銭亀

オニパンにやって来るサイクリストの方々から、よく聞こえてくる「銭亀」。
私はそれが、サイクリストたちの登竜門的な練習場所だと知ったのは最近のこと。
大分の有名なサイクリストの白黒さんのブログを見ると、度々「銭亀」が出てくる。
朝早くから「銭亀」で練習とか、長~い距離を走ってから家に帰る前にもう一度「〆の銭亀」をしたとか。
先日も57歳の女性のお客様がおっしゃっていたことが、強烈に脳裏に残っている。
その方のご主人(多分60歳ぐらい)もサイクリストだそうで、「今頃、銭亀で練習しているはず。」と、言っていた。そしてその方の妹さん(53歳)も最近、自転車に乗り始めたとのこと。銭亀に挑戦して、一回こけたそうだが、仲間に助けられて、銭亀を制覇したとのこと。
私は「え~!53歳で、しかも自転車を初めて間もないのに、銭亀に挑戦したんですか」
思わず、声を出してしまった。
「銭亀」が私の頭の周りを、ついて離れず、飛んでいる状況が数日続く・・・・

1月に入って、実は秘密の特訓を続けてきた。
人が感動したということを自分でも味わってみたいという気持ちが私を突き動かす。
さむ~いのに、あんな薄着で塚原高原までやってくるサイクリスト。変人、変態と言われても(失礼)いいぐらいの行為。そんなに自転車って魅力なのか。

1月14日、かねてより目論んでいた「APU」のヒルクライムに挑戦。
関の江のマルショクをスタートしてAPUを通過し、500号線までの激坂(私にとって)。
自動車で距離を測ると4.8キロだった。
特に初めの坂はめっちゃとんでもな坂。サイクリストに出会わなければ、こんな坂を自転車で登れるなんて考えも及ばなかったような坂だ。
ほんとうに世の中は広い。知らない世界がたくさんあるものだ。
お陰様で私は61歳にして、こんなとんでもな坂に挑戦する羽目になった。
ダイさん(サイクリストのブログ名)が教えてくれたダンシング走法。普通に言えば立ちこぎ。
これで行こうと思っていたが、立ってペダルを踏むには坂が強烈過ぎて、足が一分ほどで乳酸飽和状態になる。
どうなんだろう、私はダンシングの方法がわかってないから乳酸がすぐにたまるのか。
それとも激坂ではダンシングは通用しにくいのか。
よくわかんね。
しかし、私はお尻ペタで、(とにかく何があっても足は着かねえぞ~)って踏ん張った。
(心折れてはなんねえ、折れてはなんねえ!)呟きながら、必死でペダルを踏んだ。
歩くより遅いスピードで、こけそうになりながら、踏ん張った。
汗がしたたり落ちる。信号までの激坂を突破した。ちょうど運良く信号が赤!!
しかたねえ、赤じゃあ停まるしかねえなと、しばし休息。
そして、また踏ん張った。お~APUの学生寮だあ。ここまで来たぞ。信号を過ぎてから、ちょいと楽になった。そして最後、エネオスのガソリンスタンドの辺りはちょっときつい。
そんなこんなで、激坂4.8キロを制覇です。所要時間50分ぐらい。強いサイクリストは20分くらいで登るそうな。私はその2.5倍の時間がかかった。
苦しい時間をそれだけ耐えたという意味では、なかなか大したものだと一人納得。

左は証拠写真です。
突き当りに十文字原から続く500号線の表示が見えています。
この後、明礬温泉の方から海の方へ下り、また関の江の方へ戻りました。そして、ワゴンに自転車を積んで、塚原まで帰りました。

翌週のお休みの日は、10キロのジョギング。久しぶりなので足が筋肉痛。
そして、今週のお休み火・水。
昨日は今日の日のために5キロのジョギングをし準備を重ねる。
その後別府に行く用事があったので車でコースの確認をした。
デンケンから銭亀峠まで約3.9キロ。

