塚原高原 №79

この間、雑誌の取材が二つあった。そこで、編集者とお話していて、気付かされたこと。「塚原高原は、水や空気がきれいなので、美味しいパンができるのでしょうね?」この質問に、私は「そうですね。」と答えても良かったのだが、無意識にこんなことを言っていた。「確かに水も空気もおいしいのですが、私の場合、工房から見えてくる(網戸にしているので、外の様子がわかる)夜明けの空の美しさなど、思わず手を合わせてしまうほどの、塚原の美しさに、パワーをもらっています。」
作り手の心の状態が、つくられるものに乗り移っていく。塚原で仕事をしている人々は、塚原に魅せられて、そのふところに包まれる中、生きる力を生み出しているのだと思う。
私は、天気の良い夜明けごろ、パン作りの手を止めて、20~30秒ほど外へ飛び出す。意識しているわけでなく、もうじっとしておれなくなり、日の出を見たくなる。人間の本能?
ちょっと見て、工房へ戻り、そして気になってまた外へ飛び出す。それを3回ぐらいすることも度々だ。



とても神秘的なこのような夜明けもあれば、空を赤く染めながら登りくるお日さまの日もある。
霧が出て、そこに虹がかかり、黄金いろのキツネが飛ぶ日もあった(以前紹介した)。
澄んだ冷やかな大気を細胞で感じ取り、自然の営々たる動きに、驚きと感動を受ける。あ~、生きているってすごいなあ!こんな、美しい世界で日々生かされていることに感謝しつつ、登りくる太陽に手を合わせる。世界が平和になりますように!みんなが幸せに生きられますように!

パン屋の休日~ 薪作りのために・・・№78

休日になると、疲れた体と痛い腰を忘れて、むらむらと創作意欲が湧き立ってくる。今回の話は何かというと、薪作りのための支え台だ。太い木の幹であれば、チェンソーで玉切りして、斧で薪割りするわけだが、10~20センチの直径の枝であれば、そのままチェンソーで切って薪にできる。
以前、たくさん薪用の枝をいただいたわけだが、薪にできず放置していた。そのわけは二つある。
一つは、チェンソーが切れない!刃の目立てがうまくできないという、私の未熟さ。
もう一つの理由は、かがんでチェンソーで枝を切り続けると、切れ味の悪いがゆえに長時間腰に負担を掛け、日ごろの腰の痛さが、倍増!全く休日にならないわけだ。
たまたま、ネットで薪作りのための支え台を発見。これがあれば、腰の負担が減るに違いないと、先週の休日に取り掛かった。
私にしては珍しく、ある程度設計図をつくり、長さもきちんと測って材料をそろえた。5時間ほどで完成!これが、支え台だ!

これが便利なのは、足を閉じて、収納しやすくなるところ。

さて、一週間後の今日、薪作りをお昼からスタート。
問題のチェンソーは、ネットで見つけた中古(ドイツのスチール社のもの)が手に入ったので、それで枝や幹を玉切りに。(なかなか、エンジンが始動せず、辛かったが)
ジャジャーン!見てください、今まで空っぽだった、我が薪置き場が、半日でこのように!!

送別会№77

去る7月6日、高くんとジンちゃんの送別会を我が家で開催した。APU(立命館アジア太平洋大学)4回生の二人は、この8月で卒業。9月より、大学院への進学が決まっている。高くんは何度もこの折々帳に登場した、我がオニパンの古株スタッフ。子どもの頃より餃子作りをやっているとのことで、なるほど、面棒の技術は目を見張る(舌を巻く)ものがある。

左の写真は、オニパンの人気商品「クレセント」を作る高くん。「火の玉」形に伸ばした生地の美しさ。これはやってみるとわかるのだが、そう簡単にはできない。
彼も初めから上手にできたわけではないが、この一年半の間に、すっかりパン職人になってきた。

ジンちゃんは、高くんのガールフレンド。私が初めて会ったのは、一年ちょっと前の、APUのお祭り。それから、高くんの紹介で、オニパンにアルバイトにやってきた。彼女は、とても物静か。ほとんどしゃべらず、笑顔で対応する。一つには高くんほど日本語が達者でないこともある。それと、恥ずかしがり屋の面もあるようだ。彼女は、黙々と仕事をする。何を感じて、何を思いながら仕事をしているのか私にはわかりづらいのだが、彼女から送られてくる(お正月やその他の休みなどに中国から)手紙などで、オニパンへの想いが分かるようになった。
一生懸命、書きつづられた日本語の文章から、彼女の人柄、仕事への想いなど、強く伝わってきた。ママが言うには、何も教えないのに、目で見て、できるようになるジンちゃんだそうだ。

さて、この二人がこの8月で日本から去っていくということで、李くん王さんなどにも手伝ってもらって、送別会を計画した。料理上手の李くんに料理を頼み、またママや近くの新しいスタッフの方にもサンドイッチなどつくってもらって、豪勢な料理がテーブルに並んだ。

この写真を見たらうなづけると思うが、ほんとおいしかった!高くんも、お得意の料理を披露してくれた。お酒の肴に、これ以上のものはない!と私には思えた肉料理。料理が苦手な私も、これだけは覚えようと思う。こんなうまいものはない!

