いただきもの

塚原での暮らしは今までの大阪での暮らしと大きく変わっている。都会と田舎の違いで今特に感じるのは、消費と生産の違い。

塚原の人たちは自給自足に近いすごさがある。食べ物から住まいまで。そんな感じ。大分県のレベルで考えても、畑をやっている人は多いですねえ。だから、お客様の中にも、野菜を持ってくる方も。

生産するとその喜びを与えたくなる。一人で持っていても手に余るというか腐るというか。食べ物は特にそうだ。身近な人や思いのある人に分け与えたくなる。あげた人ももらった人も心は動く。熱が起きる。感情が動く。そして関係性は深まる。そういう人と人とのつながりは広くより強くなっていく。生産的な暮らしってのは、いいですよねえ。都会はそういう機会が少ないもんなあ。

ということで、オニパンもいろいろといただくわけで、ありがたいことです。野菜、果物その他いろいろ。ママがせっせこ料理してくれてありがたいの一言に尽きます(ゴリゴリ)。

冬にはあったかなカブのスープ!おいしいぜ~!!このカブもいただきもの。ママによると30個くらいいただいたそうな。オニパンの賄い用として、ありがたく全て使い切りました。

onipain song

4月に向けて、オニパンソングづくりをスタートした。

作詞マスター 作曲ルイージデンツア 変曲マスター 

1回目の音合わせが、オニパンカフェで行われた。

演奏は子ども音楽祭の主催者米田さん。なんと、10年ぶりにオニパンのピアノが立ち現れる。彼女が弾いて、私が歌う。お久のカラオケ、すこぶる感動。

さてどうなることか。

別府店、金の市。今日は「白黒棒」です。

お助け女神

今、オニパンに一人の女神がいます。窮地を助けてくれたその女神の名前は「ホエ」さん(ニックネーム)。

1月23日の土曜日から、ボランティアとして住み込みで働いてくれている女性。APUを卒業し、広島のパン屋さん、沖縄のコーヒー園、大分のパプリカ農園などで働き、ベトナムに帰国する予定でした。ところが、緊急事態宣言で無理となり、出発が可能になるまでオニパンで働きたいということで受け入れた彼女です。

この月曜日、畑作業や藪掃除をした私、その後夜になって左手に変調が。手が腫れ、火曜日に病院へ行って処方してもらうもののいまだに腫れは治まっていません。この、infoも右手で。左手は全く使い物にならない、さあ困った、どうしよう。

今日の朝、4時半よりホエさんに頼んで、すべての生地を分割してもらいました。私はその隣で、右手一本で丸目作業。立場逆転、でも従業員さんが来るまでに作業完了。事なきを得ました。

ホエさんが女神のように見えました。毎朝4時半より3時半くらいまで仕事をしてもらっています。かわいく元気な女子です。

スパイスカレーはうまい!

冬休みに研究したスパイスカレー、現在本格的に始動。金曜日は別府店で30円引きの金の市サービス品としてたくさん出しました。1時半ごろには完売したとの報告。嬉しいですね。食べた方はどう感じられたか。感想が聞きたいですねえ!

昨日、試食の意味で私も昼ご飯を食べた後でしたが、一個食べてみました。

うん、スパイスの香りがいい。おいしいと思いました。温めて食べたらもっとおいしいだろうと思いました。少なくとも前のタイカレーパンよりおいしい。

でももっとおいしくなれるだろうとも思いました。まずは第一歩。スパイスカレーパンの歴史が始まります。

一個210円です。お試しください。

オニパン別府店 祝7周年

この1月18日でまる7年が過ぎたオニパン別府店です。南高架商店街に移って2年が過ぎました。

オニパン別府店は移転後、立地条件の良さ(駐車場近く、買い物に行きやすい場所)もあり、北高架の時と比べお客様もたくさん来ていただいています。

北高架の時の5年間は、とても思い出深いものがあります。お客様が少なく、割引カードを発行したり、地域にビラを配ったりしました。また、卸の場所を求めて、病院なども訪問したりしました。その苦労のかいもあったのでしょう、色々と工夫ができるようになりました。

北高架のときの門構え(?)玄関。工夫を凝らした板壁や左官仕様。ドア扉も立派でした。今ではなくなった、ママのトールペイント風の木彫り。裏には陶板。苦労したけど、思い出が詰まっている北高架の別府店。濃い人間関係の商店街。

7年の月日の経つことの速さ。懐かしさ。

この北高架を引っ越す要因となった耐震工事。それが今回南高架でも始まります。この3月より。そして通りを挟んでワコーさんのお隣のスペースに半年ほど引っ越しをします。すぐ近くなので今までと同様にお越しくださいませ。