創めの第一歩 塚原パン小麦研究所№151

「園田しあわせ農園」での歴史的な第一歩が踏み出されました。

書き出しがちょっと格調高すぎか。
しかし、もしかすれば、そうかも、と思っている私。

しあわせ農園でパン小麦を栽培するために、準備を重ねてきたわけです。
九州産の「みなみのかおり」という品種は、この塚原には向いていないと「農業試験場」の
方にアドバイスされ、それでは何を栽培すればと探し求めたわけです。
その結果が、結構重大な未来を内包しているのではと、
今感じている私なのです。

どうも、塚原の気候は、岩手県の南部ほどの気候に近いのでは。
だとすれば、岩手県の「ゆきちから」ではどうなのか。
以前、「ゆきちから」で食パンをつくったことがあるが、まあまあの味だった。
そこで、「岩手県農産物改良種種苗センター」に問い合わせ、相談。
そこの方が親身に相談に乗ってくださり、2種類の種を送っていただく。

「ゆきちから」は、岩手県のパン小麦の主力品種。
では「銀河のちから」は、どういった品種なのか。

話は変わるが、オニパンでは「ユメチカラ」という粉を玄米生地で使っている。
これは、日本のパン小麦の歴史を大きく塗り替える新しい品種として登場したもの。
外麦(ガイバク)の持つ強いグルテンや硬質な麦質が大きくふわっとしたパン作りに欠かせないもので、内麦(ナイバク)は、どうしても小さく固くなりがちだった。味的にも今一つ。
「ユメチカラ」は、この国産小麦の常識を打ち破る「超強力小麦」。
その力が強すぎて、強いゴム風船が膨らまないように、その力を緩め伸展性のある他の小麦と半々に混ぜることで、外麦に負けないふっくらとした大きなパンをつくることができるというわけだ。(折々帳№94「国産小麦考」と合わせて読むといいです)

ユメチカラは、現在、市場でも大きく販売を伸ばしている。私が目をつけ購入した4年ほど前には、全く市場にも出回っていなく、値段も普通の小麦の3倍以上だった。

「銀河のちから」は、北海道産のユメチカラに対抗して、未来を切り開く新品種の期待を担って生み出された。ユメチカラとは、違う成分要素で、超強力ではあるが、うまくいくかどうかは使い方にもかかっているとのこと。
例えば米粉などと混ぜるとか、ミキシング時間や水分量をどうするかなどで、大きく変わってくる。まだまだ不透明な未来図。銀河の宇宙のような、未解明な世界。
しかし、製パン特性を調べた実験結果では、すでにパンとしての味や質は高く評価されている。
だから、取り扱い方次第で、もっと可能性が出てくるという意味。


おいしく安全なパンづくり。その前提として、小麦栽培がある。
その一端として、パン小麦の栽培をも試してみたくて、「塚原パン小麦研究所」を立ち上げます。

トラクターの扱いもままならない、この私が、やったことのない小麦づくり(過去2回あるが)
をするわけで、実る前に「鹿に食べられちゃった!」みたいなことになるかも。
「塚原パン小麦研究所」の看板を出そうかなんて、まだまだ先のことになるかもね。

しかし、「蒔かぬ種は生えぬ」。
足を一歩踏み出すことで、すでに「夢は現実」になっている。
質はともかく、実践こそが大切。
今年はだめでも、来年は数センチ先へ進める。

聞くところによると、由布市で小麦をつくっている農家はいないとのこと。
塚原で岩手のパン小麦ができれば、どなたかパン小麦を作る農家が現れるかも。
そうなれば、地産地消、身土不二。

そんないろんな夢を抱えての第一歩。
腰痛との戦いでもある。
オニパントピックスの栽培記録も合わせてご注目を。

頑張るママの近況 №150

気が付けばひと月以上の空白。書きたいことは山ほどあるが、とにかく忙しかった9月。特にシルバーウィーク前後の働き方は、過酷だった。火、水の定休日も祝日で営業だったので、9月17日から9月28日までの12日間休みなく働いた!オ~、ヘヴィ~!!