おお、あった!これが噂の銭亀石。

初銭亀の日がやってきた。
デンケンの前にワゴンを駐車。そして、例によってマウンテンバイクを降ろす。

白黒氏によればここがスタート地点みたい。
ここに来るまでに、2名のサイクリストとすれ違う。やってるやってる、トレーニングだ。

さて、私もこのサイクリストの聖地で、私の歴史をつくるのだ。
さあ、今日もダンシングに挑戦だ。
「攻めるダンシング」は、私にはまだ無理なので、「休むダンシング」で、行けるところまで行ってやろう。

「ダンシング♪、ダンシング♪」
あれれ、できるじゃないの。なんで?
ほぼ、立ちこぎ状態で進む。
まあスピードは遅いのだが、それでも乳酸飽和状態にはならない。
中間地点の林まで来ても、まだ持っている。
途中サイクリストとすれちがう。彼の方から、大きな声で「こんにちは!」のご挨拶。
気持ちいい。私は下はウィンドブレーカーのズボン、上はジャージ、そして登山帽のいでたち。どうみても変なおっさん。かっこいいサイクリストはそんな私を仲間として見てくれたのか。
なぜ?そんなに私のダンシングが素敵だったのか?
とにかく気持ちのいい挨拶。

汗はかいているものの前に進んでいく。
そして峠の頂点。そこから下って・・・・銭亀峠だあ~!!!!

やりました、やりましたよ。私も銭亀制覇!!!!
APUの時よりちょっと進化したのかな。
一応タイムは29分でした。
速い人は12分前後らしいですね。
とすると、やはり2.5倍か。
まあいい。今回はAPUの時より苦しくなかったし、ダンシングができた。

これが証拠写真。白黒氏の真似をしてみました。銭亀峠は昔より交通の重要なポイントになっていたんですね。景色もいいし、いい経験ができました。
さて、次は・・・・・

別府店一周年=還暦一周年

この1月18日で別府店開店一周年(私の誕生日=還暦一周年)。
波乱万丈というと少し大げさになるかもしれないが、別府店の一年はそれほど変化めまぐるしいものがあった。
塚原で製造したパンを持っていくわけで、朝からお店を開けるわけにはいかない。しかしお店の体をなすためには、12時ごろよりの開店が望ましい。とにかくそれを目指そうと、別府店をスタートした。
しかしこれは数日で破たん。次に12時半。これも破綻。次は1時。これも破綻。
あきらめあきらめで、結局2時に落ち着いた。
確か5月の連休明けくらいから14時開店になったと思う。
このようなことになってしまったのには、それなりのお家の事情があるわけだが、多くの方々に大変ご迷惑をかけることになってしまった。
お店の情報を流してくれるブログや情報誌など、開店時間のどれが本当なのか、推理と憶測が入り乱れた。

お客様もオープンより5月頃まではたくさん来ていただいたが、6月以降潮が引くように少なくなっていった。売り上げも最盛期の半分~三分の一ぐらいに減る。

えらい具体的に書いちゃってだいじょうぶかいな。
まあ、そこんとこはそういう性格だし、商売いろいろおまっせってとこで、気を遣わんといて。
続けます。

このままだと大変だ。何が問題なのか。どこを改善すべきか。いろいろ考える。
塚原店は、お客様は減っていない。パン自体に問題があるわけではなさそうだ。
「新規オープンの店は、はじめお客様がたくさん来ていても、3カ月もすればスーッと引いていく。」これはよく聞く話だ。
別府店も同じ状況。
売れ残りが多くなって、その処理に困る。だから、パンの数を減らして持っていく。
すると、棚に並ぶパンの数が少なくなって貧相になる。さらにお客様が減る。こんな負の連鎖が続いていた。
オニパンの売りは食パン。これを、北高架商店街近くの野口町に知らせよう。北高架商店街にパン屋があることを、地域の人に知ってもらおう。
従業員さんと私で何回かビラ配布をした。わずかだが、反応があった。
動けば必ずリアクションはある。大切なことは、あきらめずにアクションを続けることだ。

