楽しかった夏休み!№133

なんか小学生の作文のタイトルみたいですな。還暦を過ぎると子どもに戻るということだ。だれかが同窓会で「暦が還る」みたいなことを言っていたっけ。
昨年よりママと私は別々に夏休みをとることにした。「旅は一人でするものだ」とは、よく聞かれる言葉だが、一人で旅をすると、二人旅とは確かに違うものがある。私は、ほぼママといつも一緒にいて、旅行もほぼ二人か家族でやってきた。家族といると安心感もあり、感性ものんびりするようだ。
しかし一人旅は、感性を研ぎ澄ます。見るもの聞くものすべてが主体的になり、ビンビンとハートに響いてくるようだ。そして旅で出会う人との交流やふれあいなどの機会も多くなる。むしろそれが旅の醍醐味ともいえる。同じ景色も、その地の人とのかかわりがあればぐっと深くなる。

8月18日(月)
日曜日ハードな仕事を終え、12時ごろまで旅の下調べをネットでやっていた。翌月曜日、朝6時に愛車フォレスターで出発。天候が悪く、当初予定していたバイクツーリングは、年老いた疲れた体では無理かとあきらめた。それと、ナビがなかったら目的地にたどり着けないのではということも。当方、相当な方向音痴。
まず向かったのは、北九州の息子がやっている整骨院。ナビで「北九州、田町」と入れたら二つ出た。なんとなく聞き覚えがあった八幡西区の田町を選んだ。すると、とんでもない山の方の細い道の一角へと導いてくれた。(おかしい、息子の整骨院は、大都会だったのに)慌てて、アイパッドで検索。すると小倉北区田町と住所が出た。
あ~最初からなんてミスだ。息子は「仕事が始まる前8時45分に来てくれ」ということで、朝の6時にスタートしたのに。そんなこんなで、9時半に整骨院に着く。お土産の安心院産ブドウを渡して、2分で出る。

下関に住んでいるオニパンのお客様の近くまで旅をするので、いい機会だと思って連絡を取った。すると、ぜひよってくださいとのことで、悪いなあと思いながらも、天性の人好きな性格もあってか、厚かましく夕食をごちそうになることにした。
それまでに、有名な「角島(つのしま)」まで足を延ばそう、その途中で有名な「たかせ」の瓦そばを昼食に食べようと、車のハンドルをとった。

 由布院にも「瓦そば」のお店がある。しかし入ったこともなければ、食べたこともない。きっと瓦の上にそばが載っていて、ざるそばのように食べるのだろうなと思っていた。
ネットでは、おいしいと高い評価がなされていた。ちょっと期待しながら、元祖の「たかせ」に入った。

本館、別館など3軒ほどあり、行くのならと本館を選んだ。中は広く、いくつもの部屋がある。その一室で、料理を待った。

出てきましたよ。おおっと!すごい!
焼けた瓦の上に茶そば、卵の千切り、ネギ、
そして味を付けて焼いた牛肉が載っている。
う、うまそ~!!
そばからは立ち上る湯気。出汁にレモンや辛子を入れ、そばを食べる。
やっぱりうめ~!!

これは、ちょっとした文化的なショックだ。
味の面でも覚えのないうまさ。
茶そばと味付け牛の相性、瓦に焦げ付くそばのカリカリ感。いいですねえ。
なんか周りは一人で二人前を食べている。
私は、一人前でちょっと物足りなかった。
残念、二人前頼めばよかったなあ。

角島が山口でも絶景な観光地とは、今の今まで知らなかった。ところが、向っている最中に雨が降り出す。雨が降れば、その美しさは影をひそめるとのこと。まぶしい太陽に照らされ、島の緑やコバルトブルーの海の色が鮮やかに浮き上がる。
どうしよう、行こうか行くまいか。
ええい、行っちゃえ~。しかし、雨なら相当な時間の無駄遣い。

すごい雨!手前の道の駅で休憩。風もある。しかし、しかし、しばらくすると空が明るくなってきた。おお、奇跡か。日ごろの行いがこういうところで助けに回るのか。とにかく、今の内だ、行っちゃえ~!


それから、天気は回復の一途。
青い空、コバルトブルーの海。角島に向かう雄大な大橋。
きれ~!