しかし、ありがたいことに、お客様もたくさん来ていただき、充実の12日間。
このハードな日々の合い中に、うちのママが誕生日を迎えた。

ママには、ずいぶんとお世話になりっぱなしで、今も相変わらずの状態。とにかく明るく、話好きで、今の仕事が天職ではないかと思われる。転職して天職に着いた感じかな。

大阪で30年以上暮らしていたせいか、どぎつい大阪弁がいまだに抜けない。言葉というのは思考回路や感性と一体な側面もあるのか、大阪的発想や感覚も同様にしみついているようだ。結構思ったことを、はっきり言う大阪人。その分あとくされはない。言うことと、思いがいっしょ。隠し事が苦手。お客様との対応にも、そんな大阪的な面が現れている。
大きな声で話かけ、笑い、帰るお客様を追いかけては話す。お客様と話友だちになるようで、
パンを買いに来るだけではなく、ママと話をするために来るお客さまも結構多い感じ。
オニパンカフェがここまで存続できたのは、はっきり申そう、「オニママ」のおかげと言っても過言ではない。

ママは昔から絶えず前向きな発言が多かった。「~しようか」と、誘いかけてくる。たとえば、
「次の休みは、走ろうや」とか「自転車で大分空港へ行こうや」とか「由布岳の東登山口コースのクサリは、簡単やで~」とか。

私からすれば、ちょっと、自分の立ち位置を見誤っているのではと思える節も・・・。
発言は前向きではあるが、「自転車が重たいので、何とかして」と私に押させたり、登山をすれば、岩肌の途中で、蝉のように動かずにとまっていたりする場合も多いのだ。

そんなママが、また私に前向き発言。「シルバーウィークが近いので、その前に、由布岳の東登山口のルートに行こう!」

そういえば、ちょうど一年くらい前に由布岳東ルートを制覇したっけ。あの時は、大変だった。
岩に張り付いていたママは、たまたま後から来たたくましい登山者に助けられて、岩を登りきった。もし誰も来なかったら・・・・。あの時のことを憶えているのかいな。

あれから一年。ママはシルバーウィークの後9月26日にハッピーバースデー。御年62歳。
腰が痛いとか、脚がつる、とか言ってんのに、大丈夫なのか。


由布岳東登山口ルートは、はっきり言って、相当いいのでは。
正面登山口のルートは、何度も行ったが、今は行く気がしない。
山の楽しさは、展望の爽快さ、変化のある道程などいろいろあるのだろうが、東は変化に富む。そして、絶景が広がる。
ロープやクサリが多いが、それがまた楽しい。何度も振り向いて、カメラに収めたくなる景色がある。
これを経験したのは、青空の中岳と涌蓋山。感動した。
由布岳東もいけてると思う。

おお、ママが先導しているぞ。結構急ではあるが、振り向けば絶景があり、さわやかな季節の山の空気が、疲れを感じさせない。

今回のママは足取り軽く進みゆく。

クサリ場もなんのその。ずんずん進みゆくママ。頼もしい。

 また別のクサリ場もこの通り。
落ちたら大変。
だが、楽しんでいる雰囲気がある。
まだ余裕。

後方に広がる景観の素晴らしさ。
城島高原などが見えている。

やまなみハイウェイを城島から湯布院に向けて走ると、途中「猪の瀬戸」湿原がある。
そこから正面に壁のようにそびえる雄大な由布岳が見えてくる。
その壁のようなところが、東のルートなのだ。

この場所は、由布岳のお鉢めぐりとの合流点。右に行けば「西峰」左は「東峰」。

このママの顔。どうですか、余裕あり!一年前の写真は、疲れ果ててました。

途中、お花もたくさん出迎えてくれました。

ちょっと紹介。


目出度く登頂!

