パン屋の夏休み~パン屋での研修 №166

DSCN4177[1]待ちに待った夏休み。今年は山行きをやめて、パン屋へ行くことに。62にもなってパン屋での修行はないだろうってか。いえいえ、いくつになっても、完成はないんだから学びは大切。特に私のようにスタートが遅いものは、まだまだ見えてないことばかり。前職の経験から言えば、10年過ぎてやっと全体が見えてきて、独自の実践は20年を過ぎたころから。だからパン屋として本物になれるのは、たぶん70を超えてからだろう。今は修行修行。

晴れた空~そよぐ風~♪ みたいな車窓の景色。実際の気分はまるで逆。間に合わない!フェリーの時間にィ~(;´・ω・)💦 目指すは国東の竹田津港。9時40分発徳山行き。修行先パン屋は、出雲大社参道にあるブーランジェリー・ミケ。陸路だけではなく、海路も使うと楽になるだろうと、一気に大分から山口へのワープを考えた。早起きして、ゆっくりコーヒーを飲んで、出発したが、ことのほか竹田津までの時間がかかってしまった。前もって下調べしてなかった。大分空港の近くだと思い込んでいた。小さな地図で見ると、国東半島って一時間くらいで周ってしまえると思い込んでいた。一時間半あれば家から竹田津まで十分行けると・・・・。

今まで、ずいぶんひやひやする場面に遭遇してきた。目的地まで間に合わないぜ~みたいな種の。しかし、運がいいのか、いつもぎりぎりで間に合ってきた。今回は、こんなに早く出たので、いつもみたいな冷や冷やすることもないなと、自らの成長を味わいながら、美しい海岸線を軽快に飛ばした。塚原から別府に出るとき、すでに私の方向音痴が頭をもたげていた。ちょっとまてよ、竹田津って大分空港の方だから別府より日出の方向へ出ないといけないんだよな。すると、いつも行ってる別府店への道を通ると遠くなってしまうよな。・・・・💦。もうこれ以上は書かない。大分にお住いの方がこの文章を読まれたら、なんちゅうことをいっちょんのと思われるから。塚原から別府に出た時点で、フェリー出発までの残り時間は50分くらいだった。

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海岸線って長いんよね。きれいで、気持ちい~。飛ばしても飛ばしても竹田津は現れなかった。もしかしたら、だめになるんじゃないか。どうしよう。当日キャンセルってお金が戻って来ないんだっけ。12000円(-_-;)。払ってないけど、竹田津まで行って、ごまかさずに、12000円はらわなくっちゃな。う~辛い~。そして、陸路で出雲大社へ行くかあ~。疲れ切って夜中につくよなあ。10時ごろついて、翌日朝4時にはお店に行くのか。体持つのかなあ~~。散々だなあ~~。しかし、自業自得、自分が蒔いた種は自分で刈り取るより仕方ない。

DSCN4198[1] DSCN4197[1] DSCN4199[1]到着したのは10時40分。船の跡形もなく、車両待ち合わせの場所には車一つなく。切符売り場に行って謝った。「すみません、遅れてしまって。」お金を払おうと思って、財布を手に取ったが係りの方は、逆に「次の便に乗っていただけますか」と低姿勢で言う。4時間後だが、陸路で行くこと思うと、疲れ方はずいぶん違うだろうと「乗ります」と答えた。お金も無駄にならないし(しかし、キャンセル料を取るような雰囲気は全く感じなかったので、遅れたりした場合取らないのかな)。気持ちは全く切り替わっていた。もう間に合わない、自業自得だと観念した時より、許される限りの楽しみ方をしないと、せっかくの夏休みがもったいないと考えだしていた。だから、この出発までの4時間を初めての国東観光にあてようと思った。

「あかねの湯」という温泉場に行った。ゆっくりお風呂につかり、お昼ご飯。DSCN4194[1] DSCN4196[1] DSCN4187[1]そして、鬼塚の古墳を見学。国東は「弥生の里」と言われるように、歴史は古い。そして広さを感じる。淡々と田舎の自然が続く。そして、14時40分。初めてのフェリー竹田津・徳山フェリーへ。

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生まれて初めての一番乗り。早いということは三文の徳か。こんな景色は、めったに拝むことができない。上々の夏休みだねえ。

