うっとおしい日々には山が一番・・・かな

教育関係の仕事をしてきたものには、現在の世情はあまりにうっといものがある。
長崎佐世保の事件。長崎では10年ほど前にも子どもによる子どもの殺人事件があった。
自殺事件も後を絶たない。
大阪で働く友人のフェイスブックを見ていて
「学校のブラック化」という記事を目にした。私らが働いていたとき、胸を痛めた「学級崩壊」「学校崩壊」。幾人もの知人が、悩み苦しみ、学校へ行けなくなった。
しかし、その苦しみは子どもに関わる物であり、「子どもを救えない自分たちの力なさに悩み苦しむ」ことだった。
「学校のブラック化」というのは、学級・学校崩壊ではなく、「職員室崩壊」とのことらしい。
職員一人一人がバラバラにされ、以前のように子どもの問題を教師集団で考え対応するのではなく、担任の問題として責任を取らされる。事務や会議等仕事が多すぎ、まったく自由がきかない中、「指導力のなさ」を責められる。子どものことで悩むのではなく、上司や同僚との関係で自分の存在場所を維持するのに辟易としている。
教師の瞳が輝いてこそ、子どもたちは自分たちの将来に希望を持つようになる。生き生きとした人と接するとき、人は元気が出る。こんな当たり前のことが、通らない教育現場に未来はあるのだろうか。

・・・ なんて、難しい話が多くなると、人生暗くなる。バランスバランス。パン屋らしからぬ話が多くなるのは、決して私のせいではないぞと叫びたい。

この間、仕事が大変でなかなか自分の時間をつくることができなかった。
しかし最近二人の従業員さんのおかげで、多少体が楽になっている。
考えてみれば、還暦を迎えた体に14時間以上の労働は酷すぎる。
経営的には色々と難題があるのだが、先ずは健康が第一。次に人間らしい暮らしぶり。
そこで復活してきたのは「山行き」である。

折々帳には書いていないが、二週に一度は山に行っている。
二カ月ほど前からぼちぼち行きだした。
玖珠の「万年山(はねやま)」 安心院の「烏帽子山」、鶴見岳そして先週は由布岳。

万年山(はねやま)は2回目。
玖珠には、溶岩台地でできたUFOの着陸場みたいな山がたくさんあるね。

左の写真は安心院の烏帽子山の頂上。
地元の人がつくったお手製の眺望図(こんな言い方でいいのかな)。
なんと立派な(面白い)作品。地元の人たちは、お正月などこの山に登るらしい。大切な山なのだ。
だから、きちんと手が行き届いている。
この眺望図(?)に「サファリ台地」とあった。
まるで万年山のような形の山である。
へ~そんな名前聞いたことないなあと思い、家に帰ってから、ネットで調べまわったが、まったくない!

この地元でしか通用しない呼び名なのだろう。この烏帽子山は、頂上からの展望が実によい。360度(一部木が伸びて見えにくいが)。しかし、山の高さは570mくらい。塚原の私の家は、630m。なんだ、私の家より低い山!しかし、地元にとっては大切な山なのだ。
ちなみに、烏帽子山から見えるサファリ台地の写真をのせておこう。

右の写真。中央にしっかりと見えている。
ほんと万年山みたい。はじめ万年山かなと思ったぐらい。でも、なんでこんな近くに万年山があるのと思った。眺望図をみたら「サファリ台地」って書いてあった。
もうお気づきでしょうが、サファリというのは、「アフリカンサファリ」のこと。
地元の人は、この台地にそう命名。
正式名称ではないのだ。

烏帽子山の次に登ったのは鶴見岳。昨年の同じ時期も登った。旗の台から登り口があるが、今回はちょっと上のお寺の駐車場に車を止め、そこから1375mの頂上めざした。
少し蒸し暑かったが、ほぼ樹林の中を登っていくコースなので、夏でも登りやすい。
頂上に着くと、七福神めぐりをして、ロープウェイの山頂駅へ。そこでアイスを食べ下山。
昨年はは、ビールを飲んで、ロープウェイで下山。そんな楽しみ方もできる鶴見岳(ただし、連れ合いに文句言われながら車で連れて帰ってもらうのが前提だが)。日本300名山のひとつとのこと。

続いて、日本200名山、あるいは日本新100名山と言われる由布岳。
由布岳には高校生のころから何度か登った。しかし、あんまし、好きにはならなかった。
どうも正面登山口からのコースが何か単調で、きつい。高さもあるので結構きつい。
3年ほど前に、西の峰に上ったことがある。普通は東の峰に登頂する。西の峰はクサリなどがあり、ちょっと怖いので敬遠されるからだ。
確かに怖かった。西の峰から「お鉢めぐり」といって、噴火口の周りをぐるりと回り東の峰まで行った。相当体力を消耗したことを憶えている。
今回は、以前からの懸案であった東登山口からの登頂を目指した。
今まで、2度ほど挑戦したが、一回目は何かしんどくて、日向岳への自然観察路的なコースへ変更。次は、途中まで登ったが、雨(雪)で、断念。
そして今回は3回目。

