秋・・・ 発酵の№88

秋といえば・・・食欲、読書、スポーツ・・・。
私の場合も例外にもれず、何かと意欲をそそられる。今までため込んできた思いが顔を出し、実践してみようとする。
若いころは、読書や、スポーツが主流だった。現在は、仕事柄か食が中心。それも、発酵にこだわってきている。
以前この折々帳で、発酵食品の「へしこ」を取り上げたことがある。最近、ママと頻繁に通っている湯布院の「玉ちゃん」という飲み屋風食事処で、「へしこ」を食しては、(あ~こんなへしこがつくれたらなあ。)との思いが頭をもたげる。今回は、きちんと「へしこ」をつくってみようかと、準備にかかった。へしこのレシピを調べ、塩と米麹、ぬか、魚がいることが分かった。
①魚を塩漬け(一週間)
②出てきた汁を使って、塩、米麹、ぬか、とうがらしをまぶし、重石をして一カ月。
簡単である。こだわりは、米麹。佐伯の創業300年の老舗「麹屋本店」から取り寄せた生麹と、ママが湯布院で精米する時においてあるタダの米ぬか。
できましたよ、簡単に。でも塩加減など微妙かな。玉ちゃんのへしこは、我が家のものと比べると、もっと塩からいなあ。まあ、いいや。それでもおいしいおいしい!

魚は、サバやイワシがいいそうで。しかしママは、タイやアジを買ってきた。そこがチャット残念だった。

さて、続いての取り組みは、ナツメ酒だ。中国のアルバイトスタッフのお土産には、しばしばナツメがある。中国では頻繁にナツメを食生活に用いている。調べると、血行を良くし、体にとてもいいとのこと。我が家の近所に、ナツメの木があり、昨年は、たくさん拾ってきて、お酒や焼酎につけた。酒や焼酎は、黄金色に変わり、味はとてもまろやかで味わい深いものに醸成されてくる。おいしくて、おいしくて。それを飲んで、お風呂に入って寝ると、体がポカポカして、熟睡できる。これは体験してみないとわからない。ナツメの効能のすごさ、恐れ入ることうけあいだ。

 拾ってきたナツメの実。これを一月ほど干した。だんだん、干からびて、茶色に変わって来る。
干からびていても、虫が寄ってくる。虫さんたちは、美味しいものを良~く知っているのだね。


今年は、たくさんの焼酎とお酒につけた。お正月に飲めたらなあと思っている。ちょっとお酒が苦手な人でも、少し飲んで、ほろ酔い気分になれたら、体が元気になるのではと思う。

そして、次は、もちろん、発酵のメインスター、パン酵母。私の酵母生活はこの秋も進化してきている。実は、ちょっと、やる気を失いかけていた酵母生活ではあったが、私を鼓舞する、ある刺激があったのだ。それは、一通のお手紙。
2年ほど前、オニパンカフェに研修に来ていた、ユキちゃんが、徳島でパン屋を開業したとのお手紙が届いた。私が、「いつか、あこ酵母をしのぐ天然酵母をつくれるようになったらなあ」と、口癖のように言っていたことが忘れられず、自分でこの2年、自家製酵母の研究を続けて、完成したとのこと。その天然酵母(おこめ酵母とのこと)と地粉でパンを焼いていると綴られていた。
すごいねえ!私は、とてもとても嬉しかった!ユキちゃんが、パン屋の夢を捨てていなかったこと、それどころか、自分で自家製酵母を作り上げ、パン屋開業まで道を切り開いていたこと。
忙しさを理由に、少々怠けていた酵母生活。ちょっとカツを入れて、再度仕切り直しだ。


私は、あこ酵母に魅せられている。その香り、そして味わい深い旨み。発酵力。

それをもたらしている源泉は、日本古来から伝わる日本にしかない米麹に行きつくと思っている。麹がつくりだす様々の日本食。味噌、醤油、お酒・・・。麹が関わらない発酵食品もおいしいが、あこ酵母の魅力は、米麹にその秘密があると思う。