徳山から高速へ。ナビがあるから安心だ。少し遅くなるが、ホテルまで案内してくれる。ちょっと古いナビだが大丈夫だろう。

山陽道を行ってると、ナビが突然「新しい進路が確認されました。そちらを選択しますか?」と聞いてきた。意味不明。まあいいか。ナビが判断することだから任せとこう。新しい進路を選択した。

出雲大社付近まで高速で行けるということだった。しかし、この新しい進路は高速から外れて、のんびりとした道を案内してくれる。車には九州の地図のみ。どこをどう行っているのか。ナビしか頼れるものはない。大きな川に沿って道が続く。カヌーの練習場になっている「江の川」だ。「えのかわ」と読んでいたが、「ごうのかわ」だった。後で調べてみて、自分の無知さを知る。「中国太郎」の別名を持つ中国地方最大の河川。そういえば小説であったような。その中国太郎とずいぶん時間をともにした。立派で、何度も立ち止まりその雄大な景色に見入った。DSCN4212[1] DSCN4211[1] DSCN4213[1] 184号線は良かった。江の川がずっと続いた。そこからナビは山の方へ連れて行ってくれた。三瓶山。「さんべさん」と読む。三瓶高原を通った。薄暮に広がる三瓶高原。塚原高原もよいが、それ以上に美しいと感じた。また訪れてみたい。

DSCN4255[1]来たよ!ブーランジェリー・ミケ!\(^_^)/ 昨日は9時の夕食を摂って、3時起床。4時前にやって来た。このミケの店主夫妻は私にとっては大の恩人でもある。9年前東京のあこ庵でパン修行を始めたとき、あこ庵のチーフをしていたのが奥様。24歳という若さで、8人ぐらいいた職人の頭だった。40を超えていた人もいた。しかも女性は一人。仕事が終わってのミーティングなどで、てきぱきと話を進め、問題点を指摘するなど、なぜそんな年でそこまでしっかりしているのか・・・。私のパン職人としての第一歩目で出会った衝撃の人。修業中のつらい思い出の中で、彼女と接することのできた2か月は、本当に救いだった。失敗に対して暖かく接してくれた。大粒の涙を流しながら玉ねぎをむく姿にプロの職人を感じた。重たい食パンのスライサーを一人で抱えて運ぶ姿。弱音を吐かない姿。文庫本を開いたまま、椅子に腰かけ眠る休憩時間の姿。私が入ったのが4月でチーフは6月に退社。寿退社とのこと。結婚準備かあ。相手の方はどんな人なんだろう。

ご主人もなんと東京で研修を受けた2軒目のパン屋さんのチーフだった。ずっと以前の「折々帳」で書いたことがある。ナチュラルプクーというお店だ。その当時彼は30歳くらいだったか。すでに貫禄が漂っていた。パン作りのすべてを任されていた。オーナーさんがパン職人ではなかったので、お店のすべてを彼が仕切ったいた。

私も9年目を迎えている。だから、9年前にパン屋で学んだ時とは比べものにならないくらい、自分の中でのパンやお店への理解の深度が違っている。理解が進むほどに、わからないことは鮮明になってくる。失敗を繰り返すほどに、失敗の本質が狭まれ明確になってくる。そんな状況になって初めて、あらたな体験があらたな示唆を促してくれ、問題を解決してくれる。経験とはそういうもので、だからキャリアは大切なのだと思う。

奥さんがフランスパンを成型するのを見て、な~んだあ!!!と感心した。そういうことだったのかあ。自分の中で9年近く問題になってきたことが、その一秒で解決した。目から鱗とはこういうことか。それにしても、さすが横尾チーフ(旧姓)。速い速い、テキパキ、指示も鋭い!変わらんなああ。

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宇佐美店長(ご主人)は、パンへのこだわりと博学さに卓越したものがる。粉についても、製造についてもその研究熱心さに驚かされる。製造に関して、日々変化するという。新しい発見から、方法を少しずつ変化させる。それがパン作りの楽しさでもある。材料はけちらない。おいしくなるために工夫をする。それを基本としているようだ。そしてそれほどお値段も高くない。安い。大丈夫なのか。お客様はたくさん来る。オニパンの2倍は来る。たいしたものだ。働いている方が夫妻二人を除いて、6人ほど(時間帯で変わる)いた。カフェをやってないので、販売は順次みんなで。だから、製造が多い。パンを焼く量はたぶんオニパンの3倍くらいか。メニューも80種だとか。オニパンの約2倍。すごい。

