ベトナム「研修」旅行 №110

ベトナム旅行に行ってきた。お店を休んで行くからには、「研修」という名目が必要かと、とりあえず「フランスパン」の勉強ということにした。

確かにフランスパンには強い関心を持ってはいたのだが(ベトナムは長くフランス支配下にあった歴史より、フランスの文化にも強い影響を受けている)、実際はベトナム料理を食べるだけで精一杯の日程で、わずかにバイン・ミーというフランスパンのサンドを食べた程度に終わる。
ベトナム人に好んで食されるバイン・ミー。そのフランスパンは、とてもかる~い食感で、クラストはパリパリ。オニパンのバタールはちょっと重すぎるかなと思った。パンの研修はそれで終わり。

「ベトナム」といえば、私の中では「ベトナム戦争」と切っても切り離せない印象を持っている。
多感な学生時代、私はベトナムに憧れた時もあった。強大なアメリカを相手に戦い、勝利した国。『不敗の村』という小説を読みベトナム人民のすごさに感動したものだ。
それ以降、ドイモイ政策で、急激な成長を遂げ、豊かになってきた・・・ぐらいで、ほとんど予備知識もなく、ベトナムに訪れた。

ママがベトナムに興味を持っていて、それについていくみたいな恰好で、あまりにも不甲斐ないかと感じ、ベトナムに詳しい友人に訪ねたりしながら多少の準備もしたのだが。

福岡空港を10時過ぎに飛び立ち、台北へ。そこで2時間ほど待機し、ベトナム・ホーチミン市へ。チャイナエアラインのその飛行便はお値段が安いのだ。そして、台北までの2時間、ホーチミンまでの2時間どちらでも機内食がでる。安い割にリッチ。ビールも飲んで、いい気分。機内では最新作の映画も鑑賞。ベトナム旅行のプレ企画的な充実した時間。なんか、ベトナム旅行への期待感もより高まりつつある。

ホーチミンに着いたのは午後4時過ぎだった。日本時間では6時過ぎ。ちょうど2時間の時間差がある。空港で待ってくれていた現地のガイドさんの案内でホテルへ直行。
その車でホテルへ着くまでの20分間。
初めてベトナムへ行った日本人だれもが感じ、味わうであろう共通の驚きと恐怖を私たちも共有することになる。

「もう、やめてって!いやあ、ひゃあ~、どげえして前にはいってくんの~!!あぶないっち!おれら、はさまれちしもうたで~! あ、頼むから、どいてくれんかえ~!!!」

言葉にならない、状況のすごさに、息をのむ。私たちの車がバイクに取り囲まれ、右も左も前も後ろもビュンビュンと通り抜けていく。ありえない状況なのだ。

韓国に行ったとき、車の運転の荒さにびっくりした。台湾に行ったとき、そのバイクの数の多さに驚いた。しかし、ベトナムは台湾をはるかに超えるバイクの多さと運転のすごさ。「世界一だ」とガイドさんが言っていたが、聞きしにまさる状況だ。


「ベトナムでは毎日30人の人が交通事故で死んで行ってます。」とガイドさん。
なるほど、あり得る。

ホーチミン市のホテルに着いてから、食事をとるためにお店を探しに街を歩く。
それが大変。道を渡るとき、バイクや車を避けて横断するのが、至難のわざと言おうか。人が通っていようが、数十台のバイクが一斉に突っ込んでくる。

1日目2日目とそのバイク軍団のすごさに目を奪われっぱなしだった。
ベトナムは経済の急成長で、ホーチミン市では、人口が集中的に増えているとのこと。公共交通機関のバスや電車などがなく、市民は自力で移動する。お金のない市民たちにとって、バイクは最も利便性のある移動手段なのだ。
学校が終わる時間帯、勤務が終わる時間帯などすごい数のバイクがひしめく。学校終了の時間帯に私たちが学校の前を通りかかると、次々と夫婦ずれの人たちが二人乗りで現れた。そして、子供を間に挟んで帰っていく。子供が二人いれば、前と間、つまり4人乗りで帰っていく。子供たちも慣れたもので、親の背中に紙をおいて、運転中にお絵かきをしながら、車やバイクの間をわずか数センチぐらいの間隔でも気にも留めずに走っていく!!すっげ~とだれが見ても思うはず(日本人ならば)。

さて、食事の方はどうだったのかというと、お味は○でしたね。
さすが、同じアジア人。味付けもいいですね。ヨーロッパに行った時と比べ、食事は満足しましたね。醤油など日本にはない面白い味(多分魚醤)。

野菜もお肉もおいしい。焼きそば風の料理。
いろいろと料理は食べた。
書けばきりがないので省略。

下のビールはサイゴンビール。とても飲みやすいラガービール。発泡酒に慣れている私にとっては、最もおいしいビールとして感じられた。

右下はベトナムコーヒー。ベトナムコーヒーにもいろいろ種類があるのだろうけど、このコーヒー豆は、紅茶のように香りがつけられていて、ちょっと違和感があった。入れるための道具が面白い。

大きなマスクは、ベトナムで売られていた、マスク。バイクに乗っている女性など、多くの人がつけていた。
ママの前にある白い雪だるまのような入れ物は、ココナッツジュース。ココナッツの身を削って、こんな形にしてお店に出していた。
中身のジュースは、とてもおいしく、さわやかな甘さ。
お値段は大体5万ドンくらい(日本円で200円)。
観光客用のお店なので本来はもっと安いはず。

