やったぜ! 塚原ファン・ラン・ウォーク №188

折々帳あまりにもとび過ぎ!月に一回どころか、3カ月に一回のペース。とすると、200号に届くまでにあと4年かかる。そうすると私も68歳。う~。目標の300号にたどり着くには93歳までかかる。いくら何でもその年までパン屋をやって、折々帳を書くのは難しいだろうなあ。さて何号までだせるのか・・・。

書きたいことはいろいろとある。しかし、最近は「オニパン&つかはらinfo」にブログ調に日々の生活まで書いてしまって、折々帳の存在意義がうすれてきた。どちらかというと、折々帳はボリュームと内容で勝負みたいな感じで、書くのに身構えてしまう。時間もかかる。それで、ついつい先延ばししてしまうのだ。ごめんなさい、だから、折々帳を楽しみにしてくれている読者様、infoと併用みたいに考えてくれたほうがいいのかも。

しかしですねえ、今回は、書きたくて、書かずにはおれない心境なので書かしていただきますよ~!!

10年目にして初めてのイベント・・・それが、マラソン・ウォーキング大会とは!?      

初めからマラソン大会を考えていたわけではない。パン屋を続けていくためには、足腰を鍛えなければいけない。しかし、何か目標がなければジョギングなど続けるのもモチベーションが高まらない。やることはいろいろとあり、年とともに体も疲れやすくなり・・・・。4年前にたまたま正月休みの日曜日に大阪でハーフマラソンの大会があることを知って、3カ月ほど前より練習を重ねて大会に出たことがある。しかし、悲しいかな、大会はいつも日曜日。パン屋は日曜日はお仕事。

私の人生で今になってつくづく思うことがある。今になってこそ気が付くことでもある。私がなんとか今までやってこれた(仕事や暮らし)のは、30代後半より始めたジョギングのおかげなのではということ。30代に2回ほど調子が悪くて短期入院。タバコと過労、食事などのせいか。健康を考え、タバコを止め、ジョギングや山登りを始める。これは今までも何度も書いてきた話。ジョギングからマラソンへ。30代後半から50歳のころまではよく走った。体が軽くなり、筋力も付き、教員の仕事もジョギングや登山のおかげで乗り越えることができた。変な話だが、荒れた学校での悪ガキとの付き合いの上で、動物的な力(逃げる子どもをいつでも捕まえることができる)は、荒れた子どもたちから畏敬の対象として見られる側面がある(もちろん教師としての人格が伴っての話だが)。屋根の上に上って、卒業式の練習に出てこない7人の男子たちは、私には一目を置いてくれた。なぜって、私は屋根に上る体力があったから。もちろん、屋根に上らないでも他の教育的指導の方法はいろいろとあるが。しかし、荒れた動物的な子どもたちには、動物的な接し方も有効だと思う。殴るっていうことじゃなくて。パン屋の修行に行った時も、マラソンをやってなかったら、到底あの立ち仕事を続けることができなかったと思える。53歳の時だった。今の自分がここにいるのは、体力的側面から言えば、ジョギングを続けてきたからだと言える。

パン屋はマラソン大会に参加できない。なぜなら、日曜日にイベントがあるから。マラソン大会は本当に魅力ですよ。老若男女が入り乱れ、かっこよく走り去る人から、ふらふらで今にも倒れそうな方。しかし、ゴールをした人たちは、ほぼみなさん生き生きとした表情で充実感に満ち溢れているのですから。こんなイベントに参加できない職種の人たちがいるってのは、その人たちにとっては人生の損失、大損失と言っても過言ではない。

そこで考え付いたのは、参加できないのであれば、参加できる日に主催すればいいのだということ。人数が多くなくても、一人でなければやる気も違ってくるし、それなりに楽しいことになりそうだし。

img008 12月にチラシを制作。10~20名程度集まればやる気も出るなと考える。従業員さん(清家、川野さん)も参加するし、ママも。これだけでもやる意義はある。ウォークもあった方がいいということで(そうすれば、運動不足の人が健康を考えるきっかけにもなるし)ウォークもいれる。

ネットでマラソン大会に必要な準備を調べる。いろいろとある。エイドステーション・・・・。なるほどエイドか。それだけでなくて、ランチも考えるか。てなことで、ママと相談。ママに相談すると、ママは食にこだわるほうだから、いろいろと考えだした。

