パン屋の休日 大分百山への挑戦…老体にむち打ち  その一

新年の目標としていくつか考えた。今までやろうとしてやれなかったことが多すぎて、何もかもが中途半端な人生になっている。仕事としてやっていることは、まあ、それなりにやって来れたかなあと思う。しかし趣味や教養、その他目標を決めてやって来たことのほとんどが目標不達成のままこんな年になった。人生は速い。パン屋開業を目指し仕事を辞めて10年。気が付けば63歳。あと2年で高齢者の認定がもらえる。年を取るのが嫌だとは感じなくなった。ただ、年相応の素養、識見は身に着けたいし、情熱と物事を実践していくためのそこそこの体力だけは維持したい。

人生って何のためにあるの。面白可笑しく楽しい人生であればそれに越したことはない。生まれたからには、どでかいことをやって、金儲けするか、歴史に名を残すか・・・。しかし20歳を過ぎるころから、徐々に自分の人生が見えてくる。ほとんど、そんなどでかい未来はないような、大方の若者は庶民として生きていくことを覚悟する。そして、庶民としてそれなりのささやかな幸せを得ようと努力する。幸せや夢がどんな姿をしているかは、なかなか見えにくい。それは人によって違った姿・形をしているのだろう。

人生どこでどうなるかはわからないもの。ささやかな幸せや夢を求めて、つましく暮らしてきた庶民でも、必ずしも報われることはない。紛争や戦争、飢餓や貧困、天災や人災に巻き込まれることもある。交通事故や病気もそうだ。私ら家族は30年前大きな交通事故にあった。奇跡的に助かった。それはちょっとした偶然。誰にでもあるだろうちょっとした奇跡の一つだろう。私たちはだから、たまたまいただいた運のおつりで生かされているみたいな感じで、生きてきたようなもの。

だから人生って結局何ができたかではなく、何をしようとしていたかが問われるのだと思う。限られた時間の中で、何を大事にして、何を夢見て、何に向かって生きようとするか・・・・突き詰めると、残るものは、その人の持つ生きる姿勢にたどり着く。

今一瞬、それを大切に生きる。その人の生きる質がより美しくあれば、身近な人、友だちは心地よくなる。その人を愛する。その愛は、また新たな人へとつながっていく。そしてこのように生きたいという跡継ぎをつくるものだろう。少なくとも、私の早く亡くなった友人たちは私に多くのものを残して逝った。

えらく硬いことを書いているなあ。けど、まあ、これは、真理だと思うよ。年の割にまだまだ素養のない私だから、今、素養をつけ確かな識見を身に着けた品格のあるオヤジになろうと実は努力している(しようとしている)わけだ。

素養・識見についての私の努力は、疑ってかかる輩も多いと思うので、ここは体力維持のお話に限って進めることにする。

中高年の体力作りは日々の運動から。私の場合は、週一の山行か自転車みたいになっている。ここのところ3週連続で自転車したので、先週・今週と山行へ。ちらとinfoでもお見せしましたが、先週はママと日出の山へ。大分百山の七つ石山、経塚山。日出は奥が深いですねえ。地形的にみると、海からすぐ山だけれど、趣・文化・歴史など知っていくと深いものがある。恥ずかしい話、無知な私です。しかし、地元だからといって、日出の人でさえ知らない人も多いようだ。何の話かって?それを今から書こう。

DSCN4378ここにたどり着くまでの道は、それは激坂。豊岡小学校から、ぐんぐん細い道が上っている。サイクリストのSS氏が、日々トレーニングしていた道だ(と思う)。SS氏は、現在厳しい病気と闘っていて入院中。鉄人と言われるほどの人で(自転車が鉄でできていたことから)、しかし持ち前の粘り強い根性で、ぐんぐん本物の鉄人になっていったようだ。それで、彼を鉄人にした激坂のホームグランドの見学も含め、その先にある経塚山や七つ石山に登ってみようと思った。SS氏には、いろいろとお世話になっていて、頭が上がらない。前回の「自転車女子・﨤町ん」の銭亀峠挑戦で使ったクロスバイクも、実はSS氏が貸してくださった。そんなこんなで、日出に興味が出て、今回の山行となった。