下は、海水浴場と灯台。

夕方、お客様と待ち合わせる。即、夕食かと思いきや、なんと関門トンネルと平家一門を祀った赤間神宮を案内していただいた。
関門トンネルの人道はテレビで見たことはあったが、初めての見学。エレベーターで下におりる。中は、さすがに蒸し暑い。距離にして下関から門司まで1キロちょっとか。
ジョギングをしている人たちがいる。雨でも手軽に走れる場所なのだ。いいねえ、市民がそんな形で利用できるなんて。お金を取らないってのもいい。

赤間神宮は、とてもきれいな竜宮城のような感じ。急な石段を登ると目前に関門海峡が広がる。関門海峡を見てると、向こう岸の福岡があまりに近くて、まるで海ではなく河のように見える。その狭い海に源氏と平氏の船がひしめき、戦いが繰り広げられ、多くの人々が海に沈んで行ったことが、嘘のような気がする。赤間神宮には、平家一門の墓がある。そしてその横に、ラフカディオ・ハーンの「耳なし芳一」木像がまつられた御堂があった。

そして、お客様のお家に。お腹がすいたあ。
夕食をごちそうに!
なんと、夕食は瓦そば!!
おお、今日は結構ツキのいい日だ。お昼の残念な気持ちをリカバリー!
う、うまい~!
ビールもうまい! 左、瓦そば、右はゴーヤチャンプル。下関では、各家庭の瓦そばの味があるようだ。大阪で言えばたこ焼きみたいな。

かくして夏休み一日目は終了。何と中身の多い、充実した一日だったことか。
そして、二日目は源平合戦から700年後、またもや国の歴史を大転換させた明治維新の主要な舞台として現れる長州は長府(下関の一部)の観光。

暑い!蒸し暑い!塚原では味わったことのない暑さ。まあこれが普通なのかも。
汗をかきかき、功山寺へ。なぜって、ここはあの高杉晋作が奇兵隊80名で、国を変えるために挙兵した場所。前から一度行ってみたかった。
行ってみると、山門修理中だった。山門の下の地中に水脈があるとのことで、軒が歪むとのこと。
見学会があったので、中に混じって、お話を聞かせていただいた。

そのあと、坂本竜馬がお世話になった方々のお墓参り。竜馬は、自分の親戚みたいな感覚なので、一応お礼を言っとかなくてはと、手を合わせた。

続いて、長府博物館。功山寺の中にある博物館で、ちょうど今回、竜馬に関わる資料の展示をやっていた。
竜馬の直筆の手紙など結構時間をとって読んだ。お竜との間でケンカになったことなどで、謝る
ものなど、竜馬の人間性に触れる思いがした。

高杉晋作は、若いのにずいぶん勉強家だったようだ。27歳8か月で逝く。
信じられない若さで、国を動かした。若者が動くとき国が変わる。

こうして下関観光は終わる。二日目の泊は、息子のアパート。
福岡に行く前に、下関のパン屋で食べログ1位のお店に立ち寄り、パンを買った。

すごく元気のいいお店だった。ポップ、ロックのようなリズムの曲がかかり、それにのって、職人さんが、生地のまるめをしていた。私の課題のハード系カンパーニュなどはなかった。デニッシュの色合いや成形の美しさ、フルーツの多様さ、ピザや惣菜系のパンなどバラエティにあふれ、製造が大変だろうなあと思った。職人さんもたくさんいた。おいいしいが味が濃い。メロンパンのクッキー生地に粉チーズ、中にはカスタードとヨーグルトクリーム。こんな感じで、一工夫二工夫をしているのがわかる。
相当こだわりを持ってパンをつくっている。カレーパンのカレーも自家製。半熟卵が入ったものもあり、ちょっと普通では考えられない手の掛けよう。カレーは、やはり油で揚げている方が味的にはうまい。うちのは焼きカレーパン。ちょっと物足りないかも。

息子のアパートに泊まり、夏休みも3日目。息子のアパートの前に本城公園がある。その公園がとてもいい。立派なジョギングコースがある。一周1.3キロ。
私は、そこで1時間ほどジョギングをした。汗が流れる。毎日のビールを絞り出すかのような。
体が元気になった。そして、最終の目的地、福岡県朝倉市秋月の「月の峠」に向かった。

