半年ぶりの折々帳。文章が書けるか心配なほどに、脳の回転と記憶力が減退中。歳が原因という面もあるだろうが、日ごろの生活態度が最も老化に寄与していると思う。眠れない日が続き(特に悩みがあるわけでもないが)マイスリーという導眠剤を常用するようになった。これは、少し危険な薬だと最近知るようになる。お酒を40代のころより毎晩飲み続けている。これも、眠りの浅さの原因のようだ。パン屋の朝は早い。眠れないと、体が参ってしまうという強迫観念から、マイスリーを常用するようになっていた。
腰が痛い!足がつる!目が疲れ、視力が極端に悪くなる夕方。胃が重たく、少し多めに食べると、しんどくなる。大好きな豚骨ラーメンを食べると、胃が石のようにしんどくなる。もう5年くらい前からあきらめた。両手親指は付け根部分が痛く、もう7~8年ず~っと治ってない。頭の毛が薄くなっている。腹回りが太くなっている。もう嫌だ!こんなはずじゃあなかった!!
相次ぐ知人、友人の死。60代は多い気がする。それを乗り越えても、70代半ばでの死。がんが多い。つい、一昨日も、大阪の尊敬する先輩ががんで亡くなった。悲しみに耐えない。
歳を取るというのは、死と向かい合い、体の変化と向かい合い、「よいしょ」といちいち声を出しながら暮らすということなのか。いよいよ実感である。
「夢半ば」で亡くなるみたいな表現で、突然の死を無念視することはよくあるが、最近は、それは当たり前のことで、いいんじゃないかなと思う。「目標達成したぜ!」みたいな終わり方ってあるのかな。頭がぼけてない限り、夢(目標)を追い求め、その時々の達成段階で満足や充実を感じながら、生きていくしかないのだし、それで十分だと思う。いや、そういう生き方ができていればどんなにか幸せなことかと思う。
そう考えると、突然の死も、余命期限を意識しながらの死も、それほど悲しいことではないのかも。
新年に向けて、年末より、新たな取り組みを開始している。
生きる限りにおいて、ぼけてはいけない。というか、ぼけない努力をしないといけない。よって、マイスリーはやめた!眠れなくていい!ぼけるよりましだ。そして、お酒も週に3日は飲まない。すでに実践を初めている。すると、眠りが深くなった。マイスリーを飲んだ眠りよりも自然で、何か頭がすっきりしている。もっともっと頭のためになることをしなければ。すでに、相当ぼけが来ているのだから。ということで、新年そうそう、久しぶりに読書をした。ノーベル化学賞をとられた吉野彰さんがおすすめの「ロウソクの科学」。とても良い本だ。この本、実は二十歳のころ、良い本だと、知人に勧められたが読んでなかった本。ずっと意識していたが、まさか吉野さんが推薦するとは。パン屋も科学の素養が必要だ。おいしいパンを作ろうと思えば、科学的な思考や基礎教養(発酵などの)がないとだめだ。
パン屋を目指す人がいれば、この2冊は必読文献。
さて、若干頭の方はなんとかなりそうだが、問題まだまだある。どうしようもない体問題。年末から腰痛がひどい。お正月ゆっくりしたら少しは改善するかなと思ったが、逆にひどくなっている。やはり、運動しかないのか。ということで、昨日、由布岳塚原コースを途中まで登る(2時間半のきつい運動)。今日の体の状況は・・・・なんと、腰痛が消えている(90%くらい)。やはりね。パン屋にとって運動は絶対必要なのだ。これも、パン屋になろうと思っている人は忘れないで。