一般的な麹を使った天然酵母のレシピはあるが、それでは、あのあこ酵母のおいしさはつくりだせない。

取りあえず、現在は、私の舌と酵母に関する知識と未熟なパン職人としての経験で、酵母作りを進めている。
いずれは、オニパン酵母が店頭に顔を出す日がやって来る。その日はいつかはわからないが、手の届く夢として私の中にある。

我が家に大きな柿の木がある。背が高く、たわわに実る柿の実にはたくさんの生き物が群がる。
10~11月は主に虫たち。1月になると熟熟に熟した果実にひよどり軍団がこの日とばかり一斉に(100羽くらいいたかなあ)やって来る。そのすごさに一昨年か、驚いたことを覚えている。今の時期は蝶や蠅、ハチたち。ぷ~んと匂う甘い芳香に寄せられて、暖かい日には特に多くの虫たちがやってくる。かなわないのは、スズメバチ。昨日も、柿のそばで大工仕事をやっていたら、「ブ~ン」と低く大きな音をを立てて目の前で威嚇飛びをしてきた。私は、のこぎりをほっぽり出し、慌てて家の中に走り込む。いなくなったのを確かめて、パン屋着用の白い帽子をかぶり、ハチに狙われないようにして、作業の続きをする。スズメバチは、黒い頭に攻撃を仕掛ける(あるいは青い色も攻撃性を高めるとのこと)そうだ。
一月ほど前、スズメバチがあまりにも偉そうに飛ぶ我が家の状況は、この柿の木に原因があると、私は柿の木を切り倒す行為に出た。我が家の柿の木は地面から1メートルぐらいより、二股に幹が分かれ、十メートル(?)ほどの背丈で、下から上までびっしりと柿の実がついている。しかもまあまあの大きさで、干し柿にもできそうだ。二股のうち一本の幹をチェーンソウで切り倒した。もう一本の幹は、ガレージの上に覆いかぶさるように伸びているので、これは簡単には切り倒せない。へタをすると、ガレージがつぶれてしまう。二股の一本を切り倒すと、手の届くところに、柿の実がうじゃうじゃと横たわっている。なんか、もったいない。毎年毎年実をつけ、多くの生き物たちを養ってきただろう柿の木をこんなに簡単に切り倒していいのかと、ふととまどう。


残った片割れの一本。この2倍の大きさで、柿が実るのだから、生き物たちにとってどれだけ大切なものかは容易にそうぞうできるのだけど・・・

私は子どもの頃より、柿が好きだ。小学生の頃は町内はおろか、山の方まで、どこの柿の木が甘いかほぼ知り尽くしていた。甘ガキは、少しづつとって食べ、渋柿は干し柿にした。軒下につるした柿は、とてもおいしそうで、一つ味見をし、一つ味見をし・・・ているうちに出来上がる頃にはほぼ食べつくすのが習わしで、結構マメに干し柿をつくっていたことをおぼえている。
五年生の時、学校で短歌の学習をした。勉強のことなどほとんど覚えていないのに、この短歌の学習だけはしっかり覚えている。みんなで短歌をつくり、無記名で好きな歌に票を入れる。私の短歌は一等に選ばれた。こんな歌。
「軒下にずらり並んだつるし柿 ひとつほしやとため息もらす」
人間というものは如何に自己中であるか。自分が一番に評価される時、46年も前のこんな短歌でさえも一生忘れずに、自慢し続けるのだから。
まあいい。それで、子どもの頃を振り返り、久しぶりに干し柿をつくった。

この柿の実、近所の人がほしいというので、3軒ほど分けてあげた。そうか、虫や鳥たちだけではなかったのか。人間にとっても役に立つのだ。この当たり前の事実に気がつかず、生き残った片割れの処分方法を考えていた自分の愚かさ。
「よし、この柿の木、もっと実がとりやすいように、剪定をしよう!」