さて、この山田湧水から経塚山への登山道が始まる。登っていくと、この登山道が昔、西鹿鳴越道(にしかなごえどう)という豊前、宇佐から続く重要な街道だったことがわかった。ザビエルさんが福岡の方から宇佐、安心院、この道を通って日出に出て、そこで待っていたポルトガル船に乗りこみ府内(大分市)へいって、大友宗麟と会ったそうだ。

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日出の山を越えて安心院へと通じるこの西鹿鳴越道から経塚山へ。日出の海岸から見ると、鉄塔が見える山。経塚山もう少しの所で徐々に天候も悪くなり、風と小雨が。

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この柵の先が頂上のようだけど、閉められてるし、他の所から行けるかもしれないが、あきらめる。頂上の鉄塔だけ確認して次の七つ石山へ。

ガスも少し収まり、尾根道はなかなか素敵。思わず写真を何枚か撮る。尾根が広々とした広場のような山頂の牧場か。

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さて、七つ石山頂上へ到着。そこから眺める別府湾はとても印象的だった。いつも見る別府湾の表情と違う。この角度からは初めての別府湾。鶴崎の方がぐっとこちらに迫ってくる感じだ。別府湾が広がっていず丸く見える。面白い!DSCN4393

 

 

 

 

 

DSCN4398 DSCN4400そこの後、板川山、古城山を制覇。そして殿様道路を下へ下る。

DSCN4401この道は昔2間2尺(4.2メートル)の幅があったそうだ。整備され、籠でお殿様が通っていたのだろう。東鹿鳴越道(ひがしかなごえどう)は、山香に続く立派な道で、明治初期まで3人で人力車を曳いて上ったとのこと。この山越えの道が、豊前から文化を運んできたんだなあ。今では荒れ果て廃道となっているが、日出が栄えたのもわかる。子どものころは「日出のイナカッペ」なんて言ってたが。大分百山の挑戦はその地域の歴史や文化も教えてくれるなあ。歩行時間約5時間近く。いい運動になった。

そして、昨日のこと。3月1日。津波戸山(つわどさん)に挑戦。この山は、『大分県の山』という本で「奇岩怪石が林立し、低山にしては鎖場などが多く、登りがいのある山である」と紹介されている。風が強い日や雨の時は危険とも言われている。今私の心にある意識する山・・・ちょっと(いや相当)怖いが挑戦したい目標の山として、大崩山がある。しかし、その前に大分県の山として田原山がある。別名「のこぎり山」。そそり立った岩の尾根を歩くという危険な山らしい。大分百山制覇となると、当然その山も制覇せねばならない。年々早くなる時計の針。気が付けば一年過ぎている。どんどん年を取り、体力も減少してくる。なんか、歩いていてもふらふらするときがある。急に立つとくらっとする。働きすぎか、お年のせいか。鋸山の岩場の尾根をふらつかずに歩けるだろうか。しかも私は高所恐怖症。枚方パークの観覧車が怖くて怖くて。てっぺんに来た時、どうしようもない恐怖に襲われる。いやじゃ、もう二度と乗らんぞ。もちろんジェットコースターもダメ。どうなんだろう、これと山とは違うのかな。以前槍ヶ岳に登った。その時、怖くなかった。気の持ちようなのか。自分で進む分は問題がないのかも。機械など他の乗り物などに身を任せると、信頼ができず、恐怖が募るのかも。良くはわからんが、鋸山を制覇できずして大崩はない。もっと言えば、この津和戸山を制覇せずして、鋸山もない・・・わけだ。そういうわけで、早くせねばと焦る気持ちから、一気に津和戸山登山を決行することに。善は急げだ。しかし、一人で行って崖から落ちたら、行方不明でご迷惑も掛かる。そこでやり玉に挙げたのが、一回り若い山好きな好男子、そう以前折々帳にも登場したことのある上田家具製作所オーナーのUさん。突然の思い付きで、たまたまUさんがお店に来店してきたので、即提案。ちょっと強引に誘ってしまったが、やさしいUさんは、OKしてくれた。月曜日に来たUさんと、水曜日に山行を決定。人生急がねば。

続きは来週で・・・・その一