パン屋の休日 大分百山への挑戦…老体にむち打ち  その一

新年の目標としていくつか考えた。今までやろうとしてやれなかったことが多すぎて、何もかもが中途半端な人生になっている。仕事としてやっていることは、まあ、それなりにやって来れたかなあと思う。しかし趣味や教養、その他目標を決めてやって来たことのほとんどが目標不達成のままこんな年になった。人生は速い。パン屋開業を目指し仕事を辞めて10年。気が付けば63歳。あと2年で高齢者の認定がもらえる。年を取るのが嫌だとは感じなくなった。ただ、年相応の素養、識見は身に着けたいし、情熱と物事を実践していくためのそこそこの体力だけは維持したい。

人生って何のためにあるの。面白可笑しく楽しい人生であればそれに越したことはない。生まれたからには、どでかいことをやって、金儲けするか、歴史に名を残すか・・・。しかし20歳を過ぎるころから、徐々に自分の人生が見えてくる。ほとんど、そんなどでかい未来はないような、大方の若者は庶民として生きていくことを覚悟する。そして、庶民としてそれなりのささやかな幸せを得ようと努力する。幸せや夢がどんな姿をしているかは、なかなか見えにくい。それは人によって違った姿・形をしているのだろう。

人生どこでどうなるかはわからないもの。ささやかな幸せや夢を求めて、つましく暮らしてきた庶民でも、必ずしも報われることはない。紛争や戦争、飢餓や貧困、天災や人災に巻き込まれることもある。交通事故や病気もそうだ。私ら家族は30年前大きな交通事故にあった。奇跡的に助かった。それはちょっとした偶然。誰にでもあるだろうちょっとした奇跡の一つだろう。私たちはだから、たまたまいただいた運のおつりで生かされているみたいな感じで、生きてきたようなもの。

だから人生って結局何ができたかではなく、何をしようとしていたかが問われるのだと思う。限られた時間の中で、何を大事にして、何を夢見て、何に向かって生きようとするか・・・・突き詰めると、残るものは、その人の持つ生きる姿勢にたどり着く。

今一瞬、それを大切に生きる。その人の生きる質がより美しくあれば、身近な人、友だちは心地よくなる。その人を愛する。その愛は、また新たな人へとつながっていく。そしてこのように生きたいという跡継ぎをつくるものだろう。少なくとも、私の早く亡くなった友人たちは私に多くのものを残して逝った。

えらく硬いことを書いているなあ。けど、まあ、これは、真理だと思うよ。年の割にまだまだ素養のない私だから、今、素養をつけ確かな識見を身に着けた品格のあるオヤジになろうと実は努力している(しようとしている)わけだ。

素養・識見についての私の努力は、疑ってかかる輩も多いと思うので、ここは体力維持のお話に限って進めることにする。

中高年の体力作りは日々の運動から。私の場合は、週一の山行か自転車みたいになっている。ここのところ3週連続で自転車したので、先週・今週と山行へ。ちらとinfoでもお見せしましたが、先週はママと日出の山へ。大分百山の七つ石山、経塚山。日出は奥が深いですねえ。地形的にみると、海からすぐ山だけれど、趣・文化・歴史など知っていくと深いものがある。恥ずかしい話、無知な私です。しかし、地元だからといって、日出の人でさえ知らない人も多いようだ。何の話かって?それを今から書こう。

DSCN4378ここにたどり着くまでの道は、それは激坂。豊岡小学校から、ぐんぐん細い道が上っている。サイクリストのSS氏が、日々トレーニングしていた道だ(と思う)。SS氏は、現在厳しい病気と闘っていて入院中。鉄人と言われるほどの人で(自転車が鉄でできていたことから)、しかし持ち前の粘り強い根性で、ぐんぐん本物の鉄人になっていったようだ。それで、彼を鉄人にした激坂のホームグランドの見学も含め、その先にある経塚山や七つ石山に登ってみようと思った。SS氏には、いろいろとお世話になっていて、頭が上がらない。前回の「自転車女子・﨤町ん」の銭亀峠挑戦で使ったクロスバイクも、実はSS氏が貸してくださった。そんなこんなで、日出に興味が出て、今回の山行となった。

