歴史的大雪 オニパンにも被害が №125

初めのうちは、わくわくして眺めていた積雪でした。もっと積もるといいな、などと思って。
昨年より登場した我が家の4WD車の能力も試したかったし。

雪の朝、ああ、なんて美しい!

2014年2月11日。

美しい塚原高原の景観。
雪の白と空の青、澄んだ大気、音のない静けさを満喫する。

ところがこの雪はほんのプロローグ。

2月13日の木曜日だったか、別府販売を終えて塚原のお店に帰ってくるなり、従業員のひろちゃんが
「私、別府に行く自信がありません。」と青い顔で訴えます。
スタッドレスタイヤをはいてるのに、えらい自信のないことを言うなあと思いつつ、翌日は私が別府販売へ行くことに。
ママが「サファリの500号線は混むからエコーラインに行ったら」とアドバイス。
エコーラインは鶴見岳と由布岳の二つの山の裾を塚原から城島高原へとつなぐ山道。
塚原よりさらに100mは高い峠を越える。
「おお、それはまたとないチャンス」と受け止める私。この性格がよくも悪くも私の人生を左右してきたのでしょうか。
フォレスターなのです、私の車は。CMですごい坂を登ったり、雪道を走破するあのフォレスター。
わくわくして、エコーラインへ。車が通ってない!大きな轍の跡はある。トラックだろう。轍に沿ってどんどん上へ登る。すごい雪だ。その凄い雪の道を前が見えないくらいに雪を蹴散らして進む我がフォレスター!!
しかし、だんだん進み方が不安定に。雪が車の底をこすりながらかろうじて前へ進む。
これはまずい、まずいぞお、このまま止まったらどうなるのだ。お客様にご迷惑がかかる。
いや待てよ、それではすまなくなるかも。雪の中で遭難するかも、まずいぞ~、これは!
ママが早く行けるといったエコーラインは2倍以上の時間をかけて何とか通り過ぎる。
助かった!さすが、フォレスタ~!!早、喜んでいる自分がいる。

その日の帰り道は500号線を通りました。全面通行止めの看板を無視して、500号線から塚原高原へ続く616号線(リックスプリングバレーに続く道)へ。この616号線がすごいのだ。風景が一変する。途中何台もスタックしている車に出会う。
ひろちゃんが青い顔をするのも当然。私の前にいた車、あまり雪道に強そうな車でなかったが、時速50キロくらいでどんどん前へ行く。坂を登り切って下りへ。そこで、止まっていた車とぶつかっていた。危ない危ない、油断は禁物。

エコーラインで多少勉強していた私は、慎重に616号線を進みました。

金・土・日と別府販売をこなした私。パンをつくるのよりもはるかに難しいパンの販売(私にとって)。行き、帰りは愛車フォレスターでルンルン。
これで、今年の雪と別れを告げる予定でした。

しかしご存知のように歴史的大雪を降らした寒冷前線は塚原でも猛威をふるいました。
こんな雪見たこともなかった。古くから塚原在住の方によれば、39年来とか、30年来と言われる大雪です。

玄関を出るとこのありさま。道がなくて、郵便ポストに行くことができません。
2月18日(火)

何とか外の道に出ると、木々の枝がしなって、地面につきそうになっています。普段は4~5メートルも頭上にある枝なのに、道を歩くのにもトンネルの中を進む状態に。

屋根の上に降り積もった雪も50センチほどで、大変な重量となりました。ガレージがつぶれそうなので、下から4本ほど柱で支えました。
こわいので、車は外へ出して避難。

積もった屋根の雪はとても怖い。すごい音を立てて落ちます。柔らかい状態で降り積もって落ちてくるのであればまだましなのでしょうが、天気が良くなって雪からザラメや氷状態で固まると、恐ろしい物体になります。屋根の上で固まった雪はここ数日一枚の厚いザラメ氷状態となってなかなか落ちてきません。見ると我が家のまきストーブの煙突が”一生懸命”分厚い屋根氷を支えているではありませんか。
それは、ブレーキの緩んだ10トンダンプを坂道で押し上げる人みたいな感じかな。ブレーキがさらに緩んでくるとどうしようもありません。
我が煙突君も一日一日と、斜めに曲がり、取り付けていた家壁もはがれ、ついに昨日大きな音と振動を伴い下に落下。
修理代のことを考えると暗くなります。
各地に降った豪雪の被害の甚大さ。中の農作物も含め農業用のハウスがつぶれ、うろたえる農家の方たち、家や施設設備が壊れた方たち、また怪我や凍死など・・・。
異常気象ともいえる今回の豪雪。ちょっと書いておかねばと、パソコンに向かいました。


2014年 2月25日