今年の紅葉は2週間遅れ

あれから1年。確か11月3日の折々帳で、「雨のエコーライン」と題して、紅葉情報を流しました。
「今年は、どうなのか?」ちょっとそわそわしながら、11月3日(水)にも、エコーラインに出かけました。「う~ん、今一つだなあ。」あまりきれいではありません。まだ早いのかなあ。11月9日(火)にも出かけました。写真をパチリ。今年はこれで終わるのか~。

「エコーライン」なんて書いても、どこのことだかわからない方が多いでしょう。この道は、塚原高原から由布岳と鶴見岳の間を抜け、きじま高原や湯布院盆地へ行く4キロほどの道路です。

そして、昨日11月16日(火)、ママとエコーラインを通って、由布岳東登山口より日向岳、由布岳正面登山口までのトレッキングを行いました。

左の写真は、東登山口に出されているコース説明図です。右の山が鶴見岳、左が由布岳。現在地はちょうど真ん中。上下に伸びている道路がエコーライン。私たちの行ったコースは、現在地から、左へ伸びているコース。

さて、11月16日のエコーラインはどんな状況だったかというと・・・・・

この2,3日の冷え込みでグンと色づきが良くなった葉。紅葉は今が最高潮なのですね。

3時間近く歩いて、由布岳の正面登山口にたどり着きました。
そこに広がる景色は、これまた素晴らしいものでした。

このデジカメ写真とは全く違う、もっと
明るくきれいな景色でした。

今が盛りの紅葉も、きっとこの一週間で終わるでしょう。
塚原高原は、地味な茶で包まれ、大人びた静かな暮らしが訪れます。
それはそれで、またいいものです。

志高湖はいい

あ~申し訳ありません。折々帳二週間ぶりですね。10月、11月と忙しくなっています。
特に先週など「ど~も」というテレビに出たこともあってか、忙しい忙しい。二日あるお休みも3日(水)の祝日営業したため、仕込みの都合上、お休みがとれませんでした。

塚原での生活を夢見て、10数年前、土地を購入しました。目標をつくるのが好きな私は塚原を探索した折に、「塚原からのレポート(今後の計画)」をまとめました。昨夜、それを久しぶりにひっぱり出してきて、ママに見せました。日付は、2003年8月8日。
ママは、「私に見せたのは覚えているけど、内容は、憶えていない。」と・・・。まあ、大体そんなものです。私は、7年前一人で、塚原高原へ来て、前回の折々帳にも登場したログキャビン・トミに寝泊まりして、塚原をリサーチしていました。レポートには「終の棲家」
として塚原高原でどんな暮らしをしていくのかをまとめました。
項目は「なぜ塚原」、「なぜ店を(目的)」「人間らしい生活と文化」「追求する課題」
「店のイメージ」「今後の計画」

忙しい生活に振り回され、私たちはなぜ塚原に来たのか、そんな原点を忘れてしまいそうになります。限られた時間、人生なのだから、どのように生きるかを決めるのは、自分。世知辛い世の中、思うように生きられない現実はわかっていても、その基本に少しでも近づけるようにやっていきたい。

さて、またタイトルとは違った方向へ進みそうになっていました。今回は「志高湖」なのです。別府生まれで、別府育ちの私なのに、別府のこともあまり知らずに、育ってきました。「志高ユートピア」って、子どもの頃は言っていました。私にとっては大切な場所。なぜって、母親が一時期ここで働いていました。大学生の頃です。一度だけ、志高湖に来たことがあります。ボートに乗ったこと、母親に「アイス」をただで食べさせてもらったことしか記憶にありません。一体どこにあるのか、どんな景観でたたずむのか・・・・。ママと一緒に行ってみました。

曇った日だったので、鮮やかさは今一つの写真です。実際はもっときれい。奥に見えるのは、左が由布岳、右が鶴見岳。頂上のロープウェーも見えます。真ん中の小さな山は多分くらかど岳。

ほとりに、ボートの停泊所が見えています。楽しいのは、その近くに、アヒルやハクチョウが遊んでいて、とても人慣れしているのです。思わず写真を撮りたくなります。

湖のほとりには、きれいな舗装路が一周します。
とても気持ちのよい道。黒松、赤松、楓などが気持ちをホッとさせてくれます。
私とママはこの道をジョギングしました。一周1.8キロ。3週すると汗もしっかり出てきます。
ほとんど二人がジョギングコースを独占状態。大阪ではありえない贅沢すぎる状況でした。