さて、この山田湧水から経塚山への登山道が始まる。登っていくと、この登山道が昔、西鹿鳴越道(にしかなごえどう)という豊前、宇佐から続く重要な街道だったことがわかった。ザビエルさんが福岡の方から宇佐、安心院、この道を通って日出に出て、そこで待っていたポルトガル船に乗りこみ府内(大分市)へいって、大友宗麟と会ったそうだ。

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日出の山を越えて安心院へと通じるこの西鹿鳴越道から経塚山へ。日出の海岸から見ると、鉄塔が見える山。経塚山もう少しの所で徐々に天候も悪くなり、風と小雨が。

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この柵の先が頂上のようだけど、閉められてるし、他の所から行けるかもしれないが、あきらめる。頂上の鉄塔だけ確認して次の七つ石山へ。

ガスも少し収まり、尾根道はなかなか素敵。思わず写真を何枚か撮る。尾根が広々とした広場のような山頂の牧場か。

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さて、七つ石山頂上へ到着。そこから眺める別府湾はとても印象的だった。いつも見る別府湾の表情と違う。この角度からは初めての別府湾。鶴崎の方がぐっとこちらに迫ってくる感じだ。別府湾が広がっていず丸く見える。面白い!DSCN4393

 

 

 

 

 

DSCN4398 DSCN4400そこの後、板川山、古城山を制覇。そして殿様道路を下へ下る。

DSCN4401この道は昔2間2尺(4.2メートル)の幅があったそうだ。整備され、籠でお殿様が通っていたのだろう。東鹿鳴越道(ひがしかなごえどう)は、山香に続く立派な道で、明治初期まで3人で人力車を曳いて上ったとのこと。この山越えの道が、豊前から文化を運んできたんだなあ。今では荒れ果て廃道となっているが、日出が栄えたのもわかる。子どものころは「日出のイナカッペ」なんて言ってたが。大分百山の挑戦はその地域の歴史や文化も教えてくれるなあ。歩行時間約5時間近く。いい運動になった。

そして、昨日のこと。3月1日。津波戸山(つわどさん)に挑戦。この山は、『大分県の山』という本で「奇岩怪石が林立し、低山にしては鎖場などが多く、登りがいのある山である」と紹介されている。風が強い日や雨の時は危険とも言われている。今私の心にある意識する山・・・ちょっと(いや相当)怖いが挑戦したい目標の山として、大崩山がある。しかし、その前に大分県の山として田原山がある。別名「のこぎり山」。そそり立った岩の尾根を歩くという危険な山らしい。大分百山制覇となると、当然その山も制覇せねばならない。年々早くなる時計の針。気が付けば一年過ぎている。どんどん年を取り、体力も減少してくる。なんか、歩いていてもふらふらするときがある。急に立つとくらっとする。働きすぎか、お年のせいか。鋸山の岩場の尾根をふらつかずに歩けるだろうか。しかも私は高所恐怖症。枚方パークの観覧車が怖くて怖くて。てっぺんに来た時、どうしようもない恐怖に襲われる。いやじゃ、もう二度と乗らんぞ。もちろんジェットコースターもダメ。どうなんだろう、これと山とは違うのかな。以前槍ヶ岳に登った。その時、怖くなかった。気の持ちようなのか。自分で進む分は問題がないのかも。機械など他の乗り物などに身を任せると、信頼ができず、恐怖が募るのかも。良くはわからんが、鋸山を制覇できずして大崩はない。もっと言えば、この津和戸山を制覇せずして、鋸山もない・・・わけだ。そういうわけで、早くせねばと焦る気持ちから、一気に津和戸山登山を決行することに。善は急げだ。しかし、一人で行って崖から落ちたら、行方不明でご迷惑も掛かる。そこでやり玉に挙げたのが、一回り若い山好きな好男子、そう以前折々帳にも登場したことのある上田家具製作所オーナーのUさん。突然の思い付きで、たまたまUさんがお店に来店してきたので、即提案。ちょっと強引に誘ってしまったが、やさしいUさんは、OKしてくれた。月曜日に来たUさんと、水曜日に山行を決定。人生急がねば。