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出雲大社参道は広くきれいで、立派なお店がず~っと並んでいる。この写真は朝早くに撮ったので人の姿が見えないが、10時ごろにはたくさんの人々でにぎわっている。私は4時から1時ごろまで研修し、その後わずかでも出雲観光せねばと大社の方へ繰り出した。皆さん、朝ごはんも食べずに、休憩もなく働いていた(私もだけど)。私は疲れもあったのか、暑~い中大社方面へ歩いて行ったが、もう倒れそうで。

 

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観光とは名ばかりで、とにかく大社でお詣りして、出雲そばと名物ぜんざいだけは食べないとと、頑張った。倒れそうで。

そして、預けていたパンを受け取ろうとミケ立ち寄った。暑い!!しんど~!!というと、奥さんは「日浦さん、ジンジャーエール飲んだら。すぐ作るから。」と準備してくれた。朝も一杯作ってくれて、そのおいしさを称賛していたからか。

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生の生姜を使ってつくった手作りのもの。体の中から元気がカッと湧いてくる。生き返った!!

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ミケの宇佐美夫妻、本当にありがとうございます。 DSCN4278[1]

 

 

 

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黄昏のなか今宵の宿泊地山口へ。

ミケのパンが今夜の夕食。

充実した二日間の夏休みだった。

日常のささやかな工夫が豊かな暮らしをつくりだす・・・・暮らしの手帖(とと姉ちゃん)より №165

「とと姉ちゃん」を欠かさず見ている。最近の朝ドラの中では群を抜く出来栄えか。とにかく私にとって、面白く、ためになり、時として涙涙。ドラマの中心時代は、戦後の混乱期から高度経済成長期のころなのだろう。今は混乱期の雑誌社立ち上げの模様が話題になっている。

私が生まれたのは、戦後から数えて9年。5~6歳のころの記憶は今でもしっかり残っている。貧しかったねえ。家に畳が入っていなかった。家といっても6軒ほどの家族がそれぞれ1~2部屋でつながった長屋。もともと病院の病室を使っていて、廊下を歩くと、それぞれの家の晩飯がたちどころにわかってしまうという感じ。トイレは一つで朝の時間帯は悲惨。以前書いたことがあったと思うが、玄関に新聞紙を敷いてやったこともあった。その当時辛かったことの一つとして記憶にあるのが、服があまりなかったこと。ズボンがなく、赤い女物のを身に着けて、恥ずかしかった。

戦後の混乱期は食べ物の調達から始まって「衣食住」すべてで大変だった。しかし、そんな貧しい暮らしの中でも、人としての誇りを忘れないために、知恵をだし、工夫を重ねて暮らしを豊かに楽しくしていこうという精神で、とと姉ちゃんの雑誌社「あなたの暮らし出版」は出発する。戦争中、人々は物の価値を「国家」という抽象的なもののうえに置き、命まで含めて、「国家」を優先した。その結果はご存知の通り。とと姉ちゃんの朝ドラの世界では、日常の平凡な暮らしの中にこそ、大切なものがあると訴える。だから、その日常が貧しく、切ないものであれば、それを豊かにしていくことこそ、人としての暮らしぶり、幸せが実っていくと。