頑張る誕生日前のママでした。

そしてシルバーウィークも終わり、一息ついて、ママの誕生祝いの会をひっそりしました。

瓦そばを私がつくりました。以前よりも上達。山口のTさんのおかげです。
そして、ママへの暖かなプレゼントもお客様よりいただきました。

「オニママ」また来年、東ルートに挑戦しましょうか。日々精進。健康第一です。

パン屋の夏休み№149

一人旅の夏休みは3度目。バイクに乗れて、暑くなく、景色の良いところ…という3条件を満たす場所を探す。宮崎の高千穂辺りはどうか。宿は盆明けにも関わらずいっぱい。電話をかけまくる中で結局とれたのは五ヶ瀬町の民宿。番地もはっきりしないほど、奥まった山里風のところか。地理に関して自信のない私としては、ナビがないとたどり着けないのではと悩む。まあ、最近はグーグルマップという心強い味方もあるので、大丈夫だろうと高をくくって。

愛車セロー250。中古で購入して4年。購入した時点で5000キロの走行。そして現在6000キロ手前。ほとんど乗っていない。
2年前の夏休みに嬉野温泉に行ったきりで、休眠。
さあ、大丈夫だろうか。マシンだけでなく、私の運転技術も。

オニパン夏季休暇一日目、8月17日(月)、早朝7時すぎ出発。雨。少し寒い。
行程はやまなみ(11号線)を通って、阿蘇市へ。
ところが、10年以上前から使っているイエローコーンのカッパが役立たずと判明。
牧ノ戸峠あたりまで来ると、すでに下着までビショビショ。さみ~!!
お店が開いているではないか。入って、ほっとミルクで体を温める。
こそっと、下着まで着替える。
登山用のカッパを着て、さらにボロイエローコーンのカッパを上に着こむ。
ちょっとごわごわで、夏らしくない厚着状態で再スタート。


何度通っても、ここ瀬の本高原は、私の足を止める。
いいよねえ、心を打つ景観だ。
雨でも美しい。

これまで、景観の素晴らしさは、大分、熊本が抜きんでていて、これから目指そうとしている宮崎はちょっと格下と思ってきた。海の景色は、日南など「おおっ!」と感動ものの経験があったが、山というとなんかパッとしないような。
しかし、今回のバイクツアーでその格下概念が変わった。

11号線(やまなみハイウェイ)が終わる阿蘇市宮地を左折し2キロほどすすむと「坂梨」という交差点があり、そこから始まる265号線。(この線は熊本だった)
私はその道に惚れた。素敵だ。心癒し、目にも奪う、清涼吹き抜ける世界が広がっている。
ああ、いい!
さらに218号線もね!!(これは後ほど)

我が憧れの265号線。
塚原高原に勝るとも劣らない、草原の道が現れる。

やはり、これは、前に進めない。足が止まる。シャッター押しまくり状態だ。

バイクの良さはこれだね。体ごと、五感で、世界を受け止める。この頃は雨もやんでいた。
晴れたら、どんなだろう。見てみたい。


ここでも足を止めた。しかし、残念ながら、ガスで、阿蘇の山々は見えなかった。

バイクツーリングを満喫しながら、お昼ごはんの場所を探す。

道の駅「そよ風パーク」?だったっけ。そこで、「だご汁」とおにぎりを食す。これがうまい!だご汁のシイタケの香りと鶏肉、出汁のうまみ。
左のお肉は、馬肉のスジの煮込み。
酒の肴にと書いてあったが、これまたおいしくて。マイ土産とした。

当初の予定では、ゆっくりツーリングをして、翌日、宿の近くの山に登って、高千穂見物をしようかってことだった。
結構、早めに宿に着きそうなので、ちょっと欲を出して、翌日は九州3番目の祖母山(百名山)に挑戦しようと考える。だから、今日、高千穂見物。