中国では、当たり前のように使う「八角」という香辛料。初めは、私も戸惑ったが、今では中毒になるくらい気に行っている。この「八角」の薫りがたまらない酒のアテがこの料理。日本にはない旨さ!!以前に高くんの中国土産で、乾燥の牛肉をいただいたが、それにも「八角」の香りが。


 オニパンの若手スタッフで記念写真。

パン屋の休日~大工と剪定№76

今日は梅雨も明け、休日としては久しぶりの気持ちよい天気。塚原の朝は、大阪にいた頃には想像もできないほど、清々しくさわやかな、それである。大阪では、7月に入った頃より、ねっとりとした空気が部屋によどみ、首のあたりが気持ち悪~い寝ざめの朝だった。
(う~ん、もう起きようかな)
すでに時計は9時をまわっていた。コースケがそれを察知して、リビングで吠える。散歩に連れて行け!ということである。コーちゃんは夜だけ、部屋に入れて、寝かせている。外だと、猪や鹿、狐と狸が出没するので、全く寝てられないからだ。
9時を過ぎているにもかかわらず、風は少しひんやりとして、まぶしい日差しとそれが作る木立の濃い影の間を流れいく。コーちゃんと私の心は、それだけで、軽く心地よくなるから不思議だ。
塚原マジックなのだ。塚原の初夏の朝を知らない人は、一度来るといい。
さて、久しぶりの好天気に、じっとしていられない私。
朝飯前に(といっても、ほとんどの休日は、お昼前にブランチをとる私たち)、ガレージと物置小屋の屋根に遮光ネットを張る作業。以前より夏の暑い日差しを何とかできないものかと考えた結果、ホームセンターで農業用の遮光ネットに出くわす。この安さと手軽さに「これだ!」とひらめきが走る。                                                                                                                             

 ガレージ右側の屋根は私の手作り。雨は避けられるようになったものの、夏の日差しは熱く、バイクも焼けるような状況。そこで、天井裏側から、すだれを張る。しかし、すだれを何枚も貼るのは大変。農業用遮光ネットはサイズも豊富で、とても軽く、耐久性も高い。奥の方が遮光ネット。

物置小屋の屋根は透明の波板。室内は、40度以上になる。屋根の上に広い遮光ネットを張る。遮光率75%だそうで、室内は薄暗くなり、暑さもおさまった。

ブランチをゆっくりとる。梅雨も明け、緑は勢いよく伸び放題。我が家の緑も、そろそろ剪定しなければ、と思いながら、なかなかできずにいた。昨年までは、造園屋さんに二日がかりでお願いしていた。とてもきれいになるものの、費用もばかにならない。今年からお休みが週三日となり、経営も厳しさを増してくる。だから、今年は自分で剪定をやろうと考えていた。しかし、そう簡単にできるはずもない。特に高さ4メートルほどある棒樫の木の剪定はちょっと素人では無理っぽい。あの木をマッシュルームみたいにまあるくカットするなんて・・・。まあ、取りあえず、ログハウス前の生垣から剪定をスタートさせた。

 一応、高さと面をそろえたつもり。剪定前はうっそうとした状態だったので、少しは風通しが良くなっていいと思う。

続いて、カフェのテラスのレッドロビンを刈る。次に、銀木犀。この木は甘い香りを放ち、カフェの方から実家の目隠しともなる大切な木。できるかなと懸念しながら、刈っていった。てっぺんをまあるくするのが難しかったが、出来栄えは私にしては110点!よくぞできたものだと、われながら感心。

剪定前の写真を撮っておかなかったのが残念ですね。全くこんなんじゃあなかったのだから。

続いて、4メートルほどある棒樫の木。これは、ちょっと恐怖ものの剪定。落ちたら、大変なことになるなあと思いながらも、やりだしたら面白くて夢中になっていた。
結果はバッチグ~!

