リーがオニパンにやって来たのは、たしか2013年の11月。生まれて2か月くらいでした。目はブルー、白い長毛で立派なしっぽを持つ美人の猫でした。カスタードの卵を仕入れている湯布院の河野養鶏さんの畑に住み着いていた地域猫の中から、おっちゃんがつまみ上げた特薦の子。はかなく弱々しい白い子猫を見て、「リリー」と名付けました。白百合のイメージそのものでしたから。

特に猫が飼いたかったわけではありません。当時、オニパンはネズミの被害を被り、立ち行かない状況に瀕していました。工房の食材は食べられ、壁には穴をあけられ、壁の中の配線は何か所も切断され、人の目も気にしないほど棚や床に現れる始末。自宅の寝室の天井裏も多くのネズミが運動会を繰り広げていました。様々罠をしかけ、たくさん捕ったものの焼け石に水。ねずみはさらに増えているような状況でした。コーちゃんがいるので、猫と犬が共存できるか心配ではありましたが、そんなことを言っている場合ではありませんでした。もう猫に頼るしか道は残されていませんでした。
猫についての知識もなく、どうせ野良だからそんなに世話もしなくていいだろう、そんないい加減な気持ちで飼ったリリーでした。
3月に入ってリリーも少し大きくなり、オニパンでの暮らしも落ち着いたころに、大きな猫に襲われケガをします。まったく食事もとれず、死にそうな様子です。動物病院に行って手当をしてもらいました。そのとき私たちもやっと子の親になれたような気がしました。一緒に暮らす中で、野良と言えどなんと感情が豊かなのか、そのしぐさのかわいらしさ、犬にない猫の魅力が徐々にわかってきていました。「どうせ野良だから」みたいな半端な気分で飼いだした気分もすっかり変わり、ひどいケガに心配して初めてやって来た動物病院。そこで先生から聞いた言葉にショックを受けました。
リリーは猫白血病だということ。生きて一年でしょう。そして、この子はオスです。
リリーは、手当の甲斐もあり、元気を取り戻しました。白血病のキャリアではあっても、それを克服して、何年も生きる猫がいるとの言葉を励みに、「これからのリリーとの暮らしを大切にしよう」とママと話しました。そして、美人薄命のリリー改め、強くたくましい「リー」と改名。ブルース・リーって強かったもの。
リーは野良出身ということもあってか、外での活動が大好きでした。水は決してきれいなものは飲まない。わざわざ、外の雨水や家の中でも植木鉢の受け皿にたまった水しか飲みませんでした。そして狩りが大好き。


バッタ、コオロギなどの虫から始まって、カエル、トカゲそしてモグラ、ネズミ、小鳥。極めつけは、自分より少し小さい雉の若鳥も。狩りをして私たちに獲物を見せるときのリー君の自信に満ちた表情。リーは、どんどんたくましく育っていきました。
リーの個性として特筆すべきこと、それはフレンドリーでありコミュニケーションを求めるということです。猫らしくない猫。犬のような猫かな。ニャーと鳴かない。「うにぃほにゃむ~」何か言いながら帰ってきます。聞き取れない、聞いたことのない猫語でしゃべるときが多いのです。ご近所の生山さんのお家に遊びに行くことがしばしばでしたが、その生山さんは「リー君は、わけのわからない話をするので、ニャ~と鳴き方を教えてる」とおっしゃっていました。リーは、そんな風にお話しをするのです。誰に対しても近づいて、ベタベタとします。知らない人の膝の上に乗ったりもします。呼べば、走ってやってきます。オニパンにくるお客様は、とても喜んで、どんどんリーのファンが増えていきました。「リー君居てる?」とパンよりもリーを目当てにくるお客様もちらほら。そんな噂を聞きつけて、ついに猫雑誌の全国紙にデビューしました。
記者さんは、「たくさんの猫を取材してきたけれど、リー君ほどフレンドリーな猫は珍しい」と、褒めてくださいました。記事の文を見てますと、「ルックスも性格も良い猫店長ががおもてなし」とか「日本で最も美しい村の、最もフレンドリーな看板猫がこちらになります」とあります。リーは最大級の褒め言葉をいただいたなあと思います。そのフレンドリーさは人間に対してだけではありませんでした。友だちを求めて、コリーのコウスケにも、ベタベタの付き合いをします。
散歩するときも、コースケにまとわりつき、足の間に入り込みます。コースケはリーの頭をなめまわします。それも平気。頭はベタベタ。コースケを信頼しきっているのです。いつも平和的で友だちを求めるリー君なのです。
つづく・・・・・・