実はこの山行きの前、私の中にちょっとした心境の変化が起きていた。
近頃、山に行きだしたといっても私から進んでという気持ではなかった。仕事に関わっての多忙さなどから、なかなか精神的なゆとりもなく、ママに誘われるからついていくといった感じ。
でもそれでいいのか。体の調子も芳しくなく、肩や腰、足と慢性的な痛み。本を読む暇もなく、運動もあまりしない。何か未来に雲がかかって、光も見えない。
そんな感じだったが、前に書いたように、ちょっと時間的なゆとりもできてきて、鶴見岳に登って少し達成感も味わった。
そうだ少しファッションも考えてみよう。ザックもほしい。
大分市の山渓という登山専門店に行ってみた。
こんな店に行くのは久しぶり。ザックも進化していた。
とりあえず25リットルのザック、夏用のシャツや登山用の靴下などを購入。そこで知った、「ブラックダイアモンド」というブランドの登山用のストックも後でネット通販で購入。
「先ず形から入る」という、若いころジョギングに目覚めたころのことを思い出しながら、
良し後半生(あとわずかだが)は山に登って、健康生活だ!と決意した。


やまなみハイウェイ(別府から城島高原、湯布院への道)の途中、猪の瀬戸から塚原へ向かうエコーラインの峠に由布岳東登山口がある。

天気は曇り。時々雨がぱらつく。しかし、それくらいが暑くなくて気持ちもよい。
以前から比べて、ずいぶん体力が落ちてきている。はじめの30分くらい、歩くと足は重いし、息も上がり気味。それから少しずつしんどさが体になじんでくる。
東登山路は、鶴見岳同様樹林の中を進む。比べて、広くゆったりとしていて、気持ちが良い。
なだらかに登っていく。

途中大きな木が大きな岩から生えている景色とであう。すごいなあ、木の生命力って!
いくつか出会う。山でしか見れない生命のすごさ。

そんなことを考えながら、しだいに登山と一体化。歩きに違和感がなくなる。

前回断念した場所まで登ってきた。
ここが高度何メートルか知りたかった。
そこで、久しく使ってなかった高度計の付いた腕時計を確かめた。この時計は、塚原での田舎暮らしに備えて大阪で購入した一品。

1280m。
まだ頂上までは300mある。

このあたりから、登山道は急になってくる。クサリやロープが頻繁に出現。
冬場はちょっと危なそう。

ついでに、新しく購入したザックの紹介。
グレゴリー製。還暦祝いで色は赤。
今まで使っていた、安物と違い、背中のベンチレーションに感激!
ちなみにベンチレーションとは通気性・風通しのことらしい。
そのほか安物との違いは、ポケットが深くて実用的。そして、ストックが留められるゴムひも、ザックを開けずに水が飲める(中の水入れからホースを出して歩きながら吸水できる)仕様。
何よりしっくり背負うことのできるフィット性。

そんなザックを背負っているだけで、登山が楽しくなるから不思議。

東登山道は、変化があって面白い。岩場の登りなど。見た目には怖げだが、小学生でも気をつければ登れるくらい。幼児と老年はやめといたほうがいい。
さて、我らが中高年のママはいかに。

こんな感じ。
怖いと言いながら、結構やります。
こういう場所がいくつかあるのだが、頂上近くの岩場で動けなくなったようだ。

私が先に頂上に着き、ママを待つのだが一向に現れない。「お~い、ついたで~」
返事がない。
しばらくたって、がっしりした男性といっしょに現れた。
聞くと、ママは岩場に蝉のようにしがみつき、そこでじっととまっていたようだ。
後から偶然現れた宇佐の登山家に助けられて、登り切ったとのこと。
それでもママは、大丈夫やったんやけどね、みたいなことを言っていた。
登山家が来なかったら、多分30分はしがみついていたと思うが。

 頂上付近のお鉢めぐりコースにたどり着いた時のカット。この表情から、岩場のきつさを想像してほしい。
繰り返すが、小学生でも大丈夫。
ひとによって、感じ方が違うだけで、ママの場合はこんな感じ。

てなわけで、由布岳東登山口コース制覇!
この登山は、私にとってとても貴重な山行きとなった。
1584m。豊後富士なのだ。
右手にかざしているのは、ビール。
頂上制覇を祈念して前日より冷凍していたビール。
すでに生温かったが、久々のうまさだった。