カスタード №81

パン職人にとって、カスタードクリームは、切っても切れない関係だ。それを知ったのは、パン修業にいっていた、パン屋での経験から。
カスタードはクリームパンだけでなく、デニッシュなど多くのパンに使われることを知った。そのカスタードのできは、お店のパンの味や質を左右するものでもある。多くのパン屋さんは、自家製で、その味をアピールする。カスタードのおいしいお店は、当然ながら品格のあるパン屋さんだと言える。
さて、その作り方は、いたってハードである。
見習いパン職人の若い青年は、先輩の職人さんから、厳しくカスタードクリームの作り方を教えられていた。大きな中華鍋のような鍋に入れられた、クリームの材料を強火で熱し、大きなホイッパーでかき混ぜる。「そーりゃ、何ぼやぼやしてる、クリームが焦げ付くぞ!もっと強く回さんかい!」(ちょっと大阪弁になってしまったが)
私は、見てるだけで、そのホイッパーがどのくらい重いかなんて、わからなかった。大量のクリームを作る時、焦げ付かないようにするには、ほんと大変な労力がいる。肩がキンキンになる。
自分でカスタードクリームをつくりだして、その大変さがよくわかった。
しかし、カスタード作りは、肉体的ハードさより、さらに難しいものがある。

パン屋になって、カスタードを何度も練習してつくった。だって、修行時代、一度も教えてもらわなかったから。食べて見ても、美味しくない。生っぽい。それでも、クリームパンとか作って、お店に並べた。しかし、そのうち、並べるのが恥ずかしくなり、クリームパンは姿を消した。
色々なお店のクリームパンを食べて見た。やはり、お店で売っているクリームパンは、すべて一定のレベルはある。湯布院においしいシュークリームやさんがあった。そこで、つくり方について尋ねてもみた。でも、肝心なところは教えてくれない。まあ、企業秘密なのだろう。仕方がない、自分でやるしかないと、取り組んだ。

カスタードは、「煮込み料理」という人もいるらしい。知り合いが教えてくれた。それで、今までより長く火にかけてみた。焦げ付くくらい。するとどうだ、味が格段においしくなった。カスタードクリームのネット上のレシピなど、片っぱしから読んだ。本も買ってきた。その本には、結構詳しく書いてあった。重かったホイッパーが、クリームの沸騰状態の中で、軽くなってくる。それからしばらく、また煮込む。(へえ~)そこまで煮込むのか。

煮込んでいると、鍋の底が多少焦げ付き、独特な臭いがしてくる。私はその臭いを一つの目安にしてみた。
やったぜ、結構いけるお味!私は、なんか、やっとパン屋のお仲間入りができたような気になった。それは、一年くらい前かな。クリームパンの復活!復活はおかしいな。本物のクリームパンの登場!か。

しかし、カスタードクリーム作りは、さらに新たな発展の契機をうかがっていた。これで満足していたら、オニパンの真価は疑われる。もっと美味しくなるためには・・・・。
そこで思ったのは、素材の選別。生協のものではなく(生協が悪いわけではないが)もっと良いもの、新鮮なものは・・・。
それに気づいたのは、ママがプチ旅行で買ってきた、玉名牧場の卵。その卵を割ってみて、驚いた。黄身がスーパーで売っているものとは全く違う様子。プリンとまあるく盛り上がり、色も淡い上品な黄色なのだ。食べると、黄身の濃い味が口の中に広がり、卵かけご飯がこんなにおいしかったのかと初めて気付く始末だった。
近くでおいしい卵はないか。探していて出会ったのが、湯布院の河野養鶏。鶏をひら飼いしていて、良く運動をしている。赤い卵の殻がしっかりしていて、最近のすぐ割れる卵とはちがう。黄身は色々な色があり、共通しているのは、まるく盛り上がり、黄身が破れてもなかなか中身が流れ出ない。

一つ一つの黄身が、きれいな宝石のように見えます。これは深いボール(底まで30センチぐらいある)なのですが、下に落としても黄身が割れないぐらい、しっかりしているのです。

牛乳は、近くの重実牧場の原乳。甘くておいしい。

品質がしっかりしているのはもちろんだが、
鮮度がすごい!
牛乳は、つくる日にお願いしているので、
その日の朝、牛ちゃんたちから絞ったとれとれのもの。
卵も同じ。いつも、その日の朝に電話して、お昼に取りに行く。先日は、暑くて、ニワトリたちがなかなか卵を産んでくれず、卵がそろったのが、夕方7時。それからもらいに行き、8時ごろよりカスタードをつくった。こんなに新鮮な素材はないのでは。

