「五箇山から縄文時代を探る」~S氏の著作に感銘 №91

NHK総合テレビで「人間とは何か・なぜ人間になれたのか」というスペシャル番組がスタートしている。すでに2回放映された。東日本大震災以後、人間の在り方が問われ、本質的な議論が、わが国でにわかに起きつつある。
この10数年(湾岸戦争あたりからか)戦争や紛争が絶えず、さらにここ一年は、中東の「アラブの春」が吹き荒れ、激動の世界情勢(これはいい意味での激動だろう)となっている。日本国内を見ても、個人的には、ショックを受けた、大阪の橋本氏たちの「教育基本条例」に見られるような、時代錯誤の管理統制処罰教育の出現。これから先どうなっていくのだろう。
人権って何?人間の本来あるべき姿とは?
高原で、幸せにパンを焼いて余生を送ろうかと夢見た中高年のおじさん。すなわち私は、近ごろ、
世の中の動きが気になって、気になって、ちょっと憂鬱な気分でもある。

20万年前、人類はアフリカに生まれたそうだ。人類といっても、ホモサピエンスという種。5万年前ホモサピエンスは、全世界へ広がっていった。アフリカから旅立った我々の祖先はなんと数千人であったという。アフリカから中東へ渡り、二~三万年を掛けて世界へ拡散していく。途中、ヨーロッパパで大きな勢力を保っていたネアンデルタール人との激しい戦いが待ち受けていた。ほとんど同じ知能を持ち、体力にも優れた人類であるネアンデルタール人との戦いにホモサピエンスは勝利する。我々ホモサピエンスが他の動物と大きく違う点が、この戦いの勝利に貢献した。ホモサピエンスは、とても弱い動物である。だから、生きていくために、様々な面(衣食住)で、工夫や改良を行った。戦いの武器もつくりだした。ネアンデルタール人は、体も大きく、槍一つで大きな動物も殺せたという。我々の祖先は、飛び道具を発明し、大きな動物だけでなく、遠く離れた、鳥やウサギでも捕えることができる術を手に入れた。大きな獲物が手に入らなくなった下でも、小動物を捕まえることができるホモサピエンスは、人口を増やすことができたのだ。

このような、発明は、誰かが偶然行ったとしても、広がり、共有できなければ、力とはならない。飛び道具は、一地域だけでなく、我々の祖先が拡散していったあらゆる地点でその痕跡が発掘されている。ここが、他の動物、また優秀なネアンデルタール人との大きな違いであった。
人間は、違う部族や集団でも、交流し、食糧・生活物資・文化を分かち合うことができた。その能力が人間を大きく発展させてきたというのだ。

小さな集団で移動してきた人間たちは、色々な地域で定住していく。そこで、ルールをつくりながら小さな社会を形成していく。日本にきた祖先たちが、「縄文人」と今の我々から呼ばれるようになるのは、一万三千年ほど前である。

大阪時代の私の先輩であるSさん。以前、縄文e.m.工房を主宰し、縄文土器のレプリカの製作者として、この折々帳でも紹介したことがある。その彼が、昨年の10月、『五箇山から縄文時代を探る』という本を著した。この著作は、その一万三千年前から現代へと続く人類(日本人)の足跡を、彼の優れた推察・想像力も手伝って、掘り下げて解明していると思った。私自身、全く浅い知識しかないので、S氏の仮説がどれほどすごいのかは、よくわからない。しかし、彼が、たくさんの縄文土器をつくりながら実感してきたことは、「本当」のことだと、思う。

縄文人は、新しく日本に移り住んできた弥生人の勢力に押され、また、混血も進んで行く。東北には縄文人のDNAを持った人が多いとのこと。縄文人は北へ北へと追いやられる様子が浮かんでくる。
さらにアイヌ民族は、縄文人を祖先とすることが近年明らかになってきた。アイヌは争いを好まない平和主義者。S氏の説く縄文人の姿とダブって来る。

文章が散漫になってきた。
私がここで書きたかったこと。NHKの「人間とは何か」やS氏の著作は、今の私の憂鬱に一つの希望を抱かせてくれている。
目先の現実ばかり見ていると、ブルーになるばかりだが、東日本大震災後の人々の「絆」といわれる連帯感など、人間の中には、しっかり「他人のことを自分のことのように思いやれる」DNAが存在すること。
それは、二十万年の人類が歩んできた歴史の中で培われてきたこと。
もっともっと、大局的な視点で見れる自分にならないといけないのに。