パン屋の修行時代(肉体編)

もう2週間も経ってしまった。あ~俺はなんてグータラでだめなのか。お客様の中にはこの折々帳を「読ませてもらっています。楽しいですね。」とわざわざ言ってくださる方もおられるというのに。ネタは有り余るほどにあるわけなのに、ちょっと時間ができると、今日の朝のように、デッキの上に寝転んで、心地よい陽だまりを堪能してしまう。ただただ毎日パンをつくり、遊ぶこともせず、お金は使わずとも、この自然の中でゆっくりとお日さまと戯れているときに至福の喜びを見いだしている。昨日は、走っているか歩いているかわからないジョギングを1時間半ほどやった。これもまた楽しいひと時。この日記を避けているような感がないでもないが、これまた日記も書きだしたら結構はまるタイプでもある。問題は、書きだすかどうかにあるようだ。何か話題が変わってきたみたい。さて本題に入ろう。
以前ちょっと書いたこともあるが、ここ塚原にパン屋を開くまでのこと、特にパン屋での修行時代についてこれから何回かに分けて書くことにする。もしかしたらパン屋になろうと思っている人がこの日記を読んでいるかもしれないし、また、私の感動をおすそ分け(無理やり)したくもあるからだ。パン屋とケーキ屋は子どもに人気のある職種のようだ。何か夢や希望を連想させる創造的な明るいお仕事のように映るのだろう。まあ、私も、そのように、思ってはいる。ただ、現実的には、乗り越えなくてはならないいくつかのハードルを制覇したらの場合いだけれど。私は53歳の春、東京多摩市のあこ天然酵母の製造元「あこ庵」というパン屋さんの門をたたいた。年はいっているが、30代より続けているジョギングの効果もあり、体力はまあまああるかなと思っていた。朝4時から勤務。昼は仕事の状況で定まらないがだいたい1時から2時の間に休憩に入る。1時としてもすでに9時間働いていることになる。その間休む暇なく仕事をしているわけで、休憩などない。朝食は1~2分でおにぎりをかぶりつくような状況。昼休憩は食事とお休みで1時間とらせてくれる。終わりは日によって違うが早くて4~5時。遅い場合は8時頃。しめて労働時間12~15時間ほど。立ち仕事は、本当に慣れが必要で初めの一カ月は地獄のような日々だった。慣れない仕事に慣れにくい職人さんとのやり取り、一人での東京アパート暮らし。安いアパートを探し「おお、感動的に安いなあ。3万5千円だあ!」と借りたものの、なんでその部屋が空いていたのかは生活してみてわかった。部屋の前がスナックで、夜中もカラオケの声が部屋まで入ってくる。パン屋になるのは大変なことだなあとつくづく実感した。腰が痛い、足が痛い。くしゃみをしたらそのショックで腰がクの字に折れ曲がる。暗い4時前のパン屋までの道を歩きながら考えた。大阪門真の知り合いの中に「シベリア抑留」を経験された方がいて、その人の話を思い浮かべ「こんな辛さは、シベリア抑留と比べりゃ鼻くそほどだなあ。」と思いながら歩いた。休みの日は遅くまで寝てられない。とにかく体を鍛えなくては仕事が続けられないと、洗濯などを手早く終えて、ジョギングをした。徐々に体が慣れてくると心地良く、汗も気持ち良い。多摩市落ち合い3丁目から古道の「横山の道」を走り、国士館大学の裏を抜け富士山が遠く見える高台の方へ30分の道を走る。

2007年4月20日から書きだしたパン屋での修行時代の日記。修業ではなく修行としたのがみそ。初めは「修業」と書いていたが、途中より「修行」と書きなおした。(黒塗りの四角は「業」の字)
仕事の技術を修めることより、精神を鍛えることの方が大切と思いだしたからだ。50年以上生きてきて、(年取ってしまったからかもしれないけど)ほんと、駄目だなぁの連続の日々。恨みつらみも書きましたよ。いま読み返しても、おもろいものです。人間って、状況次第で、言うことや考えかたも変化する弱っちいものなのよね。