パンに何種類かの具材を挟んで食べる。パンも2種類だそう。スープは2種類。食べる前にカフェコーナーでぜんざい、オリジナル手作りクッキー、紅茶とコーヒー。おっと、食べるのが少ないわ(自分の食べる量で判断するので)追加にフレンチトーストも。エイドステーションには、水とエネルギードリンク、バナナとクランベリーチーズはどうかしら。

マラソンイベントというより、食のイベントみたいな感じで準備が進む。

当日が近づいてくると、準備も大変になってくる。ホイコーロお焼きを提供してくれている中島さんが前日から具材の下準備に来てくれる。清家さんも手作りクッキーをたくさん作ってくれた。このクッキーが実にうまい。3種類くらい作ってくれた。

私の方もいろいろと準備が大変だったが、地元の方を含め数名の人が前日までの準備に力を貸してくださった。

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DSCN5845[1] 残念なことに写真をあまりとってない。自分も走ることに意識が向いていて、イベントの記録を取ることが弱かった。残念です。

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塚原ファン・ラン・ウォークのテーマは「ピース&ヘルス」。平和と健康が一番というのはオニパンのテーマでもあります。参加者はウォークが17名。ラン(5キロ、10キロ。16キロ)は、合わせて27名。44名の参加者とボランティアスタッフが8名。50名を超える人たちで結構にぎやかになりました。20180328塚原FRW030 20180328塚原FRW054 20180328塚原FRW067

私は10キロに参加。ママは5キロに参加。ともに完走できました。うれし~!左の写真が私。ママは右のどこにいるでしょうか。

20180328塚原FRW059 右の人は別府のコーヒー屋の方。ほとんど練習をしてないのに10キロに挑戦。やめとけって言ったのですが、本人はやるって聞かない。しかし彼は、10キロをすべて歩きとおして完歩。初めから終わりまで。左の白い服を着ている人は地元の青年(中年?)。面白い方で、エイドステーションで私と一緒になると、飲んだり食べたりで、宴会のように。私はマラソンの途中であることを忘れそうになりました。だいぶタイムロスに。20180328塚原FRW047 20180328塚原FRW051

地元の匙やさん(左)匙やさんは3年ほど前フルを3時間30分近くで走ったとのこと。久しぶりに走るので自信がないと言ってました。地元の安川さん(右)。安川さんは救護班(お医者さんだから)をお願いしてたのに、自分も走ってみたいと、10キロに挑戦。2割は歩いたとのことだが、めでたく完走。そして、難コース16キロ組は・・・。

20180328塚原FRW037 カルカンの中村屋、工場長も参加。5名がエントリー。20180328塚原FRW128 20180328塚原FRW229 韓国のチヨウさんが参加。国際大会に。いい笑顔ですが、その後かなりきつい状況に。

20180328塚原FRW169 宇佐から参加の高橋さん。高橋さんは塚原の「ぽこあぽこ」のカズちゃんの弟さん(後で知りました)。とても軽快な走りで第2位でした。

20180328塚原FRW142 そしてこの方。由布院ユースホステルの嘉手川さん。とんでもないスピードで1位。奥様の智美さんもすごい人で、10キロコースでぶっちぎりの1位。夫婦そろってすごいランナーです。

20180328塚原FRW195 宇佐から来た高木さん。この方ずいぶんファンランしていましたね。終始笑顔でした。

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20180328塚原FRW012 家族連れ、夫婦連れの皆さん。それぞれ楽しんでいましたね。

走り終わってからのランチタイムでは、オニパンサンドやクッキーなど大好評でした。1時過ぎに終了したのですが、残って夕方まで話が弾むグループもいました。そこでは、来年の塚原ファンランをどうするかまで勝手に実行委員会が結成されている有様で。

オニパン10年の歴史の中で、初めてであり最高だったマラソン・ウォークのイベント。汗を流し、自ら挑戦するというランニングやウォーキングの本来持つ良さをかみしめたひと時でした。やり切った感動というか、やっぱりマラソンはいいなあ。主催者が自ら出場するというのは、感動も2倍で(イベントの成功と合わせ)、来年へのやる気をたぎらせるものとなりましたね。

20180328塚原FRW147 おっと、忘れてました、大事な写真。オニパン隣の田中あっちゃん。暑い中、黙々と見守りやエイドステーションの仕事をやってくれました。こんなボランティアの方々のおかげで、成功したことを忘れてはいけませんね。

来年もやりますよ(もしかすると今年の秋かも)。「ピース&ヘルス」これが一番!