続きは来週で・・・・その一

 

自転車女子 オニパンへ来訪 ~文化と人生をお土産に持って

1月22日~1月24日、楽しみにしていた訪問客がオニパンに現れた。この方、ママの大阪時代の同僚で退職後長野に移住し暮らしている。名前は以登江さん。私も大阪時代から知ってはいたが、パン屋を始めてから親しくなったといってもいい。オニパンファンの方ならご存じだとは思うが、冬季限定の人気商品「網リンゴ」。そのリンゴを毎年送っていただいている女性。いわば、オニパンを支えてくれている方だ。その以登江さんが、用事あってこちらに来るついでに、オニパンにも寄るということになった。

気さくで気を使わせない生来の性格を持つ(?)以登江さんは、反対に相手に対しては気配りができる方で、忙しいパン屋へ3日間滞在するということから、食事係を申し出た。なんと、ありがたいことに、22日と23日は信州の郷土料理をふるまうという。うれしい!ママは、そのことが一番うれしかったようだ。以登江さんは、その材料を前もって宅急便で送って来た。さて何を食べさせてくれるのか。私もわくわくしてくる。KIMG0737[1]

 

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毎年取り組んで、なかなかうまくいってない干し柿。彼女は見事に白い粉をふかせて上手につくっている。干してから、箱に入れておくとこうなるとか。そして、楽しみの夕食の時間がやって来た。出ましたねえ。ずらずらと。

KIMG0741[1]料理写真の前に少し説明を。長野は土地柄か(?)以前より缶詰をよく料理に使うそうだ。チラッと見えている鯖缶などは必需品らしい。そして、ビンに入っているものはいろんな野菜の漬物。袋には変わった豆。雪国では保存できるような食材を使った料理が多いのだろうな。KIMG0742[1]
KIMG0743[1]さて、出ましたよ。お椀の中には「タケノコ汁」うめ~!!タケノコの触感いいですねえ。ヒメタケ?このタケノコ汁に漂うサバの風味。これがないとお汁は成立しないとのこと。次の写真で、舌をひいたものは、大きな豆。これは、豆そのものが和菓子のような出来栄え。これは、クリだ。柔らかく上品な味わい。デニッシュの上に載せて、「マロンデニッシュ」って言っても、だれも疑わないKIMG0746[1]ささずし。これもうまい!笹がとてもきれい。冷凍していたらいつでも使えるそうで。次はお酒のアテになるような、サバに大根おろし、醤油。お酒も進みました。

KIMG0750[1]住むところが違えば、当然そこに営まれる生活や歴史も違う。食もこんなに違ってくる。狭い日本といっても、こんなに違う。いいですね文化の違い。楽しいですねえ。

以登江さんが3日もオニパンに滞在するのは、それなりの理由があった。最愛のご主人を長野に放っておいてまで、どうしても、しておかねばならない仕事があった。それは、オニパンの定休日に私たちと一緒に、ある場所に訪れたかったからだ。

以登江さんはリンゴを毎年送ってくれる。本人が栽培しているわけではない。親戚や知り合いのリンゴ農家さんから分けてもらい、郵便局へ運んでくれる。重たいリンゴの箱。どうやって。車で運んでると思ったら、実は自転車で。彼女は運転免許を持っていない。若いころから、どこへ行くのにも自転車で。坂であろうが、でこぼこ道であろうが。そのうちに、自転車の魅力に気付いたみたいだ。数年前送ってきた年賀状に愛車5台とともに嬉しそうに写っていたと、ママが言っていた。そんな彼女が、ふと読んだ「折々帳」。そこに、私がひーひーで登った、サイクリストの聖地「銭亀」の文章があった。彼女はその「銭亀」に心取られたのだろう。きっと、自転車に乗るたびに、この坂、銭亀とどれくらい違うのだろう、などと想像しながらペダルをこぐ。長い坂があれば、挑戦したくなる。もっともっと登ってみたい。愛読書の「弱虫ペダル」で知った、ダンシング。ダンシングも練習するうち20分以上続けることができるようになった。彼女はママより一つ上。ということは64歳。64歳の自転車女子は、いつしか「銭亀」に登ることが夢になっていた。

