朝起きて気がついた 祝14周年

仕事に入る朝4時のこと、携帯のメール着信音。こんな朝早く何事かと思って見ると、大学時代の後輩から「祝14周年」とのタイトルでメールが届いていた。そうか、今日はオニパンの創業記念日かあ!(先ほどママが「違うで今日と」と言われた。なるほど28日だった。私も後輩もちょっと危ない)

まあ、正解は28日だったが、その日は休みでもあるので、本日それにまつわる記事を書こうと今パソコンの前に座っている。

塚原に惚れて、ここで暮らそうと思ったのが25年くらい前か。そして16年ほど前にこの土地にログハウス(小さい)を建てた。ママと二人で、あるときは友人にも手伝ってもらって。

今ではお店の方からは木々でほぼ見えない由布岳もお隣の「忘路軒」さんも見えている。自力で基礎を打ちログを建てることが出来た。この写真は「原点」って名付けている。

そして2年後お店をオープンした。

この写真は塚原の友人熊谷さん(現在ブルーベリー農園オーナー)が撮ってくれたもの。綠の芝生がきれいだったなあ。オープンの日、大阪から私が所属していた「太鼓サークルどっこい」の有志たちが駆けつけてくれた。

まるで技量のない私を助けてくれる近所の人や親戚。

出せるパンがあまりないのに、お客がたくさん来て「人生最大の危機」と思った一日だった。

そんなあぶなっかしい初日からほぼ一年近く過ぎた頃の写真か。通販で大阪の友人のお店に食パンなどを送るときのラベルシールに使った私とママの写真。

まだ老人には見えない。55歳の頃。

よく続いてるなあと思う。この頃(13年前)は、パン作りも下手くそで、パンもあまり売れなくて、仕事が終わってからもいろんなところにパンを売りに行ってた。とにかく石にかじりついても3年は続けなくてはと必死だったなあ。みんなにパン屋になると公言し、早期退職した身の上で、「やっぱりな」なんて目で見られるのはいやだった。

3年たった時、「石の上にも3年」の意味がわかった。3年たたないと基礎がみにつかないのだな。3年たってやっとパンらしいものが焼けるようになった。お客さんも増えてきた。最近のInfoで「諦めないでよかった!」と書いたが(小麦の収穫)、本当に大事なことは「諦めないこと」いいかえれば「継続すること」。「継続は力」と言うけれど私は「継続こそ力」だと思う。継続してないことは何の力でもない。

辛かった東京での修行時代。修業先の社長(あこ酵母の創業者)が、悩んでやめようとした私に「パンだけを見なさい」と叱ったことを思い出す。あれやこれや人間のこと、体のこと、悩み気持ちが萎えてきていた私。何のために修行しているのか目的を見失っていた。その言葉を頼りに、なんとか持ちこたえることが出来た。

出来れば、まだまだ頑張ってパンを焼き続けたい。ほそぼそとでも。きっとママも同じ気持ち。オニパンをこれからもよろしくお願いします。