2階のスペースをカフェにすれば、多少なりとも利用してくれるお客様も来るだろう。
そこでパンを食べる人もいるだろう。あっそうだ、売れ残るくらいのパンを持っていけば、その売れ残りを「お買い得パン」として買ってくれる人も出てくるのでは。
ある程度のパンがそろってないと、お客様にとっても魅力はないだろうし。
14時オープンではなく、当初の12時オープンに戻そう。そのためにアルバイトの人を探そう。

こんな感じで、再スタートを切ったのが10月25日。
この日以降、別府店は12:00スタートとなった。12:00~お買い得パン、プチカフェ。
14時以降は、焼き立てパン、プチカフェ。17時まではパンが売り切れても、ご注文や接客の対応のためお店は開けることとした。

それから3か月。努力は続いている。徐々に売り上げは伸びている。
壁にぶち当たったとき、クールに状況を分析し、新しい方針を打ち出すこと。
そして行動すれば、新しい状況は生まれる。もし結果が負であれば、さらに分析と再方針。
そのことの大切さは誰もがわかることだろう。
でもさらに大切なことがある。
それは、その方針を熱いハートで実践する人の問題。
オニパンで働く清家さんと山本君は身を粉にして頑張ってくれている。
製造技術はどんどん上達し、厨房には、私が3人いるような状況になっている。
否、年とともにボケてきている私の注意力は、二人のご迷惑になっているかも。
二人は交代で別府店へ。そして6時ごろに塚原へ戻ってくる。
良く売れたときは、笑顔で息を弾ませて報告してくれる。
アルバイトの塩手さんと小野さんも一所懸命やってくれる。
12月の暮れ、私とママとその4名で忘年会をした。
楽しいひと時だった。
オニパンカフェは若い4名の働き手によって支えられている。
おいしいパンづくり、お客様の笑顔を大切にする思いを忘れずに努力すれば
きっと新しい局面は訪れるはず。

2015年 新春 対決の年 №139

元旦より降り続く雪。塚原は銀世界に。
午前中雪がやみコーちゃんと散歩に出た。
今日は幾分気温も温かく感じられる。それでも-3度くらいか。
雪もやんでいるせいか、リーちゃんも現れた。
新年初の共同作業。記念写真をパチリ。

リーはコースケとの散歩が相当好きなのか、
寒さを嫌う猫界の常識を覆し雪にはまりながらもついてくる。


ついてくると思いきや、我々を抜き去る。
尻尾をノボリのように振り立て,疾走する姿に
コースケもほれぼれと眺めている。


しかし、リーの散歩の真の狙いは、「自然を体感し心身を開放する」なんて、我々が普通思うところとは全く別のようだ。


リーは方向を変え、コースケに突進、そしてコースケに狙いを定めパンチ。


パンチ、パンチ、ネコパ~ンチ!!

人好きなオニパンの看板猫リーは、人にやさしくコースケに強い猫だった。
他のネコとの喧嘩対戦戦績は5戦5敗。実に弱い。
つまりリーが勝てる相手はコーちゃんのみ。

一方コースケは、どんな犬も人も噛んだりはしない。もちろんネコも。
優しすぎる。
しかし、ウ~と歯をむく相手がいる。それは、私とママ。

結論。
どんな生き物も、自分を認めてくれる存在がいないと生きていけないという事か。
あるいは、自分の主張は、最低限必ずしないと、存在が保てないという事か。
リーの対決にはそんな意味があるのかも。

何年か前、この折々帳で、新年のテーマについて書いたことがあった。
ほぼ毎年、正月は旧年を振り返り、今年の課題やテーマについて考えることにしている。
人それぞれに、仕事、家族、趣味、その他夢など抱えていて、具体的に見るとなかなか簡単に言えるものではない。一つに絞れないほど、私たちの生活は複雑多岐にわたる。