今は、レストハウス(宿泊所)もやっていないそうで、ちょっとさびれた感じです。
「志高ユートピア」は、昔の憧れで終わったしまったような。なせぬ初恋に似ています。

塚原での生活

今日、急に冷たくなりました。朝、Tシャツでいたら、くしゃみが出てきます。寒くなると続いて考えることは、薪。塚原生活では、必需品とも言えるものです。薪ストーブに憧れて、寒い塚原生活を選ぶという方もいるようです。10数年前、初めて塚原に足を踏み入れた時、塚原の摘み草煎餅屋「ポコアポコ」の高橋さんが、「薪ストーブの火はいいよ。柔らかくて・・・」と仰っていたのが思い出されます。私は、それから、薪ストーブに関心を寄せるようになりました。
薪ストーブは、我がオニパンカフェのパン窯と同様、輻射熱で体を温めてくれます。(空気対流式ってのもあるのですが、とりあえず、我が家のストーブは輻射式)。石床のオーブンは、パンを表面から焼くというより、内部から温めてくれ、ふっくらと焼きあげる、そうそう、あの石焼き芋のような感じで焼いてくれます。輻射式の薪ストーブも、近くにいながら熱くはなく、じんわり体の芯から温めてくれます。薪の燃える炎を見ながら、もう、何の言葉もBGMもいらない、静かな豊かなひと時を醸し出してくれるのです。

シンプルな輻射式の薪ストーブです。これ一つで家全体を暖めてくれます。夜寝るときに火を消しても、朝、外が零下であろうが、家の中は10度以上というすぐれものです。
周りのレンガは、自分で貼りました。

そんな贅沢な時間を持とうと思えば、それなりの労苦も必要となります。お金を出せば薪は手に入りますが、自ら材を探し、薪をつくる、それこそが、真の贅を味わうことにつながると考えます。そのためには、木材を切るためのチェーンソウを使えねばなりません。日曜大工の好きな私は、不注意な性格も相まって、以前、木工の機械で人差し指の先を切り落としてしまいました。そんなこともあって、あの恐ろしいチェーンソウを使わねば薪ストーブを味わえないとなると、今度は指先どころか、腕の1本も切り落とす羽目になるとママが反対します。それで、チェーンソウの講座に参加し、資格を取りました。

チェーンソウの研修の際に勧められたゼノアの製品を買いました。今はもっと大きめのものを買えばよかったと思っています。まあ、でも、手軽に使えると言う点ではこれでいいのかな。

塚原には、都会生活に慣れたへなちょこの私から見ると、想像を絶する人たちがうようよいます。例えば、「ログキャビン・トミ」の富さん。塚原生活の第一歩として、自力でミニログハウスを建てていたときから、彼には大変お世話になっています。ログハウスの上部の壁の材が、半日掛かってもはまらず、途方に暮れていた時、彼はサルのように壁の上まで登って、材に全体重を掛けるようにぶらさがり、片腕一本で、重いカケヤ(木槌のバカでかいようなもの)を振り回し、ものの5分ではめてくれました。
またある時、お店のお客さんの薪の木材を譲ってくれるという話にのり、富さんを誘って、天ケ瀬という山の方へ行ったことがあります。残念ながら、大量の倒木は、すでに、だれかによって持ち運ばれていました。あきらめて帰ろうとした私ですが、どっこい富さんは違います。湿地の足を踏み入れにくい場所の倒木や、そこに生えている木を切り倒し、たくさんの薪材をとってくれました。
チェーンソウは、堅くなった木材を切ると、すぐに刃が傷つきます。私のものも、すぐに切れ味が悪くなり、役に立ちません。そんな時にも、富さんに相談します。目立ての仕方も結構奥が深い。

奥が深い目立ての方法ではありますが、底の浅い私は、簡単な目立てができる器具をハンズマンで発見!喜んですぐさま、購入。

こんな風に、薪ストーブ一つにして、色々と能力が必要になって来ます。そんな塚原生活を淡々とこなしている塚原の人たちは、ほんと豊かな人たちなんだと感心させられる日々なのです。

ライトクッペはメジャーデビューするのだろうか

パン屋に来られるお客様は、たぶん、心にお目当ての商品を持って、お店にやって来るのだろう。「あっ、アンデニ~があるぅ!」と叫ぶお客様がいる。アンデニッシュの熱烈な信者なのだ。
私は、オニパンが、スマップやTOKIOや嵐のように層が厚いものになってほしいと考えている。
「一体、何を言いたいの?」
そうですねえ、スマップを見ても、TOKIOを見ても、さらに嵐を見ても、もう、個人の人格というかキャラというか、グループを越えて、個々人のそれぞれの魅力がほとばしっているんですね。
慎吾(スマップ)にしても、長瀬(TOKIO)にしても、二宮(嵐)にしても、もうたまらなく魅力なのです。
オニパンで言えば、アンデニ~のように、ファンがつくパンをもっともっと増やし、それぞれが魅力的なパン格(人格)を持てるようになってほしいと、願っているわけです。
そのためには、明らかに他のパンとは違う、独自性、特長、個性が確立されることが大切です。私、マスターとしては、意識的に、そんな魅力あるパンを開発していくことで、オニパンの層を厚くしていかねばと考えているわけです。(なんか、ジャニーズ事務所の社長みたいな気分)
さて、そこで本題に入ります。以前より、密かに、静かに、先行的に、メジャーデビューを目指し、売りに出していたのが、何を隠そう、あの「ライトクッペ」なのです。
ちょっと、自信がなかった私は、遠慮しながら、お客様に「あの~、ライトクッペって、焼いて食べたらおいしいよ」なんて言って、少しずつ売りだしていました。
ところが、結構、反応が良くて、「とっても、おいしかった~」との声が出ます。
「う、もしかして、ライトクッペって、相当、いけるかも・・・」と考えた私は、ライトクッペの会を作って、支持者を広げてみようかと思い立ちました。
先ず二人、すぐに入ってくれました。その後山口県のHさんから、こんなメールが届きました。

