楽器

今日のタイトルは、「楽器」。何を書こうかとパソコンに向かって、(ウ~ん)と唸る。ちょっと、ゆるい感じで、出てきたタイトルがこれだった。私は、音楽が好きで、自慢じゃあないが、小学5年生で合唱団、6年生時合奏団に所属していた。これは、自分から希望して入るクラブなどとは違い、音楽の先生が選抜して集めた子どもたちで作られたものなのだ。県のコンクールで争い、結構いい成績(優勝?)を収めていたようだ。
6年生の時、初め、合唱団に推薦され、1回目の練習時に一人一人独唱のテストをした。適性検査なのか。先生は「日浦くん、次からは、合唱団ではなく、合奏団に来てください。」と言う。つまり、向いてないと判断されたわけだ。合奏団に鞍替えした私は、それなりにがんばった。ハーモニカのパートで「剣の舞い」の課題曲に取り組んだ。とても速い曲で、超難曲。放課後の遊びたい時に、ぐっと我慢して、コンクールに向け練習。コンクールの一月ほど前だったか、いわゆるレギュラー組とベンチ組を決めることに。私は、ベンチ組だった。小学生なりに、何か割り切れないものを感じた。
中学生の時、リコーダーが得意だった。自分でも、あまり意識せずに、上手に吹けていた。自分は、絵が下手で下手でたまらなかったが、音楽の才能はあるのではと、何となく自分をほめ、慰めていた。
高校の時、ギターを手にした。フォークブームだったのだ。ギターがはやっていた。とはいえ、ギターをやっているものは少数だったと思う。私は、コードを4つほど覚えて、「真夜中のギター」という曲を弾き、歌えるようになった。
大学の時は、これまた、フォークブームの全盛で、吉田拓郎、井上揚水のコンサートにも行った。私は、へたくそながら、ギターを弾き、歌を歌った。友だちが寄れば、よく歌った。あちこちの下宿から夜遅くまで歌声が響いていた。
就職して、仕事自体が、音楽的な要素もあったので、しばしばギターを片手に歌をうたった。リコーダーも吹いた。
同時に、和太鼓にも夢中になった。プロの研究生として2年ほど打ち込んだ。夏祭りや色々な催しで太鼓をたたいた。しかし、10年ほどで、限界を感じた。次々と若手が成長し、後に続くものが、私を越えて、素晴らしいステージをつくる。(私はステージには向いていない)と感じた。
40歳頃から和太鼓の練習も少なくなり、どちらかというと、音楽から離れ、スポーツや自然への興味が先行してきた。しかし、生来の「音楽好き」というDNAは静かに出番を待っていたようだ。
教え子の親が、ジャズのライブをすると言うので、見にいった。狭~いお店で、3人が演奏しお客が5~6人でいっぱいになるようなところだった。子どもの母親は、ジャズピアノを自由自在に演奏し、父親はベースを「ボンボンボボボン」と軽快に弾く。聴いているものも楽しかったが、演奏しているものが、本当に幸せな表情で、生き生きとやっている。
衝撃だった。和太鼓、お囃子のアンサンブルと違った、演奏の楽しさを感じさせる。
私の悪い所だが、すぐに感動し、やってみたくなる。興味関心は広いが、深みがない。いわゆる「広く浅く」っていう奴だ。
私は、(いつか演奏する側としてライブにでてやろう)と軽く決意する。
だとしたら、何の楽器で?ギター?お話にならないほど下手だし・・・。ピアノ?やっとバイエル60番ぐらいまでしか弾けなかったし・・・。ウ~ん、やっぱりハーモニカしかないなあ。小学生で「剣の舞」が吹けたのだから。
(次週に続く・・・)