あの三陸鉄道も・・・№73

以前この折々帳でパン修業後の東北旅行のことを書いたことがあります。
.疲れた心と体を引きずっての一人旅からか、私の目に映る三陸海岸は、どこかもの悲しく、音のない静かな.光景でした。
三陸鉄道北リアス線に久慈から乗り込みました。
 電車の内装は、いたってシンプルです。
大阪の電車に慣れていた私には、吊り看板や壁に貼りだされる広告がない車内の様子は、昔にタイムスリップしたようでした。
子どもの頃から日本地図を見ては、リアス式海岸に興味を覚えていました。大分県も立派なリアス式海岸を持っていますが、どう見ても、岩手の三陸海岸は親分格に見えます。一度は見てみたいと思っていましたから、三陸鉄道の旅は、「一人修学旅行」の気分でした。
三陸鉄道は海岸線に沿って走っていますが、海と同じほどの高度ではなく、10m~20m上から、海岸線を見降ろす形で続きます。
途中、駅でもない所で、突然電車が停車しました。眼下には、川が見えています。
運転手さんが、車内放送を始めました。「え~.こちらの下に見えています○○川には、ここで生まれたサケが毎年帰って来るということで、有名な川であります~。」と、説明してくれます。都会の電車では考えられない、のどかでのんびりとした鉄道に、とても懐かしいものを感じさせます。
私が目指した行き先は、北山崎の海岸線でした。「日本一の海岸美」とポスターに書かれているのを、久慈駅で見かけたからです。

私は、北山崎に着いて、子どもになったように、遊覧船の出航をドキドキしながら待ちました。
遊覧船は、北山崎の海岸線の美しさと波の激しさを見事に鑑賞させてくれます。
私は息をのみながら、カメラのシャッターを幾度も切りました。


海鳥がやってきます。信じられないような人懐っこさで、腕をかすめては、群がってきます。

輝く太陽の日差しの下、紺碧の海、そそり立つ荒々しき岸壁。そこに打ちかかりほとばしる白
波の饗宴。

私は、北山崎の美しさを堪能し、久慈駅を目指し帰路に着きました。
その途中、往路でも気になっていたとてもかわいい駅で下車しました。駅名は鳥越駅。
色鮮やかな建物、何か童話の世界に降り立ったような感覚。
なるほど、その駅は岩手県出身の宮沢賢治の『グスコーブドリ伝記』に出てくる島の名をとって、「カルボナード鳥越駅」とも言われているそうです。私は『グスコーブドリの伝記』を、しばしば読み聞かせでやっていたので、何かこの駅に降りたことに不思議な縁みたいなものを感じました。


(左の写真は、ネットで探しました。)

こんな、東北旅行のことを、日々の忙しさでほとんど忘れかけていた時、偶然目にとまった新聞の一枚の写真。それは、私の想像の隅においていた懸念が的中したものでした。
あれだけの震災・津波。あのかわいい童話の駅も例外ではなかった。

ちょっと見えづらいかもしれませんが、跡かたもなくカルボナード駅は消え去っています。鉄道も破壊されています。

 わずかばかりの救いは、賢治の碑が残ったこと。
「雨ニモマケズ、震災・津波ニモマケズ」
希望を失わず、被災者の方々へのエールを、送り続けたいと思います。