2015年 新春 対決の年 №139

元旦より降り続く雪。塚原は銀世界に。
午前中雪がやみコーちゃんと散歩に出た。
今日は幾分気温も温かく感じられる。それでも-3度くらいか。
雪もやんでいるせいか、リーちゃんも現れた。
新年初の共同作業。記念写真をパチリ。

リーはコースケとの散歩が相当好きなのか、
寒さを嫌う猫界の常識を覆し雪にはまりながらもついてくる。


ついてくると思いきや、我々を抜き去る。
尻尾をノボリのように振り立て,疾走する姿に
コースケもほれぼれと眺めている。


しかし、リーの散歩の真の狙いは、「自然を体感し心身を開放する」なんて、我々が普通思うところとは全く別のようだ。


リーは方向を変え、コースケに突進、そしてコースケに狙いを定めパンチ。


パンチ、パンチ、ネコパ~ンチ!!

人好きなオニパンの看板猫リーは、人にやさしくコースケに強い猫だった。
他のネコとの喧嘩対戦戦績は5戦5敗。実に弱い。
つまりリーが勝てる相手はコーちゃんのみ。

一方コースケは、どんな犬も人も噛んだりはしない。もちろんネコも。
優しすぎる。
しかし、ウ~と歯をむく相手がいる。それは、私とママ。

結論。
どんな生き物も、自分を認めてくれる存在がいないと生きていけないという事か。
あるいは、自分の主張は、最低限必ずしないと、存在が保てないという事か。
リーの対決にはそんな意味があるのかも。

何年か前、この折々帳で、新年のテーマについて書いたことがあった。
ほぼ毎年、正月は旧年を振り返り、今年の課題やテーマについて考えることにしている。
人それぞれに、仕事、家族、趣味、その他夢など抱えていて、具体的に見るとなかなか簡単に言えるものではない。一つに絞れないほど、私たちの生活は複雑多岐にわたる。

例えば、仕事に関していえば、昨年の一大エポックは別府店の開店。
そして、従業員さん2名の採用。
全く新しい環境と課題を抱えながら奮闘した一年だった。
お店の拡大は経費を増やし、仕事の量と質を変えていく。
負担は確かに増えた。
しかし同時に新しい出会い経験も増えた。
昨年はオニパンカフェにとってとても素敵な一年となった。
お客様に喜ばれ必要とされることは、この上ない幸せである。
パン屋冥利に尽きる。
期待を裏切らないよう、より多くの輝けるひと時を
つくっていけるよう今年一年もがんばっていきたい。
つまりオニパンカフェの初心に立つということ。

「人はパンのみに生きるにあらず」とは有名な聖書の言葉。
目の前の食糧、給料は基本だがその基本を前提にどんな生き方をするかで
人生に意味が出てくる。
紅白歌合戦に31年ぶりに出場したサザン。デビューした当時の「胸さわぎの~腰つ~き♪」
は鮮烈だった。国民的人気バンドが出るっていうことで、相当な関心を集めた紅白。我が永遠のアイドル「聖子ちゃん」が大トリということもあって、私の中では、紅白視聴が大みそかの最大行事であった。
今年はいろんな騒動があったNHK。政権べったりとまで非難される報道姿勢。ますますお固くなってきた印象。
サザンが下品な下ネタやったら、日本はひっくり返るだろうなあとか思って・・・。でも彼らも年だし、そんな馬鹿さはないだろうし、結構最近は立派なことを言ってるし・・・。

サザンすげ~!お見事!りっぱあ~!
私の期待を逆の正統派な路線で貫いた。
歌詞にもあったが「裸の王様」に例えての日本の現状を鋭く風刺。
ネットのニュースで最近知ったが、サザンのライブに人気取りのためか鑑賞に行った安倍総理。一国の総理大臣を前にしてアドリブで「年末の総選挙、解散の意味あったの」と歌ったそうだ。「大きくのけぞった安倍総理。」とあった。

サザンの曲の中身に私も大いに賛成。今のきな臭い日本の流れに憂う国民は多いはず。
しかしそれ以上に感心するのは、その自立した生き方。
島的環境で生きてきた日本人は、絶えず周囲との協調抜きに暮らせない。
そして、出る杭は打たれるのを恐れ、付和雷同で当たり障りなく生きていく。
サザンの姿勢に私は深く感動した。
翌日(元旦)の朝日新聞。一面をとってサザンの「平和の鐘」という曲の歌詞が掲載されていた。
戦後70年という意味を考える一年にしなければ。
そして、自立して、生きていかねばと思う。

不条理なことに、おかしいと思うことに身をゆだねたくはない。
黙ることは黙認という言葉に通ずる。表現の方法は、相当考えなければならない。
しかし勇気を出して対決していく。
60を過ぎれば折り返し点。今まで通り過ぎてきた道の問題点はよく見える。
年不相応かもしれないが、今年はあがきたい。