先日、大分市の「パティシェリー スマコ」さんがお店に来てくれ、カスタードのお話をした。スマコさんは、上質なケーキを作る有名な職人さん。私の作り方を話し、「これでいいのかなあ?」と尋ねた。スマコさんは、「問題ないわよ」と仰ってくれた。嬉しかったですねえ~。
ちょっと長い道のりだったけれど、やっとカスタードも独り立ちできるようになった。

初盆 №80

母の初盆を迎えた。今年の夏は様々に、人生について考えさせられる。
母は長崎で被爆し、悲惨な体験をしている。
18歳の彼女が見たもの、味わった思い、被った傷は、私には告げられなかった。
なぜ話さないのだろうか。
「被爆二世」の肩書を、密かに掲げて、19歳の夏、初めて原水爆禁止世界大会に参加した。
被爆者の家庭を一人で訪ね、お話を聞くフィールドワークもあり、まだまだ生々しく惨状を語る被爆者の方の辛い思いに涙した。

それからほぼ40年。東日本大震災における福島原発災害は、国民全体に「原発」の恐怖を知らしめることになる。私は、若いころより、「原子力の危うさについて」、知る機会を多く持っていた。母のことが頭にあったから、進んで学ぶ機会を持った。原発が産み出す核使用燃料廃棄物は、現在の人類の技術では処理することができないと、随分以前より指摘されてきた。原発は「トイレなきマンション」と言われ、それが産み出す「死の灰」は、海底深くにコンクリートで固められて捨てられる、あるいは土中に埋められるしかない。しかし、いつ何ぞやコンクリートから漏れ出すかわからない。それはだれも保証できない。だって、放射能が人体に影響をなくす時間が30万年もかかるというから。
そんな、そんな無責任なことをずっと以前よりやっているのが、「賢い」人間たちなのだ。
大好きな、ジュールべルヌの「海底2万マイル」のノーチラス号。その潜水艦の名をとって、世界初の原子力潜水艦の名を「ノーチラス」としたと最近知って、私は怒り心頭状態だった。

資本主義は、常に資本の増殖のために、拡大・競争を続ける。競争を続けなければ、会社はつぶれ、他の資本に飲み込まれる。如何に利潤を増やし、強大になるか、それが目的であり、自らを制御しコントロールする自律的な力は、備わっていないと思える。会社のレベルでも、国家のレベルでも、安易に利益優先の政策がとられ、その結果、国民に真の情報が伝えれず、国民が犠牲者になる。

一部の「賢い」人間によって、会社や国が、一部の人間の利益に奉仕する結果、多くの市民たちの人生が翻弄されている。それへの怒りが、今日本に限らず、全世界で噴出している。

何億もの人々の命が、それぞれに、違った人生を歩み、泣き笑いし・・・。
そんな、人間の人生の美しさ・かけがえのなさ。
だれも、奪う権利はない。勝手に左右できる代物ではない。

身近な人、大切な人の「初盆」で、今年の日本の夏は、多くの人々の悲しみが複雑に織りなしている。

安らかに、眠ってください。

塚原高原 №79

この間、雑誌の取材が二つあった。そこで、編集者とお話していて、気付かされたこと。「塚原高原は、水や空気がきれいなので、美味しいパンができるのでしょうね?」この質問に、私は「そうですね。」と答えても良かったのだが、無意識にこんなことを言っていた。「確かに水も空気もおいしいのですが、私の場合、工房から見えてくる(網戸にしているので、外の様子がわかる)夜明けの空の美しさなど、思わず手を合わせてしまうほどの、塚原の美しさに、パワーをもらっています。」
作り手の心の状態が、つくられるものに乗り移っていく。塚原で仕事をしている人々は、塚原に魅せられて、そのふところに包まれる中、生きる力を生み出しているのだと思う。
私は、天気の良い夜明けごろ、パン作りの手を止めて、20~30秒ほど外へ飛び出す。意識しているわけでなく、もうじっとしておれなくなり、日の出を見たくなる。人間の本能?
ちょっと見て、工房へ戻り、そして気になってまた外へ飛び出す。それを3回ぐらいすることも度々だ。



とても神秘的なこのような夜明けもあれば、空を赤く染めながら登りくるお日さまの日もある。
霧が出て、そこに虹がかかり、黄金いろのキツネが飛ぶ日もあった(以前紹介した)。
澄んだ冷やかな大気を細胞で感じ取り、自然の営々たる動きに、驚きと感動を受ける。あ~、生きているってすごいなあ!こんな、美しい世界で日々生かされていることに感謝しつつ、登りくる太陽に手を合わせる。世界が平和になりますように!みんなが幸せに生きられますように!

