曇り 1度 すっきりしませんな。明日あたりは、良い天気になるかな。オニパン主催のマラソン大会(ファンラン・ウォーク)まであとひと月半。そろそろ準備をしなくちゃと思ってきた。

DSCN4997[1] 現在参加人数10~くらいか。せっかくやるんだったら、30人くらい参加してくれると盛り上がりそう。ランチやぜんざい、その他のことを含めてたくさんになると運営が厳しいかな。ボランティアスタッフも必要だしね。参加、あるいは運営面での協力してくれる方がいれば、是非ご連絡をお願いします。スタッフは当日9時30分~2時ごろまで。ぜんざいと昼ごはん付で。

妻に足し息子の妻もバレンタイン

ちょっと嬉しいバレンタイン義理チョコです。

雨 8度 暖かくなってきました。しかし、雨。昨日はいい天気で、レイちゃん(飼い猫)とデッキで日向ぼっこしてました。その後、久しぶりにジョギングを。汗をかくことに幸せを感じます。

DSCN5700[1] これがニューバージョンの「ホイコーロお焼き」。休みの間にいろいろと研究してみました。満足度をアップさせるために、ホイコーロの味とお肉の量など変更。そして、米粉生地の分量もアップ。より贅沢になりました。お値段は同じ220円。今日からニューバージョンでスタートします。

DSCN5701[1] ブックオフでこんな本を購入。中古なのに、結構高い。俳句は奥が深いなあ。当たり前か。

昨日、春一番が吹いたのじゃないかな。

春一番猫ところがり梢見る

曇り 雪 零下3度 路面は雪です。昨日は、冬日としてはまあまあのお客様でした。パンが足りなかった。ホイコーロお焼き16個作ったのですが完売でした。次回は、さらにおいしいホイコーロになる予定です。お楽しみに。

DSCN5699[1] 昨日の朝の様子と違い、先が見えません。一面靄(もや)。昨日は、いろんなお客様の見えた日曜日でした。一番印象的だったのは、40歳の韓国人。以前バイトをしていた中国人のコウ君に少し似た方。礼儀正しく、さわやかな感じ。ママは気に入って、いろいろとお世話していました。ミニログで連泊し、これからの将来を模索している最中。あまりプライバシーに触れるのは良くないのですが、もともと韓国では農業をしていて、日本に来られてからは、違う仕事に。大学時代に知り合った日本の奥さんとともに、今は大阪で。40と言えば、惑わず。自分のことを含めていえば、40はリセット。惑わずに、後半の生き方を決定する時期。チョウさん(韓国の方)の新し生き方を探す真剣な姿勢に、打たれたママと私。どうなるかは、結局自分が決めるしかない。決めたことが道になる。でも、苦労はするだろうなあ。心配でもある。

四十路とは男の岐路か雪の朝

雪のように舞い込んだ客一泊す

晴れ 曇り 小雪 零下2度 連休だというのにこんな状況。お客様は果たしてくるのか。

DSCN5698[1] DSCN5697[1]

風花という言葉を知りました。「かぜはな」「かざばな」。晴れていながら風に乗って雪片が舞うこと。遠方の山岳付近に風雪が起き、それが上層の強風に乗って風下に飛来する現象だとか。ちょっとそこまでは行ってないとは思うけど、晴れているのに小雪が舞っています。風の花っていい響き、ロマンチック。

見上げれば結婚記念日風花舞う

雨 6度 雪は溶けています。道路は大丈夫。私の体調もやっと復調しつつあり。今日から仕事をしています。

DSCN5696[1] 今はこんな感じ。従業員さん二人は、毒物を扱うような感じか。咳などをすると、二人は気になるだろうなあ。しかし、久しぶりの仕事で、寝てるよりはるかに気持ちは嬉しいですね。ほんとはあと一日はじっとしておかねばダメなのですが。

昨夜は、オリンピックの開会式を見ていました。安部総理も参加して良かったです。北朝鮮と韓国の統一旗は、若干素直に感動はしにくかったものの、それでも良かった良かった。アメリカの高官(国務長官?)北朝鮮のナンバー5、そして書記長の妹、文大統領、安部総理などすごい顔が近距離の場にて開会式を。あれだけ近くに座っていたら、全く無視せず、少しくらい話すのが大人っていうもの。安部総理が北の高官と話したそうだが、当たり前だと感じた。こういう努力が外交努力で、「相手の側から政策を変えない限り、対話をしない」と同じセリフで対応し、最終的には武力衝突も辞さないなどといって、これがもし現実になれば、どれだけの被害をこうむることになるのか・・・。恐い武器はもたないほうがいい。あれば使いたくなる。なければ、話し合おうとする。あの狭い観覧の場に、銃やナイフ、斧、金属バットなどをもちこんでないので、みなさん自分の人格を使って相手と話し合うしかなかった。笑顔は大事です。

風邪の度祖母にせがんだ卵酒

私は、風邪で卵酒を知った。小学生の時。とてもおいしく、すごくうれしかったことを覚えている。しかし、祖母は、いつもは作ってくれないので、つくり方を教えてもらって、風邪をひくと自分でせっせと卵酒をつくるのが日課となった。