さあて、ベトナム旅行の最大の楽しみとしていたのは、メコン川クルーズ。私の数少ない旅行で今まで最も南に行ったのが、西表島。北緯25度くらいか。
しかしである、メコン川(ミトー市)は、北緯10度くらいなのだ。沖縄の亜熱帯のマングローブの森でもすごいなあと思ったが、今回はもう熱帯なのだ。きっと感動だろうなあと期待が渦巻きっぱなし。

元来貧乏性の私は、ついつい安いものに目が向いてしまう。いや、安いものばかりを探し出そうとする。そして上手に安いものをゲットしたとき、至福の達成感を感じてしまう。
メコン川クルーズの場合も同様で、日本人向けガイド付きの旅行社が出しているオプションではなく、現地の安上がりオプショナルツアーを探した。ほぼ相場が60ドル近くするツアーでも、現地では10ドル程度で行ける。
場所を探し「キムトラベル」という旅行社で10ドルで申し込んだ。

20人程度でグループを作り、一日の行程でメコン川クルーズを楽しむ。
参加者は、エストニア、ロシア、イギリス、マレーシア、ベトナム、日本と国際色豊か。
ガイドの26歳の好青年は、べらべらの英語で、まくしたて、バスの中は笑い声で盛り上がること。その中で私たちは、笑うに笑えず、盛り下がる。これが格安ツアーの因果応報ってやつか。
でも、少しは分かるぞ。と強がる。幸い、若い22歳の女子二人。これが関西大の人で、日本語話すとバリバリの関西弁!おお、なつかしい!!ということで、二人の後をつけて、観光をすることに。

ベトナムの好青年がガイドさん。
プロ意識満点。とても物知りで、ユーモアに富み、私たち以外、みんなと友人になっていく。
言葉ができないということは、ほんと残念なことだと強く強く実感!
でも日本人で、この年で、こんなにしっかりした若者はなかなかいないなあと思った。

  左はメコン川クルーズの出発の港。
川といっても、とても大きな河で、船に乗っているときも海を渡っているような感じだった。

下は、着いた島でのココナッツの割り方の紹介。
ベトナムの好青年が、実演してくれた。


ココナッツを絞り、煮詰めて、ココナッツキャンデーづくりへと進む工程の説明。

かわいい馬が引く馬車に揺られて、島内を見学する。何とものどかな時間です。

食事の後の休憩時間。ハンモックでちょっと昼寝。ハンモックって、涼しくて、ゆらりゆらりと
気持ち良い。これは、塚原高原での夏場の昼寝に絶対合う!と感じた。

 この島をを離れて、別の島へ渡る。
そこでは、ミツバチの養蜂が島の産業ということでミツバチの巣を見たり、蜂蜜を味わったりする。なかなか面白い。
そのあと、熱帯らしく、大蛇の首巻イベント。これは参加者もこわごわで大喜びだった。

島の中を流れる小さな川を、4人乗りのボートで散策する。前と後ろに現地の漕ぎ手がいて、誘導してくれる。うっそうとした熱帯特有の樹林のような場所を進みゆく。

それにしても、なんと贅沢で、盛りだくさんのツアーだろう。ランチは料金込み、ベトナムの歌や演奏まできかせてくれた。

これで10ドルとは!

上の写真に写っているボートの漕ぎ手の年配の女性は、終着点に着く少し前に、私に向かって小さな声で「ティープ、マニー」とか囁く。わたしは、「はあー、なにー」と聞いたが、同じことを繰り返し、私は「うー、わからん」で終わった。

短い旅は終わりに近づいた。メコンクルーズは、とても良い時間だった。ベトナムに初めて行く人にとって、お勧めのコースだ。ベトナムの人々の昔からの暮らしを垣間見ること自体が、自分再発見の本来の旅のテーマに寄り添うかのような。現地の人々の暮らしから、いろいろと大切なものが見え隠れして、なかなか楽しい旅を演出してくれる。
これこそが、最近話題となっている「エコツーリズム」ではと思った。現地の環境や暮らしを壊さず、観光資源として、経済を豊かにする、人々の生活を豊かにする。

それにしても、ベトナムの人たちのエネルギーはすごい。
道路端で商売する人たち。大きな鍋で、肉を焼いて、パンに詰めたり、フォーに入れたりして、提供する道端レストラン。排気ガスなど気もせず、座り込んで食事するお客さんたち。


空港に向かう車の中でガイドさんに聞いてみた。普通の会社員のお給料はいくらぐらい?
「そうですね、3万円ぐらいでしょうか。」
ガソリン代は1リットルいくらくらい?
「100円以上します。」
それでは生活ができないのでは?

「貧しい人は、チップで、普通の人はボーナスでなんとか暮らします。」
「えらい官僚は、賄賂をとっています。ベトナムは小さな中国と言っています。」

官僚のことは皮肉として、ガイドさんが付け足したのだろうがみんな生きるために必死なんだなあ。
そうか、その時ふっとボートを漕いでいた年配の女性の言葉が理解できた。
「チップ、お金ください」だったのか。
悪いことしたなあ。

それにしても、貧しくても、ストリートにホームレスは一人もいなかった。
生きるエネルギーが失われる、日本という国の構造的な問題。
成熟というか、過発酵的社会の深刻さなのか。
私たちが子供のころ、昭和は、生き生きとしてたよなあ。

ベトナム旅行は、いろんな意味で刺激的だった。