例えば、仕事に関していえば、昨年の一大エポックは別府店の開店。
そして、従業員さん2名の採用。
全く新しい環境と課題を抱えながら奮闘した一年だった。
お店の拡大は経費を増やし、仕事の量と質を変えていく。
負担は確かに増えた。
しかし同時に新しい出会い経験も増えた。
昨年はオニパンカフェにとってとても素敵な一年となった。
お客様に喜ばれ必要とされることは、この上ない幸せである。
パン屋冥利に尽きる。
期待を裏切らないよう、より多くの輝けるひと時を
つくっていけるよう今年一年もがんばっていきたい。
つまりオニパンカフェの初心に立つということ。

「人はパンのみに生きるにあらず」とは有名な聖書の言葉。
目の前の食糧、給料は基本だがその基本を前提にどんな生き方をするかで
人生に意味が出てくる。
紅白歌合戦に31年ぶりに出場したサザン。デビューした当時の「胸さわぎの~腰つ~き♪」
は鮮烈だった。国民的人気バンドが出るっていうことで、相当な関心を集めた紅白。我が永遠のアイドル「聖子ちゃん」が大トリということもあって、私の中では、紅白視聴が大みそかの最大行事であった。
今年はいろんな騒動があったNHK。政権べったりとまで非難される報道姿勢。ますますお固くなってきた印象。
サザンが下品な下ネタやったら、日本はひっくり返るだろうなあとか思って・・・。でも彼らも年だし、そんな馬鹿さはないだろうし、結構最近は立派なことを言ってるし・・・。

サザンすげ~!お見事!りっぱあ~!
私の期待を逆の正統派な路線で貫いた。
歌詞にもあったが「裸の王様」に例えての日本の現状を鋭く風刺。
ネットのニュースで最近知ったが、サザンのライブに人気取りのためか鑑賞に行った安倍総理。一国の総理大臣を前にしてアドリブで「年末の総選挙、解散の意味あったの」と歌ったそうだ。「大きくのけぞった安倍総理。」とあった。

サザンの曲の中身に私も大いに賛成。今のきな臭い日本の流れに憂う国民は多いはず。
しかしそれ以上に感心するのは、その自立した生き方。
島的環境で生きてきた日本人は、絶えず周囲との協調抜きに暮らせない。
そして、出る杭は打たれるのを恐れ、付和雷同で当たり障りなく生きていく。
サザンの姿勢に私は深く感動した。
翌日(元旦)の朝日新聞。一面をとってサザンの「平和の鐘」という曲の歌詞が掲載されていた。
戦後70年という意味を考える一年にしなければ。
そして、自立して、生きていかねばと思う。

不条理なことに、おかしいと思うことに身をゆだねたくはない。
黙ることは黙認という言葉に通ずる。表現の方法は、相当考えなければならない。
しかし勇気を出して対決していく。
60を過ぎれば折り返し点。今まで通り過ぎてきた道の問題点はよく見える。
年不相応かもしれないが、今年はあがきたい。

7度目の冬が来た №138

早いもので塚原に来て7回目の冬を迎える。
朝起きると(17日水)一面銀世界だった。
全国的に寒波が襲来しているとの天気予報。
昨年の豪雪を思い出す。
塚原も歴史的な積雪だった。40年ぶりだと地元の方が言っていた。
オニパンカフェでも被害が出た。煙突が折れた。
ガレージの屋根がつぶれそうなので、下からつっかい棒をして支えた。
すでに今年の雪で大変な被害が出てるという。

