「らいふのぱん」で研修 №108

宮崎に住む高校時代の友人姫野君が「らいふのぱん」というパン屋さんを紹介してくれた。
それは、一年ほど前のこと。私は、さっそく連絡をとって、「研修」のお願いをした。
あこ庵やパン学校で勉強したといえど、ほぼ我流の域を出ない私のやり方に新しい刺激が必要だと感じていたからだ。
電話口に出た「らいふのぱん」のママさん。「研修?いいけど、今新人を鍛えているから4月以降がいいね。その時はうちに泊まりなさい。」
なんと門戸の広い、気さくな方だと少々驚く。
そして、ほぼ一年後、研修が実現。

オニパンにも宮崎からお客さんが来ることもある。尋ねると「らいふのぱん」のことをみなさん知っていた。そして付け加えて「ママさんがとてもエネルギッシュで気さく!」と口を合わせておっしゃる。(へ~そうなんだあ~)

方向音痴の私は12月26日一人で宮崎に向かった。いつもは隣に「地図好き」なママがいて、やかましく私に話しかけてくる。それに頼って運転してきた私は、いつの頃からか、まったく地理や方角に無頓着になってしまった。

自立しかけた子どもに、「愛情たっぷり」お世話をしてくれる母親のごと、手取り足取りお教えするママのおかげで、私は一人、車で旅することができなくなったわけだ(と自分的には解釈している)。

宮崎の姫野君が(彼はとてもまめな人のようだ)宮崎市に着くまでのルートをメールでよこしてくれ、私はそれを頼りに一路宮崎へ。

大分自動車道の米良インターで降り、中九州横断道路で千歳まで。そこから豊後大野市市役所方面へ。やっぱり道に迷いかける。まったく反対方向へ進もうとしていた。それに気づいたのは太陽の方角。よ~く考えれば宮崎は大分から見て南。だのに、進んでいる方角は太陽と反対。さすれば、宮崎から離れていくことになる。わたしは何か宝を探し求めるインディージョーンズになった気分で、南へ進路をとった。

ただただ太陽へ向かって走れ!お日様ありがとう、出てくれていて!!326号線もその後の10号線もずっと太陽がお導きをしてくれた。大分から宮崎へ入る手前はもう、ほんと、山ん中。
そこで、生まれて初めて(道中ずっと生まれて初めて状態なのだが)宇目という有名なところを通った。天気予報で我が湯布院と最低気温で争って、ときどき湯布院が負けているところだ。
私の中では、(宇目ってすげえさむげなところだな。どんなところだ。)と気になっていた場所。
やっぱり、すげえ。山がずっと続いている。時々牧場みたいなところの看板。ええっ!まいったね。イノシシ牧場か。

4時半ごろらいふのぱんに到着。優しそうな社長の山路さんが出迎えてくれた。従業員が20名以上もいて、パン販売のみならず、ランチ、ケーキ菓子、お野菜まで売っている。食の安全・有機野菜などの運動を30代より続けて来られた社長夫妻。その関心が次々と広がる中で、お店の販売商品も広がり続けているわけだ。

20年以上毎年ヨーロッパの旅を続けているとも仰っていた。旅行ではない旅とのこと。バックパッカーだそうだ。着いた場所で安い宿を探す。巡り合ったうまいレストランで料理を教えていただく。あまり通じない中学英語とボディーアクションで調理場の手伝いをしながら、本場の調理法を教えてもらう。話を聞いていると、信じられないような経験をされている。すごい人がいるものだ。世界は広い。井の中の蛙状態の私。

社長と交代で専務さんがお話してくれた。その専務とはママことまり子さん。想像した以上にエネルギッシュで深い。まり子さんのこの行動力がらいふのぱんを20年以上維持発展させてきたのだと思わせた。


「あんた、お腹すいとってやろ。パスタ食べていかんとね。」(確かこんな感じの宮崎弁)

本場イタリアのパスタ調理法も教えてくれながら・・・。

なんと気の置けない人たち。そして相手への思いやりとエネルギー。

あっという間に作ってくれた海鮮パスタ。
おいしかったあ~。

その夜いそいそとお泊りの「レマンホテル」へ。格安料金の部屋があったので、一か月ほど前から予約しておいた。早く寝ないと。明日は朝3時から研修。2時には起きてと。9時前に就寝。しかし妙に暑苦しい。そして外の車の騒音。上の階の足音。トイレの水の音。