ここのパン屋も食べログ第一位。ここは、あこ酵母が気に入った社長さんがすべてあこ酵母でパンをつくっている。その社長さんは秋月で、製麺工場や食事処お土産店などたくさんのお店を経営しているとのこと。月の峠も観光バスが入る大きな駐車場があり、観光のコースになっている。
だから、作る量も半端ではないのだろう。一日にカレーパン900個とか。
行ったとき、お客さんがお店にはいなかったが、久留米ナンバーの車が駐車場に10台近く停まっていた。職人さんの車なのだな。
あこ酵母なので、作られたパンのことはよくわかる。だから、有名店のパンがどのようなものなのか試してみたかった。

自分のつくっているパンがどのような位置にあるのか、何が課題なのか、それを冷静に見極めないと進歩はない。そういう意味で、意味のある研修の機会となった。

しかし楽しい3日間だったなあ。

うっとおしい日々には山が一番・・・かな

教育関係の仕事をしてきたものには、現在の世情はあまりにうっといものがある。
長崎佐世保の事件。長崎では10年ほど前にも子どもによる子どもの殺人事件があった。
自殺事件も後を絶たない。
大阪で働く友人のフェイスブックを見ていて
「学校のブラック化」という記事を目にした。私らが働いていたとき、胸を痛めた「学級崩壊」「学校崩壊」。幾人もの知人が、悩み苦しみ、学校へ行けなくなった。
しかし、その苦しみは子どもに関わる物であり、「子どもを救えない自分たちの力なさに悩み苦しむ」ことだった。
「学校のブラック化」というのは、学級・学校崩壊ではなく、「職員室崩壊」とのことらしい。
職員一人一人がバラバラにされ、以前のように子どもの問題を教師集団で考え対応するのではなく、担任の問題として責任を取らされる。事務や会議等仕事が多すぎ、まったく自由がきかない中、「指導力のなさ」を責められる。子どものことで悩むのではなく、上司や同僚との関係で自分の存在場所を維持するのに辟易としている。
教師の瞳が輝いてこそ、子どもたちは自分たちの将来に希望を持つようになる。生き生きとした人と接するとき、人は元気が出る。こんな当たり前のことが、通らない教育現場に未来はあるのだろうか。

・・・ なんて、難しい話が多くなると、人生暗くなる。バランスバランス。パン屋らしからぬ話が多くなるのは、決して私のせいではないぞと叫びたい。

この間、仕事が大変でなかなか自分の時間をつくることができなかった。
しかし最近二人の従業員さんのおかげで、多少体が楽になっている。
考えてみれば、還暦を迎えた体に14時間以上の労働は酷すぎる。
経営的には色々と難題があるのだが、先ずは健康が第一。次に人間らしい暮らしぶり。
そこで復活してきたのは「山行き」である。

折々帳には書いていないが、二週に一度は山に行っている。
二カ月ほど前からぼちぼち行きだした。
玖珠の「万年山(はねやま)」 安心院の「烏帽子山」、鶴見岳そして先週は由布岳。

万年山(はねやま)は2回目。
玖珠には、溶岩台地でできたUFOの着陸場みたいな山がたくさんあるね。

左の写真は安心院の烏帽子山の頂上。
地元の人がつくったお手製の眺望図(こんな言い方でいいのかな)。
なんと立派な(面白い)作品。地元の人たちは、お正月などこの山に登るらしい。大切な山なのだ。
だから、きちんと手が行き届いている。
この眺望図(?)に「サファリ台地」とあった。
まるで万年山のような形の山である。
へ~そんな名前聞いたことないなあと思い、家に帰ってから、ネットで調べまわったが、まったくない!

この地元でしか通用しない呼び名なのだろう。この烏帽子山は、頂上からの展望が実によい。360度(一部木が伸びて見えにくいが)。しかし、山の高さは570mくらい。塚原の私の家は、630m。なんだ、私の家より低い山!しかし、地元にとっては大切な山なのだ。
ちなみに、烏帽子山から見えるサファリ台地の写真をのせておこう。

右の写真。中央にしっかりと見えている。
ほんと万年山みたい。はじめ万年山かなと思ったぐらい。でも、なんでこんな近くに万年山があるのと思った。眺望図をみたら「サファリ台地」って書いてあった。
もうお気づきでしょうが、サファリというのは、「アフリカンサファリ」のこと。
地元の人は、この台地にそう命名。
正式名称ではないのだ。