APU(立命館アジア太平洋大学)での販売

以前パンの販売ができないものかと、APUに申し入れに行ったことがありました。その時は断られたのですが、そのご縁があってか、とつぜんAPUの方から「パン販売のお誘い」がやってきました。話では、今まで販売してきたパン屋さんがお店を閉めたとのこと。
近ごろのお店の忙しさから考え、ちょっと迷いもあったのですが、お店がお休みの木曜日に販売に行くことにしました。
大学の関係者から、1300人が暮らしているAPハウスの入り口で販売をお願いしますと言われました。APハウスには日本人を含め、様々な国々の学生さんが暮らしています。たくさん売れると言われたので、たくさんのパンを持って10月よりスタートしました。
販売には中国のジャスティン君がお手伝いしてくれることに。(前のパン屋さんの時も学生アルバイトの方を雇っていたようです)
初めてのことで、私とママはどぎまぎしていたわけですが、ジャスティン君はAPハウスのお世話役をしているような人で、かつ好青年でもあり、通りがかりの学生さんが「ジャスティン何しているの?」と寄ってきます。「パン屋さんのお手伝い。一つどうですか?」と対応。こんな感じで、何とかパンの販売が進みました。
予想と違って、パンの販売は思うようには行きませんでした。APUに来ている国際学生の方々は、決して豊かな暮らしをしている人ばかりではありません。オニパンの味も知らない、パンの値段もちょっと高い、ってなことで、買うのを躊躇する学生さんが多数。買っていくパンの傾向としては、大きくて安いもの、あるいは食事にできる食パンなど。その日はたくさんのパンが売れ残りました。
やはり現在の経済事情はAPUとて例外ではないと痛感しました。超円高で授業料や生活費は大変。話に聞くとAPハウスの家賃は一カ月3万8千円。それで、2年生からは数名で同じマンションを借りてルームシェアをする学生がほとんどのようです。その方がはるかに安くつきます。
初日の販売にママはショックを受けたようで、疲れが残る1日となりました。でも私は、若い人たちの初々しい笑顔やエネルギーに結構刺激も受け、ジャスティンのさわやかさもなかなかいいなと、半々な気分で帰途につきました。
ここですたれてはと、ママと相談して、APハウス用にパンを研究。安めのパン、大きめのパンも用意。特にAPハウス用の食パンをたくさん作りました。お店よりも2割安い食パン。これだったら売れるぞと2回目に挑戦。
私は仕込みもあり、ママだけが行ったのですが、予想通り食パンは一気に売れたそうで、中でも嬉しかったのは、前回買った学生さんが「アンデニッシュありませんか。」とか「ピーナッツクリームありませんか。」と、また買いに来てくれたとのこと。気長く続けて、オニパンの味を知っていただくことが大切だと、ママと話し合いました。

パン屋の休日 サイクリング編2 №85

前回の「お池ツアー」に続き、翌週は日出生台へサイクリングに出かけた。初めから日出生台に向かったわけではなく、塚原から安心院へ向かう途中に、分かれ道があり、「なんだこの道は?」と好奇心を起こした結果、日出生台へさまよい込んだわけだ。これを読んでいる方の中には、この日出生台をどう読むのか、また日出生台はどんなところか予備知識のない方もおられると思うので簡単に説明をしておこう。

「ひじゅうだい」日本の中でもっとも広い陸上自衛隊の演習場。1899年、旧日本軍が満州と地形が似ているということで、演習場に選んだと言われている。1997年より沖縄のキャンプハンセンから米軍が演習を移転させ、日出生台では反対運動が続いている。

東西15キロ南北5キロにわたる日出生台は、自然の宝庫としても有名だそうだ。私たちは、湯布院へ来て、生活を始めるまで、日出生台のことはほとんど知らずにいた。しかし現在も、ほとんど知らない。ただ日出生台という地名と、米軍の演習が始まる頃(2月の数日間)テレビの報道で見るくらい。

安心院のサイクリングからまよい込んだ道は、深見ダムを左に見ながら、上へ上へと登っていく。前回のお池ツアーで鍛えた私の足は、これくらいではへこたれはしない。
しばしば、お店に玖珠からもお客さんが来るので、210号線でクスにドライブに行ったことがあった。
玖珠は、湯布院からちょっと離れた場所だと思ってきた私の目に飛び込んできた看板。それは「ここから玖珠」というものだった。(あれ~、玖珠って湯布院のお隣。しかもこんなに近いんだあ!)
坂を登りきると、目の前にスンバらしい景色が広がってきた!!お~!何という絶景!長者原の景色の美しさは誰もが知っているだろう。でもこんなすぐ近くに、ワクワクするような美しい場所があるなんて、もう驚き、桃の木、山椒の木だ。