機は熟していた。しかし考えてみれば、彼女の乗る自転車はどうしよう。まさか、ママの自転車で?お子様用みたいなクロスバイクじゃあ無理だ。オニパンによく来るサイクリストさんに相談した。連絡を取り合って、素敵なクロスバイクを貸してくれることになった。そして伴走する私のために、誕生日プレゼント(1月なのです)を兼ねて、これもいろんな方がたが持ち寄ったパーツを組み立て、立派な立派なロードバイクを持ってきてくれた。それも気を利かして、練習ができるように、早めにプレゼント。ロードバイクなど乗ったことのない私は、サイクリストの皆さんの思いを背に、1回目は前回の折々帳でも書いたように、別府下り・ミョウバン温泉ビールうどん付きトレーニング、そして2回目は東別府方面から銭亀を目指す4.8キロのきつい上りトレーニングを敢行。ちょっと話はそれたが、そんな温かなフォローのおかげで、以登江さんの「銭亀の夢」は、実現することになった。

DSCN43481月24日。寒いが、なんとか天気も回復。全国的な寒波・雪も、彼女の熱い思いで、この地までやって来れなかったようだ。初お目見えの以登江さん、64歳自転車女子。さすが、自転車乗り。鍛えられた体のよう。「私、きつかったら何度でも足をつけるよ。ただ、ここにきて、サイクリストの聖地に立てるだけで幸せ。」

DSCN4351デンケンスタート、12:05。最初のきつい坂もこんなふうにグイグイ登っていく。後ろから見ていると、若いスポーツ女子に見えてくる。やはり普通のおばちゃん(ばあちゃんというのには一年早いか)ではない。

DSCN4352初めて乗るクロスバイクの操作の仕方を間違えて、重いギアへ。そこで足をついてしまう彼女。私の方も必死なので、助けることもせず、追い抜く。

DSCN4355そのまま、私は峠を目指し踏ん張る。DSCN4362彼女も相当苦しくなってきたようだ。ゴール1キロ前くらいから、スピードが鈍る。ママが大きな声で「頑張って~、あともう少しよ~!」励ます。そして、そして、ついに「銭亀」石が・・・。

DSCN4365銭亀石の対面の道路で、持てる力を使い果たした以登江さんは、へたりこむ。「心臓がバクバク」「道路でねころがりたい」などと言いながら、感動が押し寄せてるような苦しそうな顔。

DSCN4367「銭亀石の前で写真撮らなきゃ」と呼び寄せ、記念撮影。彼女の自転車人生集大成の「銭亀」での笑顔です。写真での記録(時間)を見ると、到着は12:35分。3.8キロの上り、30分。ギアミスで一回足をついたものの、上り完走!!見事な走りっぷりでしたね以登江さん。

そこから、東別府側へ、4.8キロの爽快ツーリング。下りメインで、別府湾の広がる素晴らしい眺望。

KIMG0759[1]KIMG0770[1]KIMG0765[1]後姿からなんか喜びみたいなものが伝わってきます。

KIMG0772[1]人生に乾杯!!

 

新年を迎えて早や10日すぎ・・・・。濃密な時が過ぎていきます。

新年明けましておめでとうございます。折々帳が少々出遅れました。すでに11日。新年になったというのに、面白くないことが世の中たくさんあって、なかなかめでたい気分になれない年が続いています。なかなかテレビが見れないパン屋のブラック労働状態ではありますが、それでも朝ドラ「べっぴん」だけは見続けています。もちろん録画ですが。朝ドラは出勤前に見るドラマなので、夢や希望にあふれています。明るい気持ちで仕事に向かわないとやる気がでないですものね。しかしドラマの時代、戦後昭和は、貧しかったのですが、希望にあふれていましたねえ。その背景、バックボーンとして、「憲法」がしっかり存在していたからだと思います。すべての法律は「憲法」の下にあり、「憲法」が最高法規なのだと、正論が通っていました。現実は、不平等で不公平で無理が通れば…みたいな状況はありましたが、それは正していく過程の問題なのであって、いずれは憲法が描く法の下に平等な、すべての人権が豊かに保障される世になっていくのだと、信じていたみたいなところがありました。「15の春を泣かせるな」という高校全入運動、「60歳以上医療費無料」「義務教育無償」の運動、あげればきりがないほど憲法の精神を実現する運動が各地で多方面で行われていました。「憲法を暮らしの中に」をスローガンに京都府は長年、これを行政の柱として活動していました。