てっぺんの部分を刈るのが大変だった。なかなかはさみが届かなくて。何度も梯子から下りて、形を確かめながら、やっていった。

やりだしたら、「もう、どおにもとまらない~♪」私の性格。気がつけば、7時半PM.。肩、腕、腰が・・・。パン屋の休日は結構きつい~。でも、ほんと楽しくて楽しくて、自分でやるっていうのはエナジーの補充になるね。

何のために №75

パン屋を始めて、3年が過ぎました。前職の経験からすれば、やっと仕事のおおよそが見えてきたにすぎない段階だということでしょう。ほぼどんな仕事でも、3年じっと辛抱すれば、やり方も分かってきて、次の課題も見えてくるのだと思います。同時にその初めの3年間に、どれだけ多くの失敗や挑戦をしたかが大切だと先輩諸氏にやかましく言われたことを思い出します。
まだまだ「若い」(パン屋での業界用語として使われる場合は、生地が十分発酵していない未熟な状態を言う)私ですが、最近、お客様を通じて色々と考え気付かされ、何となく「熟成」に近い人生の核心みたいなものが見えてきたような・・・気がします。

「3年間、自分なりに一生懸命パンをつくって来ました。」「だからどうした?」
「3年間、ハードな仕事に、よく耐え抜いたものです。」「だからどうした?」
「結構、多くのリピーターさんもでき、美味しいって言ってくれるんです。」「だからどうした?」

「だからどうした?」というのは、私の心に居る、厳しい先輩達の言葉です。
「日浦よ、お前、何のためにやってるのか?」これが、続いてでてくる言葉です。

7月3日(日)は、たくさんのお客様に来ていただき、この梅雨時としては、久しぶりに上々の売れ行きでした。それにも増して、嬉しく心ときめくことが立て続けにありました。

大分市のI様が久しぶりにオニパンへやってきました。ご主人、娘さん、奥様、そして最近生まれた赤ちゃんも一緒に。私は、ママほどお客様に通じていないので、初めは、通販をよく取っていただいている方だとわかっていませんでした。私が話しかけると奥様は、出産が大変で入院していたこと、そんな中で、自分や家族にとって、送られてくるパンや、その箱の中に入っているママの短いお手紙がとても楽しみだったと話してくれました。その話ぶりで、奥様の熱いものががストレートに私の胸に伝わってきました。

閉店も間際の頃、湯布院のサクラさん(ニックネーム)が来られました。サクラさんは以前より発達障害の子と親のための教室を主宰していて、そのための努力や経営的なご苦労に、頭の下がる思いでいました。難題をたくさん抱えながらも、いつも元気で明るいサクラさん。私たちも、何とか道が開かれることを願っていました。この日は、いつにもまして、あっかるいサクラさんです。聞くと、ひょんなことから、親と子の発達教室の開催や、経営的展望が見えだしたとのこと。(すっご~い!!)
(さすがサクラちゃん!!)
それにしても、この人、人のための熱意、普通じゃない!!

おいでませ、湯布院へ

家族(友達)皆で憧れの温泉観光地、湯布院に行こう

?節約派のあなたにぴったりの宿?
お一人でも何人泊まってもお部屋の料金は同じです
部屋貸し素泊まりの湯布院ファミリィゲストハウス

(サクラさんのブログに載っていた記事。サクラさんが関わることになった、「座忘居」という貸別荘です。

6月29日の記事を読むとサクラさんのことがよくわかります。
(おいでませ湯布院へをクリック)

閉店して次に現れた方は、九重(ここのえ)の民宿「ちどり」の女将さん。
オニパン3周年を記念して、お隣忘路軒の女将さん推奨の、「美味しい料理といい温泉」ということで向かったのがこの民宿「ちどり」でした。美しい飯田高原を通って、オニパンから約一時間。お昼の3時頃出発し、途中カフェでコーヒーを飲み、4時半着。お風呂に入って、6時よりお食事。出てくる料理のおいしいこと!女将さんはお客さんのために、近くの地熱発電所に出かけ、お野菜を「地獄蒸し」して、アツアツを食べさせてくれもします。「う~、まいった!」って感じのもてなし。そして、料金は一人3000円でした。お風呂も良かった!!お家に帰ったのが9時過ぎ。半日で、こんないい思いをしたのは生まれて初めて!決して言い過ぎではありません。とても幸せな気分をいただけた「ちどり」でした。その女将が、4日後、忙しいにも関わらず、オニパンに姿を現したのです。何という、フットワークのすごさ!

右は「ちどり」の料理例(ホームページより転載)。もっとたくさん出てきます。

世の中にある様々なお仕事。忙しくなりすぎたり、過重になりすぎたり、儲からなくなりすぎたり、儲かって儲かってたまらなくなったりする中で、基本とする軸がぶれてくるものだと感じます。
頭に「何のために」をつけることで、もう一度見つめ直さねばと感じた7月3日でした。