神話の里高千穂。神秘的。いつも、観光雑誌に載っている、高千穂峡へ行ってみよう。

耶馬溪もそうだが、峡谷がすばらしい。
よくぞここまで削れたものだと思える、狭く深い谷。岩肌の筋目模様が鮮やかだ。

ただ、人が多い。多すぎるほどだ。
駐車所も4か所くらいあり、車が一杯。
盆明けにもかかわらず、観光客でにぎあう様子を見ていて、ちょっとうらやましくなる。
不景気でお店がつぶれている現状もあり、
これほどのお客が来ている高千穂峡のお店
を見てると色々と考えてしまう。


歩き回って、高千穂神社も参拝した。高低差ある道をたどってやっと行き着いた。

その後、ロッジ「森のくまさん」へ向かう。

五ヶ瀬町の宿「森のくまさん」は、なかなか良かった。
おば(あ)ちゃんが一人でやっていて、「もうやめたいんやけど、お客さんが続けてって言うから」と漏らしていた。

今日は誰も泊まらないということで、
ゆったりと、静かな環境で過ごすことができた。4時過ぎにお風呂に入り、5時から夕食。
6時には、床も用意してくれ、6時半にお布団へ。テレビも見ずに、ちょっと本を読んでいた。
8時半ころには寝る。
しかし悲しいかな、パン屋の習性で、目覚めは早い。
1時には目が覚める。それから眠れなかった。食事は朝7時ころと言っていたが、
おばちゃんは、5時ころには準備をし始めた。それで、6時から食べることにした。
休日もゆっくりできないのか、悲しい性。

しかし、今日は一大行事が待っている。
もしかしたら、この夏休みで一番のイベントなのかな。
いい加減なもので、昨日思い立った祖母登山。これがメインとなりそう。
森のくまさんのおばちゃんがその環境をつくってくれたようだ。

7時に出発。天気は良し!昨日通った218号線を進めば、祖母山の方角。道に迷いはない。
安心してツーリング。すると、昨日視界に入ってこなかった景色が飛び込んでくる。
すげ~な。218号線も素晴らしい。

ちょっと写真では伝えきれないのだが。いろいろと目に映る景色が、ジェットコースターみたいに、上になったり下になったりで、高低差が激しいのだ。壁がそそり立ったような景色が迫れば、次に下の方まで谷が落ち込んでいたり。そこにガスがかかり、中国の山水画のようにも見えたりする。
ジブリの世界。神秘的。なあるほどだ。神々が生まれた土地柄か。宮崎ばかに出来ねえ。

そうこうして景色を楽しみながら、218号線から8号線へ。この8号線は、竹田に続く道。この田舎道もいいねえ。
この途中に、北谷登山口への道がある。祖母は10数年前、ママと大分県側から登ったことがある。山宿に泊まり朝早くからスタートしないと帰り着かないハードなコース。10時間近くかかった。
しかし、宮崎県側から登ると由布岳並みの行程で行ける。
8号線から脇道へ。登山口まで林道が続く。
約30分近く。もう、なんてうまくできているの、って感じで、でこぼこの道を、まさに愛車セローのために用意された道が続くのだ。セローは、こんな林道を走るためのバイクだもんね。


着いた! 登山口にはトイレもある。
さあ、どのコースにするか。2通りある。
迷わず「風穴コース」にする。

由布岳にもたくさん風穴があるらしい。
ただ、それは、一部のオタクな登山家しか行けないようなコースにあるとのこと。
風穴は、夏でも冷風が吹き、壁などが凍っているらしい。

それを味わいたいと以前より思っていた。

山のぼりは、脚や息が慣れるまでしんどい。
今の私の体力であれば、脚も息もあまり慣れる状況にはならないようだ。日ごろからのトレーニングがないと、慣れる状態にならない。
だから、ず~と登りはしんどかった。
沢が続いたり、急な斜面をロープやクサリも使って登る。ただ、変化があるので、頑張れる側面もあるのか。

例えばこんな巨大なミミズが現れると疲れもどこかへ。30センチほど。きれいな青。

つるつる滑る沢などを登っていく。
結構ハードなのだ。
ひんやりとした大気とだれ一人いない静けさが
心地よくもある。

そのうち、現れたのが、例の風穴。
わくわく、バクバク。えっ疲れって・・どこ?って感じ。

こんな説明掲示。風穴内は危険だと。
冬場凍っていたら出て来れないみたいな。

梯子を使って、風穴内へ降りていく。ううっ、冷た~い!気もちええ~!!