人々を大切にしない流れ、人権を尊重しない流れが当たり前となり、すべてが力の強いものの利益につながる方向で政策が決定されるシステム。そういう流れが強まっているように思えます。9日のゴールデングローブ賞の授賞式で女優のメリルストリープさんが話されたスピーチは衝撃的でした。時の最も権力ある者(トランプ氏)が、障害者の真似をして、障害のある記者を批判する、その非人間的なやり方に強く抗議をする内容。映えある授賞式で、少しこわばった表情で、まさかといった内容を、話すメリルストリープ。その勇気に呆然とし、静まり返る会場。「軽蔑は軽蔑しか生み出しません。暴力は暴力を煽ります。国で一番力を持った人が、それを当たり前にやると、みんながそれを当たり前にやるからです。」といった内容の話でした。それに報道は黙ってはいけないと続けていました。静まり返った会場は、その後共感の大きな拍手で包まれます。

今、日本に広がっている、人々を大切にしないあらゆる流れ。それに抗って生きていかねばと感じる出来事でもありました。

硬い話から入るのが折々帳の恒例かな。私自身の高齢化もあるのかな。年とともに人の情に涙もろく、世の不条理に腹立たしくなる私。できる限りこの「折々帳」は、率直に本音に近く、書いていきたい。たとえ、読む人がどう思うとも。これが私なのだと等身大で。

kimg064411月2日。母の墓参り。2011年4月2日没。東日本大震災の後でした。

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1月3日。一人で大分百山に指定されている「小鹿山」(おじかやま)に登頂。ガイド本で頂上まで50分となっているのを30分で登頂。何が言いたいのかって。きっと自慢でしょ。頂上から別府の町が見えました。大分方面から見ると、鶴見山の前山として見えるそうです。

 

 

kimg065611月5日、熊本の山鹿町にママと行きました。昨年は熊本城へ行きました。その後4月地震で大変なことに。今回は、温泉と地震の被害の大きかった益城町に行くことにしました。温泉はとても良かった(写真の人物は知らない人)。料理も良かった(私の場合、安いわりに美味しいという意味)。kimg06551この昼ご飯以降、写真でもお分かりのように、運転はママ。私は湯布院に帰り着くまで車の中で酒宴でした(益城町の見学が終わってから)。kimg06601
kimg06691写真はたくさん撮りましたが、少しだけ載せときます。住民の方とお話をしましたが、地盤が落ち込んでいて、湧水がたくさん出ていて、土地がだめになっているとのこと。未だに復興は遠い感じでした。更地が広がっていて、ここに倒壊した建物があると想像すると言葉が出ない悲惨な状況だと思いました。kimg06661湯布院に来ていただいたお客様の支援を思い出しながら、遅くはなりましたが、精いっぱいお金を落とそうと買い物に励みました。

 

kimg067511月7日。新年の営業スタート。ぜんざいをふるまいました。天候は今一つでしたが、お客様はたくさん来ていただきました。昨年の地震の体験から得たたくさんの思いを大切にして、これからも頑張っていこうと決意を新たに。

 

kimg068111月10日。8日に誕生日祝いとして、何と、ロードバイクをサイクリストさんたちからプレゼントされました。オニパンを大切にしてくれているサイクリストさんたちが、パーツを持ち寄って組んでくれたバイクだそうで。身に余るプレゼントにどうしたものかと・・・。みなさんの思いにお返しするためには、やはり乗るしかない!!10日散髪を兼ねて、別府まで乗ってみました。久しぶりに乗る自転車。しかも慣れていないので、ブレーキの使い方も難しく、腱鞘炎になっている両手親指が辛い。散髪終わって、今度は塚原へ。登りがメインの道。こ、こしが・・・。その日の午前中、穴掘りをしていて(ゴミ捨て場をつくっていた)、腰が痛くなっていた。