待ちに待った夏休み。今年は山行きをやめて、パン屋へ行くことに。62にもなってパン屋での修行はないだろうってか。いえいえ、いくつになっても、完成はないんだから学びは大切。特に私のようにスタートが遅いものは、まだまだ見えてないことばかり。前職の経験から言えば、10年過ぎてやっと全体が見えてきて、独自の実践は20年を過ぎたころから。だからパン屋として本物になれるのは、たぶん70を超えてからだろう。今は修行修行。
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到着したのは10時40分。船の跡形もなく、車両待ち合わせの場所には車一つなく。切符売り場に行って謝った。「すみません、遅れてしまって。」お金を払おうと思って、財布を手に取ったが係りの方は、逆に「次の便に乗っていただけますか」と低姿勢で言う。4時間後だが、陸路で行くこと思うと、疲れ方はずいぶん違うだろうと「乗ります」と答えた。お金も無駄にならないし(しかし、キャンセル料を取るような雰囲気は全く感じなかったので、遅れたりした場合取らないのかな)。気持ちは全く切り替わっていた。もう間に合わない、自業自得だと観念した時より、許される限りの楽しみ方をしないと、せっかくの夏休みがもったいないと考えだしていた。だから、この出発までの4時間を初めての国東観光にあてようと思った。
そして、鬼塚の古墳を見学。国東は「弥生の里」と言われるように、歴史は古い。そして広さを感じる。淡々と田舎の自然が続く。そして、14時40分。初めてのフェリー竹田津・徳山フェリーへ。
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184号線は良かった。江の川がずっと続いた。そこからナビは山の方へ連れて行ってくれた。三瓶山。「さんべさん」と読む。三瓶高原を通った。薄暮に広がる三瓶高原。塚原高原もよいが、それ以上に美しいと感じた。また訪れてみたい。
来たよ!ブーランジェリー・ミケ!\(^_^)/ 昨日は9時の夕食を摂って、3時起床。4時前にやって来た。このミケの店主夫妻は私にとっては大の恩人でもある。9年前東京のあこ庵でパン修行を始めたとき、あこ庵のチーフをしていたのが奥様。24歳という若さで、8人ぐらいいた職人の頭だった。40を超えていた人もいた。しかも女性は一人。仕事が終わってのミーティングなどで、てきぱきと話を進め、問題点を指摘するなど、なぜそんな年でそこまでしっかりしているのか・・・。私のパン職人としての第一歩目で出会った衝撃の人。修業中のつらい思い出の中で、彼女と接することのできた2か月は、本当に救いだった。失敗に対して暖かく接してくれた。大粒の涙を流しながら玉ねぎをむく姿にプロの職人を感じた。重たい食パンのスライサーを一人で抱えて運ぶ姿。弱音を吐かない姿。文庫本を開いたまま、椅子に腰かけ眠る休憩時間の姿。私が入ったのが4月でチーフは6月に退社。寿退社とのこと。結婚準備かあ。相手の方はどんな人なんだろう。
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カネライトフォームを切って、ペンキを塗る。
梁と梁の間の間隔は、微妙に違うので調整していく。
天井に埋め込む。入らなかったり、ゆるゆるで落ちてきたり・・・。そこは根性。あち~し。![DSCN3999[1]](https://onipain.com/wp-content/uploads/2016/08/DSCN39991-300x225.jpg)
こうやって、できていった。完成後暑い午後に天井を触ってみた。すると~なんと~まったく熱くない。発泡スチロールの断熱ってすごい。だからエアコンを27度にしておくと、問題なく27度以下になる。すご~!!上田さんに二日にわたって手伝っていただいたが、手間賃を抜いて(手間賃払っていないが)材料費で29000円。まさに「あなたの暮らし出版社」に応募したくなる件である。
こんな風に。
戸がしっかり開くようになりました。
畳ベッドの側面に柵を取り付けました。使わないときはこんな風に下へ垂らして。そして使うときは
立てて、ひもを渡します。布団が下に落ちなくなりました。![DSCN3975[1]](https://onipain.com/wp-content/uploads/2016/07/DSCN39751-300x225.jpg)
サプライズ!!予期してなかっただけに、びっくり。そして、じわじんわと、喜びが体に浸み広がっていった。従業員さんのおかげで、いまのオニパンがあるのに、ここまでしてもらったらと思うと同時に、「しっかり頑張らねば」という気持ちも湧いてきた。
この写真を見て、昨年との違いを発見。昨年の忘年会の記念写真より、はるかに皆さんの笑顔が素敵に。オニパンのスタッフもいい感じでお仕事をされているあかしだと感じた。もう一枚アップ。![DSCN3979[1]](https://onipain.com/wp-content/uploads/2016/07/DSCN39791-300x225.jpg)
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とりあえず何とか収穫できたジャガイモと玉ねぎを置いてみた。生まれて初めての農民生活での生産物。ジャガイモも玉ねぎもつくったことなかった。土が今一つで、小ぶりだが、なんとかできた。うれぴー!!。
この人の努力のたまものか。
オニパンの質的な変化をまとめたのが、このリーフレット。このリーフの表紙に書かれている言葉『「自家製」へのこだわりに おいしさと愛が 込められています」とある。この言葉に8年のオニパンが集約されていると思う。
昨年イチジクのコンポートを初めてやってみたが、とてもおいしかった。買うととても高い。当然デニッシュの価格に反映する。安くおいしいイチジクが手に入ったらと強く思った。リンゴも高い!塚原でリンゴが取れたら夢も加わる。一石二鳥!それで、果樹も取り組もうと計画。
左写真(白イチジク) 右写真(サン津軽)
た小麦たち。このほど実をつけた。
これは「ゆきちから」 刈り入れ・脱穀・製粉が課題。



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