そうですよねえ、そんなこと当たり前です。私は「国家」という言葉が嫌いです。人ひとりの命には、その人が生きていく中で味わい体感する喜びや感動、時として辛く苦しくみじめな思いが詰まっているわけで。その人の人生を不思議な機械を使って追体験できるとしたら、そりゃあ「すげえことになってる」と誰でもが感じられるはず。例えば、日々練習を積み重ね、大会でそれなりの成果を上げられたら、どれだけ喜ばしく誇らしくうれしいことか。きちんと誠実に生き抜いている人々の味わっている人生の喜びや深みは、「国家」が勝手に左右できるものではない。だから憲法は「個人」という言葉を多用する。今論議されている憲法改正の草案はその個人をなくし「人」と一般化している。十把ひとからげにされちゃあたまらない。まず大切なのは、人々の暮らし。その暮らしを守るために国という制度があるわけだ。その暮らしが大変になってまで、いろんな理由を使って、お金を勝手に使わないでほしい。食べるものもなく、死んでいっている人までいるのに。ううう、つい、脱線してしまった。私、近頃よくそんなことを考える。年を取るっていうことは、自分以外のことがよく見えてくるってことかな。話を戻そう、今回のテーマは「日常の暮らしをいかに豊かにすることができるか、ささやかな工夫で」だ。休みの火・水は毎週そのことで頭がいっぱいになっている。やりだしたら止まらない。それほど、楽しいひと時になっているようだ。

この間の最大の仕事(パン屋としてではなく、個人として)は、何といってもカフェの天井の断熱。毎年悩まされてきたカフェの猛暑。並べているパンたちにも気の毒な思いをさせてきた。ミルククリームなど液体に。クリームやチーズも傷みが早くなる。部屋の中でカフェをするお客様方にとっては、不快指数も高くなる。この状況を打破すべく、昨年は広い屋根一面に遮光ネットを張り巡らし、穴の開けたホースを這わせて、水を流すという作戦に出た。ネットを張るのも大変だった。しかしあまり効果もなく・・・・しょぼ。さらに追い打ちをかけるように、そのままにしておいたネットにごみや落ち葉が絡み。取り外すのも大変。どうしたもんじゃやろのう。(とと姉ちゃんの決まり文句)

「焼けたトタン屋根の上の猫」という小説がある。どれほど熱いか。遮光ネットを張っていて、その熱さに驚いた。火傷しそうだ。その熱が、下のカフェに舞い降りていく。カフェの空間の上半分の温度は高い。テーブルの上に立つと顔のあたりがモ~っとしてくる。40度以上は確実。エアコンが効くはずがない。なんで断熱材を入れなかったの?工務店さんに訊きたい。でもその工務店は倒産している。やっぱり感。そこで考えた、どうすれば簡単に見栄え良く、断熱ができるかを。まさに「あなたの暮らし出版社」だ。結論は、発泡スチロールを天井の梁に沿わせて埋め込む。美しくする工夫は、白のスチロールにペンキを塗る。すると、珪藻土のような質感になった。発泡スチロールはカネライトフォームという名前の断熱材。ほぼベニヤ一枚の広さ。厚みは40ミリ。15枚を注文(24750円)。ペンキ代は約3500円(2缶)。一人ではなかなかできそうにない。弱っていた私の姿を見てか、心優しい上田家具製作所の上田さんが助けてくれた。

DSCN3993[1]カネライトフォームを切って、ペンキを塗る。

DSCN3995[1]梁と梁の間の間隔は、微妙に違うので調整していく。

DSCN3997[1]天井に埋め込む。入らなかったり、ゆるゆるで落ちてきたり・・・。そこは根性。あち~し。DSCN3999[1]

だいぶ要領がわかってくる。

 

 

 

 

DSCN4003[1]こうやって、できていった。完成後暑い午後に天井を触ってみた。すると~なんと~まったく熱くない。発泡スチロールの断熱ってすごい。だからエアコンを27度にしておくと、問題なく27度以下になる。すご~!!上田さんに二日にわたって手伝っていただいたが、手間賃を抜いて(手間賃払っていないが)材料費で29000円。まさに「あなたの暮らし出版社」に応募したくなる件である。

こんな感じで、不都合に感じている個所を改善していくのが無性に楽しく、夢にまで出てくる始末。幸せって日常のささやかな暮らしにあるって実感する日々。

工房、カフェの厨房からカフェスペースに出ていくときの戸口の狭さ。日々不都合を感じてきた。通販の番重を運ぶとき番重の幅いっぱいいっぱいで、時々番重を持つ手を戸口にしたたか打ちつける。そこで、食パンスライサーを置いている台を小さくしつつ、使い勝手はそのままにすることで改良。