パン屋の休日~ 薪作りのために・・・№78

休日になると、疲れた体と痛い腰を忘れて、むらむらと創作意欲が湧き立ってくる。今回の話は何かというと、薪作りのための支え台だ。太い木の幹であれば、チェンソーで玉切りして、斧で薪割りするわけだが、10~20センチの直径の枝であれば、そのままチェンソーで切って薪にできる。
以前、たくさん薪用の枝をいただいたわけだが、薪にできず放置していた。そのわけは二つある。
一つは、チェンソーが切れない!刃の目立てがうまくできないという、私の未熟さ。
もう一つの理由は、かがんでチェンソーで枝を切り続けると、切れ味の悪いがゆえに長時間腰に負担を掛け、日ごろの腰の痛さが、倍増!全く休日にならないわけだ。
たまたま、ネットで薪作りのための支え台を発見。これがあれば、腰の負担が減るに違いないと、先週の休日に取り掛かった。
私にしては珍しく、ある程度設計図をつくり、長さもきちんと測って材料をそろえた。5時間ほどで完成!これが、支え台だ!

これが便利なのは、足を閉じて、収納しやすくなるところ。

さて、一週間後の今日、薪作りをお昼からスタート。
問題のチェンソーは、ネットで見つけた中古(ドイツのスチール社のもの)が手に入ったので、それで枝や幹を玉切りに。(なかなか、エンジンが始動せず、辛かったが)
ジャジャーン!見てください、今まで空っぽだった、我が薪置き場が、半日でこのように!!

送別会№77

去る7月6日、高くんとジンちゃんの送別会を我が家で開催した。APU(立命館アジア太平洋大学)4回生の二人は、この8月で卒業。9月より、大学院への進学が決まっている。高くんは何度もこの折々帳に登場した、我がオニパンの古株スタッフ。子どもの頃より餃子作りをやっているとのことで、なるほど、面棒の技術は目を見張る(舌を巻く)ものがある。

左の写真は、オニパンの人気商品「クレセント」を作る高くん。「火の玉」形に伸ばした生地の美しさ。これはやってみるとわかるのだが、そう簡単にはできない。
彼も初めから上手にできたわけではないが、この一年半の間に、すっかりパン職人になってきた。

ジンちゃんは、高くんのガールフレンド。私が初めて会ったのは、一年ちょっと前の、APUのお祭り。それから、高くんの紹介で、オニパンにアルバイトにやってきた。彼女は、とても物静か。ほとんどしゃべらず、笑顔で対応する。一つには高くんほど日本語が達者でないこともある。それと、恥ずかしがり屋の面もあるようだ。彼女は、黙々と仕事をする。何を感じて、何を思いながら仕事をしているのか私にはわかりづらいのだが、彼女から送られてくる(お正月やその他の休みなどに中国から)手紙などで、オニパンへの想いが分かるようになった。
一生懸命、書きつづられた日本語の文章から、彼女の人柄、仕事への想いなど、強く伝わってきた。ママが言うには、何も教えないのに、目で見て、できるようになるジンちゃんだそうだ。

さて、この二人がこの8月で日本から去っていくということで、李くん王さんなどにも手伝ってもらって、送別会を計画した。料理上手の李くんに料理を頼み、またママや近くの新しいスタッフの方にもサンドイッチなどつくってもらって、豪勢な料理がテーブルに並んだ。

この写真を見たらうなづけると思うが、ほんとおいしかった!高くんも、お得意の料理を披露してくれた。お酒の肴に、これ以上のものはない!と私には思えた肉料理。料理が苦手な私も、これだけは覚えようと思う。こんなうまいものはない!

中国では、当たり前のように使う「八角」という香辛料。初めは、私も戸惑ったが、今では中毒になるくらい気に行っている。この「八角」の薫りがたまらない酒のアテがこの料理。日本にはない旨さ!!以前に高くんの中国土産で、乾燥の牛肉をいただいたが、それにも「八角」の香りが。


 オニパンの若手スタッフで記念写真。