烏帽子山の次に登ったのは鶴見岳。昨年の同じ時期も登った。旗の台から登り口があるが、今回はちょっと上のお寺の駐車場に車を止め、そこから1375mの頂上めざした。
少し蒸し暑かったが、ほぼ樹林の中を登っていくコースなので、夏でも登りやすい。
頂上に着くと、七福神めぐりをして、ロープウェイの山頂駅へ。そこでアイスを食べ下山。
昨年はは、ビールを飲んで、ロープウェイで下山。そんな楽しみ方もできる鶴見岳(ただし、連れ合いに文句言われながら車で連れて帰ってもらうのが前提だが)。日本300名山のひとつとのこと。

続いて、日本200名山、あるいは日本新100名山と言われる由布岳。
由布岳には高校生のころから何度か登った。しかし、あんまし、好きにはならなかった。
どうも正面登山口からのコースが何か単調で、きつい。高さもあるので結構きつい。
3年ほど前に、西の峰に上ったことがある。普通は東の峰に登頂する。西の峰はクサリなどがあり、ちょっと怖いので敬遠されるからだ。
確かに怖かった。西の峰から「お鉢めぐり」といって、噴火口の周りをぐるりと回り東の峰まで行った。相当体力を消耗したことを憶えている。
今回は、以前からの懸案であった東登山口からの登頂を目指した。
今まで、2度ほど挑戦したが、一回目は何かしんどくて、日向岳への自然観察路的なコースへ変更。次は、途中まで登ったが、雨(雪)で、断念。
そして今回は3回目。

実はこの山行きの前、私の中にちょっとした心境の変化が起きていた。
近頃、山に行きだしたといっても私から進んでという気持ではなかった。仕事に関わっての多忙さなどから、なかなか精神的なゆとりもなく、ママに誘われるからついていくといった感じ。
でもそれでいいのか。体の調子も芳しくなく、肩や腰、足と慢性的な痛み。本を読む暇もなく、運動もあまりしない。何か未来に雲がかかって、光も見えない。
そんな感じだったが、前に書いたように、ちょっと時間的なゆとりもできてきて、鶴見岳に登って少し達成感も味わった。
そうだ少しファッションも考えてみよう。ザックもほしい。
大分市の山渓という登山専門店に行ってみた。
こんな店に行くのは久しぶり。ザックも進化していた。
とりあえず25リットルのザック、夏用のシャツや登山用の靴下などを購入。そこで知った、「ブラックダイアモンド」というブランドの登山用のストックも後でネット通販で購入。
「先ず形から入る」という、若いころジョギングに目覚めたころのことを思い出しながら、
良し後半生(あとわずかだが)は山に登って、健康生活だ!と決意した。


やまなみハイウェイ(別府から城島高原、湯布院への道)の途中、猪の瀬戸から塚原へ向かうエコーラインの峠に由布岳東登山口がある。

天気は曇り。時々雨がぱらつく。しかし、それくらいが暑くなくて気持ちもよい。
以前から比べて、ずいぶん体力が落ちてきている。はじめの30分くらい、歩くと足は重いし、息も上がり気味。それから少しずつしんどさが体になじんでくる。
東登山路は、鶴見岳同様樹林の中を進む。比べて、広くゆったりとしていて、気持ちが良い。
なだらかに登っていく。

途中大きな木が大きな岩から生えている景色とであう。すごいなあ、木の生命力って!
いくつか出会う。山でしか見れない生命のすごさ。

そんなことを考えながら、しだいに登山と一体化。歩きに違和感がなくなる。

前回断念した場所まで登ってきた。
ここが高度何メートルか知りたかった。
そこで、久しく使ってなかった高度計の付いた腕時計を確かめた。この時計は、塚原での田舎暮らしに備えて大阪で購入した一品。

1280m。
まだ頂上までは300mある。

このあたりから、登山道は急になってくる。クサリやロープが頻繁に出現。
冬場はちょっと危なそう。

ついでに、新しく購入したザックの紹介。
グレゴリー製。還暦祝いで色は赤。
今まで使っていた、安物と違い、背中のベンチレーションに感激!
ちなみにベンチレーションとは通気性・風通しのことらしい。
そのほか安物との違いは、ポケットが深くて実用的。そして、ストックが留められるゴムひも、ザックを開けずに水が飲める(中の水入れからホースを出して歩きながら吸水できる)仕様。
何よりしっくり背負うことのできるフィット性。

