コンバイン試乗 追悼 園田のじいさん

小麦畑の地主さんである「園田のじいさん」が亡くなられた。失礼な呼び方ではあるが、親しみを込めた以前からの呼び方であり、あえて「じいさん」と書かせてもらう。、オニパンの小麦畑は以前メガソーラーの建設予定地だった。契約した園田のじいさんは私たちの反対運動をずいぶん腹立たしい思いで見ていたに違いない。建設が頓挫した広大な敷地を私たちと交友のあったじいさんの奥さんが「責任取って借りてくれ」と言いに来た。そこからオニパンの小麦作りがスタートした。

ワケも分からず小麦作りを始めたわけだが、その働きぶりを見ていたじいさんは私の努力を見過ごしてはいなかった。「ようがんばりよる」と評価し、こっそりコンバインを購入していた。あとで知ったのだが、合同新聞に書かれていた(自家栽培小麦の記事を掲載してくれた)。じいさんは口は悪いが、とても他人思いの優しい人だった。播種機を貸してくれたり芋の苗を分けてくれた。そして小麦が育った時じいさんは収穫してくれた。

この写真は初めての小麦の収穫時のもの。とても貴重な一枚だと今になって思う。じいさんは毎年芋の苗をくれた。昨年は、だまって店の前に置いていた。じいさんは耳が悪く人と話すのが苦手な人だった。しかしいつも人のために行為してくれていた。

調子が悪いのは知っていたが、そこまで深刻だったとは。今年になって芋の苗が例年になく不作で手に入らない(じいさんからもらうもの以外に安納芋だとかの苗をコメリで購入していた)。しかし、じいさんが持ってきてくれるのではと思っていた。入院していたとは知らなかった。

オニパンに突然じいさんが現れた。3月のこと。鹿肉をたくさん持ってきてくれた。そんなところがあるじいさん。それが6月の初めに亡くなられた。お参りに行ったとき息子さんたちも消沈していた。ブドウの作業をしているときも力が入らず、ペースが上がらないともらしていた。息子さんはここ数年オニパンの小麦を収穫してくれているのだが、「今年は収穫する元気が出ない。ぶどう園も忙しいし。オニパンさんが自分で収穫してほしい。」と言う。

コンバインを貸してくれるとのこと。土地の造成工事のためにユンボを貸してくれた。それで、毎週ユンボに乗っている。やっとユンボが操縦できるようになった。そして、次はコンバイン。ユンボは以前乗ったことが少しあるのでやる気になったが・・・コンバインは全く初めてだ。気が重い。しかし乗らざるをえないのか・・・。

収穫直前の現在、時間がない!昨日コンバインに初試乗した。その前日、またYouTubeでお勉強。

夕方暗くなりかけの頃、コンバインを動かした。なんとか動かせる。そのときじいさんの声が聞こえてきた。

「機械が教えてくれるちゃ」

私が初めてトラクターに乗ったときじいさんに乗り方を尋ねたことがあった。そのときじいさんが言った言葉だ。

不安で何ごとも誰かに尋ね教えてもらわないと出来ないと思っている都会のぼっちゃんである私に言った言葉だ。じいさんは教えてもらうこともなく全てを自分でやってきた。そうせざるをえない状況だったのだろう。生きるために。そんなじいさんは誰かに甘えることなどするわけもない。むずかしい機械の操縦も、自分の力だけでやってきた。そんなじいさんの言葉だったのだ。何か目頭が熱くなる。

今年は自分で小麦の収穫をするぞ!「機械がおしえてくれるちゃ」