暑~い 移動販売

昨日は本当にムシムシした暑~い一日でした。塚原は標高600数十㍍在るし、綠の高原だからそうは感じないのだが、移動販売をしていると世間の暑さが体験できる。

暑い原因の一つとしてコンクリートがある。土とコンクリートの違いは大きい。移動販売をする場所はたいがいがコンクリート舗装された駐車場とか。日差しがあると照り返しもある。石は蓄熱性が高く、暑さが熱として蓄熱され、触るとやけどしそうになる。移動販売をしていて一番暑く感じる場所はOBSの駐車場だ。広くて囲いもなく焼けた石の上に乗っているみたい。昨日の帰り道は10号線。

 

エアコンを使っても車の中は暑い!気温は?と見ると・・・・

なんじゃこりゃ。アスファルトのなせる技だろう。

テレビのニュースでは、大分は35.何度かで全国5位だったそうだ。道路上はさらに暑い。そんな中、道路工事をししている人たちを見かけたが、ご苦労様ですと言いたくなる。私もこの夏を乗り切るために、気をつけよう。

ここでいつもの告知。

久々の梅酒づくり  

記憶が定かでないのだが、少なくともここ3年は梅酒をつくっていない。4年くらいかもしれない。庭の梅の木はなかなか繊細なようで、雪や剪定の仕方やその他の理由で、実を着けても数個どまり。もうお年なのかな?とも思っていた。しかしである、今年は豊かに実を着けた。剪定の仕方にも気をつけ、ママはせっせこ根元に残飯を捨て、開花期の雪もそれほどのダメージではなかったようだ。実もきれいだ。

量は3キロちょい。これだけあれば、梅酒がたくさん出来る。

5リットルの瓶二つになった!9月中旬頃より飲める。ささやかな楽しみだ。

従業員さん募集の告知 これからInfoに貼り付けます。よろしくお願いします。

「奇跡」の小麦収穫

もう半ば諦めていた。日曜日から雨だとすれば、5日も雨に当たり穂発芽で全てがおしまいになるかも・・・。11月からつぎ込んできた小麦栽培への努力と時間があだ花と化す。しかたないよな。じいさんが亡くなり、コンバインを動かすこともできず、そして天候がこんなことになれば。

ふと見ると、ヤフー天気では日曜日「晴れのち曇り」となっている。諦めかけていた収穫への思いがまた頭をもたげてきた。日曜日の朝、決意する。「とにかくやれるだけやってみよう!」そして、湯布院の農家さんに電話をかける。「今日の夕方、もしかしたら小麦を持って行くので、乾燥機の準備をお願いします。」

これがじいさんの残したコンバイン、クボタ「SR-J1」。一度試乗してみたものの果たしてYouTubeだけのにわか勉強で乗りこなせられるか。雑草だらけの小麦畑で。

刈っていくとピーピーの警告音が鳴り響く。機械が止まる。小麦がつまる。掃除しても何度も繰り返す。どうなってるのだ。コンバインの構造もよくわからんし。あの手この手で試してみるがなかなかだ。しかし少しずつ構造が分かってくるものだ。「機械が教えてくれちょる。」じいさんの言葉を思い出す。

それにしても遅々として進まぬ収穫作業。2時間くらいやっているとあのアスキュー先生が現れる。APUの教授。塚原の農民。そして困った人のお助け人。コンバインの操作方法を教えてほしいと以前頼んでいたのだが、たまたまこんな時に現れてくれたとは。天の助け、仏のお導きか。

アスーキューさんは私が分からなかった構造や操作方法を教えてくれた。な~るほど、そうか~!そして作業を継続。はるかに効率よく進められる!有り難う、アスキュー先生!

コンバインを操作する私。ちょっと信じられないショット。しかし現実に小麦は収穫されている。

我ながらすごい集中力。じいさんの魂がのりうつったかのよう。6時間の作業もあっという間だった。

心配だった収量も・・・・

去年同様30キロ×6袋。

6時半頃湯布院に持って行くが、農家の小山さんはまだ田植え作業。そして30分後にいよいよ「乾燥機投入の儀」。

やはり相当湿っぽい状況。27%ほどの湿り気。じいさんの教えでは、「収穫したあと袋に入れたまま放置するとすぐに芽がでてくるぞ!」とのこと。普通、天気の良い日に収穫し、その後ブルーシートで天日干しするそうだ。その後乾燥機へが常道。それを聞いていたから、とにかく収穫したその日に乾燥機に入れなければ、今までの全ての努力がおじゃんになる。小山さんが小麦を入れてくれているそのシーンに、(全てが終わったなあ)と緊張がゆるみ力が抜けるような気がした。乾燥度数は12%でお願いした。やく10日ほどかかるという。

奇跡のような一日だった。やればできるもんだなあ。しかし、そのお膳立ては、周りの人が用意してくれたからだ。機械、じいさん、息子さん、アスキューさん、小山さん・・・まだ気がついていないお助けの人もいるだろうが(おっと、従業員さんを忘れていた。私を自由にしてくれているのは従業員さん、ママがいるからだ)。

帰リ道。湯布院から塚原へのちょうど峠の場所。落ち着いた夕空。慌ただしかった一日の終わりがこんなに静かに平穏にくれていく。諦めなくて良かった。

中津方面へ 移動販売 しかし暑い!