そして、またもや看板。そこには「日出生台」という地名が。

その時、「玖珠」と「日出生台」が私の頭の中でリンクした。

テレビで報道していた日出生台演習場近くの玖珠の民家は、ここなのかあ!
子どもたちが、米兵からの危険を避けようとタクシー通学を演習期間にしているという場所なのだ。

さわやかな風を受け、美しい景色を通り抜けながら、一方で重たい現実が垣間見えた、日出生台サイクリングツアーだった。

パン屋の休日 サイクリング編 №84

パン屋は休日に体を鍛えないといけない。ひと月ほど前に、チェンソーで庭のケヤキを切り倒した時より、腰痛がひどくなった。京都のチェンソー講座で、伐採の仕方を学んでいたものの、本物の大きな木を切り倒したことなど経験がない。テレビで木の下敷きになって亡くなった方の報道がしばしばあるわけで、「次は俺の番かな」など、不吉な思いが脳裏をよぎる。人生初の伐採は、過度な負担を肩や腰にしいらせていた。それから、コルセットを肌身離さず、愛用しているわけだ。
腰痛を治すためには、休養が大切だろうが、現実的ではない。お客様はパンを待っているわけで、腰痛をだましだまし、労働に励んでいる。休日に、ゆっくりしていると、次の週はより体が疲れることは、経験的にわかっている。それで、少々辛くても、休日は体を鍛えることにしている。
腰痛持ちには、ジョギングは応える。コルセットをしてジョグをしていても、翌日、さらに腰が痛くなる。それで、サイクリングに切り替えた。腰への負担はさほどなく、2時間ほど走っても、大丈夫だった。

軽トラに2台の自転車をのせた。一台はイギリス製のマウンテンバイク。もちろん私の愛車。どんな坂でも登っていくし、急な下りでも安定している。もう一台はママのバイク。これは私のよりもすぐれもので、私が「ヒーヒー」言って登っているときでも、スイスイ追い抜く代物。ヤマハの電動サイクル。
しかし、バッテリーが切れたら大変で、押していくのも重たい鉄の塊でもある。

私たちが今ハマっているコースは、湯の平温泉から長湯温泉へ続く道。夏でも涼しく、車も少なく、緑豊かなロード。軽トラを止めて、その場所から30分ほど走ってまた戻って来る。約一時間のショートサイクリングコースだ。しかし今回は、ちょっと足を延ばしてみた。

いつもの折り返し地点付近に、看板があり、「この先5K、男池」とある。男池(おいけ)といえば、超有名な名水。いったことがなかったので、腰痛持ちではありながら、男の生き血が密かに騒いだ。「行こうぜ!」ママに言った。「え~行くの!?」だいたいが、ママの反応はこう。必ず私の誘いに「いいわねえ!」と応えない。しかし、おおかた、その通りになる。
5キロといえば、自転車でゆっくりいったとしても、30分ほどだ。しかし、その5キロは、結構しんどかった。延々と急な登りが続く。「ヒエ~、ヒエ~」。
途中、「自然の炭酸水」の看板がみえた。(そうか、長湯温泉もそうだったが、この地域は、炭酸水が湧出しているんだな)
そのうち、立派な、建物と登り旗の目立つ「白水鉱泉」が目に入った。ちょと立ち寄ってみよう。

サイクリングをしているようには全く見えない、ママチャリ風のママをモデルに、白水鉱泉をパチリ。

このお水は、まさにソーダ水。砂糖を入れたらおいしいだろうと思いましたね。天然にこのような水が湧きいだしていることに、感動しますね。

さて、30分のつもりが、結局50分かかって、急な登りを制しました。あの男池についに到着。
嬉しかったねえ。