ビーコンプラザ近くの散髪屋をスタートしてミョウバン温泉まで来たとき、腰・肩・指がやばい状況に。仕事ができなくなるとまずいと判断。あっさりと断念しました。そして、ミョウバン温泉に。湯元屋さんへ。kimg06851痛い体に、感動的に染み入るお湯。熊本に続いて何といい思いをさせてもらえて。kimg06871お風呂からあがって、岡本屋へ。めんたまうどんとビール。う、うまい~!!味というよりこのシチュエーションが良すぎ。えっ、自転車はどうなるのかって。もちろんこんな時は頼りになるママがいる。

kimg06921夕暮れの由布の山並みを観ながら、心地よい疲れと酔いのまわった体にしあわせを満たして。いい年明けだ。がんばります。

さようなら2016年。みな様に支えられて、充実の一年でした。

オニパンにとって、今年はいろんな意味で進化(深化)の年となりました。継続は力なりが私の信条ではありますが、続けていればなにかと今まで見えてなかったことも気づき、成長へとつながっていきます。マンネリに陥るどころか、次々と課題が鮮明になった一年だといえます。

4月の熊本・大分の地震以降、由布院も大きな被害を被りました。観光で成り立っていた街だけに、地震での風評被害が及ぼしたダメージは想像を超えるものでした。私たちの塚原高原は地盤が固かったおかげで、家屋に関して盆地ほどの被害もなかったものの、客足の減は、やはり大きなものがありました。

震災を契機に由布院では廃業に追い込まれるお店もいくつか出てきていました。取引している卸の業者さんに由布院のお店の材料の注文状況を聞いてみると、4~7月期は、例年の20~30%と言ってました。オニパンもどうなっていくのだろうと心配でした。うちのお店の場合観光客はもちろんたくさん来られるのですが、リピーターさんが多いのが特徴です。大分県内のリピーターさんだけでなく、はじめは観光客として来られた方が、他府県のリピーターさんとしてまた来られるといった感じで、リピーターさんがたくさんおられます。震災後、その多くのリピーターさんが、直接お店に来られたり、通販で注文していただいたりで、ずいぶん助けていただきました。昔の友人や大阪の同僚、友人たちも連絡を取り合い、支援の輪を広げてくれました。そのおかげで、たくさんの通販が毎日出荷され、ほぼ例年通りの売り上げを確保することができました。お客様のオニパンへの思いを、ひしひしと感じながら、パンを焼き続ける日々でした。そのことを通じて、お店って自分たちだけのものではないんだと、強く感じました。小さなお店でも、大切に思ってくれている人がいるんだ。その人たちに、お返しできるお店にならなくてはいけないな・・・。今年は、そんな思いを強くした年となりました。