早速ですが・・・ライトクッペ 素晴らしかったです!!!
ライトクッペ 万歳!!!
クレセントを初めて食した時も “素晴らしい!! 好みだ!! こんなパン食べたことない!!”と感服したのですがライトクッペはより私の好みでした。
トーストすると表面パリッで中はふっくら、断面を見ると渦巻状ということが共通ですがライトクッペの方がより空気層が広くなっているんですよね。
朝食の皿の斜め切りにしたライトクッペを見た娘が “わー 渦巻くるくるパンだ!” と言った時にはあまりのシンプル表現に失笑してしまったのですが、やはり断面の渦巻状態は愛らしいです。そして堪らない美味しさとなると愛すべきくるくるパンと思ってしまうのです。 HPに“地味な存在”と書いてありましたが、この素晴らしい食感に反応している人も多いのではないでしょうか。

この強烈なメールには驚かされました。
多分にお世辞も含まれているとは思いますが、嬉しかったですねえ。
そして、Hさんも3番目の会員に。

こんな感じで、現在会員は10名です。
メジャーデビューするには、私自身が、力を入れて、ライトクッペの生産数を増やしていかなければなりません。
ところが、作っているのは一日に3~4本ぐらい。そして、売れ残る日も多い状況。

ライトクッペは今後どうなっていくのか・・・。悩ましい存在です。

帆足家本家 富春館へ

お休みを利用して、大分市戸次の帆足家本家・富春館へ。ママと「12の月」の女将さんと3人で。
大分県で生まれ育ちながら、全く大分のことを知らない私。富春館に近付くと、その通りは、幕末・明治時代にタイムスリップした錯覚に見舞われる。

大分市の指定有形文化財に指定されているとのことで、母屋、蔵、酒蔵など広い敷地に歴史を感じさせる佇まいを見せている。
母屋は、一部が雑貨のギャラリーとなっている。そこへ足を踏み入れると、富春館の奥様が迎えてくださった。
二週間ほど前に、我がオニパンカフェにご主人ともどもやってきてくれ、オニパンを高く評価してくださったので、私たちも、一度帆足家本家へ行ってみようと言うことになり、訪れた次第。
奥さまは私たちを憶えていてくださり、ママの手をとり、「まあ、オニパンさんのママ!」と喜んでいただき、こちらも恐縮。
歴史、格式を全く感じさせない富春館のご主人と奥様の気さくな対応。人間的でいいですねえ。

帆足家は酒作りを江戸末期より昭和47年までしていたそうだ。酒蔵を見学すると、私の酵母作りへの関心が、むらむらと湧きあがる。初めてみる酒酵母作りの過程や道具にちょっと興奮。

左の写真、車が止まっているところが酒蔵です。中は見学ができるようになっています。

さて、お昼ごはんは、昔の質蔵をカフェに改造した桃花流水(トウカリュウスイ)でいただいた。テーブルの天板は酒樽の蓋、脚はせいろを使用。梁や土壁は当時のものをそのまま残している。落ち着いた空気。昔のものは、その中に、人々の生活や感情様々な出来事を染みいらせ、色や質感などをつくりだしているのだろう。想像力のある人ならば、感じるものももっと深いものになるのだろう。
ママは、後学のために、日ごろの食欲を抑え、サンドイッチを注文。私は、赤牛のハンバーグ。「12の月」の女将も、これまた後学のためか、パスタを注文。

パンは、トーストしていました。
コーヒーが量の入る器に。ちょうど良い濃さでした。

私のハンバーグが一番量がありました。スパゲッティもついていました。女二人は、「後学のため」ということで、私のハンバーグを味見していました。


 スパゲッティはおいしかったと「12の月」の女将は言っていました。私は食べることができませんでした。

大分市戸次にこんなお店があるとは知りませんでした。
帆足家本家のすごさは、カフェやレストランだけでなく、「一楽庵」というお饅頭とお酒のお店も持っていることです。
ママと女将はやはり、このお店によって、お土産のお饅頭を買っていました。
半日楽しめた、パン屋の休日となりました。