ジリジリと照りつける日差し。明らかに塚原のものとは違う。「首がよう焼けちょんのう」と知人に言われた。移動販売のおかげだ(泣)。そこで最近暑さ対策を考えている。ファイナルバージョンと思っていたが、いろいろと課題も多く、変更が続いている。中津山望庵での移動販売のシーンをご紹介。

こんな感じにしてみた。横に垂らしている2枚の遮光幕は100円ショップのもの。上の波板だけの場合よりグンと涼しくなった。当面これでいこう。

さて、月に一度の山望庵だが、ここでの楽しみの一つは他の出店者さんの商品を購入すること。わずかの店なのだが前回、今回と無農薬の野菜を買った。

きれいなカボチャの仲間。ジャムにも出来るとのこと。いつも見たことのない野菜をもってくる。

地道にやってるなあ。感心しています。

さて、今回から大量注文を依頼してくれた三光の「オーガニックカフェ シエル」さん。初めて三光というところに行ってきた。八面山の麓。中津にもこんなところがあるんだな。

この28日で満14年を迎えるオニパンカフェ。いろんなところからお声がかかるようになった。継続することは力と広がりをもたらしてくれるんだなあ。実感している。

コンバイン試乗 追悼 園田のじいさん

小麦畑の地主さんである「園田のじいさん」が亡くなられた。失礼な呼び方ではあるが、親しみを込めた以前からの呼び方であり、あえて「じいさん」と書かせてもらう。、オニパンの小麦畑は以前メガソーラーの建設予定地だった。契約した園田のじいさんは私たちの反対運動をずいぶん腹立たしい思いで見ていたに違いない。建設が頓挫した広大な敷地を私たちと交友のあったじいさんの奥さんが「責任取って借りてくれ」と言いに来た。そこからオニパンの小麦作りがスタートした。

ワケも分からず小麦作りを始めたわけだが、その働きぶりを見ていたじいさんは私の努力を見過ごしてはいなかった。「ようがんばりよる」と評価し、こっそりコンバインを購入していた。あとで知ったのだが、合同新聞に書かれていた(自家栽培小麦の記事を掲載してくれた)。じいさんは口は悪いが、とても他人思いの優しい人だった。播種機を貸してくれたり芋の苗を分けてくれた。そして小麦が育った時じいさんは収穫してくれた。

この写真は初めての小麦の収穫時のもの。とても貴重な一枚だと今になって思う。じいさんは毎年芋の苗をくれた。昨年は、だまって店の前に置いていた。じいさんは耳が悪く人と話すのが苦手な人だった。しかしいつも人のために行為してくれていた。

調子が悪いのは知っていたが、そこまで深刻だったとは。今年になって芋の苗が例年になく不作で手に入らない(じいさんからもらうもの以外に安納芋だとかの苗をコメリで購入していた)。しかし、じいさんが持ってきてくれるのではと思っていた。入院していたとは知らなかった。

オニパンに突然じいさんが現れた。3月のこと。鹿肉をたくさん持ってきてくれた。そんなところがあるじいさん。それが6月の初めに亡くなられた。お参りに行ったとき息子さんたちも消沈していた。ブドウの作業をしているときも力が入らず、ペースが上がらないともらしていた。息子さんはここ数年オニパンの小麦を収穫してくれているのだが、「今年は収穫する元気が出ない。ぶどう園も忙しいし。オニパンさんが自分で収穫してほしい。」と言う。

コンバインを貸してくれるとのこと。土地の造成工事のためにユンボを貸してくれた。それで、毎週ユンボに乗っている。やっとユンボが操縦できるようになった。そして、次はコンバイン。ユンボは以前乗ったことが少しあるのでやる気になったが・・・コンバインは全く初めてだ。気が重い。しかし乗らざるをえないのか・・・。

収穫直前の現在、時間がない!昨日コンバインに初試乗した。その前日、またYouTubeでお勉強。

夕方暗くなりかけの頃、コンバインを動かした。なんとか動かせる。そのときじいさんの声が聞こえてきた。

「機械が教えてくれるちゃ」

私が初めてトラクターに乗ったときじいさんに乗り方を尋ねたことがあった。そのときじいさんが言った言葉だ。

不安で何ごとも誰かに尋ね教えてもらわないと出来ないと思っている都会のぼっちゃんである私に言った言葉だ。じいさんは教えてもらうこともなく全てを自分でやってきた。そうせざるをえない状況だったのだろう。生きるために。そんなじいさんは誰かに甘えることなどするわけもない。むずかしい機械の操縦も、自分の力だけでやってきた。そんなじいさんの言葉だったのだ。何か目頭が熱くなる。

今年は自分で小麦の収穫をするぞ!「機械がおしえてくれるちゃ」