パン屋を始めて8年が過ぎ、この12月で8年半となります。お客さんも増え、結構知られてきました。商品の数も最初の20種類ほどから、現在は50種ほどにふえました。もうこれくらいの年月続けてくれば、「新米」とか「未熟」なんでとは言いにくくなってきます。気持ちだけで、パン作りをしている場合ではありません。それなりの「深い」商品を提供できなくては、一人前のパン屋としては恥ずかしいと思います。他店にはないオニパン独自の商品、それを目指して頑張って来た一年でもありました。この一年での開発新商品として挙げられるものは、「玄米フルートセット」「ワインの友セット」だといえます。この二つの商品は、他店にはない、しかもオニパンとして、私のイチオシの商品です。玄米生地のフルートを焼いて太白ごま油につけて食べると、なんとも幸せな気持ちになります。素朴でほの甘い味が私は好きです。そしてワインの友セットは、ちょっとパン屋としては、異質な商品セットでありそこが楽しいと感じます。このセットをつくるために、フルートラールやフーガスなどの商品も開発しました。もう一つ付け加えるならば、「ララ・フランス」。まったく新しい(オニパンにとってです。ダマンドを使っているパン屋はたくさんあるでしょうが)デニッシュをつくりたくて、何度も試作に挑みました。試作はとても面白い。何度もやっているうちに、いろいろと発見もあり、まったく新しいものが見えてくる場合もあります。フーガスもそうだったし、ララ・フランスもそうです。ララ・フランスは、今までになかった焼き方を取り入れました。成型もそうです。オニパンにとっては、網リンゴに並び、代表的なデニッシュとなりました。kimg04801試作初期段階では、こんなララ・フランスもありました。これを私は、「マンボウデニッシュ」と読んで、自嘲しています。味も、悪かったな。
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この一年の進歩・成長としていえる3点目。それは、ソノダハッピーファームの整備とこれからの活動。昨年は、シカやイノシシの被害で中断してしまいました。今年こそはと市からの補助も受け、300メートルにわたって、鉄柵を張り巡らしました。大がかりな2度にわたる作業を、たくさんの人の援助を受け完成。kimg05961kimg05931kimg06001kimg06011これらの写真は、12月21日の作業の場面。この時も、由布院の「原っぱカフェ」の方々8人、そして我がハッピーファーム関係の人5人、総勢13人で取り組みました。天気も良く、中高年ばかりのハッピーファーム関係の人たちは、「原っぱカフェ」の若い力と明るさに、元気をもらいましたね。

kimg06141最後に、オニパンのかわいいパン小麦たちの「麦踏み」もしていただきました。今年こそ、パン小麦を最後まで育てるぞ~!!

さて、そんなこんなで、オニパンの一年は過ぎていきました。オニパンに坂口君に替わって川野さんという女性がスタッフとして加わっています。坂口君は1年8か月オニパンで勤務。まじめに粘り強く頑張ってくれました。ココバナーヌという商品を紹介してくれたのも坂口君です。新しい進路を考え、オニパンを卒業。川野さんが後を引き受けてくれました。川野さんは、パンへの情熱も強く、やる気満々の女性。12月某日、別府のお食事処で忘年会をしました。dscn4332左より、別府店若林さん、新スタッフ川野さん、チーフ清家さん、マスター私、坂口君、ママ。塩手さんは急用で参加できませんでした。これからのオニパンカフェ、どうぞよろしくお願いいたします。

農業従事と登山が休日の基本スタイルか・・・  パン屋の休日 №172

1か月も折々帳を記していない。書くことがないわけではない。むしろ逆で、仕事に追われている。その一つは、畑の仕事。タマネギの苗を700本植える。ほとんどママがやる。昨年は、マルチが強風で吹き飛ばされ、玉ねぎさんたちはあんまり大きく育たなかった。採れるのはとれたが、小さいもんで、カレー作り(カレーパンの具)のとき、作業が大変めんどくさいものになっている。それで、今年はマルチの端をしっかり土の中に入れ込んだ。kimg04951

ソノダハッピーファームは、現在参加者を募集している。農園の広さは、5反(5000㎡)。これから参加するといっている方が2名いらっしゃる。それでも、まだまだ農地に十分余裕がある。

ちなみに、オニパンカフェとして使う農地は、左の写真にある30メートルの畝が10本。そしてやく1000㎡の小麦畑。結構の広さだ。

つくろうと思っているのは、手のかからないもので、お店の役に立つもの。タマネギ、ジャガイモ。昨年はジャガイモがたくさんとれた。これもちょっと小ぶり。しかし役に立っている。そして、ニンニク。サツマイモ。サツマイモは、全部シカに葉を食べられた。小麦もすべてシカに食べられた。今年は鉄柵があるので、大丈夫と思うのだが。

パン小麦は今のところ順調に育っている。背丈は10センチ未満。二葉期。三葉目が出かかっている感じ。

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昨年に比べれば、トラクターの運転は上達している。播種もほぼきれいにできた。今後の予定は、踏圧(麦踏み)を三葉期~五葉期の間に3~4回することや、追肥をすること。昨年は原っぱカフェのウーハーさんに助けていただいた。その後見事にシカに完食されたわけだが。今年は農機具のバインダーを動かし、バインダーのタイヤで麦踏みをしようと考えている。農家の方に教えていただいた。そうすれば、一人でもできそう。いろいろあるんだね、やり方は。何の世界でもそうだが、素人とプロでは大違いだな。

