塚原高原まつり №82

塚原高原まつりが27日(土)にあった。私は、実行委員として、6月より準備に関わってきた。主な担当は、「塚原高原こどもアート」。塚原在住の画家、桑野さんと狩野さんのお二人が指導し、子どもたちで大きなキャンバスに絵を描く企画だ。初め、テント生地を使って描こうと考えたが、水性ペンキの色ののりが悪く、結局分厚い布地に描くことにした。4メートル四方のキャンバスにするということで、そこは、ママがミシンで製作してくれた。
絵が大きくなると、色々と大変なことが出てくる。どこで、どのようにして描くか。描いた絵をどのようにして展示するか。集団での子どもたちに、どのように指導して描かせるか。お二人の画家さんたちも、指導法には、随分と考えご苦労されたようだ。私は、主に、キャンバスの用意や展示の方法について頭を悩ませた。展示方法は、布地の端に4メートルの洗濯竿を通せるワッカをつくるということにした。
今一つ、子どもの企画として、「草原宝探し」というものをした。宝を探しだした子どもに、景品としておもちゃや、遊び道具をプレゼントするという企画。そのために、おもちゃの買い物をしたり、大きな竹を切り倒し、立派な竹馬を5セットほど作った。

当日の祭りの日は晴天になったが「暑さ」「風」にも「恵まれ」、過酷な環境の下で企画が進行した。子どもアートは、10時よりスタート。私は、パンの製造でお店を離れることもできず、ただ心配しながら、会場の様子を想像していた。12時過ぎに電話が入った。桑野さんからだ。「日浦さん、アートは予定通り進むことができました。成功です!」
やったあ~!良かった!!初めて子どもたちを相手に絵を指導したお二人の気持ちは想像に余りある。良かった、良かったと私の心も弾む。さて、2時より、私の出番。仕事をほおって、会場へ駆けつける。
会場につくと、でっかい絵が、草原に寝かされていた。会場は、とても暑く、風も吹いていて、テントが一張り吹き飛ばされていた。絵は立てられる状況ではなく、宝さがしもゆっくりやっていられる状況でもない。取りあえず、子どもたちを集合させ、スタート。子どもたちはそれでも、喜んで一所懸命宝を探していた。
宝探しを終えて、一息ついたとき、一人の親が私に猛烈な勢いで、苦情・避難を浴びせかけてきた。「こんな、だらだらした企画は見たことがない。始まるまで30分も待たせて・・・。わざわざ大分から来て損をした。もう二度と来ない。責任者に言っといて!!」
私は、唖然として、「すみません。ご迷惑をかけて・・・。」と謝った。でも、渡した参加者用チラシに受付時間とゲームスタート時間を書いていて、私はその通りにやっているのに!勝手に勘違いしておいて、そんなクレームはないでしょ!と思った。さらに、その方は、あたった景品が気に入らないらしく、「別のものに換えて」と言ったりで、自己中としか思えない言動を繰り返す方だった。
う~、暑い!疲れる!!

それから、子どもたちにぶんぶんゴマづくりを指導した。親にも手伝ってもらった。これは、結構、うまくいって、喜んで、練習をしていた。こうして、一時間の企画を何とか終えることができた。

私は、急いでお店に帰り、仕込みと、夜の出店へのパンの出品の準備をした。ママは、5時半ころにパンを会場に搬入。オニパンは、結構な人気で、30分で売り切れてしまった。(ありがたいことです)

さて、会場のイベントで、私の期待していたものは、「塚原高原のスライドショー」。今回初めての企画だ。塚原高原の素晴らしさを、多くの方々に知っていただく企画。美しく、素敵な塚原の写真がスクリーンに映し出されていく。参加者たちは、静かに、見入っている。
塚原高原は、8月下旬、「日本で最も美しい村」に選定された。大分県では初めてのこと。私は、塚原に住みだして、「最も美しい」という実感を日々味わってきた。少しでも、その美しさを多くの人々に知ってほしい。

パン屋だけでも四苦八苦しているのに、(よくぞ祭りの実行委員をやったものだ)我ながら、自分をほめてやりたくなる。しかし、終わって良かった。肩がすーっと軽くなった。

子どもたち約30人で描いた由布岳と塚原高原。結構な迫力です。桑野さん、狩野さんお疲れ様、御苦労さまでした。