そんなザックを背負っているだけで、登山が楽しくなるから不思議。

東登山道は、変化があって面白い。岩場の登りなど。見た目には怖げだが、小学生でも気をつければ登れるくらい。幼児と老年はやめといたほうがいい。
さて、我らが中高年のママはいかに。

こんな感じ。
怖いと言いながら、結構やります。
こういう場所がいくつかあるのだが、頂上近くの岩場で動けなくなったようだ。

私が先に頂上に着き、ママを待つのだが一向に現れない。「お~い、ついたで~」
返事がない。
しばらくたって、がっしりした男性といっしょに現れた。
聞くと、ママは岩場に蝉のようにしがみつき、そこでじっととまっていたようだ。
後から偶然現れた宇佐の登山家に助けられて、登り切ったとのこと。
それでもママは、大丈夫やったんやけどね、みたいなことを言っていた。
登山家が来なかったら、多分30分はしがみついていたと思うが。

 頂上付近のお鉢めぐりコースにたどり着いた時のカット。この表情から、岩場のきつさを想像してほしい。
繰り返すが、小学生でも大丈夫。
ひとによって、感じ方が違うだけで、ママの場合はこんな感じ。

てなわけで、由布岳東登山口コース制覇!
この登山は、私にとってとても貴重な山行きとなった。
1584m。豊後富士なのだ。
右手にかざしているのは、ビール。
頂上制覇を祈念して前日より冷凍していたビール。
すでに生温かったが、久々のうまさだった。

オニパンに新スタッフ!頑張っています!!№131

早く紹介したいとうずうずしていました。現在オニパンは新スタッフ2名を迎え、文字通り生まれ変わりました!いえいえ決して大袈裟ではないのです。平均年齢が20歳ぐらい下がった感じ。
なにせこの二人の年をたしても、私より10歳少ないのだから。

清家由里さんと山本卓哉くん、ともに年齢25歳。
二人とも試用期間を終えて、正社員となりました。もう紹介しても大丈夫ということで、ホームページ上に公開。

清家さんは4月より働いてくれてます。以前ケーキ屋さんで働いていたというだけあって、動きは敏速、何事も丁寧にやりあげます。なんでこんなに、自然に身に付けられるのかというほどに、製造技術を習得していきます。現在4か月弱のキャリア。
彼女は容姿からはうかがい知れない、何か気迫めいたものを持っているようです。前向きで弱音を吐きません。一見かわいらしい女の子、でも25キロの粉袋を軽々と運びます。
オニパンの厨房は狭いので、スペース利用のため、頭上にいろいろなものを配置しています。あるいは3段オーブンの一番上は、低い身長では、パンの取り出しが難しくなります。
清家さんはバレリーナのように爪先立ちで片足を上げながら、器用にパンを取り出します。
せわしなく次々となり続ける、窯やドーコンのタイマーを確かめながら、まるで千手観音のような手の動きで、パンを焼き、窯に入れ・・・。
それを見ていて、私はある言葉を思いつきました。
あ、彼女はまさに「窯ガール」だ!
私の修業していたあこ庵では、窯の担当者は一番上の位でした。
窯はとても難しい仕事です。パンの発酵の見極め・釜入れのタイミング、焼成の色具合等々の判断。
仕事を初めて4カ月で、まがりなりにも、その仕事をしている清家さんの力というか,そんな力を付けている努力に敬意を表したい気分です。

別府店開設にともなって、従業員はもう一名必要になってきます。今までオニパンを支えてくれていたひろちゃんが、一身上の都合で5月初旬に退職。オニパンは危機に陥ります。
清家さんがまだまだ仕事に慣れていないなか、それでも、別府店へ販売に行ってくれるおかげで何とか塚原と別府の両店を維持していきました。
厳しい状況のもと、オニパンに就職してくれたのが、山本君でした。山本君はオニパンに就職する前より、別府店や塚原本店へ顔を出してくれました。
年齢25歳の若者男子。「マスター、一緒においしいパンをつくっていきましょう!」と初対面で言う、何か自信にあふれたところが印象的でした。
彼は、職人肌の、テキパキと動く身のこなしが信条の、今時珍しい、とんがった雰囲気の男子です。いえ、決して偉そうな威張った雰囲気なのではなくて、自分の目標をしっかり持ったみたいな意味でです。
とにかく、5,6月を乗り越え、7月も終えようとしている今、オニパンはやっと先が見えるようになってきました。