とりあえず、コーちゃんと散歩する。
平和である。
寒いのに、コーちゃんは嬉しそう。

すると、なんと、リーちゃんがまたもやついてくる。
半ノラ(半分野良猫)のリーは、たくましい。
雪の中を鹿のように駆ける。

そして森の中へ入っていく。

森の中でコーちゃんと対峙。

得意げに木に登って上からコーちゃんを見下ろす作戦。
いつもやっている。
「ど~だ、コーちゃんにはできないだろう」って言うリーの声が聞こえてきそう。


ところが、今回は雪のためうまく上に上がれず途中の幹にぶら下がる。
下からコーちゃんにお尻をなめられ
何ともばつの悪そうなリー。

さすがに冷たかったのか(零下4度くらい)
お家に帰って、ストーブの前の指定席で朝寝。
平和な朝の一コマ。

話は変わって、最近の我が家の話題。

我が家にある背の高い渋柿の木。2年前二股に分かれた幹の半分を切った。
それを今年さらに切った。
背を低くすることで、より大きな果実をつけるとの話を聞いたからだ。


先ず比較的切りやすい枝を切り落とす。
結構柿の実が付いている。

枝を切るのも大変。高いはしごの上で、
キコキコとのこぎりを引く。
肩がしんどい。

問題はまっすぐ天に伸びる幹。
これがめんどくさそう。

こんな感じで何とか切れた、ふ~。
切った後は、また芽が出てくるので、
缶をかぶせておいた。これで完璧。
来年は大きな実がなるぞ~。
ほしい方にはプレゼントしよう。
今年でも軽く700個は実がなった。
来年は大きな実が300はできるだろうな。
なんて、絵を描いているが・・・。

さて、次の話題。

最近頻繁に来られるサイクリストのお客様。
私も少し刺激を受けている。
運動は毎週欠かさずしようと思ってきた。
なかなか時間が取れないときでも、軽くジョギングなどをする。
パン屋にとって一番大事な足腰の鍛錬。
その運動を最近は自転車に置き換えている。

以前もゆったり、のんびりサイクリングをしていた。
しかしこの間は内容が変わってきている。
それは、ヒルクライム。
な~んちゃって言うと、ちょっと本格的に聞こえすぎか。
私はクライマーなのだ。
中高年はクライマーが似合うのか。
山登りもそう、断然中高年が多い。
自転車でも私はクライマーを目指そうと思う。

地の利、塚原高原。
私の周りには、一杯素敵な練習場所がある。
あの坂この坂と4か所ほど何とかクリアーできた。
ギアを一番軽くして、歩く速さより遅いぐらいの
まあサイクリストとはだれが見ても思えないような
へっぴり腰のブサイクリストって感じかな。

クライマーにこだわるもう一つの理由がある。
オニパンのお客様に大分の有名なサイクリストさんがいる。
彼は職場のある日出の海の近くからすごい斜度の道(5キロくらいあるらしい)
を登って塚原までやってくる。
私は初めてこの坂を海まで下った時(数年前)、その道を下りながら(こんなすごい坂が別府にあるのだ)と驚いた記憶がある。険しい渓谷沿いの道だ。
この上り坂を登って仕事帰りに(疲れた体で)オニパンまでやってきて、パンを食べ、そして大分市の家に帰宅するのだ。
しかも朝は、職場まで(大分市から日出まで)自転車通勤。
なんという恐ろしい体力。
そして、最近その恐ろしい坂道を下りながら
(ああ私もこの坂を登れたらすごいことだなあ)なんて、怖げな夢を一瞬みてしまった。

まあ、無理だとは思うが、ちょっと上り坂に関心が出てきたというわけ。

そして先週、ママと一緒に坂道に挑戦。
ママも最近自転車に興味を持っている。
ママが院内の「よりよ」っていう介護福祉施設に行って、そこから
耶馬溪の方へサイクリングをしようと誘う。
院内までは自転車で行けたとしても、帰れるわけがないので(私はサイクリストではないので)
パン屋の軽ワゴンに自転車を積み込んで、「よりよ」に向かう。