さて、話は変わって休日のもう一つのメインプログラム。ほぼ毎週のように軽登山をしている。なぜって?何度も言うが、パン屋は足腰が基本。だから、足腰を鍛えていないと、日々の労働ができない。それはそうだが、やはり、登山はいい。楽しみは、いい汗と眺望、そして休憩の食事や間食。終わった後の充実感やお風呂の気持ちよさ。年にもめげず、動けた登れた制覇できたというささやかな自信と喜び。年を重ねていくと、若いころには感じなかった、健康に暮らせることの喜びをつくづく思う。今はフルマラソンを走れなくてもいいと思う(今まで5回完走)。走れるわけはないが。それでも、1時間でもジョギングができれば、とてもうれしい。これが、80まで続けられれば、生涯現役へとつながっていくわけだ。どうなるかわからないが、とりあえずは日々の継続ってわけだ。

ジャランという雑誌があるが、そのジャランの取り扱っているネットの食べ物のサイトがある。我がオニパンカフェも結構いい評価で出ていた。口コミが7件あった。うれしいものだ。どの口コミも褒めて書いてくれている。タイトルを見ていくとこんなものがあった。「なかよし老夫婦の森のパン屋さん」。・・・・・。がっくり。そうか…老夫婦なんだ。若い人から見ればもう老夫婦なんだ。若いと思っていたころ、「兄ちゃん」じゃあなくって「おっちゃん」って呼ばれたときのショックを覚えているが、それにもまして、ショックを受けた。しかし、現実を受け入れなければならないか。ママにも言ったが、これからオニパンを紹介する際「なかよし老夫婦の森のパン屋さん」で行こうと思う。ママとも喧嘩を控え、「なかよし老夫婦」路線で行くか。

さて、そんなわけで、なかよし老夫婦は先週の水曜日、伽藍岳西峰へ。伽藍岳はわかりやすく言えば、塚原温泉がある山だ。いままで2回登ったことがあるが、あんまりおもしろいとは感じなかった。それよりも、塚原越から分かれて、内山・蔵かど岳へと登るコースの方がハードだし、眺望も良く楽しめる。しかし、オニパンのお客様から「伽藍岳西峰はいいよ~」との情報を以前聞いたことがあった。行ってみようかということで、塚原温泉下の登山者用駐車場へ車を停め、登山開始。

伽藍岳頂上の手前で西峰への分かれ道を発見。リボンがたくさんある。しかし、それから先は、日頃より登山者が少ないようで、気を付けていかないとリボンを見失いそうな登山道が続く。まあ見失ったとしても、ほぼ尾根沿いに西に向かえばいいのだが。伽藍岳頂上を目指すコースは見通しも悪く頂上に着くまでただ上る感じだが、分かれてからの西峰への道筋は、わくわくするような眺望が広がる。kimg05101これは、塚原温泉上の火口。乳清色の地獄が眼下に見える。見学料(たしか500円か)を払わなくてもしっかり見れる。

 

この写真は、ガスの先に見える大きな影が内山。そして先に蔵かど。さらに先に小さく見えるのが鶴見山。頂上にうっすらアンテナが見えなkimg05311いかな。この写真の右側が塚原高原、左側は別府湾側。この場所でガスを見るとおもしろい。何がって?伽藍岳から鶴見山へと続く山々が壁となっていて、別府側と塚原側をくっきり隔てる。別府側はガスって曇っている。しかし、塚原側はガスもなくよく見えている。内山や蔵かど岳は本当に薄っぺらく壁か屏風のようだ。まさに壁一枚隔てて、塚原と別府はある。しかしその壁一枚で天気がまったく違う場合もあるわけだ。今回の登山はそのことがよく分かった。

kimg05142kimg05191kimg05251西峰からは塚原高原が一望!こんなに全体がすっぽり眺められるところはない。そんなにハードではなく、登り1時間半、帰り1時間程度。身近に素敵な山があるんだなあ。井の中の河津でした。