お別れ     №69

4月1日 年度替わりの日。
私は、朝5時半ごろ、ドンちゃんのいる物置に行ってみた。昨夜敷いてあげたふかふかの毛布から体を外し、何とか戸口から外へ出ようとしていたようだった。いつものように、私の方に顔を向け、片方の目で私に向かって視線を投げかける。穏やかなやさしい目をしている。
体は動かないのに、首だけを持ち上げる。必ず嬉しそうにうち振る尻尾も今は動かない。
ドンちゃんは、こんな体なのに、物置の外に出て、ウンチをしようとしていたのだ。
下半身は、液体状の汚物で汚れている。
(いいんだよ、動かないで・・・)
そんなしんどい状況でも、私の方に意識を向けようとしてくれる。
私は、ドンちゃんをもう一度毛布にくるみ、仕事場に戻った。

ドンちゃんが、体調を崩したのは、3月の20日ごろか。食べ物を戻したり、緑色のウンチをしたり。
病院へ連れて行き、お薬をもらうものの、状況は変わらない。
本人は、それでも、散歩には行きたがり、コーちゃんと一緒に草原へ。
日に日に細くなる姿が辛かった。

3月26日(土)の夜。食事をとれない状況が続き、弱り果てている姿。このままでは大変なことになると、診療も終えた病院に無理を言って、入院の措置を取ってもらう。食べ物を受け付けないドンは、その夜から、点滴等の処置を受ける。3月29日、4日目に退院。多少元気になってきたものの、根本的な改善が見られない状態で、ある程度の覚悟をもって、家に引き取った。

翌3月30日(水)の朝。お店が休みの日は、たいがい長~い散歩をする。ドンちゃんは、自由に草原やブッシュの中を走り回り、2~3時間一人で旅に出る。満足したら戻ってきて、お食事。この日は、立つこともできないだろうと、ドンちゃんを置いて、コースケとお散歩しようとした。すると、ドンちゃんは、低い声でウオンと吠える。(僕も行く)と主張する。
ママと相談し、歩けるならば、連れて行ってやろうと、二人で一匹づつ連れて、お散歩に行くことにした。

よれよれと、よたよたと、歩くドン。少しの段差に、足をとられ、顔を地面に打ち付けて倒れる。それでも立ち上がり、また歩き始める。走ることが大好きな狩猟犬、イングリッシュセッター。何時間でも走り続けるという説明が、犬辞典に書かれてある。(もう一度、走らせてあげたい)という思いが、散歩の間中、湧きあがって来る。

広い草原にたどり着く。さわやかに吹いてくる柔らかな風に、牧草がさわさわとゆれている。辺りには何かしら獣の臭いがするのだろう、ドンは不意に背筋をぴんと張る。今までの風態がウソのように、凛々しく背筋を伸ばし、風の来る方に顔を向けて、何かを探っている。
ドンは足早に動き出す。私とママは(ドンちゃん、やめて!)と声にもならない叫びをあげた。
ドンは、いつも下りている崖のような谷とは違うが、それでも結構急な斜面に飛び降りた。
ああ!ドンは斜面でころげ、起き上がることもできず、もがいている。
私は、その斜面を下り、ドンを抱えて、何とか上まで這い上がってきた。
なぜそこまでするのか、そんな体で!イングリッシュセッターの本能なのか、ドンの強い思いに、胸の辺りが苦しくなってきた。

3月31日午後3時のドンちゃん。
この写真が、一番ハンサムに撮れていました。
物置の中でのショットです。

ドンちゃんは一歩一歩しっかり大地を踏みしめて歩きます。これが最後の散歩にになるかもしれないと、私たちも、一生けんめいに、歩きました。

コーちゃんは心配そうに、ドンちゃんの後に続きます。コーちゃんは、兄貴から色々なことを学んだと思います。この写真は3月31日。亡くなる前日までお散歩をするドンちゃんの気迫。
涙が流れます。

ドンは、4月1日朝9時ごろに亡くなりました。ママが8時半ごろ見に行くと、目を開けてママを迎えてくれたそうです。その後9時半ごろ私が行った時、ドンは目を閉じて、永遠の眠りについていました。ドンちゃんは、私たちに何一つ助けを求めることもなく、苦しい中でも鳴き声をあげず、むしろ私たちのことを思ってくれるように、あの特長のある笑顔を向けようとしました。ドンの生きざま、死にざまは、私たちに多くの示唆を与えてくれました。

ドンちゃんのお墓は、我が家の畑の隅につくりました。一緒に暮せたのはわずかな日々だったけど・・・。ありがとう、ドンちゃん。安らかに眠ってください。