こんな状態の台を

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DSCN4119[1]こんな風に。

DSCN4120[1]戸がしっかり開くようになりました。

ベッドの布団が下へ落ちるので(冬の時)落ちないようにするにはどうしたもんじゃろうと考えました。そこで、次のようにしました。

DSCN4114[1]畳ベッドの側面に柵を取り付けました。使わないときはこんな風に下へ垂らして。そして使うときは

DSCN4115[1]立てて、ひもを渡します。布団が下に落ちなくなりました。

とりあえずこんな風に工夫しています。

8周年 続編 №164

ささやかにママと二人、ラーメン天国でお祝い会を開いたのは6月28日。その続きも、ここにアップする。

7月3日(日)オニパンスタッフへの感謝も含め、別府で8周年お祝い会を開くことにしていた。当日、ばたばたと仕事をしていた昼過ぎ、清家さんが「従業員からの贈り物です」ときれいなお花のアレンジメントをプレゼントされた。

DSCN3975[1]DSCN3974[1]サプライズ!!予期してなかっただけに、びっくり。そして、じわじんわと、喜びが体に浸み広がっていった。従業員さんのおかげで、いまのオニパンがあるのに、ここまでしてもらったらと思うと同時に、「しっかり頑張らねば」という気持ちも湧いてきた。

夜のお祝い会は、オニパンらしく、素朴な居酒屋風料理店で。別府の「みしまじょろ」というお店。北高架商店街のレントレックのオーナーに紹介していただいたのだが、さすが別府のお店に詳しい方だけに、大満足の料理だった。DSCN3978[1]この写真を見て、昨年との違いを発見。昨年の忘年会の記念写真より、はるかに皆さんの笑顔が素敵に。オニパンのスタッフもいい感じでお仕事をされているあかしだと感じた。もう一枚アップ。DSCN3979[1]

さて、ついでながら新しい状況の写真をアップ。DSCN3982[1]

家の北側にとれた野菜の保存スペースを工作。遮光カーテンで囲い、夏場でも涼しくできると思い。年々これから収穫されるはずの農作物をどこに保存するか考えたわけだ。うまくいく予定で。

 

 

DSCN3988[1]DSCN3989[1]とりあえず何とか収穫できたジャガイモと玉ねぎを置いてみた。生まれて初めての農民生活での生産物。ジャガイモも玉ねぎもつくったことなかった。土が今一つで、小ぶりだが、なんとかできた。うれぴー!!。

DSCN3987[1]この人の努力のたまものか。

今ではこの運搬車を使って、新聞段ボールを大量に収集場所まで運んだりして頑張ってくれている。

八周年 №163

八年目の6月28日がやって来た。年を取ると一年が本当に早い。7周年よりこの一年間、振り返るとやはり前進している。変な書き方だが、7周年の折々帳を読み返すと、その前年からの前進面が書かれていた。「努力すれば、必ず進歩がある」という言葉はやはり当たっているなあ。

7年目からの一年間は、オニパンの質的な変化があった。今まで蓄積してきたものが、新たな質へと転化した。

160110_onipain_a4_pamphlet_4olオニパンの質的な変化をまとめたのが、このリーフレット。このリーフの表紙に書かれている言葉『「自家製」へのこだわりに おいしさと愛が 込められています」とある。この言葉に8年のオニパンが集約されていると思う。

オニパンの経営の体制がママ、マスター、二人の従業員さん(清家さん・坂口君)、別府店(塩手さん・若林さん)と整い、皆さんまじめで前向きに頑張ってくれている。技術も上達し、仕事も慣れてきた。そういうお店運営の基盤が安定してきた(経営面はまだまだですが)中、次に浮上してきた課題が、質的な面。オニパンにとって何が大切なものか、と考えた。そしてたどり着いた答えが「自家製へのこだわり」だった。

カレー、餡子、カスタード、デニッシュのフルーツのコンポート、ジャム、ポテト、ベーコン、黒豆、メロンパンのクッキー生地・・・など手作りをしている。ずいぶん手作りの種類も広がってきた。作り方も絶えず変えて、よりおいしいものを目指している。いわゆる普通の主婦感覚。自分で食べるものはよりおいしく作りたいのが主婦。レシピはどんどん変化する。