今年の課題として今意識していること、それは労働軽減、より効率的な生産体制、そして美味しさの追求。なんと欲張りなこと。それに一歩近づける手段に気が付いたのが年末のこと。昨年、冷蔵生地や冷凍についてのいろんな方法があるとのことを知り、オニパンでもすでにいろいろと試しているところだ。開店当初より生地はオーバーナイトで発酵させるものだと決めつけてきた。焼きあがったものはその日に売り切るものだと決めつけてきた。しかし、現実的な問題としてそれはかなり無理がある方法だと最近は思っている。冷蔵生地にすれば二日分、三日分をまとめて仕込める。冷凍生地は扱い方によっておいしいパンが焼ける。焼きあがったパン生地でも冷凍の方法でうまさを維持できる。そうだ、冷凍という手段は、現在多くのパン屋の直面する課題を良い方向へ導く処方箋となるのでは!これに気が付いた!!
冷凍でも、やり方によってよりよい方法があるそうな。パン生地や具材をおいしく保つ方法が。ゆっくり冷凍するのではなく、できる限り早く凍らせるのが大切だと!業務用冷凍庫もかなりの能力があるのだろうがもっと力のある「急速凍結庫」など、零下40度レベルで一気に凍らせるという代物。大きいし、200Vの動力が必要。ほしい~欲しい!よし、躊躇している場合ではないのでは、ということで購入することに。しかし問題は設置場所。スペースだけではなく、夏場30度以上の場所では能力が発揮できないし下手をすれば壊れると業者が言う。それならば、造るしかない!ということで、建物の外に屋根を作り、設置する小屋を建てよう・・・みたいな。
年末、頼りのご近所さん、あのトミさん。私たちが塚原高原に店を構えようとするあたりからずいぶん助けてくれたスーパーな人。そのトミさんも今72歳。小屋を頼みました。3日かけて、屋根を作ってくれました。
さすが、トミさん。しかし、あとは、私に作れという。う~できるかなあ?。正月2日、ハンズマンに軽トラをかりて材料を買いに行く。断熱材や壁板などは、たまたまオニパンの向かいで建築中の「無印良品の家」で働いている大工さんに頼むと、なんと半端なものを持ってけ!ということで、ごっぞりくれた!なんと正月そうそう、めでたいことだ。そして、4日かけて、ここまで製作。

この小屋に電源を引いて、高さ2メートル幅、奥行き1メートル近くの急速凍結庫が入るのだ。さらに、ストッカーの冷凍庫とジャムなどを保存する冷蔵庫も。さらにエアコンを設置して、夏場も涼しい冷蔵小屋に。
冷凍できる総菜パンの研究も進めている。これはママに頼んでる。

今年一年がオニパンにとって持続可能なお店の元年となることを願って。欲張りな目標ではあるけれど、やってみるしかない。もう後がない。
さて、旧年のがんばりへのご褒美として、まだいったことがなかった宝泉寺温泉へお風呂と昼ご飯へ(5日)。お泊りはできませんからね(犬猫さんがいるので)。
いいですね、宝泉寺温泉。湯本屋。料理がうまい!そしてプレミアムビールもうまい!泡が「神泡」!
グリーンラベルしか飲んでない私にとって、この泡は・・・!「泡の科学」を考えたくなりましたね。