現在、別府店は清家さんと山本君が交代で行ってくれています。塚原の本店でもそうですが、ほぼすべてのことを切り盛りできるぐらいの力をつけてきた両名です。
販売などは、私より、人当たりがよく、若い新鮮な感覚での接客にお客様も喜んでいることでしょう。

朝、黙々と働く両名と一緒にパンをつくりながら、ちょっと新しい、引き締まる気持ちで、製造に向かう今日この頃。
きっとおいしいパンができるに違いありません。

やはり、一言だけは言っておかないと 

今日の新聞で目にした。
「自公集団的自衛権容認で一致 閣議決定の内容大筋合意」
白けた気分で読んだ。
安倍第一次内閣の時から、どうも胡散臭いきな臭い彼の言動が
気になった。「美しい国日本を取り戻す」「戦後レジームからの脱却」
こんなコピーで「平和ボケした日本をつくりかえる」とのこと。
途中で突然の辞任。やれやれ、ほっとしたことを思い出す。
確かその当時「KY]という言葉がはやった。
彼はKYの代表格だとも揶揄された。「空気読めない」つまり、周りの人たちの気分感情思いを読めない人。

教員時代、当たり前のように教えていた平和憲法。
憲法9条のおかげで、戦後69年間、戦争で人を殺すこともなく、殺されることもなく過ごせてきた世界でも珍しい国日本。
戦争の悲惨さは、それなりに教えられてきた私。
母が長崎で被爆した。学生時代から原水爆禁止世界大会にも3度ほど行った。20歳のとき、広島の被爆者の家を探し、生々しいお話をじかに聞いた。
どうして戦争なんかするのだろう。これだけ多くの人が苦しみ傷つけられ・・・。
膨大な犠牲・屍の上に、「もう二度と戦争は繰り返さない」との痛恨の思いを込めて、憲法は制定された。

時の権力者は、いつも憲法改変を最終目標に、じわりじわりと、国の形を変えてきた。
それは簡単に言えば、民主的な形から官僚的な形へ。
学校教育でいえば、教師の自主性を取り上げ、上からの指示・管理へ。職員会議を話し合いから、校長の指示命令・伝達機関へ。教育委員会についても、教育委員の公選制から任命制へ。現在は首長が決定できる機関へ作り変えられようとしている。

私が行っていた高知大学は、学生自治会が力を発揮していた。坂本竜馬を生み育てた土佐の自由な気質が大学全体を覆っていた。学生の活動を尊重してくれた大学の教授会の力もあっただろう。サークル活動が活発で、学生たちはサークルやクラスで大いに語り合い、自分の将来や社会や政治を議論した。
全て話合いでことの真理を問い、活動の進め方を考えた。「民主的」であるかどうかが、最も大事な要素なのだと、共通理解されていた。
ことあるたびに、「それは民主的でない」と批判し批判された。

民主的というのは、民主主義的という言葉の省略形。
民主主義は、人民が主ということ。
先ず人のことを考えるということ。
その人とは「自分」ではなく、他人(ひと)のこと。
他人のことを考えることができる人は、人の気持ちを想像でき、相手を尊重できる人。
他人の意見を聞かない人は民主的ではない。一方的に、力で物事を決めてしまういわば官僚的な人物なのだ。

安倍さんは私と同じ午年生まれだと。
私はいまだに自分が未熟だと感じる中高年。
幾千万の人々の犠牲の上に生まれた平和と民主主義、基本的人権を瞳のように大切にするこの憲法を、「自分の責任で」変えるという。
KYでは済まない。恐ろしい人物だと思う。

東南アジア諸国連合(アセアン)は、やく6億人が加盟する地域協力機構だそうで、政治や経済について話し合っているという。欧州共同体(EU)もそうだが、各国が協力し二度と戦火がないように、さまざまな形で結びつきを強めているそうだ。
アセアンでは、年間の会議が1000回を超えている。すべてのトラブルを話し合いで解決することを基本としている。
これが民主的な国の在り方だと思う。
そういう実態は極力知らせないで、中国、韓国、北朝鮮の挑発をのみ取り上げ「国民を守るためには」という口実で「憲法改正」をあおる。