8年目の一年間はそれにとどまらなかった。それは、ソノダハッピーファーム(近くで農地を借りて農園を運営している)での野菜作りが始まったからだ。玉ねぎ、サツマイモ、ジャガイモ、小麦、果樹(イチジク、リンゴ、ブドウ)などに取り組んでいる。DSCN3949昨年イチジクのコンポートを初めてやってみたが、とてもおいしかった。買うととても高い。当然デニッシュの価格に反映する。安くおいしいイチジクが手に入ったらと強く思った。リンゴも高い!塚原でリンゴが取れたら夢も加わる。一石二鳥!それで、果樹も取り組もうと計画。

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DSCN3795左写真(白イチジク) 右写真(サン津軽)

小麦は岩手県農産物改良種苗センターより「ゆきちから」と「銀河のちから」の種を購入し12月に種まきをする。しかし、一月後にシカに食べられる。ショック大きすぎだった。けれど、その後も少しづつ、育っDSCN3942た小麦たち。このほど実をつけた。

これは「銀河のちから」

DSCN3943これは「ゆきちから」 刈り入れ・脱穀・製粉が課題。

そして、赤鶏購入。可愛い娘たち。3姉妹。たくさん卵を産みだしたら、カスタードの材料として使える。DSCN3874

これらオニパンのオリジナリティーが、これからの9年目に根付けるように努力するのが目標になるかな。畑については、抜本的な害獣対策が必要となる。9月頃に5千坪の農地を鉄柵で囲う計画をしている。てーへんだ~!!9年目の活動として必要になることは、健康と時間と経費。サポーターを考えないと難しいなあ。

2016/ 6/28 18:08

2016/ 6/28 18:08

6月28日の夜、ささやかなお祝い会をママと二人で。行きつけのラーメン天国さんで。

 

 

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帰って、お祝いにいただいた「塚原 鬼ぱん」という名前の純米酒をロックで飲む。

9年目の夢が心地よく広がっていく。この間の地震の支援を含めて、たくさんの皆様の支えでここまでやって来れた。ママ、スタッフのみんなで、誠実に仕事をやっていきたい。

 

農業従事者としての日々…雑感

昨年3月農業従事者として市に登録された。借りた農地は6反、約1800坪。どれほどのことができるかは未知数。自分のパン屋としての暮らしから考えるとは、たいしたことはできないだろう。だから、何か野菜をつくってみたいなあ~とか、ちょっと土に触れてみたいなあ~とか、果樹を植えたいなあ~とか、農業を通じて交流をしてみたいなあ~と思っている人が、気軽に使える場所として活用できればと考えた。ほんと親切な地主さんの名前を借りて「SONODA HAPPY FARM」(ソノダしあわせ農園)と命名。現在、ちょこっと参加も含めて5軒8名でやっている。ちなみに参加条件を付記する。あんましきちんとしたことを考えていないが(会員が増えれば必要となるだろうが)現在のところ、使用面積は好きなだけ(自分で作れる範囲)、使用料は無料、鉄柵代金については、一部負担。それくらいか。この夏以降に本格的に鉄柵で農園を囲む予定。市が費用の8割を補助してくれる。

DSCN3773ハッピーファームの一部写真。DSCN3780大森さんです。雑草も手で一本一本抜いていく方。毎日のように野菜のお世話を欠かしません。博学で、なんでも知っている方。

昨年実績として、安川さんがオニパンの店先で野菜を販売。安くて無農薬で大好評だった。大森さんも葉大根を販売した。彼は大変熱心に野菜作りをしていて、今年はたくさんの野菜を販売してくれると思う。この二人が主力メンバーだ。私たちといえば、昨年は小さなサツマイモ、やせたニンニク、一晩で食い尽くされた(鹿たちに)小麦たちが実績。

DSCN2982さて、今年のハッピーファームはどうなっていくのか。今年一番の変化は、果樹を植栽するということかな。安川さんが主導して、苗を購入。手を付けていない上半分の畑に、ブドウ・リンゴ・イチジクの苗を植えた。DSCN3585DSCN3593私としては、昨年好評だった白イチジクのコンポートやアップル系のデニッシュが自家栽培のものでできればという願いがあった。イチジクはうまくいくだろうが、リンゴはどうなるか・・・。でも楽しみだ。種類は、フジ、津軽、王林。

