いざ大阪

日、月、火と大阪・京都へ。目当ては「和太鼓・民舞サークルどっこい」の40周年記念公演。書きたいことは山ほどある。時間の関係でハショル。

端的に言うと「感動」。何が?40年前に立ち上げた「どっこい」が、我々創設メンバーが活動していた当時のものよりも質的に発展していたということ。閉塞感に包まれた日本の中に、こんな場所があるんだと驚き、涙した。純粋に仲間と作り上げる和太鼓や民舞。もちろん、練習途上ではさまざまに挫折もあったという。演技のレベルがどうのこうのではなく、体や表情からほとばしり出るエネルギーや輝きの圧倒感。小学校2年生から82歳の高齢者35人がそれぞれのレベルで最高の力を振り絞っていた。

公演終了後の打ち上げ。40名で交流。全員が公演での苦労や喜びを語る。素晴らしい!涙がこぼれる場面もいくつか。学校では不登校気味の子どもたちも、こんなに晴れやかに喜びを口にしている。親子でのサークル活動参加者も数組いた。中堅の20代~30代の若者たちの自信にあふれた様子。技量のすごさは、キャリアを聞いて頷いた。保育園の時から活動していたという若者や、中学校、高校からという若者。20年もやっているのだから凄腕。最年長の82歳の女性は、私と同じ頃より。38年になる。みんなの目標になっているという。

大阪の片隅、門真という街で素晴らしいサークルが、地道に人間らしい活動の輪を広げ、存在していることは、私の今後への刺激になった。たまたまつくったサークル。しかし、作ったことの意味の大きさに驚く私。後継のみんなが、どれほど頑張り苦労してきたか、容易に想像できる。

さて、書けば切りがない「どっこい話」。せっかくここまで来たのだから・・・もう来ることもないかも、以前の懐かしき場所をレンタカーで巡り巡る。しかし、悲しいかな、方向音痴の私。いけどもいけども、どこを行っているのかわからない始末。懐かしき場所は頭の中にあるのだが、そこへは到底たどり着けなかった。やっとたどり着けたのは、Googleマップが教えてくれた以前の勤務校。

二つの学校にたどり着いた。そしてその校区巡り。しかし、恐ろしく細い道路ばかりで、その道にぎっしりの家がひしめく。消防車も救急車も入れない。こんな所だったんだとあらためて認識。塚原と門真。その違いに言葉がない。

そして京都。娘のマンションに泊まる。帰りは京都から新幹線。大阪も京都も40度くらい。かなり歩いた。重い荷物を持って。重い苦役のよう。帰りのお昼、腹が空いた。京都駅で何か食べねばと探すが2階あたりは満席。10階11階がレストラン街。上がり方がわからないので、階段で。

エスカレーターがあるのだが、真夏の日差しが暑くて暑くて。ほぼエレベーターを使っている人はいない。腹ぺこの私は勢い込んで11階の食堂街ビルへ入る。しかし・・・・並んでる~!待ってる時間的余裕はない。下りのエレベーターはなかなか動かないし、ここでも人人人。世界の観光地京都なのだ~、認識甘かった!

仕方なしに、重い荷物を持って非常階段を1階まで。

誰もいない!こんな所を下る人はいるわけないか。

こうしてなんとか新幹線へ。涼し~!!生き返った!!

駅弁買って、新幹線で昼食。駅弁ってありがたいなあ。

明日大阪へ オニパンは通常営業です

スタッフのみなさんには申し分けないのですが、私(マスター)は、大阪へ向かいます。振り返ると10年前、同じく大阪へ。10年に一度、大阪から呼び出される私。

ブログを書き始めて16年、古~いお客様であればご存じかも。私は、30の時、和太鼓民舞サークルを大阪の門真市で立ち上げました。当時はまだ目新しいもので、アチラコチラからお呼びがかかり、多いときで年に30回の公演をしていました。小さな物は地域の盆踊りや保育園の夏祭り、大きな物は数千人が集まる集会での演舞。若いから恐い物知らずでした。10年間は家庭を投げ出し没頭💦。そのサークルは今でも大阪でも有名なアマチュアのサークルです。

パネトーネを50個ほど作りました。メンバーへのお祝いとして。

10年前の記念公演では、私も舞台で踊りました。流石に今回は、そんな企画もなく。

40年前の画像。職場の速見小学校での練習風景です。近所迷惑なので、太鼓に毛布を。青春時代。

だれですか、ジャガイモを掘り出すのは

近頃の野菜の物価高。値段音痴の私でさえ、スーパーで野菜を買うとき怒りが湧いてくる。なんでこんなに高いのだ!そういうわけで、自分で少しでも作らねばと、ジャガイモを植えた。

何で今頃ジャガイモ?それは、使い残したジャガイモから芽が生え、それを畑で再利用ってなわけ。

多分育つだろうとママ。私は、暑い中、牛糞と化成肥料を入れた畝をスコップで。そして、40株ほど植える。その翌日のこと。

きれいにほじくり出されている!!

ほじくり出して食べようとしたのだろうが、ジャガイモの身の部分はほぼ腐れかけて食べられない。だから放置。驚いたのは、全てのジャガイモを丁寧にほじくり返している。マルチはそのままで。
こんな丁寧な作業が出来るかしこい人は誰?って聞きたくなる。相当頭良さそう。

手で穴を掘るアナグマさんかな。多分そうだろう。よく見ると、(今気づいた)地面に足跡らしき物がある。

ママと電気柵でもしようかなと相談しているところだ。

単管は感嘆!単管は簡単!

単管を使って何かを作るのは、今回で4度目だろうか。車庫、薪小屋、農具倉庫。そして、デッキの屋根!単管は少々重量があるものの、堅固で形を作るのが簡単といえば簡単。単管といっても慣れていない人には、意味が不明かも。それでは、お披露目しようか。

設計図を作るところが少しむずかしかったが、いざ作り始めると早い。単管を切断するところから始まって・・・上田社長と二人で、それぞれグラインダーで切る。火花が時々腕に当たり、ちと熱し。

さて、こんな形になるまでの話。

上田社長が今回も手伝いに来てくれた。単管で骨組みを作る前に、デッキの傾きが気になった。そこで、デッキをジャッキで持ち上げ水平を確保しようということに。

社長は率先して、デッキ下へ。持ち上げたデッキ基礎を調整。ご苦労様です。

デッキ調整終了後、単管取り付けスタート。しかし、私の作った基礎がずれていて、デッキ一部を削る。

こうして、組立てていくと・・・

徐々に形が。正面の単管が長く、とりあえず真ん中で仮設の補助で支える。そして、ここで秘策。

社長が、デッキに穴を開け始める。

ここに正式な正面水平の単管支えを入れる。この支えがないと持たない。

これは完成図。白い階段の右側に支えの単管があるでしょう。これがポイントかな。こうして、ほぼ完成。あとは屋根を張るお仕事が。

ついでに、ログの奥、見た目が今ひとつなので、廃物利用で柵を作る。

ちょっと変かな。まあいいや。

鹿災難で生き残ったレンギョウに・・・

夕暮れ時の第2工房。暑い夏、塚原高原の涼風は、昼間痛めた肌をいやしてくれます。

私はこの敷地のレンギョウたちの状況を日々観察します。朝夕の日課。鹿の足跡、ネットの状況(潜って入る子鹿あり)、レンギョウたちの様子(葉っぱ食われてないか)。

一時は棒のようになった枝たちも、小さな葉芽を出し、再生する姿に命のたくましさを実感してきました。昨日はその枝の一部に黄色い物が・・・

鮮やかな黄色のかわいらしい花!