13回忌 法要

ママの父母が亡くなって13年。私の母が亡くなって13年。2011年の震災のあった年に3人の親がいなくなった。今回ママの実家、愛媛今治へ。ママの兄弟、そして伴侶、その子どもたちが一人もかけることなく顔を合わせた。多分これが最後なのだろうと思いながら、楽しいひとときが過ぎていった。

本当に時が過ぎるのは早い。はじめてママの実家へ行ったのは私が20歳の時。考えてみれば早熟なのか。ママの親からすれば、驚きだろう。得体の知れない男が、かわいい娘の友達と称して、家に泊まりに来るのだから。

親父は一言も私に声をかけなかった。私は悩んだ。酷い仕打ちだと。今から考えれば、当たり前。変なのは私の方なのだろう。私は黙々とタバコの収穫作業を手伝った。暑い夏だった。

そして5年後、25歳の年にママの両親が大阪へやってきた。私たちの結婚式へ。その前日か、4人で大阪城へ行ったことを思い出す。寒かった。ママの母は、節くれ立ったごつい指で、黙って私のコートのボタンを留めてくれた。その指が想像を超える農作業や造船所での労働を物語っていた。

50年、半世紀の時の流れ。あ~思い出すと目頭が熱くなる。その一コマ一コマがとても大切な瞬間だった。

名前を忘れたけど、ここは八幡浜港の隣の大きな駐車場とそれに併設されるマルシェ、魚市場、カフェ。このミカン畑の山が連なる景観はとてもいい。これがあることで、この市場は雰囲気が演出され、お昼には車でいっぱいの人混みになる。この写真は港に着いたばかりの5時過ぎ。良~く見ると休憩所に一人のおばさんが。

メークに忙しいママが。

こうして、13回忌の朝がスタート。法要も無事終え、その後のお食事会も盛り上がり、飲めるだけ飲んだ私はその日の宿、権現温泉荘へ。

昼間宴会。この宿へたどり着いたのは遅かったが、それでも8時頃の夕食。牛肉がうううま~い!けれど、入らな~い(😭)。残念だった。食べたかったのに。

帰りの船上より一枚。

八幡浜にも、ママの実家がある今治にも造船所が活気ある音を立てて仕事をしていた。ママの母が、造船所で働いたおかげで、子どもたちが大学へ行くことが出来たと聞いている。今治に着いたとき、新来島ドックが作られていた。新しい造船所だ。その近くに大きなマンションがあり、でっかい看板で「独身者専用寮」とあった。すごいなあ!若者の就職難や低賃金などが気に掛かるご時世。ありがたいなあと思う。経済の発展って、人一人の人生に大きく影響している。この造船所のおかげで、ママと巡り会ったと言ってもいい。経済の重要性を感じる13回忌でもあった。