さらに中を撮影。
危険そうではないが、暗いので、入るのはやめた。
でも不思議だ。どうしてそこまで気温が下がるのか。
凍っているようではなかったが。

風穴を出て、しばらくすると、メガネが曇って大変だった。

その後、険しい道が続く。風穴があったのは1370mくらいの地点。あと1756mまで400mほどはモクモク修業登山。

しかし早いもので、気が付けば、頂上。

140分のコースを120分で登頂。まだまだ捨てたものではないのかな。風穴コースは「健脚向け」とのこと。
少し嬉しかった。あきらめずに日頃より鍛錬して行こう。60代以降運動をしているかどうかの差が大きく現れる。

よほど嬉しかったのか、その余韻が続いている。昨日(25日)は、西大分の山渓(登山商品の店)
に行って、ズボン、その後ネットショップでヘッドライトや方位磁石を購入。

ママに「山に行こうぜ」って言ったら、「どうしたの急に」と言われた。

バイクも山もいい。
そして265号線や218号線。宮崎。
休日はいいなあ。

贈り物 誕生です。 №148

前回は、「大切な物」と題して、過去のお話を書きました。それから3週間。
戦後70年にまつわる戦争、ヒロシマ・ナガサキの核の惨状などつらい過去の話題がテレビ等で
報道されています。
歴史の中で体験した過酷な事実と向き合い、そこから未来への道をより良きものとするために現在があるわけです。今の瞬間、何をするのか、どう立ち振る舞うのかが、実は決定的に大切なこと。戦争ができない、武力をいっさい使わない国として全世界に知られる「9条の国・日本」だからこそ、紛争地へ出かけても(NGOが)、今まで安全が確保もできた。
戦前と同じ(似たような)道へ進んで、果たして未来に光が射すのか。
暑い夏が寝苦しくなっています。

過去の出来事は、未来のためにあるのだと昔のことを振り返る、そういう姿勢が人生にとっても必要なのですよね。

お店の目の前の広大な土地が、メガソーラーに変わる!
ちょうど2年前の話です。その土地は、現在「sonoda happy farm」として、スタートしています。
メガソーラー問題は、相変わらず塚原高原を揺るがしています。塚原高原で2年前住民運動が起き、現在、「メガソーラー」の問題性は広く知れわたるようになってきました。
景観、環境、周辺住民の生活権等さまざまに問題点が指摘されるようになっています。
メガソーラが取りやめになり、代わりにスタートした農園。
「しあわせ農園」(命名がちょっとダサいのでは言われます)の方がソーラーより良かったなあ、と言われるようになりたいのですが。
ちょっと自信がない部分もありの日々でしたが。

現在、3家族で、サツマイモ、インゲン、カボチャ、ゴーヤ、スイカ、人参、葉大根を植えています。

今週の月曜日、耕作者の一人OMさんが、オニパンにやってきました。
しあわせ農園の初めての収穫物を手に。

OMさんは、毎日朝夕、水やりをし、お世話を続けていました。
わたしは、インゲンをおいしいと思って食べたことがありませんでした。
早速ママがその日の夕食で、サラダに。

OMさんのやさしい気持ちが、インゲンに満ちていました。何と、みずみずしい美味しい味だことか。
柔らかな茎を食べながら、幸せな気分に。

OMさんの嬉しい心が伝わってきました。

もう一つの贈り物。それは、インゲンの前日8月9日のこと。
70年前長崎の原子爆弾によって多くの尊い命が失われました。
私の母も、被爆しました。平和祈念式典での谷口さんの訴えは、実に切々と迫ってきました。
参列していた安倍総理は、どのように聞いていたのでしょう。
心に響いたことを願いながら、お仕事をしていると、「先生、来たよ!」と、かわいい娘が現れました。

