初盆 №80

母の初盆を迎えた。今年の夏は様々に、人生について考えさせられる。
母は長崎で被爆し、悲惨な体験をしている。
18歳の彼女が見たもの、味わった思い、被った傷は、私には告げられなかった。
なぜ話さないのだろうか。
「被爆二世」の肩書を、密かに掲げて、19歳の夏、初めて原水爆禁止世界大会に参加した。
被爆者の家庭を一人で訪ね、お話を聞くフィールドワークもあり、まだまだ生々しく惨状を語る被爆者の方の辛い思いに涙した。

それからほぼ40年。東日本大震災における福島原発災害は、国民全体に「原発」の恐怖を知らしめることになる。私は、若いころより、「原子力の危うさについて」、知る機会を多く持っていた。母のことが頭にあったから、進んで学ぶ機会を持った。原発が産み出す核使用燃料廃棄物は、現在の人類の技術では処理することができないと、随分以前より指摘されてきた。原発は「トイレなきマンション」と言われ、それが産み出す「死の灰」は、海底深くにコンクリートで固められて捨てられる、あるいは土中に埋められるしかない。しかし、いつ何ぞやコンクリートから漏れ出すかわからない。それはだれも保証できない。だって、放射能が人体に影響をなくす時間が30万年もかかるというから。
そんな、そんな無責任なことをずっと以前よりやっているのが、「賢い」人間たちなのだ。
大好きな、ジュールべルヌの「海底2万マイル」のノーチラス号。その潜水艦の名をとって、世界初の原子力潜水艦の名を「ノーチラス」としたと最近知って、私は怒り心頭状態だった。

資本主義は、常に資本の増殖のために、拡大・競争を続ける。競争を続けなければ、会社はつぶれ、他の資本に飲み込まれる。如何に利潤を増やし、強大になるか、それが目的であり、自らを制御しコントロールする自律的な力は、備わっていないと思える。会社のレベルでも、国家のレベルでも、安易に利益優先の政策がとられ、その結果、国民に真の情報が伝えれず、国民が犠牲者になる。

一部の「賢い」人間によって、会社や国が、一部の人間の利益に奉仕する結果、多くの市民たちの人生が翻弄されている。それへの怒りが、今日本に限らず、全世界で噴出している。

何億もの人々の命が、それぞれに、違った人生を歩み、泣き笑いし・・・。
そんな、人間の人生の美しさ・かけがえのなさ。
だれも、奪う権利はない。勝手に左右できる代物ではない。

身近な人、大切な人の「初盆」で、今年の日本の夏は、多くの人々の悲しみが複雑に織りなしている。

安らかに、眠ってください。