今回のオーブンでは、全くできません。
3日間フランスパンが出せない事態で、私はお店の将来に危機感を感じました。当たり前のように焼いていたフランスパン。でもそれは決して私の腕前ではなく、窯の力が大きかったこと。「なくして初めて知るその存在の大きさ」私は、お世話になっている設備屋さんに泣きこみました。「何とかしてください!!!」
ツル企画ファイブという会社の方々は、話し合い、オニパンカフェから下取りした窯(それは、別のパン屋さんにもらわれていくことになっていたそうですが)に、別のオーブンの1段を合体し、何とオニパン用に3段窯を製作しようということに。ツル企画ファイブの皆さんは残業し、二日間くらいであっという間に3段窯を完成させました。

別々のオーブンを合体させるのですから、多少のちぐはぐはでてくるのでしょう。コントロールパネルは上と下で左右逆に。上の我が愛する2段石床スチームオーブンは点火や照明もコック式。下は菓子用のオーブンらしく複雑なタッチパネルに。細かなところで合体のために工夫がされています。先日観たレンタル映画「アイアンマン」のような機械仕掛けがうれしいオーブンです。
戻ってきた「恋人」を大切にし、それを実現させてくれた人々に感謝しながら、さらにおいしいフランスパンを目指していかねばね。

窯について

昨日は、市民劇場があり、チャールズ・ディケンズ原作の「クリスマスキャロル」を観に別府まで行く。その途中、ちょっと寄り道して、先週行ったエコーラインや由布岳正面登山口へ。しかし、あの『感動』の紅葉(茶葉)はそこになかった。青春時代のように――気がつけば過ぎ去っている。美しい時は一瞬。その一瞬を見逃さないこと。しっかり味わうこと。そんなことを考え始めたのは一定の齢を重ねてきたからなのか。残りの人生をつい意識してしまうからなのか。いえいえ、まだまだ、若い若い・・・。
ディケンズと言えば、私には青春時代に思い入れがある。青春真っ盛りの高校時代、「オリバー!」というミュージカル映画を観た。マークレスターと言う子役がとても素晴らしかった。貧しい孤児のオリバーツイスト。そのオリバーを援助し助ける酒場女がこれまた素敵な人で、確かシャニ・ウォリスと言った。その影響もあり、学生時代「二都物語」や「デビッド・カパーフィールド」も読んだ。ディケンズは弱い立場、貧しい人々の立場に立って人間らしい生き方や人生の応援歌をその作品の主題としている。「クリスマスキャロル」も同様に心洗われる中身だった。終演後キャスト全員が舞台に立ち「清しこの夜」を歌った。観客と一体となったその歌の響きはじわじわと私の涙腺を刺激した。
忙しい日々の生活の中、人間関係も何かとややこしく、ともすれば、私たちは自己防衛的、自己中心的な発想に陥りがちだ。しかし、それぞれに人は幸せを求めて生きているわけで「他人のために祝福する」心の余裕もほしいものだ。クリスマスの日はそれを考えさせてくれる日だとわかった。
「あれっ」・・・、窯について書く予定だったのに。
今日のタイトルは「ディケンズ」でした。窯は次回です。