その娘さんは、12~3年前ぐらいだろうか、大阪にいたとき受け持っていた教え子のユーキさんだった。
ちょっとやんちゃな、元気で正義感にあふれたユーキさんだった。つづり方指導で、交換日記みたいな感じで、よくやり取りをしていた。
ユーキさんは、5年生のとき、家庭のことでいろいろと悩み、私としても何とか頑張ってほしいと励ましたことを憶えている。彼女は、学校では、悩みを表情に出さず、いつも愉快で楽しい存在だった。子どもながら、しっかりしていると、私は彼女から、いろいろと学ぶことも多かった。
ユーキさんは、すこぶる行動的で、しっかり者だった。就職して、21歳のころ50CCのバイクでオニパンにやって来た。次に現れたときは、彼を連れてやってきた。
そして今回。


なんと、赤ちゃんを連れてやってきた。
おうおう、かわいいっていったらない。
ユーキさんのかわいいかわいい赤ちゃんの名は「陽菜子(ひなこ)」だって。
ユーキさんがつけたそうだ。

ユーキさんは「先生、抱っこする」って尋ねてきた。
私はちょっとどきっとした。
もうずいぶん、赤ちゃんを抱いたことはない。
そして、こわごわ抱っこ。
陽菜子ちゃんは、泣くこともせず、少し緊張。

そのうち笑顔が! 私も嬉しくて、お思わず笑顔が。かわいいなあ!!!

お父ちゃんは「赤ちゃんはお母さんの方にしかなつかないのかなと思っていたけど、自分の方にもなついてくれるので、さらにかわいい!」って言ってました。

二人の宝物。命は何物にも代えられないね。

8月9日に素敵な贈り物をありがとう。

大切な物 №147

若いころは消費欲旺盛な若者だった。新しいものに敏感で安物を買っては、捨てていった。
しかしこの年になってくると、生い先が短いからか、昔の思いでにふけることもしばし。それは、身の回りたまたま残されていた物を媒介に、ふっと浮かび上がってくる。
何かに使えるかなと、大阪からの引越しの際に、持ってきた物と向かい合うときに。

リビングの一角にこしらえた我が一坪書斎。雑然としたこの空間にも、思い出の品々。
思い出に浸りながら、時を過ごす。とても心地よいひとときだ。ちなみに、正面の2段の台の上の鉛筆削りは、とても切れ味抜群のしろもの。昔のものは全てが鉄でできていて、劣化しにくい。これは中一の時ばあちゃんが買ってくれた。ほぼ50年前。それが乗っている2段の台は、私が整理下手の息子のために日曜大工で作った物・・・。こうして一つ一つのものを見ていると、懐かしい気持ちが、この狭いスペースに充満してくる。つい思い出にふけってしまう。

決して物を大切にするような性格ではない。新し物好き。しかしここ数年、ものに対する見方が変わってきたようだ。そのことを自覚したのは、ひと月前。確信的な自覚が目覚めたというか。


大阪で新しい家に引っ越すときに、購入したテーブル。26年前。娘8歳息子4歳。嬉しくて枚方市の家具団地(家具屋さんがたくさんある場所)に行って、探してきた。台所に入れると、テーブルが大きすぎて(台所が狭すぎて)ママからクレーム。残念だったが、電ノコで天板を切った。
他にも部屋があったのだが、私ら家族はしょっちゅう、狭い台所のこのテーブルで顔を突き合わせ、作業したり話をした。
大分に移り住むとき、もう古いし捨てようかと思ったが何かの作業台になるかなと持ってきた。脚も傷み、ビスやテープで補修したり。

あることがきっかけで、このテーブルがとても大切な物だと気が付いた。それから、このテーブルを補修しようと思いだした。

全体を磨いて、ペンキを一度塗りした。
時間をかけて、最終までにペンキを4度塗り。
そして、仕上げに、ニスを上に塗った。

ここの所、雨続き。このテーブルを使って、ブランチを食べようと思っていたが、なかなかその機会が訪れない。
そしてやっと、昨日遅い朝食を、デッキで食べる。

う~ん、うまいねえ!