蒸し暑い日だった。8月18日(日)。「おそらさん」(地元の方はそう言っている)は、スキー場として一時期はそうとうなお客様がきていたようだ。後になってわかったが、私たちは一番きつい直登コースで頂上を目指したようだ。あの扇山みたいな感じもしないではなかった。扇山のほうがキツかったが。一時間半ほどで頂上にたどり着く。
これは途中の分かれ道。
頂上はこんな感じ。眺望は今一つ。
自撮りの一枚。暑くて、汗びっしょり。でも、広島県の一番高い所を征服したので、ちょっと嬉しかったな。
ホテルは古そう。しかし玄関に「歓迎ひうら様」の札が。嬉しいものですねえ、ビップ気分になります。若いころ和歌山の竜神温泉の宿に行った時だったか「歓迎 大阪日浦様」と札に書かれていたのは。あの時以来のことだなあ。 3軒のお泊り様なんだ。ホテルは、結構古そう。後で主人と話して知ったが、築60年くらい。その前にも旅館はあり、現オーナーは3代目。5歳年上の70歳。なんと、恐羅漢山スキー場を立ち上げたのは、そのオーナーだった。若いころの苦労話など聞かせていただいた。活気のあったころの話をする主人の目は輝き、こちらまでワクワクと高揚する気分になった。しかし現在は、三段峡ホテルもかなり傷んでいて、大きな構えからして、掃除や維持も大変だろうなと思った。従業員さんもあまりいず、夫婦でやりくりしているようだ。
お部屋の一コマ。トイレもない部屋でした。しかし、いい雰囲気!お風呂に行って、夕ご飯。
おいしかったですね。地元のものを使った、手作りの料理。こういうのが私たちの口にはあっている。一品一品がおいしい!食べ過ぎて、持って行ってた胃薬を飲んで就寝。
三段峡は結構長い見学ルートだ。全部はよう見れないので、一番近くの見どころを歩く。溪谷にず~っと歩道が続いている。とにかく蒸し暑く、汗だらだら。湿っぽい所なのか、苔もたくさん生えていた。私は昨日噛まれた足指が痛くて、歩くのがつらい。せっかく来たのだから我慢して歩いていた。折り返して地点の近くで、右足の弁慶の泣き所に刺すような痛みが走った!いてえ~ええっと!今度はなんじゃ!見ると、1mくらいの蛇が逃げよる。この野郎、待てえ~。正体つかまんとマムシじゃと嫌だもんね。マムシじゃなさそう。帰って、ホテルの主人が心配して毒吸いの器具で一応処置をしてくださった。
黄色の注射器みたいなものがそう。とんだこんだで、時間がたち、そろそろ帰る時間に。あまりに暑いので、ホテルの前にあるかき氷を食べることに。
こんな張り紙が。ちょっと食欲をそそりますね。そして、ホテルの主人さんが50年前のかき氷機を使ってつくってくれました。
ママは宇治、私はイチゴ。は~、うまあ~!!! 暑い夏はこれにかぎるわあ~!そこで、ママが何気にこんなことをおっしゃった!「うちもかき氷したらいいわね。」
平成も終わり、新しい時代がやって来るという期待感。それほどに、今の日本に希望を抱いている人々が多くいるだろうか。あくせく働き、わずかの貯えをし、年金で老後をなんて考えられない状況の中、病気やけがで動けなくなれば、その貯えが尽きるときは命取り。戦後最長の好景気とか平均給与がアップとかアベノミクスを加速するとか・・・我々庶民の生活実感からすると、どこのお話かと聞きたくなる。庶民の暮らし、庶民の思いや感情にまで目線をおろして、実態を把握して政治が行われるならば、震災や被災者を置き去りにしたまま、原発を再起動したり海外に売ろうとしたり、軍備にばかりお金をかけたり、膨大にオリンピック予算を増やしていったりできるわけがない。子ども食堂ってなんだ。全国に広がっている善意の取り組みではあるが、なんでこんなことが起きているの。ご飯も食べられない子どもたちがいるのに、何が好景気なんて騒いでいられるの。「嘘は泥棒の始まり」って、嘘をつくことが家族や地域、社会を構成する人間にとって絶対認められない社会の規範、倫理だってことを、子どもたちに教えてきたのが大人たちだった。嘘をつくことがこんなにもたやすく、頻繁にされるものなら、社会は成立しなくなる。なんでもフェイクニュースで押し通せるようになったら、どうなるのか。ヒトラーがまた生まれ、その先は目に見えている。
昨年の「オニパン十大ニュース」なるものを、ママと話し合いました。すべてをこの折々帳には書けませんが、パン屋にかかわることについて記していきたいと思います。メガソーラー反対の住民運動の結果「ハッピーファーム」に変わったこの畑を小麦畑にしようともがいてきて、4度目の小麦づくりが始まりました。今年は昨年より1.5倍の15アールの面積に広げました。大きな重機を使って、牛糞を重実牧場に撒いていただきました。その後、私一人で畝を作り、タネをまき、肥料をやりと・・・・。結構大変でした。
現在の状況。昨年は雑草にやられ、半ばあきらめ加減で製粉しました。その製粉所で新しい出会いがありました。宇佐市の「粉工房うさ」の社長さんです。6次産業に取り組んでいて、農業生産物を加工し商品化して売るわけです。ご存知の方も多いと思いますが、クロダマルを使ったきな粉とか。社長は、自らも揚げパンできな粉をまぶして売ったそうです。その出会いから、オニパンの新しい商品「きなこ丸」が生まれました。この一年の特長として、他業種の優れものとのコラボ商品が生まれてきたことがあります。オニパンの人気商品としてすでにしっかりと位置を据えた「ホイコーロお焼き」「タネカレーパン」。オニパンだけではできなかったものも、タイアップしてやれば、パン屋を超えた商品が出来る。そして、つながりが新しい方向で道を広げる可能性も含んでいると感じました。というのは、社長さんから農家直産のお店にきなこ丸を置かないかと誘われたり、その他の商品化の話を持ちかけられたり。さらに、社長は小麦を作ると、「銀河の力」(オニパンで作っている品種)を栽培してくれているわけで。今年は、岩手県で作られている銀河の力が大分で広がりを見せています(塚原でも知り合い2軒が栽培をしてくれています)。
オニパン10大ニュースの中で、最も重要なものとしてママがあげるのは、「ゆふいんバーガーはうす」に卸を始めたこと。どうしてママがそういうのかというと、オニパンの売り上げがアップできたこと。ほんと、小さなお店にとって(別に大きな会社でも)一番大切なことは売上です。お客さんにとっては、おいしさとかサービスとかが大事でしょうが、お店を経営している者にとっては、売り上げが一番!オニパンが存続できるかどうかは(今の形で)、従業員さん次第と言っても過言ではない。従業員さんがあってのオニパンです。売り上げが確保できなくなれば、当然縮小。今のように、おいしいものは手作りできなくなります。網リンゴ、カレー、あんこ・・・作るのにどれだけ手間暇かかるか。オニパンの売りである「自家製・手づくり」は、従業員さんあってのこと。だから、「ゆふいんバーガーはうす」に足を向けて寝ることはできません。バーガーの社長ががんばっておいしいバーガーを作ってくれること、それで多くのお客さんが来ることに感謝です。バンズを作っても作っても足りないと言われる。一人で作るのも(時々奥さんも作っている)限界があるのですが、よくあれだけ作れるものだ。体を壊さないようにしていただきたい。
売上アップに貢献しているのは、別府駅市場のオニパン別府店。耐震工事で一時の仮店舗としてスタートしました。北高架商店街の個性的な雰囲気が好きではあるものの、南高架商店街は便利な商店街。先ず駐車場がある。人通りが多い。商店街としての取り組みが活発など商売するものにとってはありがたい環境と条件。ただ、家賃や商店会費などが高いのはつらいところ。それでも、売り上げ的に見れば、ありがたいものがある。まだ正式ではないのですが、方向性として南商店街に3月以降移ることを視野に入れています。
さらに付け加えて言うと、ハード系の見栄えが良くなったこと。バゲットやカンパーニュなどのクープはほぼ安定的に美しく出来上がるようになりました。

