我が家に大きな柿の木がある。背が高く、たわわに実る柿の実にはたくさんの生き物が群がる。
10~11月は主に虫たち。1月になると熟熟に熟した果実にひよどり軍団がこの日とばかり一斉に(100羽くらいいたかなあ)やって来る。そのすごさに一昨年か、驚いたことを覚えている。今の時期は蝶や蠅、ハチたち。ぷ~んと匂う甘い芳香に寄せられて、暖かい日には特に多くの虫たちがやってくる。かなわないのは、スズメバチ。昨日も、柿のそばで大工仕事をやっていたら、「ブ~ン」と低く大きな音をを立てて目の前で威嚇飛びをしてきた。私は、のこぎりをほっぽり出し、慌てて家の中に走り込む。いなくなったのを確かめて、パン屋着用の白い帽子をかぶり、ハチに狙われないようにして、作業の続きをする。スズメバチは、黒い頭に攻撃を仕掛ける(あるいは青い色も攻撃性を高めるとのこと)そうだ。
一月ほど前、スズメバチがあまりにも偉そうに飛ぶ我が家の状況は、この柿の木に原因があると、私は柿の木を切り倒す行為に出た。我が家の柿の木は地面から1メートルぐらいより、二股に幹が分かれ、十メートル(?)ほどの背丈で、下から上までびっしりと柿の実がついている。しかもまあまあの大きさで、干し柿にもできそうだ。二股のうち一本の幹をチェーンソウで切り倒した。もう一本の幹は、ガレージの上に覆いかぶさるように伸びているので、これは簡単には切り倒せない。へタをすると、ガレージがつぶれてしまう。二股の一本を切り倒すと、手の届くところに、柿の実がうじゃうじゃと横たわっている。なんか、もったいない。毎年毎年実をつけ、多くの生き物たちを養ってきただろう柿の木をこんなに簡単に切り倒していいのかと、ふととまどう。


残った片割れの一本。この2倍の大きさで、柿が実るのだから、生き物たちにとってどれだけ大切なものかは容易にそうぞうできるのだけど・・・

私は子どもの頃より、柿が好きだ。小学生の頃は町内はおろか、山の方まで、どこの柿の木が甘いかほぼ知り尽くしていた。甘ガキは、少しづつとって食べ、渋柿は干し柿にした。軒下につるした柿は、とてもおいしそうで、一つ味見をし、一つ味見をし・・・ているうちに出来上がる頃にはほぼ食べつくすのが習わしで、結構マメに干し柿をつくっていたことをおぼえている。
五年生の時、学校で短歌の学習をした。勉強のことなどほとんど覚えていないのに、この短歌の学習だけはしっかり覚えている。みんなで短歌をつくり、無記名で好きな歌に票を入れる。私の短歌は一等に選ばれた。こんな歌。
「軒下にずらり並んだつるし柿 ひとつほしやとため息もらす」
人間というものは如何に自己中であるか。自分が一番に評価される時、46年も前のこんな短歌でさえも一生忘れずに、自慢し続けるのだから。
まあいい。それで、子どもの頃を振り返り、久しぶりに干し柿をつくった。

この柿の実、近所の人がほしいというので、3軒ほど分けてあげた。そうか、虫や鳥たちだけではなかったのか。人間にとっても役に立つのだ。この当たり前の事実に気がつかず、生き残った片割れの処分方法を考えていた自分の愚かさ。
「よし、この柿の木、もっと実がとりやすいように、剪定をしよう!」