「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」
単純明快に書かれている9条の条文をしっかり守ってほしい。
憲法は、侵略戦争を起こした日本の権力者たちを縛るために作られた国の最高法規。時の政府は、それを守るのが務め。
その時々の内閣の人たちによって、簡単にかえてもらってちゃあたまんない。

やはり、一言だけは言っておかないと。重い気分で。

「どっこい」30周年記念公演

ひと月前のこと。和太鼓・民舞サークル「どっこい」の創立30周年を記念する公演が開催された。
私は、創立者の一人として、ぜひぜひ参加してほしいという熱い申し出を断りきれず、大阪へ。

思えば、私が29歳のころ、当時はまだ珍しかった和太鼓に魅せられて、プロの演技団の研修生になった。
仕事を終えた疲れた体で、一年ほど通い続け、同時に大阪門真市の速見小学校を拠点として、太鼓サークル「どっこい」を立ち上げた。
3周年、5周年記念公演を開催する中で、和太鼓や民舞を志す仲間が広がっていった。
門真市では、サークルに入っている保育園の先生たちの働きかけで、全ての園で太鼓が普及していく。小学校や中学校では、運動会・文化祭では生演奏の民舞や、力強い和太鼓演奏が数多く取り組まれるようになる。
どっこいとしても、多いときは、私も年間30回、さまざまなところで演奏をした。
わたしにとって「どっこい」は青春の輝きそのものだった。

今から27年前の写真。どっこい創設期のころ。
皆さん、若い。以前の折々帳でも載せたが、昨年の夏に、わざわざ大阪から塚原に駆け付け、「傘踊り」の「強制練習」(笑)をしてくださった、大田さん、辻奥さん、堀田ちゃんの顔も見える。
わ、わか~い!

さる4月27日大阪門真市のルミエールホールで公演は開かれた。お客さんは1000人。
どっこいは、大阪の他のサークルとも連携しながら、このような大きな取り組みをすることができる。
いったん男が「行く」と言ったからには、ひるがえすことはできない。
4月27日は、ゴールデンウィークの稼ぎ時。そんな中で、ママや従業員さんにお店を任せていくなんて。ちょっと考えられない行動。
しかし、私の人生にとっては、天秤にはかけられないほど、大切なものなのだ。

ただ気がかりなことはお店のことだけではなかった。
それは、「傘おどり」。
どっこいOBとしての演目が10番目。
練習用としてくれたDVDを見ながら、部屋で練習をしたりはしてたが、
なかなか、うまく踊れない。

そうこうするうちに、私の最後の舞台となった2000年記念公演のことを思い出した。
この時も、会場1000名を超える満席状態だった。そのフィナーレを飾る演目は「八木節」。
舞台中央でたるを叩き歌を歌うは、私だった。
そこで、私はミスをした。
歌詞を間違えたのだ!

あ~なんていうへまを!!!
それが、私の和太鼓人生最後の舞台だった。

それから14年。八木節のトラウマが現れだした。それは公演1か月前ぐらいになると、仕事も手につかなくなるほど(ちょっと大袈裟か)。
とにかく、みんなに迷惑を掛けられない。下手でもいい、最後まで踊りぬくぞ!

大阪に向かうフェリーの中、体がぼろぼろの私がいた。仕事でも相当疲れている。
お酒を飲んでもあまり眠れなかった。朝の顔はひどいものだった。腫れている。

通いなれたルミエールホールに着く。懐かしい!
どっこいのみんなに会う。うわー、かっけー!!
久しぶりに芸能人みたいな感覚。しかし、舞台のそでに立つと、ピリッとしてくるから不思議。


出番は3回。
1.傘踊り
2.どっこい創立当時のエピソード紹介
3.フィナーレ全員踊り

肝心の傘踊りの出来はどうだったかって。
途中、回転でふらついたものの、何とかみんなについて行ったかな。

良かった!

その夜の打ち上げは盛り上がりましたよ。
参加している人が60人くらいいたかな。
懐かしき人たちや若い人たちと、久しぶりに和太鼓民舞を語り合った。
でもサークル一番の宝は、人生を豊かにしてくれるということ。その本質は、人との絆、友情。