エアコン設定が27度だった。しかし温度を下げても騒音は一向におさまらない。私の住んでいる塚原高原はあまりにも静かすぎた。ここが普通なのかもしれないが、たまらない。なるほどちょっと高級そうに思えたホテルにしては一泊2800円というのは安すぎる。つまり訳ありなのだ。

待てよ、これって以前東京で研修した「ナチュラル・プクー」の時とおんなじではないか。あの時は安いからとネットカフェに泊まった。その大変な環境のおかげで眠れずに研修へ。
今回はあれから6年過ぎている。つまり50代前半の体力と60前の体力の違い。きついぞ。
気が付けば朝の2時。研修は3時から。まいっか。なるようになるさ。しかし、安物買いの性格は何歳になっても変わっていないのか。

3時前にらいふのぱんに着くと、すでに作業に入っていた。朝は二人の職人さんが仕込みや生地の分割などの作業をしている。厨房はオニパンの3倍はある。ほかに貯蔵庫やパンの仕分けをする場所がとても広い。できたパンはこのお店で売るだけではなく、ロバのパン屋さんのように宮崎市を3つに分けて、外販に車で出かけていく。だから、パンを袋に包んだり、仕分けしたりと大変な作業をしている。


やっぱパン職人は立派だ。ペラペラおしゃべりして油を売る人なんていない。当たり前か。黙々としかもスピーディに働く。気持ちがいい。製造は交代制で10人以上いた。
社長さんのお話では、その中に障害のある方も二人。大事な部署を任され、しっかりと仕事をしていた。

できたパンを袋づめしたり、ラベルを貼ったりして仕分けをしている。

かわいいらいふのぱんの販売カー。


中はパンだけではなく、ケーキや、野菜もある。棚も引き出しのように出てくる仕掛け。
厨房でも感じたが、必要は発明の母。20数年のキャリアはいたるところで工夫を生み出している。
わたしも、帰って、さっそく日曜大工に取り掛かった。色々と仕事上でのヒントをいただいた。

働いている人がみなさんとても気持ちの良い方々だった。
二人の若い女性がいたが、一人の方は高校を出て8年働いているという。
普通パン屋では3~4年ぐらいで職場を変わる人が多い。
一つのパン屋で長く働き続けるというのはきっといい職場なのだ。
社長さんそして専務さんは職員をとても大切に扱っている。生協運動から仲間を大切に育てるということを学んできたからだと思う。
すごいと感じたのは、労働時間と休憩。週40時間制を守り、一日8時間勤務。しかもその中で1時間20分の休憩をとらせている。
ありえない~。でも、そういうパン屋もあるのだ。
私の場合は・・・・14時間以上の勤務。続けるということは、続けられる勤務のあり方と一体不可分。 

お昼の時間になった。社長さんまり子さん、そして姫野君とママでお食事会。ドイツ仕込みのソーセージのうまいこととといったら・・・・。よだれがたくさん口の中で・・・。

2階はランチスペース。
写真を撮ってくれたのは姫野君。
右がまり子さん。私の隣が山路社長。
経営についてもいろいろと教えていただいた。

高校時代の友人姫野君の容姿も載せておこう。彼の厚意で今回の研修が実現した。
彼は長くスペインで生活もしていた。
奥さんに代わって、夕食など作っている。えらい!彼の得意とするスペインの「パエリア鍋」を食べてみたいなあ。

そんなこんなで、充実した研修を終えた。行きは緊張していたからか、道も間違えずに行けたわけだが、帰りはママが運転してくれた。私は隣で道案内係。役割分担が間違っていたのか、豊後大野の326号線にはいかず、佐伯の蒲江方面へ。そこで、ママが切れる。
運転が荒れる。ママは口は立つが、運転は下手。あぶない!
そこで、私が運転することに。4時間チョイでたどり着けるはずが、6時間かかって湯布院へ。
60前にして超人的な体力を使うことに。まあ、自業自得か。
それにしても、いい旅だった!
ありがとうございます。宮崎の皆様!


らいふのぱんの建物。敷地は120坪とのこと。