恒例・甘夏を求めて &法事

ゴールデンウィークまっただ中、忙中閑ではなく忙中忙の二日。しかし、見方を変えれば、それは癒やしの旅であり、花の宴でもある。

ゴールデンウィークは、一年で最も忙しく、お客さまの集中するときである。コロナで状況の変わった昨今ではあったが。それでもやはり忙しい。そんなときに、目玉商品である甘夏のデニッシュが出来ないというのは辛い。知人にいただいた甘夏が底をつき、さあ3日からどうしたもんだ(諦めようか)と迷っていた。スーパーで買おうか・・・でもなあ・・・甘夏と言えば毎年お世話になっている佐賀関加工グループだよなあ・・・・でも休みに買い付けはしんどいなあ・・・なんて思ったが。いや、観光と思えばいい!と出発した。

ほぼ一年前に来た懐かしの場所。代表の都さんは89歳!バリバリの現役。ここでは、湯布院のパン屋としてスタッフのみなさんにも「オニパン」は共通認識になっていた。もう4年目か。

都さんとお話しすると元気が出る。彼女の母は94歳までトキハで働いていたそうだ。彼女曰く「私は母親と似ているといわれる。だから私も94歳までは働くし、出来れば100まで働いて、コロリと死ねたらいい」。この仕事場大好きで「一年365日、欠かさず来ている」と!今年も記念写真を撮らせていただいた。

キミ子さん力強い!私も80までは頑張るぞ。

そして帰りは佐賀関観光だ。

めったに来ないからと、強気でこれを注文。配膳されたこれを見て、力抜け。これは何か?あの・・・関アジ丼!?なのだ。お値段1300円。力が抜ける。せめてこの1.5倍の量がほしい。地元の人は注文しないだろうなあ。やっぱ観光客しか・・・そういえば私は観光客だった。

気分直しにこれを注文。これは今回で3回目。高くたっていい(ちょっと高い450円)。ヤギソフト。

これはうまい!うますぎる!!

てなことで、佐賀観光が終わり、帰りの道は迷いに迷って高速を使ったにもかかわらず塚原まで2時間!(本来は50分から長くて1時間が普通)。相変わらずの病気。

さて日が変わって翌日の二日は、法事。父の49日。従兄弟が豊後高田から来てくれた。父が亡くなってほぼ一月半。久しぶりのお骨と面会。そしてお寺さんのお経を聞く。お経が終わってお寺さんのお話はなかなかいいお話だった。なぜ阿弥陀様が居られるのか。阿弥陀様はどんなお姿か。どんな人間も四つの苦しみを持っている。「先ず一つ目は・・・誕生するという苦しみ。」えっ???どういうこと???

この世に生まれると言うことは、嘘偽りの世の中で苦しまなければならないということ。この世は本当にでたらめだ。誕という字は「偽り、でたらめ」を意味する。・・・私はそんな話しは初めてだった。浄土真宗というのはこの世をそんな風に捉えているのか。生まれることは苦しみの世の中を生きていかねばならないということ。これは、ある意味当たっているかも。

話しを聞いていて、どんな人も浄土(あの世)では救われる!というのがいいね。そして姿を変えてまたこの世に戻る。仏様としてあなたを救ってくれる。・・・話しがこんがらがっているかもしれないが、いい話だった。阿弥陀様を呼ぶ方法は「なんまんだぶ、なんまんだぶ」と唱えること。最後の唱和のとき、宗教を信じていない私も、「なんまんだぶ」と何度も言った。言うと心がスッキリした。

そして法事の後、お決まりのお食事コースへ。初七日の時は海を眺めてのご馳走。今回は町中だったので、小さな庭園を眺めて。

親戚での会話も楽しく時が流れた。そして、ママと、別府霊園へ。

係の人にお願いして石室へお骨を納めた。納骨。母親の壺が一つ。2011年から12年一人でここに。その横に一回り大きな花柄の立派な骨壺を安置した。あまりなかの良い夫婦ではなかったが、これからは仲良く仏様として浄土で暮らしてほしい。