久しぶりにいい仕事をしたねえ。
これであと20年は持つだろう。
ほぼ、私の人生終わりまで使える。

大切な物に気付かされたことは、自転車がきっかけだった。
新人のスタッフの脚力づくり(パン屋は足腰が基本)のために、物置に置いてある古い自転車をあげようと思って引っ張り出してきた。
錆びていてこれでは彼に悪いなあと、磨きだした。
物置の大事なスペースをとって、邪魔で仕方がなかった。ブレーキの効きも悪く、見た目も汚い。それで、新しく自転車を購入したぐらい。
1時間磨いたが、さっぱりきれいにならない。自転車をきれいにする習慣がなかったので、掃除の仕方もよくわからない。2時間磨く。錆が取れてきた。おお~、ペダルの鉄の部分がいい色合い。完璧新しくないのもなかなかだ。

単純作業を続けていると、いろいろと昔のことを思い出してきた。そもそもこのトレックは、職場のサイクリングをしている人からサークルに誘われて、買うことになった。
自転車のことは全く分からず、たまたま行った自転車屋さんがとても親切な方で、「体格に合わせて自転車を買わないと疲れますよ」と教えてくれた。その人の勧めで、アメリカのトレックを購入することに。1か月かかって、運ばれてきた。

なぜ、サークルに誘われたのか、なぜ私がそのサイクリングサークルに参加するようになったのか、それにはそれなりの理由があった。

その理由の一つとしていえることは、私が尊敬する先輩教師の存在があったことだ。
彼は、新卒のころより、多くのことで私に影響を与えてきた。
いつも子どもたちのことを話題にし、自分のことのように子どもたちのことで、喜んだり心配したりしていた。仲間教師のことを思いやり、不正義に対しては、しっかりと自分の主張を貫く強さを持っていた。人懐っこく、ドジなところも併せ持っていた。
その人間臭さが、人と人をつなぎ合わせ、人間らしさを大切にする集団をつくりだす力となっていた。あ~思い出すたびに涙が浮かんでくる。

出口さんは多趣味だった。猛烈なエネルギーを持って、休日も激しく活動した。
自分のための活動よりは、常に人のためにエネルギーを使っていた。11月の中旬だった。
志を共にする仲間たちで、イベントのご苦労さん会をした。
出口さんはリーダーでその慰労会でも中心になって場を盛り上げた。
翌日、私は日曜参観で勤務。夕方ころ友人から電話がかかってきた。
「出口さんが・・・」
驚いて、仕事が終わって、救急救命の病院へ駆けつけた。多くの人々が沈み込んで、病院に集まっていた。
私は翌日が休みだったので、家族の人たちと泊まり込んだ。
その夜の明け方、出口さんは息を引き取った。
退職したら植木職人になるんや・・みたいなことを言っていた出口さん。
あと半年で退職というときだった。

多くの人に衝撃を与えた突然の死。私はいまだに、出口さんが夢に出てくる。
目覚めたら、涙が流れている。

出口さんは、そのサイクリングサークルにも入っていた。忙しい人なのに、年もいっているのに、常に新しいことに挑戦していた。

出口さんが亡くなって、数か月後、私は同じサイクリングサークルに入った。

出口さんが行っていたさまざまな場所に、私も連れて行ってもらった。

それは、今から18年前の話。

結局4時間磨いていた。
我がトレックは、よみがえった。
スタッフに「ぼろいからあげるわ」って言った、自分の感性を疑った。

なんでこんな大切な物を、簡単に「あげる」なんて言ったのだろう。

トレックが昨日我が家に帰ってきた。
早速、ママと「七瀬川自然公園」の周りをサイクリングした。
あ~いいなあ!気持ちいい!!
小雨の中、心地よい汗が流れる。
18年前に心が戻っていた。

2015.7.22.のトレック