「よりよ」の施設長さんもオニパンのお客様でお世話になっている。
「よりよ」をスタート地点に、峠の鹿嵐(かならせ)トンネルを目指す。
結構長い上り坂だ。
今回は立ちこぎに挑戦。少しずつ練習をしている。
なんか慣れてきたのか、割と長い間できる。
結局ほぼ立ちこぎで峠まで登りきれた。
時間は約50分。
結構自分でも「やれるな」と自画自賛。
立ちこぎのことをサイクリストたちは「ダンシング」って言うのだと。
後ろから見てると、ダンスを踊っているように見えるかららしい。
それぞれの人に応じて自分なりのダンシングを会得するのが大切なこと。
クライマーを自任するからには、私も自分なりのオニパンマスターダンシングを目指そうか。

ちなみにママも峠まで登りきった。
ただし、途中で何回か自転車を押したりしながらだが。

でも、それなりに大した根性だ。

次の目標は10号線の関の江マルショクから
APUを通過し、500号線まで。

ダイさん(お客様のサイクリスト)によれば、20分ぐらいで登りきるとのこと。

私は目標を40~50分ぐらいにして、とにかく足を着けずに登る。
さあ、できるかな。

やっと実現、手づくり瓦そば・・・ありがとうTさん №137

今年の夏休み一人旅は、下関。その体験を折々帳に書いた。
感動の「瓦そば」2連発。
パン作りはうまい私だが(自画自賛)、からっきし話にならないのが手料理。得意技は、カレーと卵焼き、インスタントラーメン。
そこで一大決心したのが、瓦そばを私の数少ない手料理の一つに加えることだった。
しかし、夏休みが終わり、激しいパン作りが始まると「瓦そば」はどこかへ飛んでいきそうに・・。

今までもそうだった。
好奇心の強さからいろいろなことに手を出すのだが、なかなか長続きがしない。あれもこれも中途半端。結果として広くて浅い知識、深まりがない。
瓦そばも、そんな私の犠牲者になりそうだった。

継続は力なり。まさにそう。
何度も何度も繰り返されているものしか、発展はない。繰り返しの中で、問題が明らかにされ、改善が進むわけだ。
パンもカレーも卵焼きもインスタントラーメンも回数の勝利なのだ。(繰り返される状況・環境さえ整備されれば、物事一定上達できるわけだ)

かわいそうな瓦そば。
あんなに感動的な出会いだったのに。

半ばくじけかけていた私の情熱。
ママの誕生日にせめてものプレゼントとして、私の手料理をと考えていた。
それも、あの、おいしい、瓦そばを。
誕生日が過ぎ、(まあ、しかたないか、次の休みの日にでも)と気を取り直した。
ところが、次々と押し寄せる、仕事、課題。
瓦そばの味さえも思い出せなくなりそうだった。

気が付けばママの誕生日から2か月が過ぎた。
ははは、なさけな、かかか、かわらそそそ、ば。

11月23日(日)は、朝から多くのお客様が。
そんな中、ふっと顔を見せたのが、下関のTさん夫妻。
夏休み一人旅でお世話になったお客様。
優しい笑顔とともに私に差し出したもの・・・
何と、瓦そば!!

しかも、私の性格(根性)を、見抜ききった・・・
かのような、付属品までつけて。

袋の中に入っていたものは・・・・。

茶そば、出汁、のり。

だけだはなかった。

大根も!

とても甘い大根でした。

そして・・・。

刻んだネギと味付けした牛肉まで。

ありがたい!ありがたい!ここまで、してくれていたら、どんな根性の人間でも、
手づくり瓦そばはできるぞ。

そして、私の料理がついに始まった。

得意の卵焼きを作り、ちょっと固めに茶  そばをゆでる。

そして、ホットプレートでそばを焼く。
その上には味付け牛肉、ネギ、卵、のりなど をのせる。


大根おろしを入れた出汁にアツアツのそばを浸けて食する。

う、う、うまい!

あの感動の味だあ!
ありがとうございます Tさん。

よし、今度は、全て自分でつくるぞ!!
ぜったい!!
やるからな!!!