DSCN3781これは、オニパンのカレーに入れるための玉ねぎたち。まだまだ土が豊かでないためか、小ぶりになった(そろそろ収穫)。写真にはないが、ジャガイモも作っている。ベーコンポテトフランスやジャガチーズに入れるポテト用。これは結構育っているので楽しみ。

さて、今回折々帳で一番ご報告したかった事は、我が家に新しい家族が仲間入りしたことだ。それは3羽のニワトリさんたち。この子たちは、オニパンのカスタードの卵を分けてもらっている、湯布院の河野養鶏からやって来た。わが家族猫のリー君と同じ実家だ。この娘たち(メスだ)は、まだ5~6か月。人間でいえば高校生くらいか。つやつやとした肌。軽快に活発に動き回る。しかし人間に対して非常にフレンドリーな感じ。私が鳥小屋の近くにやってくると、畑で遊んでいても、跳んでやってくる。かわいい!

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鳥小屋も手作りで作ってあげた。暗くなると勝手に入っている。

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3羽の娘たちの性格もそれぞれだ。勇気あるリーダー格のトモ子。リー君が、やって来たニワトリを獲物として盛んに狙ってきたが、ビビらず、30センチの至近距離まで追い詰められながらも、リーと向かい合い、声をあげ、にらみつけるトモ子の気迫にリーもそれ以上近づけずあきらめた。私は感動した。トモ子は会った初日、他の子と違って、一番に私に近づき、私の手から餌を食べた。大胆、フレンドリーな娘。二番目に私の手から餌を食べたアキ。少し恥ずかしがりやなのか。しかしこの子も結構迫力がある。トモ子が卵を産もうとして場所をつくっていたら、アキがやってきてトモ子をどかせようとする。トモ子は場所を譲って別の場所に産卵場をつくる。アキは結構押しが強そう。初日昼過ぎるまで、小屋から出てこなかったマリ。臆病だ。結局初日は私ともなれずじまい。翌日、おそるおそる私の手から餌を食べた。すると安心したのか、ずいぶんなれなれしくなる。トモ子はあっさりしていて、私にべたべたしない。アキは一番に近づいてくる。マリは臆病なくせに、私が座って餌など準備していたら、お尻をつついてくる。慣れると一番ベタベタしてくる甘えたな子。ニワトリと思ってバカにできない。それぞれの人格は個性的でしっかり生きているのだなあ。リーは近頃狙うのをあきらめたようだ。そのうちコーちゃんとそうであったように、彼女たちと友達になりそうだ。DSCN3861 DSCN3866 DSCN3868左上からトモ子、アキ、マリ。DSCN3874卵を手に喜ぶママ。

もう一件のご報告。それは、我が家に心強き働き手がやってきたこと。その名は運搬車くん。こんな便利なものがるとは、すい最近まで知らなかった。庄内のオアシスという農業関係のホームセンターに行くとたくさんの農機具を売っている。中古が主流。その中で変わったものを見つけた。リヤカーにエンジンを取り付けたような簡単な車。オッと、これはいける!と直感。こういう時は、値段を覚えておいて、後でヤフーのオークションを見るのが癖になっている。調べると、とても安い値段で売りに出ている。近場でさがすと、福岡に安くて良質なものが出ている。ちょうどよい、久しぶりに息子夫婦に会って、小旅行を兼ねての購入となる。安いものだとはいえ、1トン車をレンタルして高速で往復すると結構な出費。しかも、トラックに載せたり降ろしたりするのも難しそう。ラダーレールを購入した。これも物入り。しかし、軽トラを買うことを考えればお話にならない。運搬車は、車検がない。そして税金もない。やはりこれは買いだ。省略するがちょっと恐ろしい目にもあいながら、なんとか運搬車を自宅まで持って帰った。これが運搬車だ!DSCN3914これって、結構すごい積載力。軽トラが250キロに対してこの運搬車は500キロ。小ぶりながら力持ち。ただ、スピードは遅い。速くて時速6キロぐらいか。この運搬車を使って、すでに多くの仕事をこなすことができている。一輪車を使ってやろうとすれば、比べ物にならない仕事量をこなせる。久々の折々帳。近況がほぼご報告できたのでは。DSCN3900