湯布院のパン屋さん7軒が集まり楽しい懇親会が開かれました。6時から8時との予定が、盛り上がり10時を過ぎていました。この日を境に、ずいぶん交流が深まっていきました。まきのやの加来さんは「ゆふいんパン屋さんマップ」を作ってくれました。
このマップを持ってパン屋に訪れるお客さんとか「アーゴスさんに聞いて来ました。」とかそんな感じでお店を紹介しあうように。そして、昨年9月10月に話し合いを持ち、厳しいやり取りの末、3月4月に湯パ連としての統一企画を持つことになりました。すべての店舗でイチゴをテーマにしたパンを売り出すということに。今後その企画をどう演出していくかは次回の会議で。1月に新年会も計画しています。
前回の続き。

「100頭牛舎」という呼び方で、100頭が畜産農家の一つの目安みたいになっている。これが普通で、大きなところでは500頭とか。これらの写真は子牛さんたち。思ったのは、とてもかわいく人なつっこい。ストレスなく、かわいがられて育てられているんだ。だから、目が優しい。写真からもわかるように、フンもなく牛舎がきれい。世話が行き届いている。当然なのかくさい匂いがない。
すごいなあと思ったことがあった。それがこの写真。これは、子牛たちが、ご飯を食べている場所。子牛が近づくと、自動的にえさが出る。食べすぎないのかなと思った。ところが、そうはならないように工夫がされている。子牛の首輪には、それぞれの個体のデーターが登録されてあり、それぞれに食べる量がコンピューターでコントロールされるようになっているというのだ。

7月24日軽トラを借りて、チヨウさんの新居へ荷物を運ぶことになった。なんせ、新居での生活に必要なものはいろいろとある。大阪の家は親せきが住むことになっているそうで、家具などを運ぶのは経費も掛かるし・・・ということで、こちらで調達できればいいに越したことはない。耳をすませば、結構うまくいくものだ。infoでも書いたが、九重のカフェ「タネトネ」で知り合ったお客さんが家を売るということで、中の家具、電化製品を全部廃棄するという話をカフェのオーナーにしていた。そこですかさず、手を挙げた。その方(Fさん)はとても親切な方で、驚くことばかり。上の写真に乗っている小さな冷蔵庫は、オニパンのお客様から頂いたものだ。大きな冷蔵庫はFさんが、オニパンまで持ってきてくれた。いざ、久住へ・・・その前に、もう一度Fさんの別荘によって、さらに頂き物がある。
この写真が寄り道して、追加の頂き物を積んだ軽トラ。大量で怖かった。ちらりと見えているチヨウさんの新居。

雄大な久住の景観!塚原とは比べ物にならない。延々と続くブドウ畑!植木さんらの牧草地が利用されているそうだ。そして、ピザを中心とする工房に入ってからは、味覚と嗅覚、触覚を含め久々の垂涎の宴。感動もののひと時だった。
これほど堪能したピザは初めて!うますぎます。そしてお得感のある値段。庶民にとってはこれが大事かも。ワインはすべて自家製。そのワインがなんともピザに合う。おいしくて、おいしくて、食べ過ぎましたよ。しかし、胃がもたれなかったのはなぜ?楽しかったからかな。食材がいいからかな。ほんとおススメです。私も絶対また行きます!

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